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旅するはぐれものと山惑い



(――許さない)


 ミリアは怒っていた。

 旅のはぐれものではあるけれど、土地の主に助力を請われ、書庫を見せてもらう代わりに主の一時的な代行を担った。その代行役『国守り』として力を振るったというのに、この仕打ちはあり得ない。


 王城の地下から斜めに穴があいた。次いで荒狂う地下水が噴き出した。大量の水はとどまる事を知らず、都を丸呑みにして、海へとすべてを押し流した。終わったあとに残ったのは、災害に機能を失った都と難民、恨みに凝った毒水だけ。

 

 都の周りの街や村には不思議と水の障りはおよばなかった。


 歌劇の主は言った。

 

『悪いけど、さすがに国全土はあげられない。そのかわり、君の禁呪に仮面をかけてあげよう。さも当然のような顔をして月に似た魔術を振るっているけど、それは月じゃない。ただの円だ。愚かだよな。どんなに焦がれたって、穿孔の魔術がその質である限り、絶対月のうちにはなりえないのにな』


 朱を滲ませた目尻には、憐れみすら浮かんでいた。

 

『禁呪の理由の一端には、その『正確すぎる』真円も影響してるだろう。だから、その魔術が呑みこんだなかで、月からもっとも遠い奴を引き出す。そうすれば威力も精度も落ちるだろうからね』



  *

  


 闇夜の森を小さな影がリズムよく駆けぬける。

 

 今のあたしは全身真っ黒な白ヤマネだ。震える脇肉、手足の付け根、風抜ける背まで、じっとりと汗が湧く。大地蹴る指先は泥で重い。この大森林特有の土壌のせいだ。


 疲れてはきているけど、今はまだ休むわけにはいかない。背にかゆみが出ていた。ここの風と水の比率は、あたしと相性がよくない。これ以上皮膚の異常が広まる前に森をぬけたかった。

 

 根や枝葉が後ろへ流れていく。先は見えないけど、隠した角が森のおわりを告げていた。

 


 樹冠に狭間が広がり始め、薄墨色がのぞいている。徐々に色増す空に一瞬目を奪われた。


 不意に頬に衝撃が走った。指全部が宙を掴み、全身が勢いよく数回跳ねる。遠心力で息ができない。


 

 気づけば背中じゅうがズキズキする。視界は逆さまで、毛羽立つブラシの隙間から逆さまの黒百合と目があった。あ。これ、あたしのしっぽか――ぶつかった?

  

 我に返って身体を確認する。軽く身をよじって手足の指を開閉すれば、痛みも違和感もない。しっぽをよけて起き上がる。黒百合の茎から身を起こせば、花粉の雨が降ってきた。


 気づけばうっすら霧に囲まれていた。

 

 昨日までより心もち涼しい。風は――うん、あっちが風上だ。霧の向こうに目を凝らし、葉を横に大きく広げた紫陽花の下を潜り進む。


 唐突に視界がひらけた。くぐり抜けたのは最後の茂みだったんだ。


  

 横からひとつぶ光が差しこんだ。

 黎明の風は霧を斜面の先へ追いたてる。

 その下で黄緑の若草が波打った。

 

 草の隙間から点々と花が揺れる。足元にはぽんぽん草、それから小さな黄舟小花、先に見えるは宵待花。どれも森になかった。線が細く柔らかい野草たちだ。この先の土地のものだろうか。

 

 霧に入って斜面を登り切る。視界は真っ白だ。

 身の魔術をほどけば、追いかけてきた朝日に小さな影が長く伸びあがる。胸から湧く水の質は、汚れも身変えの魔術と共に洗い流していく。

 

 陽射しが霧を散らしはじめた。

 

 あたしの長い体が光にあたる。

 水晶に似た透明鱗は霧でいつもより潤んでいた。

 今は全身に草原と夜明け空をはっきりと映しこむ。

 

 朝日があたたかい。背筋から力が抜け、ゆるりとぐろを巻く。


 久々の元の姿だ。高い視界はそれだけで心弾む。 

 強めの風が吹いた。視界の先まで霧は飛ばされ、あたしは肩に力が入った。



 

 目前が晴れると、剣の山脈が天に突き刺さっていた。首の限界まで見上げても、先が目に入らない。見上げても視界におさまらない。

 

 思わず口の端が緩んでしまった。

 なんて――懐かしい。

 

 故郷に似たはじめての場所の空気は甘く、かすかに苦かった。


  

 

『大陸の双璧なす山々は蒼天と東峰、あいだに豊かな大森林』

 

 故郷の街道脇で焚き火の影が爪弾いていた。微かな煙に鼻の奥が香ばしい。

 

 東峰山脈。共に謳われたあの山脈が目前にあった。

 

 去った時の重みに深くため息が漏れる。あれから十年。知を集める――夜燈(よあかり)の書庫をまだ探してる。今度こそ、あの山脈の向こう側に、きっと。


  

 丘の下から煙がいくつもあがる。大きな街の反響音はせわしない。人の群れには懲りた。けど、山の情報は欲しい。

 

 不要な魔術を畳む。またヤマネに身を落とした。

 小さな山吹の茂みへもぐりこむ。枝の股に身を預けて目を閉じた。

 

 食い込む小枝は今だけだ。我慢する。

 

 水は川から街へ頻繁に汲まれ運ばれていく。街に存在する水のかたまりひとつひとつから、根気よく周囲の音を拾った。


『――東峰は入山禁止だ』

 

 不意にぬるんだ水から言葉が飛びこんできた。花枝独特の魔術が掠める。軽く意識を繋いでから、しっかりと耳を澄ました。


『るせぇ! ――』


 素地の水の鮮度が低く、あたしの資質から遠い。音が不明瞭にしか拾えない。補うように魔術をそそいだ。感度をあげてそばだてる。

 

『人喰――』

『拍車持ちでも――柱岳のせい――よあかり――ひつじ』


 金属を引っ掻く音、乱雑に魔術が途切れる。

 耳が痛くて、反射で跳ねた。

 勢いで枝が折れる。落ちた先、枝の端に引っかかった。



 あの場にあった、水の入れ物が割れたんだろう。

 人間は衝動的にものを壊す習性がある。もう少し聞きたかった。でもあの場に繋がる水はもう見つからなかった。


 入山禁止? そびえる稜線を眺めた。竜と違って人は強くない。街から波打つ石畳の残骸がのびる。山のある森の奥へと続いている。 

 もう一本、別の街道もあった。山脈を迂回する形で、街の脇から森の間を縫うように続く。その先の街も人で賑やかなよう。人間の多い場所で魔術が暴発したら面倒だ。

 

 

 音を立てて風が舞いあがる。今までいくつも山を越えてきた。だけどあそこまで急峻な山脈は故郷を出てからはじめてだ。

 山脈の登攀路(とうはんろ)を山頂辺りから逆算して目でたどる。あの辺りからなら山に入れるかな。

 

 身を小さく縮め、山の麓を散策する。生き物の気配が薄い。山の領地と森の領地の境目だからか。境目を侵さないよう注意して観察する。気づけばあたりは暗くなっていた。


 

 

 不意に小さな湧水地に出た。欠けゆく月が水面に映っている。とても静かで、なにより、あたしの資質に少し近い気がした。 

 

 もう山の主ではないあたしの魔術は、世界を巡らない。人の世でいう劣化した通貨みたいに価値がない。そんななか、常時回復と生存に必要最低限の魔術、そして穿孔の魔術といった山の主の時からずっと稼働しているものは、当時のままなのは幸いだ。


 下の月が静かに揺れた。少し休もう。ヤマネから竜に戻って、水源に潜る。狭く深い池いっぱいにきつく丸まった。



 

  *


 


 夜端からまた星が落ちた。


 すべてが終わった後、歌劇の主は一からまたはじめるには丁度いいと笑った。 

  

『これで真円は歪み、当面君を喰らうこともあるまい――え、魔術に精通した方にもどうしようもなかった? そりゃあ、僕らは学者のようには魔術に詳しくない。けど、誤魔化すのは得意なんだ。もっともらしく魅せる方法を真剣に、常に研鑽しているからね』

 

 朱をはいた鮮やかな目尻が、静かにあたしをとらえていた。

 これはいつかの思い出だ。この時両面を魔術刺繍された魔術陣のメダルをもらったんだ。


『これが仮面だ。発動する前兆に、もっとも月からかけ離れた奴として現れる。いいかい? 術者は君だ。魔術に仮面をかけて、自我を持っているように見せるけど、所詮ただの魔術。だからこれに同調して君の意志を与えてしまえば、簡単に発動してしまう。注意するんだよ』

  

 そう、あの日からだ。たまに身のうちからぼそぼそと陰気な声が聞こえるようになったのは。


 どこからか、じっとりとした視線を感じた。




  *

 

 

  

 まぶたをあげれば、清水は静かにあふれていた。大きい身体を見下ろす。竜姿で山に入れば、宣戦布告だ。

 だけどヤマネ姿じゃ、山脈越えには向かない。蒼天山脈で山脈の加護ある竜が空から越えても数日かかったのだ。ここはそれ以上だろう。他の姿を考えなきゃ。


 ――朧鹿はどうだろう。無難に行けるんじゃないかな。試しに変われば、感覚が鈍い。水より風に近い生き物だ。資質と相性よくないのかも。


 身変えはあたしの水の性質を利用したものだ。本来の姿を水に変え、形状維持は自分の魔術でする。整形の魔術は身を変えた一瞬だけかける。

 ずっとかけていたら、いくら魔術があっても足りない。

 

 異質は目立つけど、このままじゃ山に入れない。竜角を鹿のに擬装する。これなら感覚の補強になるでしょ。


(無難?)

 

 低い声がした。首から掛けたメダルについ視線を落とすが、特に変わったところはない。気を取り直して斜面を駆けあがる。鬱蒼とした木々と冷えた土が薫る。平らな大森林より心地いい。足取りが軽くなった。山はやっぱり胸が弾む。


 最初の尾根で獣道をみつけた。眼下には木立、隣山の領地の境だ。魔術が風にのり、領域内をくるり漂い、境界をはっきりと際立たせた。

 

 斜面を降りる。不意に角が熱くなった。違和感から真横を向けば、岩の向こうで金の目が影に光っている。

 

 身体の言うまま、全速力で斜面を駆けた。


 目端に垂直な崖――急転換し、勢いのまま一気に跳びあがる。我にかえって、背後を見おろした。飛び上がり、落ちた狼の爪は、毛ひとすじの差で届かなかった。

 

 一度深く息を吐いた。先を急ごう。心臓は早鐘を打ったままだけど、息を整えて次の崖へとかけのぼった。


 

 

 

「危なっかしいナァ。道案内するからこっち来なよォ」

 

 急峻な崖地のおわりに、穏やかな声が降ってきた。岩陰から人の手が覗く。


 あまりにかすかで、鹿角では気づかなかっただろう。その岩からはあやしい魔術がたちのぼっていた。

 

  

 ゆらり揺れる、問いの魔術。

 ならばあれは雑食性の人食い、山惑いだ。

 

 親切そうに声をかけ、言葉巧みに惑わせる。食した感情が尽きた頃合いで、骨身丸ごとひと呑みが奴らの基本だ。故郷の麓でよく見かけた。さすがに捕食対象になるのははじめて。山惑いの目は見えないけど、張りつくような視線に毛が逆立つ。思わず全身に力が入った。

 

「イイにおいがする。綺麗な角だ――アンタ、鹿じャないだろ? 秘密は守るからさァ、話をきかせておくれヨォ」

 

 角のせい――偽装が甘かった?


(魔術の濃さが随分と違うもんな)


 あの腕は取り込んだものを再現しているだけだ。よく山惑いに付きまとわれていた補佐役を思い出す。馬の亜種、颯影駒は人語を解した。悪食の彼女は伸びてきた腕を引っ張りだすと、問いの魔術を逆手に問返し、惑った山惑いを食らっていた。

 

 ――面倒くさい割に駒鳥より可食部が少ない。

 よくそんな風に溢していたっけ。

 

(とっとと逃げろよ)


 確かに。問いは応答を魔術に結ぶための罠だ。見ないふりして走り出した。


 先は大岩ならぶ難所だった。気づけば山惑いが背後にいる。嫌な位置から手を伸べてきた。身を捻って避ける。岩を蹴って距離をとる。誘われる方には絶対行かない。それでもいつの間にか先回りされていた。

 


 気づけば逃げ道を失っていた。


  

 崩れた岩峰の先で乾いた風が吹いた。広がるのは砂原。竜の角で探っても、地下にすら水気がない。

 

 あからさまに怪しい砂原の真ん中を通る必要はない。岩場と砂原、地形の境目を進む。さらさらと風が鳴った。陽射しは暑いけど、高地の風は涼しい。遮るもののない陽射しと吹きつける砂だけが厄介だった。

 

 半分まで来ると、砂嵐が右から左へとよぎっていく。嵐が通った後には山惑い達が揺れていた。振り返ればいつの間にか囲まれている。逃げるだけの隙間はみつからない。

 

 

 灰色の霧達がゆらゆらと手招く。

 

 不意に街の話を思い出す。入山禁止。生態は魔術に近く、百年飢えてもまだ生きている。こいつらのせいか。

 

 あたしは胸奥から魔術湧く源泉をもつ。今の魔術の量なら、一度この周辺を水で押し流すことができる。でもここで使えば、山脈越えに耐えるだけの魔術は残らない。節約一択しかとれない。

 

 耳に氷塊を詰めて覆う。問いを聴かないのがいちばん大事だ。


 薄い影が空の下に立ちあがる。問いの魔術が食指を向けた。

 蹄を砂地に打ちつける。数が多い。 

 

 でも溶岩のなかに残されたよりマシだ。あの時は本当に魔術に還るところだった。


 首を軽く左右にふり、深呼吸をひとつ。

 四肢に軽く力を籠め、頭を低く構えた。


 急いた一匹が踏み込む。


 息を合わせ、後ろ脚で蹴りあげた。


 

 


 頭をあげると、半月が見おろしていた。

 

 魔術の薄い影が粒子を散らす。山惑いの群れは視界を覆いつくしたままだ。耳を塞ぐ判断は正しかった。


 灰色の霞が手を振りかざす。腹が裂けて口があらわれた。

 

 膝に力を入れる。沈みこみ、高く飛びあがった。山惑いの背の三倍の高さ。そこから蹄を揃えて頭を叩きぬく。石が割れるような鈍い音がした。

 蹄のしたはそのまま静かに動きをとめる。姿がふっと砂に散った。

 

 月の位置を見る。気づけば半日経っていた。

 不思議と景色は変わらない。馳走だ、久々の狩りだと呼び集めているのか。それなら山の小猿となにも変わらないな。

 

 次の波が来た。手を避ける。隙間から別の手が振りかぶった。避けらない。脇腹を強打され、耐えきれずに吹き飛ぶ。




 身体が砂上を滑る。耳元でちいさな破損音。途端に外の音が入ってくる。 頬裏と胸のメダルが急に熱を帯びた。だけどそれに気を払う余裕なく、手と魔術が一瞬の緩みもなく襲いかかってきた。

 

『留まらなくて良かったのか?』


 爺の声。本物じゃない。

 でも瞬間動きが鈍る。

 

 迫る手を避けた。隣の霞めがけて跳びあがる。足りない勢いに一回転、加速して蹄で叩き抜く。

 

 着地し、魔術が霧散する。遅れて白い糸屑が降りそそいだ。問いの魔術の残滓に背を震わせた。糸屑を落とし、次の山惑いに視線をうつす。

 


『山を置き去りにして楽しそうだ』


 そんなこと、師匠は言わない。背後の声に蹴りが荒くなる。揺さぶられる背に足に糸くずが絡む。魔術にもならない執着が重くまとわりついた。

 

 息が乱れる。胸底が焦げつくようにちりちりと痛む。


 (甘い)

 

 よろけ体勢を崩す。霞の群がこちらに一歩迫った。足に力を入れ、寄る者に角を振りかざした。低く唸り声を轟かせるが、動きは鈍い。


『月の腐った奴め。照らしもしない気分屋を誰が待つか』


 は? 師匠を侮辱する気?

(は? あいつを馬鹿にしてんのか?)

 

 一致した。多分、考えが。

 

 血の気が頬裏にあつまる。

 視界が大きく揺れた。気持ち悪い。

 毛皮の下でぐねりと裏返った。

 

 

「誰が冷徹だって?」


 冷たいかたまりが喉から這い上がる。

 凍てた息が頬を焼いた。

 放たれた言葉はあたしだけど、あたしじゃない。


「月は腐らない。ただ沈黙の重さを知っているだけだ」


 頬の裏が傷む。凍傷で顎は思うように開かない。

 なのに、唇だけが勝手に動く。


「穴が欲しいならくれてやる。問いが得意? へえ。これでも生前は魔術学者だったんだ。言ってみろよ」

 

 めまいと吐き気が落ち着く。ふと目を落とした。身体は人型に変わっていた。いつの間に。


『はぐれもののくせに、威勢がいい』

「お前よりは広い世界を知っているさ」

 

『たかが寄生魔術が』

「そうだな――なあ、あんたのその手、中々の代物だな?」


 山惑いの体がぴたり、と止まった。岩場からひょうと鳴く風の声があがる。

 

『えっ』

「こだわった指は何百年ものだ? 学術的な価値があんだろ」

 

『失礼ね、いまの王都の流行よ!』


 砂がびょうと嘲る。嗤って指先に目を向けた。

 

「大事って割には、欠けて傷だらけだ」

 

『その生の痕こそ、かわいいんじゃない』

 

「はっ、捕食者目線かよ。食べ残しを飾るなんざ、悪趣味の極みだな」


 首を傾げて霞を睨む。幼子に言い聞かせるように山惑いがしゃべる。

 

『そこにいたものにしか分からない美醜もあるのよ。歪んだものにはわからないかもね。それならいっそ月は平等に照らすのに』

 

「ああ、歪んでいるな。クソッタレ。月は黙って待つもんだ。だがこれは間髪おかずに拒絶し、呑みこむもんだ。でもよ? そう言うあんただって、周りを拒絶してんじゃねえのか」

 

『――っ、うるさい!』 


 ひたり、と見据えれば、灰色の手が振りあげられた。

 

「は、多少は真円に近い、か」


 中のやつが見上げて笑う。手は振り下ろされない。その上で、魔術の影に丸い穴があいていた。


 穴から半月がのぞいている。浮かぶ魔術に穴があき、灰色の霞は音もなく崩れた。

 

 

 風が変わった。

 

 周囲の山惑いは輪を狭める。一斉に口を裂けば、鋭い歯がずらりと覗く。身をほどいて朧鹿の形をとる。連続して叩き潰せば、手はいくつも風に散った。

 

 次々と迫る霞に息継ぐ暇もない。山惑い達はやり方を変えてきた。


「ちまちますんなよ」

(そう簡単に概念に穴をあけられてたまるか)

 

「概念じゃなきゃいいんだな」

(待って待って待って――ただの穴も駄目!!)

 

 間に合わない。咽喉奥から堪えきれないなにかがせりあがる。意志と関係なく魔術陣が冷え固まる。空気の揺らぎに慌てて開いた口を空へ向けた。


 ――ォ

 

 出力は最小、威力も弱い。うっかり首が振れた。

 群れの左半分が斜めに切りあげる。

 山惑いの体に線が入る。

 魔術の粒子は零れ、もやになってたちのぼった。


 場の空気が凍った。なまぐさい風が吹き散る。


「うわ、最悪。臭ェ……」

 


 一匹、わずかに後ろへさがった。

 それを契機にこちらが一歩踏み出せば、一斉に姿を消した。

 

 後にはあたしだけが残った。


 ぞわりとして、世界が二重に映った。あいた穴の分の魔術が体に入ってくる。あたしと穿孔の魔術の潮目が変わった。


「ど――どうしよ」

 

「知るか。はぁ――月から随分と遠くはなれちまったなぁ」


 零れた言葉に自分の口から応えがきた。

 はたから見たらおかしな奴にしか見えない。

 

「やめて」 

「そりゃこっちのセリフだ。穿孔の魔術なんかに頼らずに、ちゃんと戦えよ」

 

「頼ってなんかない」 

「嘘つけ。なんで同意とれてんだよ。同調するな」

「同調した覚えなんてない」

 

「じゃ安易に俺が考えそうなことに共感するな。――で、大丈夫か?」

 

「なにその理不尽は。大丈夫ってなにが? だいたいね、なんで」

 

 突然膝が折れた。

 立ちあがろうとして横倒しになる。

 冷えた砂地に膝と蹄が震えて模様を作った。


「え」

「限界だろ」

「な、なにする、気」

「しねぇよ、何も。そもそも体が無理だと」

 

 頭痛、震え、肺の痛み。身体中が悲鳴をあげていた。視界が暗くなる。

  

 意識が途切れそう。眠りの間際、防犯に遠心力と尾で砂に円を描く。不動結界の動作を確認する間もなく、意識は落ちた。




 

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