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羊飼いと迷惑な客





「バリ、着てみたよ」

「着心地はどう? その場で左に一回転してくれる?」 


 バリがミリアにカーディガンを持って来たのは、月がようやく膨らみ始めた頃だった。


「軽くて柔らかいね。あれ……風がぬける? けど寒くないよ」

 

「内側でね、薄く水車の魔術がまわっているの。ほら、細かな毛も擦れないでしょ」

 

 言われるまま子どもはくるりとまわり、腕を思いっきり伸ばしたり背を丸めてのびをした。その度に緑と青のカーディガンは伸びて縮む。


「すごい」

「丈の調整にもこだわってみたわ」

「なんか……ほかほかしてくる?」

 

「気づいた? あなた結構寒がりでしょ。山はいつも強い風が吹いているし。だから糸に湧湯の魔術を染み込ませたの。もとのように魔術が使えない分、しっかり保温しないとね」


 水車の精はボタンや襟袖周りをチェックすると、ミリアの水鏡色の目を見て静かに微笑んだ。


「おかげでこんな色になっちゃったけど。次はもっと素敵な色にするからね」

「これはバリの周りの色なんでしょう? あたしは落ち着くから好きだな」


 くすんだ胡桃色の目が柔らかく瞬いた。 


「ええ、あたしの水車小屋はとても素敵なところなのよ。気に入ってくれたなら嬉しいわ。だけど、あなたに似合う色も今度編んでもいいかしら」

 

「また貰えるの?」

「気に入らなかったら、棚にしまったままでいいのよ」

「着るよ?! 嬉しいな。ね、ちょっとジャックにも見せてきていい?」

「ええ、もちろん」


 バリは閉じた扉を見つめ、背後でミリアの為の机を作る夫に声をかけた。


「ねぇ、ロブスト。私――甘えているかしら」

「気になるかい?」


 粉屋は組み上げた机を起こした。

  

「はじめは役に立つだろうだし、いいと思ったの。だけど、よく考えたら善意の押し付けじゃない? ――やっぱり、甘えているわね」

 

「うーん、大丈夫じゃないかね」

「あの子たちが私に気を遣ってあわせるなんて、本末転倒よ」


 男は乾いた布で机を磨いて払うと、水車の精を視線で柔らかく捉えた。

 

「でももし彼らが望んでいるなら、どうするつもりだい?」 

「……こたえたいわ。でも互いに見ているものが違うかもしれないことは忘れないでいないと、ね」



 



「正気か?」


 確かに新月明けのあの夜、ジャックはあの男に月が大きくなってから来い、とは言った。そして今夜は満月。だから来たのは分かる。だが、何故こうなった。


 いつものように放牧を終え、羊を連れて帰宅した。陽は傾いてはいるが、まだ空は青い。


 なのに家の裏が祭りのように賑やかなのはどういうことか。この山は月の領地だと、地元の者は皆わきまえている。だから普段ここに人気(ひとけ)はまったくない。


 家の裏から伸びる道を辿り、書庫の崖へ来てみれば、思わず冒頭の言葉が漏れた。目の前には幾つものテントが林立し、見知らぬ人間達が賑やかに忙しなく行き来していた。

 

「ここは野営地じゃない。今すぐ帰れ!」


 張りあげた声に、すぐさま商人が寄って来た。

 

「我々は本を読みたいのですよ。ただ書庫が開くまでのひととき、場所を借りるくらい構わないでしょう?」


「それは土地の主が大目に見ればこそだ。何も言われないからと家の玄関前で宴会されれば、不快になって当然だろう」


「玄関前? こんな辺鄙な土地に誰が住むって言うんです?」


「お前……よくそんなことが言えるな?」

「今夜書庫の間、ほんの暫くです。多少大目に見てくれませんか」


 羊飼いは思わず相手を見返した。

 

「残念だが、俺は許可を出せる立場じゃない」

「違う? じゃあどこに主がいるんです? まさか月なんて言いませんよね。居もしないものに遠慮してどうしますか」

 

「実際にいるぞ? それに人ならぬものの罰は事情など考慮されないし、過酷だ」

「過酷? 勝手に自分で縛られている、の勘違いじゃないですか」 


 商人の言葉に、羊飼いは肩をすくめた。


「兎に角、ここは一縷の望みの為に、希少な知識を求めるもの達に開かれた書庫だ。羊の数より多い一小隊が来るような場所じゃない」

 

 そこらを見れば、祭りのような浮かれ顔ばかりが並んでいる。以前人ならぬものの宴で見かけたものを思い返し、ジャックは顔をしかめ、腰から杖を引きだした。


 ――かろん


「聴け」 

 

 ジャックが静かに声をあげると、周囲の騒めきは小さくなった。人々は惹きつけられるように杖の先のベルを見つめる。様々な色の視線のなか、扉番は穏やかに語りかけた。

 

「ここの本は持出禁止だ。持ち出せば――この通り、呪われる」


 ジャックはケープの下から片手を挙げ、腕の包帯を半分解いた。その悍ましさに、小さな悲鳴が幾つか漏れる。

 

 包帯の下は紫がかった黒インクのようなものが、びっしりと刻まれ、蠢いていた。


「償い途中だから、俺はまだこれくらいで済んでいる。実際に本を持ち出した俺以外の仲間は、呪いに溶け崩れた」


 少しでも魔術を感じるものは、羊飼いから漂う怨嗟にひるみ、多くのものは耐え切れずに後ずさった。 


「ここは読んで持ち帰る知識に対価を払う、人ならぬものの書庫だ。幾ら取引相手が後で良い報酬を支払うと言ったところで、割に合うのか良く考えろ。もしかすると、書庫の望む対価が身内のものや大切な思い出だったりすることもあるぞ。なにより、支払いきれない高度で希少な知識を持ち帰ろうとすれば、即座にその場で書庫の肥やしになる。いいのか?」


 商人が提示した報酬はどうやら相当魅力的らしい。顔を見合わせ、小声で話し合う様子に、ジャックは説得を諦めた。


「――今宵はふもとに泊まるといい。真に書庫に用があるものは、また日を改めろ」


 夜燈の書庫の番人が杖を傾け、ろん、とベルが響いた。


 一瞬にしてテントと人々の集団が消える。後には商人とその肩を掴んだ護衛ふたり、それから焚火のあとが佇むばかりだった。


「なにをした」

「麓町所定の野営地に動かしただけだ。危害はくわえていないから、安心しろ」


「ああ、そうですか。ありがとう――とでも言うと思ったか」

「別に。不要なものを近づけないことは、俺の業務の一環だ」


 色のない声を放ったジャックは三人に向き直る。


「あんた達の配送も必要か? 有料になるが」

「………………いや、いい」

「今夜は日没一刻後の開放だ。入りたいならそれまで大人しく過ごしてくれ」


 ジャックは黙り込んだ商人達を後に足早に帰った。家でミリアが早めの晩飯を待っている。あの子のことだ。今朝も早かったから、今頃盛大に腹を鳴らしているに違いない。





「いつまで待たせるつもりだ」

「落ち着け、まだ月がないから書庫は開かない」

 

 月が登るまであと僅か。ジャックが戻れば、商人達は苛立ちを隠しもせず迫った。連れられたミリアは昼寝が足りなかったのか、生あくびだ。


「そんなこと言って、焦らすのが目的か」

「焦らす? そんなことする必要はない」

「ならどうして」

「準備が必要だろ」

「なんのだよ?」

「書庫も、お前も――いや、もう良さそうだな?」


 そう言って立ち上がったジャックの視線の先で、丸い月が地平線から顔を出す。六角岩の羊飼いが書庫の扉を開ければ、商人達はさっさと入り、そのあとにミリアが続いた。


「いってきます」

「おう、ちゃんと学んでこいよ」


 ミリアの笑顔にジャックはつられて手を振った。

 


 

 地平線の端が白みはじめた。番をしていたジャックは書庫を閉めようと、焚き火の前から立ち上がった。

 

 ふと足元に目を落とす。手入れを欠かしたことのない長靴(ブーツ)。魔術がかけられ、子どもの頃から足と共に育ってきた。これ以外、過去の名残など、扉番になる前にすべて呪いに溶けて消えてしまった。

 

 かの国の貴族として生まれたものは皆、特別な一足と共に育つ。それは成人して庶民になっても持つことが許される特別な靴だ。その者以外、足を入れることすらできない魔術製品の靴裏には、出身家紋と個人紋が刻まれ、本人の魔術と共に成長する。今はそれだけが亡国の一族の生まれを示していた。


 あの男――末弟ジョンの靴と同じように。

 

 考え事の隙間から扉の開く音が聴こえた。反射的に顔をあげる。書庫の扉の前に放り出されたふたりがいた。


 頬を赤く腫らしたミリアに表情はない。ジャックは手早く書庫を閉めると、固まったままの子を抱き上げ冷やした。


「その頬、どうしたんだ」 


 されるがままのミリアからはなんの反応もない。抱きあげている感覚すら、ジャックには軽く感じられた。

 

「あまり心を傾けない方がいい」


 商人がぽつりと呟いた。その横顔に、いつかのすねた顔が重なる。

 

「どういうことだ? 書庫で何があった」

「なにも。僕は正しかった。ただ、それだけです」

「なんだと?」 


 頑なな言葉に反射的に声を返し、ジャックは内心舌打ちした。相手の感情を増幅させてどうする。これじゃ直るものもこじれる。

 

「そいつは竜だ。僕たちの祖国を滅ぼした奴ですよ」

「竜?」 

「ああ、すべてを暴流に飲みこんだ許されざる敵だ」


 ばちんと焚火の薪が跳ねる。谷に響く男の言葉の合間から、消え入りそうなかすれ声が耳に届いた。

 

「…………今日の諮問司書(レファレンス)。少しの間、罰が緩んだんだ。違いを知るためだって、ほんの一瞬だけ」

 

「風は私に向いている。さっきは司書に阻まれましたが、あなたなら分かってくれるでしょう? さ、渡してください」


 差しだされた手は鍛錬をよくつんだ綺麗な白さだった。ジャックは小さな傷だらけの熱い手を思い、抱きあげた腕に少しだけ力をこめた。

 

「見間違いじゃないのか」

「飛翔獣の上の僕は運が良かった。隣にいた同僚は流された建物に持っていかれましたがね」


 ぎらりと目を光らせる商人に、ミリアの表情は変わらない。透明な顔は人ならぬものらしい老練さを感じた。


「ミリア?」

「それについて、あたしが言えることは何もない」

「その場にいたかも、か」


 ジャックは軽く抱き直して、水鏡の目をまっすぐのぞきこんだ。

 

「ミリア。悪いことをしたらどうするんだったか、覚えているか」

「……謝る。だけど、悪いことはしてない」


 不意に子どもは目を伏せ、口をへの字に曲げると、それ以上開かなかった。

 扉番は少し思案して、深く息を吸うと一歩前へ出た。

 

「ジョン・ドゥ。お前の言いたいことは分かった。だが、この子は正式な夜燈の書庫の扉番の補佐だ。つまり月の管理下にある。過ちが事実なら償わせよう。だから今はさがれ」 

 

「なぜだ? 償いも裁きもいらない。僕は痛みを思い知らせたいだけだ」


「ここはビリジウム公国ではない。ましてや人の管理が認められている領地でもない。人が好き勝手やっていい土地じゃない」


「は? 意味が分からない……ああ、そうか。十年以上、家どころか国にだって帰ってないもんな。家族の情も思い出もすべて捨てたか、ジャック兄さん!」


 詰め寄るジョンに、羊飼いは無言で腰の杖をひきだした。素早く杖を掲げると、足元をこん、とひとつ叩く。音は周囲の柱岩にぶつかり、遠くまで低くこだましていく。

 

 途端、岩や崖の影から霞が現れ、辺りを霧に包んだ。ジャックは霧に紛れ、距離をとる。 


「悪いが、俺はお前の兄じゃない」

「じゃあどうしてうちの貴族紋の長靴を履いているんだよ」


 音もなく寄ってきた重い湿気に小さな焚火がふっと消えた。

 

「俺は六角岩の羊飼いだ」


 霧に閉ざされたなか、ジャックはその場を後にした。



 


「……め」

「ああ……分かっている」

 

 ジャックは掃除中の羊小屋で頭を抱えていた。あの元騎士の弟はここ数日、毎日家の前に現れては、竜をよこせと声をあげていた。

 肝心のミリアは頬の腫れがひいてもだんまりだ。虚な表情でいることも増えた。昨晩など勉強にならない、と昼星に追い出されていた。

 あまり良くない状況だ。羊達と相談して、今日は掃除を始めたら、あいつがくる前に隠し山へミリアと羊達だけで行かせることにした。

 順調に行っていれば、そろそろ白詰山に入る頃か。


「さすがに迷惑だ。それになにより、あいつらしくない。おかしな魔術をまとって……そういや、出てこなかった奴らがいたな?」


 ジャックはふと思い立って昼星に伝言を送った。共紙を持つものに縁を介して言葉を送るこの技術は、夜燈の書庫独自のものだ。これがなければ書庫の内外で情報共有するのはとても難しい。

 すぐ帰ってきた答えは頼み事の承諾と、対価は林檎酒とふもと町の情報。井戸端の御婦人達との会話という注文に、少しだけ後悔した。それから少し考えこむと、追加の返信を送る。



「ん゙め゙ぇえ゙え゙え゙ーーーーー!!!」

 

 突然の声に外へ顔を出して見れば、小さな黒羊が空から降ってきた。慌てて小屋から飛び出し着地点へ駆け寄る。間に合わない距離を飛んで全身を地に投げた。無理矢理身体を捻って、小さな黒羊を胸で受け止める。


「ってぇ……」

 

 衝撃に一瞬息がつまる。そのまま羊に怪我や異常がないことを確認すると、ほっと息を吐いた。白詰山の方から飛んできたなら、ミリアの力だろう。昼星曰く、危機に合わせてある程度力が出せるようになっているらしい。


 黒羊は地に降ろされても、しばらく固まったままだった。 


「スノウ――どうした」


 だが我に返ると、羊飼いの袖口をぐいぐいと引っ張った。


「め゙っ、め゙っ!」

「何かあったのか、案内してくれ」


「め!」

 

 ジャックの言葉に羊はかけだした。


 

 橋を越えて坂を登り、あと少しで隠れ山という辺りに羊達はいた。

 ミリアを後ろに守るようにして羊達は、商人を取り囲んでいた。


「め!!」 

「め゙ぇ」

「め゙〜〜〜!!」

「小賢しい獣が。どけよ――どけって言ってるだろ!」


 ジョンは向かってくる羊を一頭ずつちぎっては遠くに投げている。多少は力加減しているようだが、相手は毛むくじゃら。まとう毛皮で損傷のないまま、また男に向かっていく。


「完全に羊に遊ばれてるな」


 呟いて近寄ろうとしたところで、元騎士は腰に下げた剣を抜いた。丁寧に手入れさた剣がぎらりと切先が照り返す。


「警告はしたからな」

「そこまでだ」


 ジャックは遠くまでとおる声を放った。

 

「それ以上は山の主として看過できない」

「は? なんだって」

「その羊達は穏やかな日々を送る義務があり、俺はそれを守らなければならない。羊達に害意を向けるなら、大草原では常に追われる立場になるぞ」 

 

「随分と大きく出たな。そんなにこの家畜どもが大事なのか、どうせ食うのに?」


「こいつらは毛用種だ。そして草原で放牧される羊達の源流、いわば羊の王族だ。こいつらから持たれた評判は、大草原の端までかけるぞ」


 ジョンは一瞬顔を顰めたが、すぐに言葉を返した。

  

「それがどうした。僕はその竜に一矢報いたい。それだけだ」


 不意に魔術矢がジャックの懐に落ちる。昼星からの伝言だ。ジョンの声の隣で共紙をひろげた。


「そもそも勝手に家を出て、僕ら困っていても助けにも来てくれなかった兄さんがなんで止められると思ってるんだ? ありえない」

 

「よし、許可が出た」

「聞けよ!」


「落ち着け。俺は六角岩の羊飼いとして夜燈の書庫の扉番を勤めている」

「それがどうした、今は――」

「だから様々な国の文化も資料を読んで知っている――ミリア!」


 名を呼び、ジャックは懐から書庫の鍵を放り投げた。

 ミリアは思わず受け止めて、驚きに顔をあげる。


「ジャック、これ大事なものでしょ」

「そうだ。今だけ預かってくれ」

 

「駄目だよ、これは山の主の代行証」

「だからだ。これから兄弟喧嘩もどきをするんだ。山の主の力はいらない」

 

「兄弟喧嘩?!」

「ジョン、相手してやるよ。ただし、お前の兄さんじゃなくて、元冒険者としてだけどな」

 


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