ハーフ&クオーター 一
エアコンの音がする。
それ以外は無音だった空間に、シーツが擦れる音がした。
混沌とした夢の中から整合性のある現実へ。全ての感覚が目覚めていることを証に、死の錯覚を拭い去ってくれる。
涙が顔を伝って枕を濡らしていた。手でそれを拭う。どうかしてる。正気を失っていたとしか思えない。全身は痛いけれど、体のどこも損なわれていないのに。
恐怖の麻酔が切れてしまったかのように、体がガタガタと震えていた。
生きている。生きて、帰って、これた。
今更のように実感する。
あそこでああしていたら死んでいた。あの場面でも。あの判断をしなければ……。
落ち着け。まだ会社の中だ。自分の部屋ではない。シーツの質感も、掛け布団の重さも違う。ビジネスホテルのように機能的な個室。涼しげに空調が調節されて季節を感じない。
いまは9月の初め。夏の気配が遠のき、秋ほども寒くない、春めいた貴重な一月。
現実に自分を馴染ませていく。なにもポップアップしてこない。故障しているのか、と思ったが、今日が休日であることを思い出した。これでは何の予定も出てこないはずだ。
せっかくの休日。美味しいものを食べたい。体はカロリーを求めている。好きなものを食べて、好きに横になる。本を読むのも良いし、ムシャとセツナと一緒に遊ぶのも良い。
ポジティブな方へ自分を誘導する。
こんなところで震えていては、この先やっていけない。これまで何度も繰り返してきたことだし、これからも何度も繰り返していかなければならないことなのだから。
体を起こして端末を操作した。震える手でスピカを開き、生存報告のような朝の挨拶を書いておく。ダンジョンハック後に更新しておかないと死んだと思われて無闇に心配されてしまうので、ただの挨拶といえど欠かすことはできない。
ベッドから降りると、裸足にざらりとしたカーペットの感触がした。寝巻きにしていた病院着のような薄い羽織を脱いで、シャワーを浴びる。朝の支度を終え、用意していた私服に着替えた。
洗面台に映るわたしは、気が抜けた顔をしている。オフだからこんなものだろうか。
部屋を出て食堂に向かった。靴の上からでもわかるほど柔らかいカーペットの通路を進んでいると、まるでホテルで寝て起きたばかりの朝のように気分が良くなる。
もう大丈夫だ。
実際、ここはプロハッカー向けの宿泊施設でもあった。地下にあった施設を考えれば、歴史のある由緒正しいシティホテルと言えなくもない。ダンジョン帰りで、すぐに横になって休みたい、という需要は高く、気に入ったホテルに拘るプロハッカーもいると聞く。
シンシュウの山脈が一望できるエントランスを通り過ぎ、社内にある外部向けのお洒落なレストランに入った。ハック後はここで朝食を食べるというのが密かなわたしのモチベーションだった。
今朝はバイキング方式で洋食、中華、和食の料理が並んでいる。惜しみなく大皿に盛り付けられている料理を目の前に、自分だけの献立を作っていく。
まず大皿と小皿を二つとる。テーマを洋食に絞ることにした。トーストを二枚。バターといちごジャム。色彩の良いサラダを山盛り。エッグスクランブルと照り照りのソーセージを四本。味見したかったのでサーモンのマリネを少しだけ。
窓際の見晴らしの良い席にいったんトレイを置き、今度は飲み物を取りに行く。行き来するのが面倒なので、野菜ジュースを二つのコップに注いで席に戻った。
窓から見えるアルプス山脈が、朝日に照らされて神々しくそびえ立っている。神に感謝したくなるほど美しい景色に合わせて美味しそうな朝食も目の前に並んでいる。生きている幸せを噛み締めながら、わたしはトーストにバターを塗りたくった。
一回目の朝食を平らげ、一息つきながら端末を弄っていると、対面の席にムシャがやってきた。
「よお」
彼女の持ってきたトレイには、トーストと僅かなサラダしか乗っていない。
「それしか食べないの?」
三人の中でも一番背が低い彼女は、口を開かなければ小動物のように可愛いらしい。
「そんなんだから背が伸びないんじゃないの?」
「うるせぇ。おまえと一緒にすんな」ギロリと視線向けられる。
それから口を歪ませて、ムシャは大きな欠伸をした。
「……まだ寝足りねぇや。セツナは、昼過ぎまで起きてこないだろうな。よくもまあ、あんな寝れるよな」
「わたしも寝れて、九時間くらいかな……ちょっとおかわりして来ていい?」まだ食べたいものがあったので断りを入れる。
「ああ。ついでにコーンスープも持ってきて」
「あ、それ、わたしも飲みたい」
「好きにしろよ。ふわあ」
今度はご飯をよそいで和食のおかずを集めることにした。だし巻き卵三切れと鮭の照り焼きを一尾。頼まれていたコーンスープを自分の分とムシャの分。
「ただいま。はい」コーンスープをムシャの前に置く。
「あんがと……それにしてもよく食うよな。満腹中枢、ちゃんと仕事してんのか?」
「使った分のカロリーを摂取してるだけ。普段はこんなに食べないし」
「大食い系の動画でも出せば?」
つっかかってくるムシャを無視して、上に乗ったトッピングがふやけないうちにコーンスープを掬って食べる。後から自分で振りかけるシステムだったので、クルトンがまだカリカリしていた。
「昨日のライブ、前回より視聴者数が落ちてた」食欲がない感じでサラダをフォークで突き刺しながら、ムシャがいう。
「上手く動けていたとは思うけど」
「やってることは毎回同じだしな。動きが安定してきたし、そこまでピンチになることも少なくなってきた。見所がないんじゃないか?」
「チャンネル登録数は?」
「プラス50」
芳しい結果ではなかった。
「ライブやって、これじゃな。今のままだと、ハック以外の企画も考えておかなきゃならなくなるぜ。早く月漂林に行って、収支のベースを上げないと不味いかもな」
数字が伸び悩んで、企画動画をたくさん配信するチームもある。そうなれば必然的にハックの機会が減り、学園の成績も落ちていく。突き抜けたタレント性があればそのまま配信者としてやっていけるかもしれないが、多くの場合は成功しない。
「大食いの企画、やってもいいよ」チームに貢献できるなら、それくらい喜んでやろうと思った。
「そうか? まあ、それはおいおい考えるとして。昨日の反省はあるか?」
海苔で挟みこんだご飯を咀嚼して、わたしは昨晩考えていたことを話す。
「ペース配分が不味かったと思う」
「それもある。それと、いま使ってるルートが遠回りなんじゃねぇのかな。他のやつらのライブと比べるとおれたちの動画時間が長い。Rルートは今回楽だって評価だけど、代わりに時間がかかるのかもしれない」
「他のルートを試す?」
「試すにしても情報がないからな。格付けも当てにならないし」
「もうすぐ集会があるでしょ? そこで情報買ってみたら?」
「……あー集会な。明後日か。忘れてた」
ムシャはレタスを端のほうからチビチビと噛み始める。そうしているとますます小動物じみて見えるのだが、本人には自覚がないのだろう。
ムシャは長々とため息を吐いた。
「めんどくせぇ」
「仕事でしょ。がんば」
わたしたちのチームでは、大まかにメンバーの数で割って、探索以外の仕事を分担していた。ムシャはチームの顔役として会議に出席したり、外部の取材に対応をしたり。わたしは会社に対しての内向きの話し合いと経理を担当。セツナはゲーム配信の傍、チームの広報をしたり、ダンジョンハック以外の企画を考えたりしている。
「わたしも付いていこうか?」
「あー、正直、助かる。おまえがいたら、雰囲気が変わるかもしれんし」
「雰囲気悪いの? なんで?」
ムシャが、嫌々仕事をするのが珍しかったので尋ねてみた。
「この前、ブロッサムチームが全滅しただろ? それをまだ引きずってて、空気悪いんだよ。あいつら、問題行動は多かったけど、馬鹿騒ぎ担当だったからさ。空席がいやに目立つっていうか、一気に人数が減った気がするっていうか」
ブロッサムチームというのは、一ヶ月前にダンジョン内で失踪したチームのことだ。ダンジョンハックをライブ配信するガールズチームで、スリーマンセル。わたしたちと同じ構成。なおかつ探索の実力も同じくらい。
共通する部分が多いので、彼女たちとわたしたちは、よく比較対象にされていた。
ダンジョンハックの実力は、こちらが上だろう。セツナを超える偵察は同期ではいないし、ムシャは天才で名が通っている。
知名度では完敗だ。勝負にならない。十倍くらい差があったと思う。
彼女たちは、ダンジョンハック以外の企画動画もたくさん出しており、そちらの方で成功していた稀有な存在だった。本人たちの破天荒さもあってか、広い層にも受けていて、チャンネル登録者数が同期では抜きん出た数字だったことを覚えている。
「もう一ヶ月経ったよ」
「色々不審な点があっただろ」
セツナが空気を読まずにコラボ動画を出して話題になったことを思い出す。険悪な付き合いではなかったし、これから一緒に何か企画が出来ればいいね、と言っていた矢先のことだった。彼女の方は覚えていないだろうけど、ブロッサムチームの九谷ユイカとは小学生の時分、同級生だったこともある。顔を合わせれば、一言二言、話をすることもあっただろう。
「不審な点って?」
「ドローンのライブ映像が、不自然なところで途切れた……もしかして見てないのか?」
「それくらい、あるんじゃないの? 故障とかで」
「さあ。けど、故障と同時に全滅したっていうのは、偶然が重なりすぎてるんじゃないのか?」
「それはそうかも」
そこで端末に着信があった。内容を確認する。社長からだ。そういえば出頭しろ、とセツナ経由で言われていたことを思い出す。
席を立つと、ムシャが不思議そうに見上げてきた。
「どうした?」
「わかんないけど、社長に呼ばれた」
◯
R棟のビルは別名、ラドタワーと呼ばれている。
古代ゲルマン民族の読み方らしい。ビッグタワーを除いた、23棟の他のビルも、それぞれアルファベットが一字振られている。
Z、B、S、P……。
慣例として、R棟を所在地とする会社の社名にはRがつく。R-Likeの他にも、Rakusinだとか恋想とかラビットビットとか。IT、物流、ネット通販系の企業が多いかもしれない。それらのR系企業を束ねているのが、ラドタワーの最上階に住まうハーフドラゴンだ。
なぜ、こんなことを振り返っているのかというと。
「あの……どんどん上に登ってるんですけど」
エレベーターの階表示が150階を超えたあたりで、さすがに不安になって声にだした。ラドタワーにおいて、ここまで上層に登ったことはない。
今わたしは、ついてきて欲しいとしか言わない社長と一緒に、エレベーターに乗っている。
さきほどから再三説明を求めているのだが、白髪混じりの社長は目を合わせようとせず、ただひたすら無視を決め込んでいた。
表示は150を超え、200に到達する。下へ行くわけではないのに、口の中が乾いてくる。
「あの、まさか、最上階に行く、なんてことは、ないですよね?」
小さいベルの一音が響いてエレベーターが到着したことを告げた。扉が自動で開くが、わたしはその場から動けなかった。
怖くて表示階が見れない。
「待ってください。あの、先に、要件を。どういった理由でここに連れてこられたのか、教えてください。じゃなきゃ、ここから動きません」
「彼女が君のことをお呼びしたんだ」社長はわたしに哀れむような視線を向ける。
「どうして」
社長は首を横に振った。知らないということらしい。
「社員を守ることが、社長の義務なのでは」
「上には逆らえない。それが社会の仕組みだよ。さあ、こっちに」
有無を言わせず歩かせられる。
気づかないところでなにかやってしまったのだろうか。身に覚えが全くない。それがさらに恐怖を助長する。
戦々恐々としながら、わたしはそこへ足を踏み入れた。
まるで美術館のようだった。
実用的ではない、デザインのための建築で、モダン的な構造をしている。壁には大きな絵画がいくつも飾られており、所々に人間の形をした像や抽象的な形をした模型が置かれていた。天井は丸く、空が見えるようにくり抜かれ、その下には屋外みたいに芝生が敷いてあり、ぽつんと簡素な丸いテーブルと椅子が置かれている。
すでに誰かがそこに座っていた。
足を組んで紅茶を飲みながら、優雅に読書をしている。
振り返ると、R-Like社長はすでに姿を消していた。その逃げ足の速さは、ぜひ今後の参考にしたい、と胸の内に刻み込む。
静謐な空間の中、紙をめくる音だけが響く。
意を決して、わたしは踏み出した。近づいていくと、読書をしていたその誰かはパタンと本を閉じる。
顔がこちらに向く。わたしも彼女の顔を見た。
男性用の派手なワインレッドのスーツを着て、髪をオールバックに、まるで舞台俳優のような出で立ち。
ラドタワーの支配者であるハーフドラゴン、黎明麗華。
「初めましてダンジョンハッカー。そちらの椅子にかけてくれ」
容姿から立ち振る舞いまで、何もかもが作られたように洗練されていた。
わたしは言われた通り、その椅子に座る。
黎明麗華は両手を組んで、こちらを見つめていた。その指には大粒のオウタムナが光っており、只ならぬ財力を窺わせる。
「……ご用命はなんでしょうか、黎明麗華さま」
ただの学生が関わるべき存在ではない。手短に要件を済ませるべく、単刀直入に尋ねた。
「そう構えないで楽にしてくれ。私は暇人でね。若い子と話をするのを楽しみにしていたんだ。君とは肩書きを捨てて仲良くなりたいと思ってね」
絶えぬ微笑みを顔に貼り付けながら黎明麗華は猫なで声で言う。思わず眉をひそめたくなる声だった。まるで、自分が愛玩動物か何かになったみたいに感じる。
人間が子猫の愛らしさに破顔するように、それと同じ目線で見られている。
「ドラゴンとは関わるな。それがわたしたちの常識です」
その視線に当てられたのか、わたしははっきりと拒絶の言葉を口にしてしまった。
面と向かってみて、その言葉の正しさを理解したのだ。
これを打ち倒すことは、不可能だ。勝負という土俵に立つことすら烏滸がましい。今見えているものは、彼女のほんの一部分に過ぎないのだと、本能が警鐘を鳴らす。
「でも私はハーフだし、いいじゃない。人種差別だよ」子どもっぽく彼女は頬を膨らませてみせた。
人間ではない生物が、人間のフリをしているようにしか見えない。
「……すみません」なんと言っていいかわからず、頭を下げる。
「わかった。じゃあ命令だ。私の肩書きなど気にせずに、話をしてくれ。命令なら、聞けるだろう? 無礼打ちにしたりはしないからさ」
「どうしてわたしは呼ばれたのでしょうか?」
「その疑問には後で答えよう。そうだな。じゃあ、まずは君の話をしようか」
あくまで優しげな口調で、彼女は言う。
「わたしの、話、ですか……?」
そもそも、個人として認識されていることが意外を通り越して奇妙極まりなかった。世界有数の富豪が、なぜか自分の素性を知り、声をかけてくる、と言えば今の状況の異常さがわかるだろうか。
「昨日の君たちのダンジョンハックのライブ、見たよ」
「え……」
ラドタワーを統べる半竜に見られていたとは思わず、絶句する。
「君たちは良いチームだね。多くの戦術を持った武井沙那に、瞬発的な判断能力に優れた犀川ミオ。そして異能の索敵能力を持った桐江セツナ。見ていても危なげがなかった」
「ありがとうございます」
そう言いながらも、それを口にした相手の意図を読もうとする。けれど、まったく検討もつかなかった。
「惜しむらくは殲滅力に欠けることだろうね。君たちも自覚しているように、あと一人アタッカーが必要だ。しかし、残念ながら、都合の良い人材は、そう簡単には見つからない」
「コラボをして、次に繋げます」
「ああ、そんなことを言ってたね。けど、やめた方が良いと思うな。お遊びで潜るならともかく、誰もが君たちのように真剣にダンジョンに挑んでいるとは限らない。ちなみに、君が目をつけてるソロの佐々木くんだけど、つい最近行方不明者リストに名前が載ったよ。残念だったね」
佐々木霧の名前は、まだ動画内では出していないはずだ。
どこまでこちらの事情が見えているのか。
背筋が冷たくなる。
「まあ、彼女が生きていたとしても、性格上うまくいくとは思えないがね。
──ついで忠告しておこう。そのまま三人で第三環境域に踏み込めば、君たちはまもなく全滅するよ。あそこから落とし子たちの数が一気に増えるんだ。増援に次ぐ増援で、処理が追いつかなくなる。
君が一番先に潰れて、次は武井沙那、桐江セツナの順番だろう。そうして需要過多のスナッフムービーが、また一つ生まれるわけだね」
「それは……」
ハーフドラゴンたちは、正確な分析能力と、未来予知じみた予測能力を持っていると聞く。彼女がそう言うのなら、それは事実なのかもしれない。
「犀川ミオ君。最初の疑問に答えよう。実は、君たちのチームにぴったりな人材を一人知っているんだ。腕も良ければルックスも良い。覚えも悪くない」
彼らの擬態の中でも、唯一人間ではない部分。爬虫類に似たドラゴンの眼がわたしをじっと見つめる。
ドラゴンとは関わるな。先人たちはそう言うけれど、力関係からして、逃げようにも逃げられるものではない。
「それは願ってもない話ですが」
ただの学生に、なぜ半竜が動くのか。これで裏を疑わないのは逆に難しい。
「どうして黎明麗華さまが」
「麗華社長で良いよ」
「どうして、麗華社長が、ただの学生チームにわざわざ仲介をされるんですか?」
「お節介、じゃ納得しないかい?」
わたしは頷いた。
「そう、ちょっと訳ありなんだ──紅羽、こっちに来て」
その言葉に反応して物陰から現れたのは、オドオドとした感じのする少女だった。
特徴的な赤色の髪と、不思議な目をしている。不穏なことに、その二つの特徴は目の前にいるハーフドラゴンと酷似したモノだった。
さらにもう一つ、見逃せない特徴が、彼女のお尻の方にぶら下がっている。
「……しっぽ?」
大きなトカゲのような尻尾が、少女のお尻の方から生えていた。
見られることが恥ずかしいのか、顔を赤くして少女は俯いている。
「隠し子ですか?」
顔立ちも似ている。そうとしか思えなかった。
「まさか! いや、その通りだけど、私のじゃなくて愚兄の子供なんだ。だからクオーターだね。ドラゴンの血が四分の一。生まれつきこの形で、尻尾を生やして生まれてきた、らしい」
半竜たちには尻尾が生えていない。いや、もしかしたら生えているのかもしれないが、そうにしても普段は目にすることのない特徴だった。
彼らの生態について、わたしたちはよく知らない。
紅羽と呼ばれた少女は、顔を赤くしてスカートの裾を握っている。
「それで、どうかな。彼女を君たちのチームに加えるというのは」
勇気を振り絞ってわたしは言う。
「承諾しかねます」
「まあ、だろうね」
意外にも、黎明麗華は素直に納得した。その常識的な反応に励まされて、わたしは質問する。
「逆に尋ねますが、姪が死んでも良いんですか?」
「良くないから、少しでも相性の良さそうなチームを選別したんだ。あー、その、なんだ。どうしてもダメかな? この依頼を受けてくれたら、もっと良い待遇で契約し直したり、便宜は図るつもりだよ」
「ではR-Likeの社長の首を切ってくれますか?」
「いいよ」
いとも簡単に、黎明麗華は頷いた。冗談なのか判断に困る。
「それは冗談ですけど……彼女の意思はどうなんですか?」
「紅羽」
促される形で、尻尾を持つ少女は前に進んだ。
「く、紅羽は……だ、ダンジョンハッカーに、な、なりたい、っ、です!」
脅されてそういう台詞を言わされているのではないか、と疑いたくなるくらい緊張した様子だった。
わたしは黎明麗華に訝しげな視線を向ける。
「私が言わせてるわけじゃないよ。本人の意思だ」
「……あの、紅羽さん」
わたしはクオータードラゴンである少女に声をかける。
「はい! ど、どうか、紅羽と呼び捨てに……!」
微妙な立場にある彼女にどう接しようかと一瞬迷い、彼女の幼さから判断して、年上として接しようと決めた。
「どうしてダンジョンハッカーになりたいの?」
「母が、そうでした。いろんな話を聞きました。死ぬかもしれないのもわかっています。覚悟がないと、で、できない仕事だっていうことも。それでも、やりたいんです。やらせてください」
少女は頭を下げた。
わたしには、どうしたら良いのかわからない。
「麗華社長は、賛成なんですか?」
「賛成も何も、本人がやりたいと言っているんだ。働くことは別に悪いことではない。ほら、だれかが言っていたけど、職業に貴賎はないんだろう?」
「あります。わたしたちダンジョンハッカーの命は軽い。誰だってドラゴンがやるものではないと思うでしょう。麗華社長が認めても、社会が認めません」
「社会ってなに?」つまらなさそうに黎明麗華は言う。
「わかりません」
「正直でよろしい。社会とは、人類に流れる川のようなものだ。認知バイアスの集合的な方向性で、それは一点に向かっている。その通過点さえ見失わなければ良いというルールなんだよ、これは。常識や慣習、正義などは社会が内包している一つのベクトルに過ぎない。それら一つのベクトルくらいは無視しても、大局的な向きが変わらなければ問題にならないんだ」
何を言ってるのかわからない。
「ドラゴンが、ダンジョンハッカーになるなんて、聞いたことがありません」
「つまり慣習が欠けているということさ。その程度のことは問題にならないよ。大局的には些事だ」
「わたしには、理解できません」
「なら、全てを託すと良い。身も心もね。悪いようにはしないさ」
黎明麗華は紅茶に口をつけた。そのわずかな間に、必死に考える。
「条件があります」
「いいね。聞くよ」
「最終的に彼女を迎え入れるかは、わたしたちが決めます。仲間として受け入れられるか、見極める時間を下さい」
「見極めた結果、適さないと思ったら?」
「受け入れません」
そう言った瞬間に、腹の底が重くなった。
危険な橋を渡っているという自覚はある。
「なるほど。その前に一つ聞いておきたいんだけど」
「……なんでしょうか」
「断る勇気はあるの?」
単純に疑問だ、と言うかのように黎明麗華は首をかしげた。
「ラドにおける社会とは、私のことだ。君は、私に逆らうことができる?」
わたしは唇を噛んで、次の言葉を紡ぐ。
「逆らうわけではありません。わたしたちにも、彼女のためにも、それは必要な権利だと思います」
「権利ね、なるほど」
黎明麗華は組んでいた足を解くと、優雅に立ち上がった。
「ここは、死と隣り合わせで生きている君たちに、敬意を表そう」
そう言って紅羽の背中に腕を回し、わたしに微笑んで見せた。
「条件を飲むよ、ミオくん。彼女の処遇は君に任せよう」




