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宿題と夜燈の書庫





 黄金つぶが山向こうに沈んだ頃、ミリアとジャックは家の裏から伸びた道の果てにいた。目の前の崖は斜めに飛び出している。まるで山自身が空へ差し出したようだ。六角柱の岩が連なり突き上がる。その先にあわく影が落ちていた。あの繊月が沈むまで、あとわずか。


 その崖から三歩踏み出した先に、長方形の影がうっすら浮かんでいた。


 ミリアを腕から下ろしたジャックは、崖の先から影へと魔術の階段を築いた。懐から小さな鍵を取り出すと、階段を登って影の前に立つ。


 長方形の影、ちょうど右側中央あたりに鍵を差しこむと、紺色の艶やかな扉が現れた。羊飼いは取手に変わった金色の鍵をひねり、扉をあける。


 かちゃん

 

 軽い解除音と共に扉が開いた。その先には広い玄関口と視界におさまりきらない透明な大樹が広がっている。軽く覗きこめば、壁際から螺旋状に書棚が連なっているのが見えた。


 夜燈の書庫だ。 

 

「扉番の俺も文字を知らない羊達も、書庫には入れない。ここからはひとりで行けるな?」

「大丈夫」

「じゃ、気をつけて行ってこい」


 ミリアはひとつ頷くと、扉をくぐった。

 

 透明な大樹がそよいでいる。遥か上からの光を受けて、木は葉先をほんのり鮮緑に染めていた。その周りを取り巻く螺旋状の開架書庫には、今日も静かにページを捲る音があちこちで咲いていた。


「昼星?」

「きたか」


 書庫に入って小さく呼べば、背後から声がかかった。

 

「とりあえず、こちらだ」

 

 裏の大樹の根本には仕切られた小部屋が、幾つも連なっていた。外側からは影しか見えないが、内側からは大樹や螺旋を描く書架がよく見える。


「じゃ、まずは本を返してくれ」

「はい」

 

 初回の諮問司書(レファレンス)。座ったミリアは本を渡しながら対面を見た。司書が返された本を机上に広げた途端、ページとページの隙間からひょろ長い糸が飛び出してくる。昼星が無表情のままそれを素早く掴めば、紙食い虫はもろりと崩れた。


「虫入りだったか。小娘、悪かったな」

「別に読んでるあいだは出てこなかったよ」

「普通は隠れ潜むからな。知らない場所から見知った場所に出されて、驚いて出てきたんだろう」

 

 昼星は虫を触った手を振り払い、魔術できよめてページをめくった。竜へと幾つか問いを投げ、よどみなく答えたのを見ると満足気に頷いた。


「宿題はこなせたようだな」

「良かった」


 昼星はまっすぐミリアを見る。


「知っての通り、夜燈は月の書庫だ。夜空に月がある時だけ開く。しかし業務量は三日月も満月もそこまで差はない。よって本業務以外に裂いてる時間はあまりないんだ。半月を越えるまで待ってくれるか」

 

「――労働の法律的には」

「法の隙間って奴だな、濃い灰色の。それまでは宿題の指導が限界だね。こちらの事情で申し訳ないが」 

「仕方ないよ」

 

「同意が得られてなによりだ。じゃ早速今日の宿題な。今回はこの本一冊、十回書き写すように。期限は明日」

 

「はい?」 

「指導が短くて悪いな」 

「この本もう読んだんだけど」

「それでもだ。『智』持ちはそれに頼りすぎるからな」


 昼星の目は真剣だった。書庫内のどこかでページをめくる音が大きく響いた。

 

「それと書き写しには何の関係があるの」

「思考というのは習慣なんだ。誰しも癖があるもんだけどな、『智』持ちはなまじ知識の泉と思考が近いから、推理して考える力が弱い」

「知識に頼らない分、柔軟に考えられるでしょう」

 

「考え方ってのは誰しも最初から持っている訳じゃない。よく考える奴の思考の道筋を何度も真似するんだ。それを応用できるようになって、はじめて自分の頭で考えられるようになる。まずは山ほど模倣して考え方を体で覚えろ」

 

「無理だよ、そんなの」 

「あのな。『智』を持たない奴らはそうやって生きてんの。だからこそ、知識抜きで自由に考えられるし、様々なところへ応用が効くようになる」

 

「でも間違うかもしれないじゃない」

「そうだな、それで?」

 

「それでって……責任を考えれば、間違う訳にはいかないじゃない」

 

「どの責任だ?」

「どのって、自分の山……あ」


 目をまるくしてかたまった。名を封じられて追放された竜は、今はもう山の主ではない。


「間違えたところで、山に影響が出たりしない」

「そう……だね」

  

「だがどこまで影響するかにすぐ意識がいくのは、大事なことだ。『智』がない奴はその辺りを分かってない奴が多いからな」


「でもそこにとらわれちゃ、駄目って言いたいわけ?」

「ちゃんと考えてるじゃないか」


 視線がつい重くなったが、昼星は苦笑で流した。

 

「それでも十回も書く必要なくない?」

「じゃ、千回な」 

「え」

「やらなきゃ分からないこともある。馬鹿馬鹿しいとやめてもいいけど、対価は変わらないぞ」


 静かな昼星の声にミリアはたっぷり考えた末、ひとつ頷いた。

 

「………………分かった。やります」

「期限は三日。毎日進捗を見せに来い。それからノートは羊の毛、ペンは煤を練って作れ。作り方はジャックが知ってる」


 司書が本の横に秤を机に置いた。

 

「今日はもうひとつ、書庫の利用について説明しておこう」

「利用?」

「ああ、諮問司書(レファレンス)はあくまで補助。そもそも夜燈の書庫の規則についての説明がまだだったろ」


 昼星の話は長かった。ミリアに理解出来たのは、夜燈の書庫は得た知識によって対価が変わるということ。本は持ち出し禁止ということ。


 どうやらこの本を借り出せたのは例外らしい。


 諮問司書の契約と昼星の指示があったこと、天秤で本と竜の欲を計ったこと。その結果、対象の一冊が一時例外として貸出が許されたらしい。それでもこうして毎晩書庫に戻らなければならないのだそうな。

 

 出来なければ、持ち出した者に重い対価が科される。本が返却されるまで罰は続くという。その内容はぼかされていたが、どうやら相当だ。


「まとめれば、知識は持ち出していいけど、本は駄目。ここの知識は稀少なものばかり。ノートとペンの持込は自由だ。ただし汚損破損はしっかり対価を支払ってもらう。持ち出す知識も無料じゃないが、出る前に対価を確認してから書庫を出れば思わぬ支払いは起きないから、そのつもりで」


 昼星の笑みは尖った硝子のようで、ミリアは震えながら姿勢をのばした。


「分かった。気をつける」 

「最後に、書庫で何かあったら『妖精(フェイ)』を呼べ」

妖精(フェイ)?」

「ああ。夜燈の書庫の司書を妖精(フェイ)と言う。妖精じゃない奴もいるが、そういうことになっている。僕の通り名を呼んでくれてもいいが、なにせ多忙でね。呼ばれても手が離せない時もあるから」

「呼ぶのはいいけどなんで?」

「ん?」

「自分で対処すればいいじゃない」

 

 昼星は一瞬視線を彷徨わせた。それから静かに二冊の壊れた本を取り出し、机に並べた。

 

「良く似ているだろう? だけど、使用すべき糊はこっちは二枚貝、そっちが蔦蔓を元にしたものじゃなきゃ駄目なんだ。糊は特製で異物が混入すれば、字が滑り落ちる。ここは月の個人書庫。まったくなくなるのは惜しい、と月が思ったものがほとんどだ。そういう特殊な本ばかりなんだよ。利用者だって人以外がほとんどで、それぞれの種族や文化に合わせた対応が必要だ。……それでお前に本当に正しい対処ができるか?」


 司書の言葉に竜は黙って首を振った。

 

「ここは僕たちの領域だ。本と利用者の権利と義務を守る為にいる。だから本もそれ以外もなにかあったら、僕たちに尋ねてくれ」 



 


 ミリアが外に出ると、色を失った空からヒゲの月が退場するところだった。


「おかえり」


 ランプを掲げたジャックは、片手で器用に懐から鍵を取り出した。そのまま宙に浮かぶ書庫の扉の鍵を締める。カチリと音がして扉が視界から消えた。


「ただいま」

「……どうした」


 ミリアはじっと手元を眺めている。思わずその表情に穏やかに問いかけた。

 

「その鍵。随分と大事そうだね」

「そうだな」

「家族から鍵を引き継いだの?」

「いや。これは先代の六角岩の羊飼いからだ」

 

「先代? ……家族じゃないの? 人は家族を編んで長い時を越えるってきいた」


 小首を傾げる子に、苦笑いをこぼした。風が羊飼いのケープの裾をはたはたと撫でた。

  

「人間の長い時の越え方か。そう言う条件が残りやすいのは確かだな。だけど俺は先代と血が繋がってるから預かったんじゃない」

「そうなんだ……訊いてごめん?」

 

「いや、むしろ礼を言わせてくれ。ありがとう。嬉しいよ」

「嬉しい?」

「ああ。なんだか、家族みたいだからな」

 

 ジャックが笑う。言葉にならない夜の空気が遠くへ駆けていった。

 

 子どもは彼を見上げていたが、不意に弾かれたように視線を崖の手前に向ける。


「ジャック、お客さん」

「丁度書庫を閉めたばかりとは運の悪い奴だな」


 ジャックが振りむけば、トゴーに連れられる人影があった。古びたマントの内側から時折のぞくのは商人らしい服装。だが、その輪郭はどこか細かった。

 やってきたその人を見るなり、羊飼いは瞬間ぴたりと動きをとめた。


「やあ、あなたが六角岩の羊飼いか」


 高性能なランプに照らされ、親しげに微笑む。

 男はジャックとよく似た顔をしていた。

 



「なるほど。新しく町に来たって言う商人はあんたか」


 扉番は密かに呼吸を整えると、少し低めの声で言葉を投げた。己のランプを魔術で浮かせ、子を抱きあげた。


「ああ。ジョン・ドゥという。求めるものがあるときいて、気が急いてしまってね」

「残念だが、今夜はもう月没を過ぎた。改めてまた明日来てくれ」

「そんな……せっかく来たんだ。どうにかならないか?」

「残念だが力になれない。ただの扉を守る番人だからな」


「そうなのか? 仕方ない。じゃあ開けられる人を呼んでくれ」

「悪いが、そんな奴はいない」

「ふむ、では所有者を教えて欲しい」

「あのな」

「金なら払う」

「そういう問題じゃない。この山のものはすべて月のものだ」

「月ね。今はどちらに?」

「さっきあんたも見ただろう。もう地平線の下だよ」


 男は少し考えると、急にしおらしく頷いた。

 

「よく分からないが、お悔やみ申し上げる。では次の月が決まるまで、待たせてもらっていいか」 

「……あんた、多分盛大に勘違いしているぞ」

「そうなのか? じゃあ、どうしたらいい」


 扉番は少し悩んでひとつ頭を振ると、静かに問いかけた。

 

「書庫で何が知りたい」

「何故君にそれを伝えなきゃならないんだ?」

「これでも扉番の業務の一環として、利用者の最低限の選別を任されているからだ。ここは月の個人的書庫だ。月の考えにそぐわない奴を入れる訳にはいかないんでね」

「なに? 知識を独占するというのか」


 崖に響く声に静かな視線を向けた。

 

「あんたに分かるように言えば、これは長期的な事業なんだ。月はおおらかだが、相性や勘違いで損害を被ることをよしとはしない」

「なるほど、保全の為か……」


 商人は頷いて声を落とした。


「今回書庫に来たのは、商売の関係ではない。ごく個人的なことなんだ」

「その言葉で分かるのは、案内すべき書棚が法律財務まわりじゃないってことだけだな」

「僕が知りたいのは、三年前ビリジウム公国を滅ぼした竜の居場所だ」


 首にまわされた小さな手が強張っていく。実は小さな傷だらけの熱い手に、ジャックは子の背をそっと支えた。


「ビリジウム公国ね。確か――歌劇の国、だったか」

「そう。とびきり眩く輝いていた祖国を何故壊したのか、それが知りたいんだ」


 自分に似た碧眼がこちらを向き、羊飼いになった男は言葉に詰まった。遥か昔、こんな風に言葉に詰まった日を思い出して。

  


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