2.魔王の仕事
ルイズはこれから魔王の間へ案内すると言い、その前にと前置きして、丁寧な言葉遣いは不要だと告げた。
魔王が臣下に敬語を使うなど、あってはならないことだという。
その言葉に、ロウクは黙って頷く。
丁寧な言葉遣いをしなくてもいいなら、むしろ楽だ。
気を使う必要がないなら、それでいいし、遠慮なくそうさせてもらおう。
ルイズが部屋の扉へと向かったので、ロウクは仕方なく立ち上がった。
帰ることが許されていない以上、同行を断る理由も特にないし、断ったところでどうなるわけでもない。
それに、ここがどこなのかも分からない。
とりあえず、ついていくしかなかった。
ルイズによって開かれた扉を抜けると、長い通路が広がっていた。
天井は高く、壁は黒い石で作られている。
かつて遠目に見た人間の城を構成している白い大理石や木材とは全く異なる材質だ。
ところどころに紫色の鉱石のようなものが埋め込まれていて、それが淡く、不気味な光を放っていた。
松明でもなく、ランプでもなく、ただ光る石。
温もりはなく、冷たく、生命感のない光だ。
床には複雑な紋様が刻まれていて、歩くたびに靴音が妙に響く。
装飾は禍々しいというか、悪趣味というか、とにかく人間が住む建物とはまるで違った。
骸骨をかたどった燭台が壁に並び、巨大な武器、斧や剣、槍などが飾られている。
天井からつるされているのは、何かの頭蓋骨だ。
獣のものか、それとも人のものか。
ここにある異質なもの全てが、ここが人間の世界ではないことを物語っていた。
ロウクの頭の中に、新魔王就任式という言葉が何度か浮かんだが、すぐに意識の外へ追いやる。
幹部たちと戦うなんてこと、無理に決まっていると分かっていながらも、足だけは止まらなかった。
ここで立ち止まれば、その場で終わるような気がしていたからだ。
通路を歩きながら、ロウクはふと言葉が通じていることが不思議に思い、ルイズにその理由を尋ねる。
するとルイズは振り返らずに「それは翻訳魔法の効果があるためです」と答えた。
ルイズがロウクにかけた翻訳魔法によって、ロウクの言葉を魔族語に、魔族語をロウクの言葉に自動的に変換しているという。
魔力の波長を読み取り、意味を……と長々と説明を続けるルイズに、ロウクは適当に相槌を打ちながら、その話をそれとなく聞き流した。
理屈はよく分からなかったが、それでも魔法というものの便利さだけは素直にすごいと思えた。
村にもこういう魔法があれば、外国の人の言葉が分からなくて困ることもなかっただろうに。
まあ、小さい村だったから、そんな人が訪れることはめったになかったけれど。
通路を進むうちに、何人かの魔族とすれ違う。
ルイズと出会うまで一人も魔族を目にしたことがなかったロウクにとって、その魔族の姿はとても異様に映った。
まず、角が生えた大男が最初にすれ違った。
身長は二メートルを優に超え、肩幅は扉と同じくらいありそうだ。
全身が筋肉の塊で、鈍い金属の鎧をまとっている。
牛のような角が二本、額から伸びていた。
次にすれ違ったのは、全身が鱗に覆われた大きな女性。
人の形はしているが、緑色の鱗が肌を覆い、指先には鋭い爪が生えている。
瞳は縦に細長く、蛇のようだ。
その次は、四本の腕を持つ巨漢だった。
上半身が異様に発達していて、四本すべての腕に筋肉が盛り上がっている。
顔は人に近いが、目が三つあった。
どの魔族も、人間とは比べものにならないほど大柄だった。
二メートルを超える体格が当たり前で、筋肉は岩のように盛り上がり、骨格もごつい。
鋭い牙や爪を持つ者も多い。
細身の魔族もいないわけではないが、それでもロウクよりかなり背が高く、どこか異質な雰囲気をまとっていた。
正直なところ、なんだか怖い人ばかりだとは思った。
でも、村にいた気難しい大人たちも似たようなものだった気がする。
機嫌を損ねれば怒鳴られ、時には殴られることもあったのだから。
今さら相手が少し大きくて強そうなだけで、何かが変わるとも思えなかった。
すれ違う魔族たちは、ルイズを見るとぎょっとした表情を浮かべる。それから慌てて頭を下げた。
占い師様だ、新魔王様は本当に人間なのか、とひそひそとささやく声が聞こえる。
どうやらルイズは、魔族の人々から占い師として広く知られているようだ。
明らかに屈強そうな魔族も畏怖の目をルイズに向けている所を見ると、ルイズがただ者でないことだけは容易に想像できた。
一方でロウクに向けられるような視線は好奇の視線だったり、侮蔑の視線、疑うようなものだったりとあまり好意的ではなかった。
新魔王様と言葉上は敬われているが、態度が魔族達の本音を示しているのは明白だ。
いつ殺されてもおかしくない状況をロウクは改めて自覚する。
だからといって無力な自分が何かできる訳でもないので、諦めて考えるのを止めることにした。
昔からロウクは、諦めの早さだけは自信があったのだ。
長々と語っていた翻訳魔法の解説をルイズはいつの間にか終えていたようで、これからのことを説明し始めた。
危機的な状況から気をそらすためにも、ロウクはルイズの言葉に耳を傾ける。
ルイズはそれから、魔王としての日常業務について、淡々と列挙していく。
魔王に謁見を求めてくる魔族たちがいるという。
領土の奪い合いで決着がつかなかった者同士の決闘の立会い、戦死した部下の骨を食す儀式への参加。
そんな感じで多岐にわたる内容を魔王が行うらしい。
「骨を食べる?」とロウクがつぶやくと、ルイズは淡々と説明を行った。
魔族にとって死者の骨を食すことは最大の弔いで、特に魔王が食せばその魂は永遠に魔王の一部として生き続けると信じられているという。
ロウクは思わず言葉を失った。
骨を食べる。
決闘の立会い。
どれも、ロウクがこれまで生きてきた世界とはかけ離れた話だった。
だが不思議なことに、恐怖よりも先に面倒そうという感情がわいてきた。
自分でも変だと思うが、どこか他人事のように聞こえてしまうのだ。
ふと気になったロウクは、「魔族の骨って、味とかあるのかな?」とつぶやいてみる。
しかし、ルイズは一瞬目を見開いてこちらを見てきただけで、何の返事もしてくれない。
どうやら想像通り、あまり美味しいものではないらしかった。
ルイズの魔王が行う業務に関する説明は延々と続いた。
魔力披露の儀、領地視察、持ち込んだ人間の生贄の査定。
骨がどうの、生贄がどうの、そんな話を真面目に聞いても仕方がない気がする。
ロウクは適当に聞き流すことにした。
ルイズの言葉を半分以上聞き流しつつ、ルイズの後を歩いていく。
通路を進み、途中で緩やかな階段を上がると、やがて荘厳な黒い扉の前にたどり着いた。
扉の左右には魔族の屈強な兵士が控えているようだ。
ルイズはそのうちの一人に声をかけると、二人の兵士が扉をゆっくりと開けていく。
扉の向こうには数多くの魔族が整列しているのが見えた。
新魔王就任式を行うというのだから、そうなっていても全くおかしくはない。
ただ、危険人物が密集しているあの場は、ロウクにとって近づきたくない場所だった。
実際、就任式では魔王軍幹部たちがロウクの力量を確認するために挑みかかって来ると聞かされているので、危険であることには違いない。
とはいえ、ここから逃げたところで状況が良くなるとは思えない。
先程すれ違った魔族一人一人がロウクを軽く殺せてしまうほどの威容を誇っていたのだから、無理もないだろう。
逃げるロウクに容易に追いついて、一撃で沈黙させられるに違いなかった。
ロウクは小さく息を吐く。
そして特に何も考えずに、ルイズの後に続く形で、魔王の間へ足を踏み入れた。




