【裏】3.床下のミイラ
「あなた――マイタケさんだっけ? なにしてるの」
「武城マイです……!」
事務室から戻ってきた佐渡先生が私の姿を見て尋ねた。
私は床に向けて枕を振り回しているところであり、傍から見れば滑稽極まりなかっただろう。
けれど、枕を蜘蛛に叩きつけないだけでも褒めて欲しいものだ。
断じて『白蜘蛛様の呪い』が怖いとかではなく、保健室の枕で虫を潰したら、もう保健室の枕で寝ることが出来なくなる。
例え洗濯したとしても、それで蜘蛛を潰した事実は変わらない。そんな枕で安眠できるわけもないのだ。
ではなぜ枕を振り回しているかというと、風を起こすためだ。
枕を振り回して起こす風で蜘蛛を飛ばそうとしているのだが、蜘蛛は元気よくこちらに手を上げているだけである。
威嚇かな。威嚇だろうな。威嚇じゃん。
「せんせえ助けてえ」
「金髪のお友達はどうしたの」
「せんせえたすけてえ」
エリはさっき出て行ったばかりである。彼女はワタシを置いて行ったのだ。薄情な親友だ。
私は彼女を置いていくようなことをしたことがあろうか。いやない。それなのにどうして彼女は私を置いていくのだ。
恨みつらみが重なるが、彼女を憎むことは出来ない。それがまたツラいところだ。
畜生と顔を拭うと、視界の端にキラキラと輝く金髪が映った。
なんだと振り返ると、窓の外に光る頭部が見えた。
「あああああ!」
急に声を上げたものだから佐渡先生が吃驚する。眼鏡がズルリと下がっている。
だがそれを気にしている場合ではない。窓の外で私の無様な姿を見て楽しんでいるやつがいるのだ。
私は彼女に文句を言わねば気が済まない。
幸い窓は反対側。蜘蛛は上履きの近くに居るのだからこっちは安全なはず。
「エリィ!」
ニヤリと笑みを浮かべながら覗いてくるエリに怒号を飛ばしながら私は向かう。
わざわざ校舎を出て回り込んでまで私の痴態を見たいのか。
頭をペチンと引っ叩くまでこの怒りは収まらないぞ。
そう意気込んでベッドを降りようとする。
「――ッ!」
だが、私はそこから動くことが出来なくなった。
なぜか?
床が白いからだ。
窓の傍からベッドの下まで、まるで雪が吹き込んでいたように、白く染まっていた。
雪ならばどれほど良かったでしょう。
「どうしたの?」
「せんせえ……たすけてえ」
白く染まった床。それはベッドの下まで続いている。
見てしまった。このベッドの下に向かって、白く染まった虫たちが点々と並んでいるところを。
雪のように白い床面のところどころに虫の足が見える。
それはベッドに向かうにつれて数を増やしており、直接見なくても、このベッドの下に何があるかを予感させる。
「もう、さっきから何?」
「虫が。虫がね。虫がさ」
佐渡先生は眼鏡をクイッと上げながら問いかけるが、私はそれに具体的な言葉で返せなかった。
虫がどうなっているか。口にするだけで悍ましい。
「あら、あなた虫ダメなの」
「無理ぃ」
「はいはい。どこにいるの」
佐渡先生は引き出しから殺虫剤を取り出し、軽く振りながら近づいてくる。
私は『虫たち』がいるだろう場所を指さす。
指さしたものの、きっと先生の殺虫剤は意味をなさないだろう。
私が指さしたのは真下。ベッドの下である。
「ヒィッ――」
ベッドの下を覗き込んだ佐渡先生は、思わず口に手を当てた。
「なに、これ――!」
「白蜘蛛様じゃね?」
ガラガラガラと窓を開けて、エリがサッシに頬杖をつく。
相変わらず、彼女の身体からは白い靄が出ている。話は終わっていないのだろうか。
彼女がニコニコ笑顔を向けていると、さっきまで床に居た白い蜘蛛がトコトコとエリの傍に近寄った。
エリは慈しむように蜘蛛の頭を撫でると、佐渡先生に視線を向ける。
「せんせーダメじゃね? 蜘蛛殺そうとしちゃ」
「エリ! これあんたがやったの!」
「あたし? 無理じゃねこれ?」
「さっきまでなかったでしょ!」
「だから白蜘蛛様じゃね?」
白い蜘蛛はそのまま窓から外に去っていった。
エリは放課後友人に『バイバイ』とするように、蜘蛛に軽く手を振った。
「いまのが、白蜘蛛様なの?」
「え、いまのはアシダカグモの子供じゃね?」
「知らないよ!」
蜘蛛の名前は調べても、蜘蛛の見た目までは見ない見れない無理だった。
だから今の蜘蛛がアシダカグモと言われても、そんなの分かるわけがない。
「マイタケ、ほら蜘蛛は出てったし? もう帰れるんじゃね?」
確かに『生きている虫』は今の蜘蛛だけだっただろう。
そう思えば、このベッドから降りることも出来るはず。
顔から血の気が引いているのが自分でもわかる。
視界がボンヤリして、頭がくらくらする。
だけどここで倒れたくない。一刻も早くベッドから降りたい。
なんとか上履きを履いて、鞄を持つ。そして急いで壁際に避難する。
佐渡先生は箒を持ってきて、しゃがんでいる。
ベッドのキャスターの重たいロックを外し、ガラガラとそれを移動させる。
ベッドの下には無数の虫の死体があった。
そのどれもが白く粉を噴いていて、真っ白に染まっている。
箒で掃くと、乾いた音がする。蜘蛛の糸で絡まっていたわけではない。
「マーイタケッ」
「ヒンッ!」
いつの間に戻ってきたのか、保健室の入り口からエリが声をかけてくる。
「マイタケバイトじゃん? 帰るっしょ?」
「うん……」
私はあの虫たちの死体の上で横になっていたのか。そう思うと気分が悪くなってくる。
バイトに行くまでに体調が戻ればいいのだが、今日は一日しんどすぎる。
廊下に出ると、保健室からエリの声が聞こえる。
どうやら佐渡先生になにかアドバイスをしているようだが、聞き取りたくもない内容だった。
「せんせー。白蜘蛛様的にここオキニぽいから、虫殺しちゃダメだかんね? だって、虫って白蜘蛛様のお供えもんだかんね。じゃないと、次は先生がそうなるよ?」
もしかすると、私はもう保健室に休みに行けないかもしれない。




