3. 魅惑
「……近くない?」
気づけば、彼女は身体を預けるみたいに距離を詰めてくるようになっていた。
嫌ではないし、むしろ頼られていることは嬉しい。
――でも。
この子は『誰かに身体を預ける』ことの意味を、知っているのだろうか。
「嫌、ですか……?」
不安げに揺れる瞳。その視線を向けられてしまうと、どうしても言葉が詰まる。
「嫌じゃないけど……」
「じゃあ、いいですよね……」
小さく確認するように言って、彼女は私に抱きついた。その腕はどこかぎこちなくて、指先もかすかに震えていた。
「……無理しなくていいよ」
怖いのに、それでも離れようとしない。彼女はトラウマを克服しようと頑張っている。
「ずっとあなたの傍にいるから」
「うんっ……」
微かに溢れる涙に声を詰まらせながら、彼女は頷く。そんな彼女が心底愛おしくて、ずっと彼女を抱いていたい。
「大丈夫?」
「いやっ……離れたくない……」
私が彼女から離れようとしても、彼女は腕の力を解かなかった。その行いが私の情緒をおかしくさせ、愚行へと走らせてしまうことを、彼女はきっと知らない。
「……ごめんなさい、もう大丈夫です」
数十秒後に彼女の束縛から解放され、彼女と私の目が合う。
とても透き通るような綺麗な瞳。見惚れてしまう程に美しく可愛い顔立ち。華奢で小さな身体。
――柔らかそうな唇。
「あ、あの……?」
彼女の頬に手を添えれば、彼女は困惑を浮かべた様子で私を見つめる。
もちっとしたすべすべの白い肌。その感触と美貌に心を奪われ、意識が彼女から離れられない。
私の本能が、彼女を求めてしまう。
「あっ……」
ゆっくりと顔を近づければ、彼女の口からは甘い吐息が漏れる。
その美しさと可愛らしさ故に伴う色欲。私は今、自分よりも年下の子に手を出そうとしている。
「っ……」
でも彼女は抵抗しない。目をキュッと瞑って、口先を私の方へ差し出すばかりで。その行為が私を狂わせて、彼女のその端麗な顔に近づいていき、やがてその唇に――。
コンコン。
「っ!?」
心臓がドクンと跳ねた。
反射的に彼女を引き離し、距離を取る。「あ……」と、彼女が小さく残念そうに声を漏らしていたことを知らずに。
『入ってもいい?』
「は、はい! どうかしましたか……?」
先輩の声になんとか理性を取り戻し、ドクドクと高鳴る心臓を押さえ込み、冷静を取り繕う。
――危なかった。もう少しで私、この子と……。
先輩が来てくれなかったら、危うく道を踏み外していた。私たちはまだ中学生で、決して超えてはならない一線がある。
尚更、身体の関係を持つことも。
―――
私は誰かに頼らないと生きていけない。以前も今も、相手が変わっただけでその事実は変わっていない。
「大丈夫? 寒くない?」
「は、はい。大丈夫です……」
人から気にかけられ、優しくされることへの快感。同じ部屋で、同じベッドで、同じ布団の中で、彼女の腕に包まれているこの瞬間が、どうしようもなく心地いい。
「キミのお姉さんの提案とはいえ、私と一緒に寝ることになってごめんね……」
「い、いえ……あなたと一緒に寝たかったんです……」
「そ、そう……ありがとう」
照れているのか、彼女は顔を逸らす。その仕草、表情、性格、その全てに魅了される。
私は彼女が好き。
妹と同じくらい。身体を委ねられるぐらい。人生を差し出せるぐらい。この人なら私を受け入れてくれる。この人になら、私の全てを捧げてもいい。
「あ、あの……」
「どうしたの?」
だから自然と過去の秘密も明かせられる。
秘密を明かせば、もっと親密な関係になれる。そしてなにより、私のことを見て欲しい。
「私、人が怖いんです――」
人が怖いこと。裏切られたこと。拒絶されたこと。いじめられたこと。性別転換のことは話せなかったけど、それでも充分過ぎるほどに重い話。
「そっか……」
それでも彼女は真剣に耳を傾けてくれた。
「こんな小さな身体で、よく頑張ったね」
話し終わる頃には、彼女は優しく抱擁してくれた。抱きしめて、頭や背中を撫でて、優しい言葉をかけて、私を溶かしてくれる。
「えらいえらい」
「っ……」
今までの苦労が報われた気がして、感情がぐちゃぐちゃになる。
「もう独りは嫌だよ、怖いよっ……」
こうして涙ながらに弱音を吐けば、彼女は私を心配してくれる。気にかけてくれる。慰めてくれる。
私はすでに、彼女に心酔していた。
「大丈夫。私がキミを守るから」
その麻薬のような言葉が、私を更にダメにしていく。
彼女がいてくれるなら、私はどんな対価も支払うつもりだ。
「――お願い、一人にしないで」
それが例え、自分の身体であっても。
―――
「――もう、戻れないかもよ?」
この子に劣情をぶつけてはいけない。
頭の中では何度も自分を抑え込んでいた。それに彼女が止めてくれれば、私はまだ戻れる。
「それでもいいから……」
それなのに、彼女は否定することをしなかった。その悲哀に満ちた瞳で私を求めていた。
「……分かった」
もう遅い。
もう戻れない。戻りたくない。
忘れたい。
先輩に対する想いを、この子で書き換えてしまいたい。もう先輩のことで頭を悩ますのも、苦しくなるのも辛くなるのも嫌なんだ。
「ん……」
手を彼女の頬に添えれば、彼女は目を瞑り口先を私へ差し出す。
あとは、彼女と繋がるだけ。それで私は楽になれて、最低に成り下がる。
それでもいい。先輩のことを忘れられるなら。
誰かを想う気持ちが実るのなら、私は――。
「…………」
そこで私の動きは止まってしまう。
これ以上、彼女に近づけられない。
私の中に存在する微かな理性が、どうしても最後に邪魔をする。
「……あの?」
忘れたいと願いつつも、どうしても先輩のことが頭の片隅から消えることはなかった。
それが彼女を、傷つけてしまうことになるのに。
「――やっぱり私じゃ、ダメなんですか……?」
「ち、ちがっ……!」
咄嗟に否定するも、完全に否定できない。
「なら証明してください! 私は……あなたになら、何をされてもいいですから」
ずいっと身体を押し付けられる。彼女の柔らかい肌が私の身体に触れる度、頭がどうにかなりそうだった。
本当なら、ただ欲に身を任せて彼女と一つになりたい。その綺麗な髪も、麗しくも可愛らしい顔も、白くて綺麗な肌も、膨らみかけた小さな胸も、華奢な彼女の身体全てを私のモノにしてしまいたい。
「……ごめん」
でも、ダメなんだ。
「えっ……」
ずいっ、と両手で彼女を前方へ押し退ければ、彼女は呆気にとられた表情でこちらを見つめていた。
「やっぱり、キミとそういう関係にはなれない」
「な、なんで……」
「キミのことは大切にしたいから」
そっと彼女を抱きしめる。
「ごめんね。でも、ちゃんとキミのことは好きだよ」
彼女の耳元で囁けば、ビクッと身体が反応を示す。その姿がどうしようもなく愛おしくて、でも我慢しなきゃいけなくて。
もし私と彼女が出会ったのがもう少し後だったら。
「本当に、ごめんね……」
きっとこの結末も、違っていたのかな。




