最初の夢 二
まだ空は夏のように見えていた。雲が泰然と右に流れていく様子を見て、己もその悠長さを見習わなければならない、と自分を戒めながら待ち人を待つ。
いくつ大雲を見送っただろう。待ち人は未だ来らず。もうそろそろ遅刻するかしないかの瀬戸際にある電車の発着時間が来ようとしていた。これを逃したら遅刻が確定する。その時は見捨てるしかないな、と駅前で端末を弄りながら待ってると、二つ括りにした髪を揺らしてようやく桐江セツナがやってきた。
「おはよー……」低い声でセツナはいう。
「おはよ。だいじょうぶ? 朝までずっとゲームしてたみたいだけど」
「うん」
「午後から潜るけど」
「うん」
「もしかして寝てる?」
「うん」
ぼんやりしているセツナの手を引いて停車していた電車に乗りこんだ。
空いているボックス席に座り、携帯端末でネットを開く。
見るのは“放課後ダンジョン”というダンジョンに関する情報投稿サイトで、管理人が見出しを作って記事にまとめていた。
今朝になって更新された記事を眺める。わたしたちの主な活動階層が“血の森”という環境域なので、それに関連していそうな記事をいくつか開いてみたが有益な情報は見当たらない。
つい最近失踪したブロッサムチームについての情報提供を募る呼びかけが目立つ。人気のあるチームだったので、行方不明から一ヶ月が経ったいまでも彼女たちを惜しむ声は多い。
普通ここまで一チームの失踪に言及するのは珍しい。
毎日のようにどこかのチームが壊滅する。いちいち反応していては記事が膨大になるし、誰だって暗い話ばかりを読みたくないだろう。
これくらいの悲劇はここでは珍しくないのだ。
ここまで注目されているのは彼女たちの知名度の他にも、それが不自然な失踪だったからだろう。
行方不明になった際のダンジョンハックが中継されており失踪直前の映像が残っている。原因となるモノは映っていなかったらしいが突如映像が途絶えたことで多くの人の目を引いているようだ。
わたしはそれを見ていない。
姿を消したダンジョンハッカーの末路は一様の事実しかもたらさないから。
ふと振動を感じたので顔を上げる。
窓の景色が、ゆっくりと動きだした。セツナは気づいた様子もなく寝息を立てている。だんだんと加速していくにつれて車体は安定し、揺れは小さくなっていく。
降りる駅まで30分。夜更かししていた彼女には、多少の気休めになるかもしれない。
精霊資源が産出される地下空間を、ダンジョンという。
それは大崩壊以降に、世界各地で現れた新空間だ。
そこから算出されるリソースは、エネルギー、レアアース、新薬の材料など多岐に渡っており、世界経済を語る上では欠かすことのできない要素となっている。メガダンジョンを一つ以上有していなければ先進国とは名乗れないと言われるほどダンジョンは莫大な利益を国家にもたらし、その領有を巡っては出現から200年以上が経った今でも見えないところで抗争が繰り広げられている。
この国には二つのメガダンジョンが確認されていた。
一つはここ、信州迷宮。
もう一つは中国地方にある、出雲迷宮。
イズモダンジョンは国家が運営しているのに対し、シンシュウダンジョンの利権は四つの財閥と学校法人が共有している。
その構造は複雑だ。独自の経済協定が結ばれておりルール内での戦争が日夜繰り広げられていた。
その中でも学校法人であるこの学園は異彩を放っていた。超法規的な独立組織としてシンシュウダンジョンの実権を握る一つの国家といっても過言ではない。
黎明験矢という真竜が設立した学園都市。その名を黎明館学園という。
電車は山をくり抜いたようなトンネルをいくつも潜り抜け、渓流が慎ましく流れる山の谷間を走っていた。間近に迫るように聳え立つ山々はまだ夏盛りの衰えを見せない。それでも少し、秋の気配に水を差されたような憮然とした感じがするのは穿った見方なのかもしれないが。
電車はまたトンネルの暗闇に入っていく。ヨダレを垂らしているセツナを揺さぶって起こすことにした。
これが最後のトンネルだ。
「もう着くよ。起きて」
「……おきる。おきるからもうちょっと待って、おかあさん」
「誰がおかあさんだ」
周りからクスクス笑い声がする。彼女といるとしょっちゅうこういうことがあるのでもう慣れている。どんなアクションでも人目を惹いてしまう天才なのだ、コイツは。その額を指で弾いてやった。
「いだい!」大げさに叫びながらようやく彼女は目を覚ます。
同時に光が差した。
トンネルを抜けると、そこには発展しすぎて収集のつかなくなった都が聳え立っている。電車がゆっくりと大橋を渡っていくにつれてその巨大な都市が空に覆いかぶさっていった。
高さの違う巨大なビルが28棟。
大小あれど全てが高さ1000mを超えるハイパービルディング。それぞれのビル間を繋ぐ橋が蜘蛛の巣のように巡らされていることもあって、一つの巨大な山のように見える。
整然とビルが立ち並ぶ清潔感のある都会というよりごちゃごちゃと無計画に建て増しされたスラム街を見た時の印象に近い。
ここがダンジョンハックの最前線であり、
最高峰の研究機関であり、
半竜たちが今もなお財を溜め込み続けている宝物庫だ。
電車が停車して乗客たちがぞろぞろと駅へ降りていった。その流れに乗ってわたしたちもそこへ降りる。
「ミオのデコピン、すげぇ。眠気がぜんぶ吹っ飛んだ」額を赤くしながら、セツナは感心したようにいう。
「ちゃんと寝れてんの?」
「寝れてる寝れてる」
「午後からハックだけど」
「だいじょぶだって。全部計算ずくなんだから。あとちょっとだけ、授業中に寝ればちょうど良い感じ」
「そ」
彼女がそう言うならそうなのだろう。彼女たちがわたしを心配することはあっても逆はない。
「そっ! そーえば聞いた? ムシャのやつ、学生寮の部屋が貰えるんだって」
「クソ自慢されたから知ってる」
学園内にあるダエグの学生寮はその家賃の安さと利便性から誰もが羨む人気の物件だった。それだけではなく優秀な学生と認められなければ入居できないとも噂されており、わたしたちにとって寮生というのはたいへん名誉なこととされていた。
「あだしも学生寮にずみだい」セツナは濁点を付けて羨ましがる。
「なんか、突然手紙が来るらしいね。部屋が空いたからどうですか、みたいな」
「どうしてあたしには招待状来ないの? こんなに頑張ってるのに……」
どうやら本気で言ってるようだった。まあ、コイツなら、腹立たしいことに可能性は十分にあるだろう
「学年ランキングで決めてるんじゃないかって聞いた。ムシャは上位の方だし、それに、アーツ開発の方でも実績あるでしょ。今まで来なかったのが不思議なくらいだよ」
「あたしだってアイドルだもん」
ゲーム配信をしているのはよく見かけるがそれは果たしてアイドルと呼べるのだろうか。
「まだ活動してないじゃん」
「してない、じゃなくて、できないんだもん。こう見えても個人では活動してるんだよ」
「呪われてるんじゃないの? R-Likeのアイドルグループって。一人増えれば一人抜けての繰り返しじゃん。次はセツナの番なんじゃない?」
「それ、シャレになんねぇから。昨日新メンバー入ったばっかりなんですけど」
◯
午前の講義が終わると百人くらいの生徒たちが蜘蛛の子を散らすように教室から出て行く。
D校では進級に必要な座学の単位数が少ない。ダンジョンハックによる単位さえ取れていれば進級できるのでほとんどの学生たちは午後の時間を自由に使っている。
余暇に費やすのも訓練に費やすのも自由だ。
わたしのスケジュールは決まっている。ダンジョンハックだ。それも仕事として予定されていたもので興行を兼ねたモノだった。
R-Likeお抱えの動画配信者としてダンジョンハックをしている様子をライブ中継する。
通常のダンジョンハックとは違い世界中に配信されるわけで、色々と気が抜けない。カメラを意識して動く必要があるし、会話で間を持たせたり、観客を飽きさせないように時にはスリルを演出したりもしなければならない。
命がけのダンジョンハックにそんな仕事を持ち込むのはおかしいだろう、と思われるかもしれないがもちろんそこには理由がある。
会社お抱えのダンジョンハッカーになることでさまざまな面で優遇されるのだ。デザイン性のある衣装の支給や、装備の修繕費、怪我による治療費、月々に入る一定額の給料など。さらに広告費やファンの投資金の一部も。
収入が安定しないハッカーにとっては一定額の給料が毎月振り込まれるのはとても大きいことだ。四割くらいのダンジョンハッカーたちが会社に所属するにしろ個人でやるにしろ何かしらの配信を行なっているのが実状だった。
「ミオングー。また眠たくなってきちゃった。もっかいデコピンしてぇ」セツナが机に体を預けただらしのない格好で言う。
「会社の冷蔵庫に、カフェイン入りのドリンクがあるよ。それ飲めば?」
「ミオングのデコピンの方が効くから」
「セツナって……ちょっと痛いくらいのやつが好きでしょ?」
「……え? いやそんなことないし」
「マジっぽい反応やめい。ん?」
誰かが近寄ってくる気配を感じた。
「セツナさん。それと、犀川さん」
なかなか動こうとしないセツナを辛抱強く待ってると後ろから話しかけられた。
栗色の髪をした男子が人の良い笑みを浮かべて立っている。
柔らかい声色で優しげな風貌をしていた。無条件で信用してしまいそうな雰囲気を纏っている。
「あれ、遊佐くんじゃん。同じ講義にいたんだ」セツナが溶けたまま言った。
たしか、彼もアイドル活動じみたことをやっていてゲーム配信や雑談配信を行っていた。セツナともその繋がりで親交があるようだ。
「うん。後ろの方にいたよ」
「それで、なにかご用?」やる気のない格好のまま、セツナがいう。
「特に用事はないんだけどさ、これからライブ配信だろうから、ひとこと、声かけとこって。配信、頑張ってね。それだけ」
「あ、うん、ありがと、がんばる」励まされたからか、セツナは体を起こした。
「そーえば、前回のコラボ、好評だったよ。今度はそっちのチャンネルでもやろーよ」
「それはぜひ。じゃあ企画ができたら連絡させてもらうね。スピカでそっちのアカウントにメッセージ飛ばすけど、それでいい?」
「おっけぇ」
「犀川さんも、いつか一緒に遊べたら良いね。じゃ、準備もあるだろうし僕はこれで」
それだけ言って遊佐はあっさりと去っていった。
彼と話をしたのはこれが初めてかもしれない。話しやすそうな人柄だな、と感じる。優しそうな外見通りの性格をしている気がする。
セツナもそうなのだが人気を集められる人間というのはキャラクターが目に見えて分かりやすい。無意識にそういう演出をしているのだろう。
「コラボって?」手を振って見送っているセツナに聞いてみる。
「このまえ一緒に動画出したの。それで結構、お互いのチャンネル登録が増えてさ。WIN-WINの関係ってやつ?」
「ふーん。配信はゲームだけなんだよね?」
「そーね。でも、配信外で聞いたんだけどさ、ダンジョンハックの方もすごいみたいよ。もう二十五層だってさ。ヤバくない?」
「二十五層? ホントに?」
二十層を越えている同期のチームがすでにいるとは思ってもいなかった。
わたしたちの到達層は十九層。そこでしばらく止まっている。二十層に大きな壁があり、そこからがらりと難易度が変化するのだ。
彼らはそこからさらに五層も進んでいるという。第三環境域の中腹まで到達しているということだ。モノが違うと認めざるを得ない。
「二十層、いかなくちゃ。いや、いこうよ。負けてられないって」
トップ層とは行かなくてもそれに準じる位置はキープしておきたかった。自分が劣っていないと証明するためにも。生活費を稼いだり学業に精を出したり、やらなければならないことは多数あるがわたしにとっての本業はダンジョンハッカー以外にない。
二十層手前でわたしたちのように足踏みをしているチームは多いだろう。しかし、遊佐のチームを皮切りにその壁を突破するチームは増えてくるはずだ。
「うーん、それは、まあ」セツナは曖昧な返事をする。
「リスクはあるけど、ここは焦らなきゃいけない所じゃない? ここで二十層を超えられるかどうかで同期の中でも差がでるよ」
「うーん」
「ウチらもうかうかしてらんないって。挑戦しようよ」
そう言って詰め寄るがあまり乗り気ではない顔をしている。
「そういうのは、ムシャがいるところで話した方がいいんじゃない?」
「じゃあミーティングの時に改めて提案する」
「うん。ってこれからそのミーティングじゃん! 急がないと!」
教室を出てR-Like本社へと向かう。
セツナはポケットから端末を取り出し手慣れたように道案内のアプリを起動させた。『どこへ行きたいの?』端末から声が聞こえる。
「R-Like」
何度も通っている会社であってもこの手のアプリは常時起動させておく必要があった。学園内の通路はしょっちゅう行き先が変わるのであっという間に迷子になってしまうのだ。
『右方向だね』端末から指示がでる。
学園内で遭難したなんて話は、天気の話くらいに汎用的な話題だ。
それくらい学園内は入り組んでおり日々そのややこしさに磨きをかけている。
『そこをまっすぐ行ってね』音声に従って進んでいく。
教育訓練棟から一歩踏み出せば、そこは学校色のない地下街のような賑わいがあった。ショッピングモールもあれば料理店が軒を連ねているフードコートがあったり、何かの商品や会社の広告が至る所に貼られている。
賑わいを通り過ぎトンネルの形をした通路へ。そして屋内公園を通り過ぎた辺りにこの階の駅がある。
黎明館学園では、学園内にビル間を行き来するための電車が走っていた。
『そこの電車に乗ろう。R棟行きの電車だよ』
タッチして改札を通り抜け、停車していたR棟行きの電車に乗りこむ。
『八駅先だね。近くまで来たら声をかけるよ』
「この声って、さっきの遊佐くん?」
やけに甘い響きのするその声が先ほど聞いたばかりの声と同じような気がしてわたしはずっと気になっていた。
「そだよ。昨日ダウンロードしたの。いいでしょ?」
「良いか悪いかは置いておくとして……もしかしてセツナの声もあるの?」
「あるよ。収録した記憶があるから。たぶん、どっかで売ってるんじゃない? いや、はずいからミオは買わないでよね。フリじゃないからね」
フリじゃない、と言われるとフリなのかな、と思ってしまっていつも混乱する。
「自分は遊佐くんのボイス使ってるくせに?」
「それは、ほら。あたしだって遊佐くんの目の前だったら使わないし。あたしの耳に届かないところでなら、特別に許すけど」
「萌えボイスなんだ。恥ずかしがることないのに」
「そうだけど、恥ずかしいのは演技が下手くそだからなんだからね。勘違いしないでよね」
セツナはツンデレ構文を使いながら鼻を鳴らして顔を逸らした。
「はいはい。アイドル業も大変だ」
「それな。これじゃあお嫁にもいけないっての」
「二次元が恋人なんでしょ?」
いつだったかそう豪語しているのを聞いたことがある。とあるアニメのキャラクターにかなり入れ込んでいて、彼女の部屋はそのポスターやグッズで溢れかえっていた。
「それとこれとは別なの」
再び遊佐の声によるガイドがあり、R棟、R-Like前駅で降りた。
これまでの歓楽街のような喧しさは鳴りを潜め、大人びた静かなデザインに切り替わる。ビジネス調の飾り気がないシンプルな内装。駅口で電車を待つ人たちはスーツを着ている割合が多く雑談の声も少ない。
皆が時間に追われているようにどこか張り詰めている。
改札口はただ触るだけでは開かなかった。通るには社員証もかざさなければならない。普段は使わないので鞄から取り出して機械に認証させる。
会社のエントランス中央には社名の形をしたオブジェが飾られていた。ここだけホテルのような格調高い作りになっており左側の壁の一面にはダンジョンの全景を描いた横長の巨大な絵が掛けられている。
断面図のそれは第一から第三までの環境域が描かれていた。
廃墟、血の森、月漂林。
それを横目にロゴの横にあるエレベーターに乗りこみ2階のボタンを押す。今いる階が11階なのでエレベーターは下へ降りていく。
ここにくると毎回口の中が乾く。
いつものことだ。
わたしたちにとって3階以下へ降りることには特別な意味があった。
24棟のルーンタワー。どのタワーでも3階以下の階層全てダンジョンハックのための準備施設になっている。つまり、そこへ行くということはこれから命がけの探索が始まるということに他ならない。
ここへ降りていけば再び上層へ戻れるとは限らない。
二度と日の光を浴びられないかもしれない。
このエレベーターに乗っていると否応無しに考えざるを得なかった。
ダンジョンハックの後に姿を見なくなった友人たちの顔。遠い地元にいる友達と両親。部屋に置いてある遺書の文面なんかのことも。
ひょっとして自分は悲観的な人間なのかもしれない。
どんどん最悪の事態がドミノが倒れていくみたいに連想されていく。どんな風に死ぬのだろう。喰われたり潰されたり溶けたり。ダンジョンでは色んな死に方がある。そのいくつかは実際に目にしたことがあった。
どれだけ想像を繰り返しても覚悟できるものではない。未練を捨てなければ一歩も進めなくなる。
死んだ先のことなど考えてもムダだ。
わたしは目を閉じる。呪文のようにそれを唱えた。
犀川ミオ。
わたしは犀川ミオだ。
暗示を繰り返す。
本当のわたしは要らない。
理想の自分を演じよう。
他人の視線がわたしを形作る。役割をくれるならそれに徹してみせよう。わたしじゃない、だれかが想像した犀川ミオなら、望まれた役柄をこなしてみせるはずだから。
エレベーターの扉が開いた。
「ラーメン、食べたくない? 終わったら一緒に食べに行こうよ」




