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むらまお~村人の僕がなぜか魔王に指名されたけど、できるだけ頑張ってみる~  作者: くろいボール


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3.幹部の反応

 魔王の間を満たす空気は、研ぎ澄まされた刃のように張り詰めていた。


 黒豹人ゼイルは石柱の影に身を寄せ、静かに呼吸を整える。

 喉の奥から漏れそうになるうなり声を、必死に押し殺す。


 本能が拒絶していた。

 全身の毛が逆立ち、爪が無意識のうちに石床を引っかいていた。


――人間が、我らの頂点に立つだと?


 魔王の間には十二の幹部が集っていた。

 それぞれが人間の国一国を軽く滅ぼせるほどの力を持つ者たちだ。


 クーデターによって魔王が殺され、次代の魔王選定は急務となった。

 幹部たちの実力は拮抗しており、誰が頂点に立っても必ず反発が生まれる。

 長い混乱の末に辿り着いた結論が、占い師の予言に従うという、魔族らしくない妥協案だった。


 だが、その結果がこれだ。

 ゼイルの鋭い視界に映るのは、それぞれに異なる思惑を抱いた幹部たちの姿だった。


 魔王の玉座に最も近い位置に、巨体の赤竜人が立っていた。

 三メートルを超えるその巨体を覆う鱗が、鈍く光を反射している。

 太い腕を組み、微動だにしない。

 その表情からは何も読み取れなかった。


 赤竜人は力こそが全てだと信じて疑わない。

 占い師の予言など、本来なら一笑に付すべきものだ。

 それでも彼がここにいるのは、この目で確かめるまでは判断を下さないという、ある種の公平さゆえだろう。


 人間が魔王候補だと聞いても、嘲笑も憤怒も見せなかった。

 ただ、値踏みするように玉座を見つめている。


 弱ければ、それまでだ。

 強ければ、認めよう。

 そんな空気をまとっていた。


 対照的に、灰色の毛並みを持つ狼人は落ち着きがなかった。

 普段は冷静沈着で知られる彼が、何度も足の位置を変え、爪で自分の腕をかいている。


 狼人は占い師を信奉し、予言に従うべきだと主張していた新魔王を推進する派閥の一人だった。

 だが、占い師への疑念が魔国中に広まってから、その確信は明らかに揺らいでいる。

 黄色い瞳が不安げに揺れ、時折、小さく首を振る。

 まるで悪い夢から覚めようとするかのように。


――本当に、占い師様の予言は正しいのか?


 その問いが、狼人の全身からにじみ出していた。


 さらに玉座から離れた位置、ゼイルの斜め前方に、サメ人が仁王立ちしていた。

 鋭い歯をむき出しにし、小刻みにあごを動かしている。

 殺気が、波のように周囲へ広がっている。

 あまりの威圧感に、隣に立つ蛇人が怯えて、明らかに距離を取っていた。


 サメ人は隠そうともしない。

 人間への侮蔑を、新魔王への拒絶を、その存在全てで表現していた。


 時折「人間風情が」とつぶやく声が、静まり返った魔王の間に響く。

 それを、誰もとがめなかった。

 多くの者が、心の中では同じことを思っているためだ。


 魔族の世界は力が全てだ。

 弱い者は淘汰され、強い者が頂点に立つ。

 それは自然の摂理であり、疑いようのない真理だった。


 そして人間は、弱い。

 多少の個体差はあれど、純粋な身体能力では魔族に遠く及ばない。

 魔力も乏しく、寿命も短い。

 そいつらは数と小細工で生き延びてきただけの種族だ。


 そんな存在が、魔王になる?

 ゼイルの喉が、また小さく震えた。

 黒い毛皮に覆われた拳を、強く握りしめる。

 爪が掌に食い込んだが、痛みは感じなかった。


 占い師の予言など、信じられるはずがない。

 あの狡猾な女狐は、自らの権威を保つために都合の良い予言をでっち上げたのだろう。

 予言として、特定の場所・日時に現れる人間という曖昧な表現をしていたのも、後から言い逃れができるようにするために違いない。

 そもそも占いなど、力の前では無意味だ。

 運命は強者が切り開くものであり、弱者に従うものではない。


 だが、しかし。

 ゼイルはふと玉座を見た。

 先代魔王が座っていた、あの玉座を。


 クーデターで倒れた魔王は確かに強かったが、傲慢だった。

 力におぼれ、臣下の声を聞かなくなった。

 その結果が数年前の、あの惨劇だ。


 新しい魔王には、力以外の素質も必要だ。

 そのこと自体は頭で理解はしている。


 しかし、本能が拒むのだ。

 力がない人間が上に立つことを、体の全てが拒絶していた。



 魔王の間の空気が、さらに重くなった。

 着々と、ルイズから事前に告げられた就任式の時間が迫ってくる。


 ゼイルの耳が、微かな足音を捉えた。

 いや、まだ遠い。

 廊下の先、階段のさらに向こうだ。

 だが確実に、何かが近づいてくる。


 幹部たちの呼吸が一斉に止まった。

 サメ人の殺気が、さらに膨れ上がる。

 狼人が両手を握りしめ、赤竜人の瞳が鋭さを増した。


 ゼイルは身構えた。

 筋肉が戦闘態勢に入り、全身の感覚が研ぎ澄まされていく。


 もし、入ってくる人間が本当に弱ければ。

 いや、弱いに決まっている。


 その時、自分はどうする?

 殺すか?

 追い出すか?

 それとも、一応は様子を見るか?


 どうするか、答えは出ていなかった。

 答えが出ないうちに、足音が近づいていく。


 そしてついに、魔王の間へと続く巨大な黒曜石の扉が静かに開き始めた。

 扉から響く重厚な音が、張り詰めた空気を裂く。

 ゼイルの琥珀色の瞳が、扉の向こうへと注がれた。

 

 

 扉の隙間から人影が現れた瞬間、ゼイルの全身が一気に臨戦態勢へと移行した。

 心臓が激しく打ち、血流が加速し、視界が研ぎ澄まされていく。

 わずかな動きも逃さないよう、全神経が集中していた。


 確かに新魔王は予言通り人間だった。

 茶色の髪、平凡な顔立ち、人間の中でも特別大きいわけでもない、やや細身の体格。

 服装は質素で、戦士の鎧でもなければ魔術師のローブでもない。

 旅人か、あるいは農民のような、どこにでもありそうな服だ。

 袖口には土の染みが残り、旅の疲れがにじんでいる。


 ゼイルの本能は即座に判断を下した。

 この人間は弱い。

 魔族の幹部どころか、下級兵士にさえ敵わないだろう。


 魔力の気配もほとんど感じられず、ただの人間にしか見えない。

 だが、その判断を下した瞬間、ゼイルはわずかな違和感を覚えた。

 本能が告げる結論と目の前の光景が、微妙にずれている。


 すると、魔王の間の空気が一変する。

 その瞬間、殺気が爆発した。


 サメ人が牙をむき出しにし、全身から凄まじい殺気を放っている。

 その殺気は波紋のように広がり、床を震わせるほどだ。


 狼人は周囲を忙しなく見渡し、明らかに動揺を見せている。

 普段は冷静な彼が、ここまであからさまな動揺した姿を見せるのは珍しい。


 赤竜人は目を険しく細めた。

 巨体がわずかに前傾し、その視線が値踏みから明確な拒絶へと変わっている。

 力を信奉する彼が、人間の魔王など認めるはずがない。


 ゼイル自身も、もはや感情を制御できなくなっていた。

 全身の毛が逆立ち、爪が石床に食い込む。

 喉の奥から漏れるうなり声は、意識的に押し殺そうとしても止まらない。


 魔王の間は、濃密な殺意で満たされた。

 十二人の中の大半の幹部が放つ殺気は、形を持たない暴力であり、空間そのものを歪める圧力となって充満している。

 弱い魔族ならその場で意識を失うだろうし、人間ならば心臓が止まってもおかしくない密度だ。


 だが、あの人間は歩き続けていた。

 顔色一つ変えず、足取りも乱さず。

 まるで春の日差しの中を散歩するかのような平然とした様子で。


 その様子を見て、ゼイルの琥珀色の瞳が見開かれた。


 理解できない。

 この殺気を感じていないのか?

 いや、それはあり得ない。

 この密度の殺意は、生物である以上、本能で察知するはずだ。


 では感じているのに動じていないのか?

 それならば、何故これほど平然としていられる?


 ゼイルの思考が加速した。

 爪が床を引っかき、小さな火花が散る。


 恐怖を感じていないのか。

 それとも恐怖を超越しているのか。

 無知なのか。


 あるいは何か、自分たちには見えない力を持っているのか。


 人間の表情には、緊張も警戒も読み取れなかった。

 むしろどこか退屈そうにさえ見える。

 目元にはわずかに疲労の色があり、肩が少しだけ下がっている。

 まるで長い旅の終わりに、面倒な用事を片付けに来たかのような、そんな無関心さがにじんでいた。


 その態度が、逆に不気味だった。

 ゼイルの本能が激しく警鐘を鳴らし続けている。


 何かがおかしい。

 弱いはずなのに、この平然とした態度は説明がつかない。

 まるで自分たちの殺気が、そもそも届いていないかのような。

 あるいは届いていても意味をなさないかのような。


 サメ人が一歩前に出た。

 殺気がさらに高まり、牙が光る。

 明確な殺意が人間へと向けられ、今にも飛びかかりそうな気配だ。


 だが、サメ人は踏み込まなかった。

 狼人も、赤竜人も、誰一人として動かない。

 ゼイル自身も、体が動かなかった。

 筋肉は臨戦態勢に入っているのに、その先へ進めない。


 違和感が、全てを縛っていた。

 ゼイルはあの人間を冷静に分析しようとした。

 これほどの殺気を浴びて平然としている理由は、いくつか考えられる。


 一つ目は、本当に何も感じていない鈍感さ。

 だがそれはあり得ない。

 生物は本能で殺意を察知する。


 二つ目は、圧倒的な力を持っているがゆえの余裕。

 だが魔力の気配はほとんどない。


 三つ目は、恐怖を超越した狂気。

 しかし狂気特有の不安定さも感じられない。


 ならば何だ?

 この人間は、一体何者なのだ?


 普通の人間なら、この状況でこうはならない。

 膝をつく、震える、悲鳴を上げる、逃げようとする。

 何かしらの反応を示すはずだ。


 だがこの人間は、何も示さない。

 表情一つ変えず、呼吸も乱さず、ただ歩いている。

 その異常さこそが、一国を滅ぼせる力を持つ幹部たちの動きを、確実に止めていた。


 底が見えない。

 ゼイルは内心で奥歯を噛み締めた。

 爪が掌に食い込み、血がにじむ。


 この人間は本当に弱いのか、それとも弱いふりをしているのか。

 魔力の気配はなく、体格も貧弱で、どう見ても戦士ではない。

 だが、それならば何故、この平然とした態度が可能なのか。

 理性は弱いと結論づけているのに、本能が確信を拒んでいる。



 人間の少し前を、白銀の毛並みを持つ狐人が歩いていた。

 黒衣に身を包んだ占い師ルイズだ。


 彼女は静かに微笑み、まるで全てが予定通りだと言わんばかりの落ち着きを見せている。

 その余裕が、さらにゼイルの疑念を深めた。


 ルイズと人間の二人は魔王の間の中央を進み、幹部たちの間を通り抜けていく。

 誰も手を出さない。

 殺気は渦巻き、敵意は満ちているが、誰も動けない。


 ゼイルは周囲の幹部たちを観察した。

 サメ人の全身は緊張しきっているが、一線を越えようとはしない。


 狼人は迷いを見せながらも、占い師への信頼と目の前の現実の間で揺れている。


 赤竜人は表情を変えないが、その視線には明らかな警戒が宿っていた。


 全員が、同じ違和感に囚われている。

 不用意に手を出せば、何か取り返しのつかないことになる。

 そんな予感が、空気を支配していた。


 ゼイルの理性が本能に問いかけた。

 この人間を殺せるか?

 物理的には可能だ。

 爪を振るえば、簡単に命を奪えるだろう。


 だが本能は結論を答えなかった。

 弱いと判断しているはずなのに、実際に殺し切れるかが確信できない。


 何かが引っかかる。

 この平然とした態度、この違和感、この得体の知れなさ。


 人間はルイズが止まった場所の近くで立ち止まり、ゆっくりと振り返った。

 その瞳が幹部たちを見渡す。


 ゼイルの背筋に、冷たいものが走った。

 人間の目には何の感情も浮かんでいなかった。

 恐怖も、緊張も、敵意も、野心も。

 ただ淡々と、まるで風景を眺めるかのように、幹部たちを見ている。


 その視線には、評価も値踏みもない。

 まるで自分たちが脅威ではないと。

 いや、そもそも取るに足らない存在だと、そう認識しているかのような無関心さがあった。


 ゼイルの爪が床に深く食い込んだ。

 その無関心さに、本能が激しく反発していた。

 だが同時に、理性が静かに告げていた。


 本当にそうなのか?

 この人間は本当に、自分たちを見下しているのか?

 それとも、ただ単に関心がないだけなのか?


 ルイズが一歩前に出た。

 白銀の尾が優雅に揺れ、黒衣の裾がふわりと舞う。

 その動きは計算されており、まるで舞台の演出のようだった。


「これより、新魔王就任式を執り行います」


 ルイズの声が、魔王の間に響き渡った。

 張り詰めた空気がさらに圧縮され、幹部たちの殺気は渦巻いたまま、形を変えずに留まっている。


 だが、誰も動かない。

 違和感が全てを支配し、本能と理性の葛藤が幹部たちを縛り付けていた。


 ゼイルは琥珀色の瞳を細め、人間を凝視した。


 お前は何者なのだ?


 その心の問いに答えは返ってこない。

 ただ、魔王の間に重い沈黙が降りた。


 その重い沈黙の中で、新魔王就任式が始まった。

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