4.流行り紅
放課後、金色に輝くポニーテールを揺らしながら、玄河エリは帰り道を歩く。
隣では武城マイが歩くリズムに合わせて日傘をくるくる回ていた。
まだ明るい時間。通学路の傍には公園があり、彼女たちはその横を毎日歩いている。
学校でも遊んできただろうに、子供たちは元気よく公園を走り回っている。
ワイワイ楽しそうな声がする横を、玄河は大きな欠伸をしながら歩いている。
ポニーテールが生み出したうなじ。金髪の根元は少しだけ黒色を見せている。
武城はその色黒の肌に小さく記された黒い点をチラリと見た。
太陽の黒点のように微かに見えるホクロ。クラスメイトでも言われなければ気づかないような小さなそれを、武城は見逃さない。
少し滲んだ汗。ポリポリと首を掻く指の隙間に見えるホクロ。
武城は歩調を少しだけ遅くする。
ほんの少し後ろから、じろじろと見つめないよう見るうなじ。金色の髪は馬の尾のように左右に揺れる。
ボールを蹴る音がした直後、ガシャンと柵にぶつかる音がした。
武城はビクリと肩を飛び上がらせ、そちらに視線を向ける。
高い柵で囲われた公園。サッカーボールが緑の網目にぶつかっていた。
小さな手足を一生懸命動かして、小学校上がりたての少年が走ってくる。
玄河は白い歯を見せながら少年に手を振ると、少年は顔を真っ赤にして逃げ出した。
それも仕方ない話。玄河は制服のシャツを開きすぎである。あと1センチもズラせば下着が見えてしまうだろう。
まだ小さいのにそれで照れるとは、少年はすこしマセているのかもしれない。この場合は大人びているという意味ではなく、ムッツリ的な意味だが。
少年が逃げ出したすぐ横で、女児が二人ベンチに座りながら約束事をしていた。
指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます、指切った。
冷静に聞いてみれば随分と物騒な決まり文句だ。
小さな頃、自分たちも特に言葉の意味を気にせずにやっていたな、と武城が思っていると、玄河が足を止める。
何事かと思い、そちらを向くと、玄河は「あっ」と言いながら武城に振り替える。
「指切りって言ったらさ」
「エリさ、もう黙んね?」
武城は即座に玄河の発言を止める。
そのあまりの速度に、玄河はキョトンとした顔を見せた。
「いま喋り出したとこじゃね?」
「いや無理。切り出しからそれは無理」
「えなんで? 何も話してなくね?」
「指切りって時点で無理だって」
子供たちの話を聞いた時点で物騒だと思ったが、玄河の口から『それ』が出るならなおさらのことだ。
絶対に良からぬ話をするに違いないと察した武城は、心と身体を身構える。
「あそれ。口紅の話なんだけど?」
「は? 口紅?」
「そそ。マイタケいつも綺麗な口紅じゃん?」
「マジ?」
「マ」
どうして『指切り』から『口紅』の話になるのか理解できないが、それでも褒められてしまうと心を許してしまうのが武城だ。
二人はそのまま公園に入り、ベンチに座った。
玄河は、はしたなく蟹股でドカリと座り、武城は太い腿を持ち上げ脚を組む。
少年たちがチラチラと視線を向けてくるが、残念ながら彼女たちに隙は無い。少年が求めるものを見ることはないだろう。
◆◆◆流行り紅◆◆◆
「昔ながらの口紅もめっちゃ綺麗でさ」
「あーね。古き良き的な?」
「古き良き的な」
「漆細工的な」
「的な」
日本の伝統工芸は美しく、工芸品というよりも美術品と思えるような作品も多い。
染物、陶磁器、和傘、人形、和楽器など、様々な道具が人の手によって作られる。
それらは日本の伝統文化として職人たちによって今も守られている。
「んで、昔の口紅って厚塗りすると光るんだって」
「あーね。艶紅とか聞くね」
「なにそれ知らん」
「ふざけろ」
武城は以前見たクイズ番組で出てきた単語を思い出したので言ってみたが、玄河に梯子を外されてしまう。
本気で怒っているわけではないが、多少はムカついたので苦言を返す。
嫌なことは嫌、ムカついたらムカついた、そういった感情に蓋をすることなく言い合えるのは悪い関係ではないはず。
本気じゃないことは互いに分かっているからこそ、無暗矢鱈に喧嘩になることも少ない……少なくはないかもしれないが、結果的に気の置けない関係になっているから良いだろう。
「玉虫色? なんか光るんだって」
「玉虫色? それ綺麗か?」
「ほれ」
「あーね」
唇が玉虫色に光ったら不気味じゃないかと、武城は思った。
玄河がスマホの画面を見せると、そこには口紅を塗った艶やかな唇が映っていた。
笹紅と書かれた検索画面の下に、検索結果の画像とリンクが並ぶ。
唇は確かに玉虫色に輝いているが、全体が緑色になっているわけではなく、赤い唇の厚塗り箇所がラメのように輝いていた。
確かにその口紅は、艶やかで不思議な魅力があった。
「マイタケも買う?」
「検討し」
「遣隋使」
検討しますと言う意味だが、遣唐使に聞こえたのも無理はない。
だからと言って遣隋使と返すのも如何なものかと思う。
「大和撫子リスペクトじゃね」
「わかりみ」
尊敬の念があるように思えないかもしれないが、彼女たちなりの敬いは存在している。
軽いように見えるが、重ければいいと言うものでもない。
「あでも入れ込み厳禁ね」
「どゆこと」
唇に指を当てながら、玄河は釘を刺すように言った。
「従姉妹んとこの学校の話なんだけど、笹紅が流行ったんだって」
「笹紅て?」
「さっきの画像のやつ」
「あーね」
武城は検索文字までは見ていなかったため、笹紅とその画像が結びつかなかった。
先ほどの画像を思い浮かべ、女子高生の間で流行ったと聞くと、武城は、なるほどちょっと面白そうだと思った。
「本物高いから似たようなの真似したり? 一発芸人並みに流行ったわけ」
「大流行じゃん」
「学校全体が一時期大和撫子大量発生」
「ウケる」
流行が広がる速さというのは時代が進むにつれ加速していく。
数百年前であれば何年もかけて広がるようなことも、現代では数時間で蔓延する。
学校という限られた空間であればなおのことだ。
大和撫子が大量発生と聞いて、武城は着物を来た女子生徒が授業を受ける姿を想像して笑ってしまった。
「最初は口紅だけじゃん? 次にカンザシ?」
「カンザシ?」
「頭にぶっ指す棒」
玄河は自分のポニーテールの根元にエア簪を挿す動作をする。
「いやわかるから。カンザシくらい分かるから。てかその説明だと違くね?」
「時代劇で暗殺の時使うやつ」
そういうと玄河はエア簪でエアターゲットの首を刺す動作をする。口は笑っているが目は笑っていない。
「それこそ偏見じゃね。髪纏めるやつで良くね?」
「それな」
「みんな伸ばしたの?」
「エクステ」
ショートヘアでも挿す方法はあるが、簪は長い髪を纏めるための道具。
ヘアアレンジのために髪を伸ばそうにも、一日二日で髪が伸びることはない。
そのため、エクステと呼ばれる付け髪を使ったそうだ。
鬘とはちがう、髪の一部を長く見せるものだ。
自分で付けることもできるが、美容院でプロに施術してもらうこともある。
「そこまでする?」
「流行りは乗るしかなくね?」
「同調圧力メンディーじゃん」
周りに合わせることもコミュニティに所属する以上大切なことであるが、合わせられない人を排除することに繋がることもある。
その『空気』を読むことが目的となってしまえば、コミュニティが息苦しい空間になってしまう。
それはとても面倒なことである。
「で、和柄」
「遅くね? 和柄の方が先にくんじゃね?」
口紅、簪と来てから和柄。柄物を合わせる方が楽なように思えた武城は率直に疑問を口にする。
「事実だからしょうがなくね?」
「事実ならしょうがないか」
世の中には良く分からない経緯というものがある。生物の進化でさえ「えっ、なんでそうなる」という現象があるのだ。
人間の文化であればなおのこと。奇天烈な流れというものは実際に存在するものだ。
「口紅も薬指で塗るようになるし」
「えろ」
「マイタケの頭ピンクじゃん」
「は?」
「は?」
口紅を指で塗る姿を想像する。武城はその艶やかさを呟いただけだが、玄河はそれを揶揄した。
魅力的な仕草を表現しただけなのに、まるで常に性的なことを考えているように言われ、武城はむかっ腹が立った。
「カンザシ女子が薬指で口紅塗るのはR18っしょ」
「いやねえわ」
「あるあるだわ」
「交渉決裂」
「国交断絶」
「和親条約」
「開国待ったなし」
仲直りは亜光速。
「遊郭で流行った的なものも流行ったっつーから? マイタケの言うこともあながち間違いじゃないし?」
「18禁じゃん」
武城も『遊郭』を詳しく知っているわけではないが、昔あったエッチな遊びをする場所と言う知識だけは持っていた。
女子高生の間で流行らせて良いものではないだろうと武城は笑う。
「あでも、学校が禁止しちゃって」
「風紀乱れるとか? 大和撫子ならよくね?」
「流行りすぎて問題になったとか言ってた」
「へえ。やっぱ18禁?」
「んん。これは15禁じゃね?」
「なにが?」
「遊郭の真似事」
「アウトじゃん」
R18指定とR15指定はものによって基準が変わるものだが、その詳しい差を二人は知らずに使っている。
遊郭の真似事と言われれば、武城はどうしても性風俗的なものをイメージしてしまう。その真似事であれば高校生がやって良いものではないだろう。
ところが、玄河はそれを否定する。
「いや、シンジュダテだから、桃色マイタケじゃねえから」
「誰が脳内おじさんだ」
二度目の侮辱。武城も威嚇の体勢に入る。
けれど玄河が全く意に介さないものだから、武城は諦めて、よく分からない単語について尋ねる。
「真珠立てって?」
「だから、シンジュするための約束的な」
「パールハーバー的な?」
「は?」
「は?」
真珠を立てるとは一体どういうことなのだろうか。
武城は銀色に光る真珠を賽の河原のように積み重ねることを想像してみたが、まったく意味が分からなかった。
だからといって真珠関連で知っている単語を言ってみたが、玄河に「なに言ってんの?」という顔をされてしまう。
これは武城が悪い。
「いや、シンジュだって」
「は?」
「それを本気でやった女子が何人か出たんだって」
そう言いながら、玄河は小指で武城の額を小突く。
「それって?」
「指切り」
玄河は、武城の額を突いた小指を彼女に見せる。
彼女の仕草に見覚えがある。同時に武城の頭に少女たちの声がリフレインする。
――指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます、指切った
「玉虫色の笹紅が流行って、カンザシ流行って、和柄流行って、遊郭の遊びも流行って、好きな男子に指送るのも流行ったんだって」
シンジュダテとは心中立てのこと。
小指を立てて共に死なんとする約束の契り。
遊郭で流行った指切りの約束は、庶民の間にも広がっていき、指切りの唄は一般に知られるようになった。
指を想い人に贈るという行為は「あなたに本気で恋をしました」と言うメッセージ。
実際に指を送ったのかと問われれば、作り物の指を送ることもあるため、全ての約束で指を切ったわけではない。
だと言うのに、彼女の話には偽物の指は出てこない。
あっけらかんとしながら、玄河は自分の小指を眺める。
空を背景に眺める小指。玄河は大きく欠伸をする。
「さすがに問題すぎるからってことで禁止」
「……つき」
絞り出すように武城が何かを言った。
玄河はよく聞き取れなかったため、武城に耳を傾ける。
すると、武城は全身全霊で叫んだ。
「うそつきっ!」
指切りの話はないと思っていたというのに、最後の最後で裏切られ、武城は涙目になっていた。




