4.玉座の誘惑
魔王の間には、威圧と荘厳が石壁の奥まで染み込んでいた。
天井は闇に溶け、巨大な柱が規則正しく並ぶ。
床に刻まれた魔法陣の奥で、ロウクは狐獣人の占い師ルイズとともに立っていた。
「これより、新魔王就任式を執り行います」
ルイズの声に抑揚はない。
白銀の尾が静かに揺れ、紫色の瞳が一度だけロウクを捉える。
何も読み取れない視線だった。
周囲を囲むのはルイズの他に、十二の魔王軍最高幹部。
その中でも、圧倒的な体躯の赤竜人。
鋭い牙を光らせつつも、どこか落ち着きがない灰色の狼人。
古傷だらけで気性が荒そうなサメ人。
しなやかな体つきで知性を宿していそうな黒豹人。
このあたりが特に存在感があって、誰の目につきそうだ。
いずれも人間の尺度を超えた存在感を放っている。
そして全員が、濃密な殺気をロウクへ注いでいた。
幹部たちの敵意は明確だ。
強者を敬い、弱者を蔑む。
それが魔族の本能であり、美徳でさえある。
そして目の前の人間は、どう見ても弱者だった。
魔力の気配はない。
体つきは貧弱で、村人としても最低の部類だろう。
それで間違いないはずなのに。
「新魔王様。前へ」
ルイズの声に従い、ロウクは一歩を踏み出す。
周囲から向けられる殺気くらいは、さすがに分かっていた。
怖いとは思う。
けれど、それはどうしようもないことだとも分かっていた。
村でも、強い相手に逆らって良いことなどなかった。
機嫌を損ねれば怒鳴られ、時には殴られる。
最初は怖かったし、何とかしようともした。
泣いて訴えたこともある。
理不尽だと思ったこともある。
謝ったこともあるし、逃げようとしたこともある。
けれど、それで状況が良くなったことは一度もなかった。
どうせ変わらないなら、余計なことを考えない方が楽だった。
何の期待もしないし、抵抗もしない。
その方が、ずっと疲れなかった。
だから、目の前の魔族たちもきっと同じだろうとしか思わない。
強い者は、弱い者に敵意を向けるものなのだ、と。
「新魔王様に、魔王軍の力を示してください」
ルイズの言葉を合図に、幹部が動いた。
一人がロウクの前へ進み、技を放つ。
一礼して下がり、また次の者が前へ。
それが繰り返される。
一人が技を放てば、魔力が奔流となってあふれ出す。
別の者が動けば、空間が歪み、床石がきしむ。
剣を抜く者がいて、空間を斬り裂かれると、亀裂が走り、次元の裂け目が一瞬だけ覗く。
掌に炎を灯す者がいて、その熱量だけで床を溶かす。
金属が液体になり、赤く煮えたぎる。
力の誇示。
新たな主への威嚇。
あるいは、試し。
それらを見ても、ロウクは何も感じなかった。
ロウクにとっては、ただ自分よりずっと強い人たちというだけだった。
村で見てきた強い者たちと、何も変わらない。
だから特別に怖いとも思わないし、興味もわかなかった。
だが、その無関心は、幹部たちの警戒をむしろ強めていた。
弱者が力を前にしても、怯えない。
それは彼らにとって、むしろ不気味だった。
この人間は、どう見ても弱いちっぽけな存在にしか見えない。
それにも関わらず、この人間はまるで最初から何もかも見透かしているかのように平然としている。
その得体の知れなさが、幹部たちの警戒をさらに強めていた。
「続いて、幹部同士による模擬戦を行います」
ルイズが告げると、二人の幹部が前に出て向き合った。
一礼してから技を繰り出し、戦いが始まる。
魔力がぶつかり、衝撃波が広がる。
幹部同士の対決ともなれば規模も凄まじく、闘気が渦を巻き、熱気が空間を満たした。
周囲は盛り上がっている。
咆哮が響き、笑い声が混じった。
力こそが全て。
それが魔族の文化だ。
最上位の強さを持つ者同士の戦いともなれば、その迫力は桁違いとなり、自然と魔族達の関心をひきつける。
ロウクも始めはおとなしくその戦いを眺めていたが、やがて飽きてきた。
そもそもずっと立ちっぱなしで、さすがに疲れを感じる。
村での労働よりは楽だが、それでもじっと立っているのは疲れるし、退屈だ。
これ、あとどのくらい続くんだろう。
ロウクは目の前の戦いから視線をそらし、周囲を見渡す。
そのとき、最奥に鎮座する巨大な玉座が目に入った。
黒曜石を削り出したような重厚な椅子。
背もたれには複雑な紋章が刻まれ、誰も座っていないそれは、まるで最初からそこに座る者を待っていたかのように静かだった。
そういえば僕、魔王になるんだったよね。
だったら、座ってもいいんじゃないかな。
少なくとも、ずっと立ちっぱなしでいるよりは、ずっと楽そうだし。
良いことを思いついた。
ロウクは思わず、小さく笑う。
そして何のためらいもなく、玉座へ向かって歩き出す。
幹部たちの視線は、誰一人としてそんなロウクの動きを捉えていなかった。




