8.次の話
眠りを妨げる携帯の通知音。目覚ましBGMと違う音に、嫌でも目を覚ます。
ぼさぼさに広がった髪をかき上げながら、寝惚け瞼を薄めに、音源である携帯を探す。
画面の光が目に刺さる。ギュッと目を瞑りながら電話に出る。
朝の四時、玄河からの電話だった。
◆◆◆次の話◆◆◆
「次の話って怖いらしいよ」
「は?」
「だから、次の話って怖いらしいよ」
「朝いきなり電話してそれ?」
「じゃあね」
「あちょっと――切れた……」
朝の四時。それだけのために電話が鳴った。
メッセージだけで良いじゃないかと半分キレながら、武城は枕に携帯を投げつける。
頭に血が上ったせいで、目が少し覚めてしまった。
仕方ないので、彼女は朝の身支度を始めた。
◆◆◆はちうえ◆◆◆
「うわ、誰こんな酷いことすんの」
欠伸をしている武城の横で玄河がげんなりした顔をする。
朝早起きをさせられたせいで若干寝不足気味の武城も、玄河の視線の先を見て目が覚める。
学校の門の横、昨日まで綺麗に咲いていた花々が踏み荒らされていた。
煉瓦で少し底上げされた花壇。故意に踏み入ろうと思えば小学生でさえ出来る場所。
だからと言って、それを実行するような人がそうそういるとは信じたくない。
「人の心なくね?」
武城の顔から表情が消える。心底蔑んだ視線を見せた。
「花にだって命あるじゃん?」
「男なら去勢じゃん。女なら苦痛の梨じゃん」
「マイタケちょっとよくわかんない」
切ったり裂いたりとなかなかハードな処刑――もしくは拷問を想定する武城。
去勢は男性器を切ること、苦痛の梨は拷問道具。
金属製で蕾の形状をした装置で、万力部分を回すとそれが開いていく。
口に突っ込んで顎を裂いたりできるものだが、『女なら』という場合、別の個所を裂くのに使う。
「わかんなくてよくね? とりあえず絶許てこと」
武城の言うとおり、この手のものは知らなくてもいい事である。
「だったらやっぱ『はちうえ』じゃね?」
玄河はポンと手を打ちながら言った。
「花壇より危なくね?」
玄河が『鉢植え』を提案したと思った武城は、素直に言葉を返す。
花壇より踏まれにくいかもしれないが、落としたり倒されたり……最悪の場合投げられることもあるだろう。ならば、鉢植えより花壇の方がましだ。
そう武城は考えていた。
だが、その考えは根本から間違えていたのだった。
「危ないからやるわけじゃね?」
「なんで?」
「えだってこれ許せなくね?」
玄河が指す花壇。改めてみればなお酷い。
踏まれただけではなく土がえぐれているところもある。つまり、蹴り飛ばしているのだ。
夜中に酔っ払いがうっかり踏んだとかではない。明らかに故意で、悪意で、植物の尊厳を踏みにじるためにやった行為だ。
胸糞が悪い。武城の胸がざわめいた。
「なんか叔父さんから聞いたんだけど」
玄河の話に自然と耳を傾ける。彼女は人差し指を唇に添えて、思い出すように喋っている。
視線は上を向いて、どことなく上目遣いのようで、少しだけ色っぽく見えた。
「昔は叔父さんの地元で悪いことした人? 『はちうえ』してたんだって」
「強制労働的な?」
「違くね?」
「違くなくね?」
鉢植えをするという言葉はどこか日本語が間違っているように思えるが、玄河が常に正しい言葉を使うわけでもない。
武城は勝手に彼女が言い間違いをしたと思って、『鉢植え』が造園などの何らかの作業だと認識した。
「はちを植えるんだよ」
「何その作業」
鉢は既に埋まっているだろう、と。武城は、埋まっている鉢を更に埋めるのかと思った。
「作業じゃなくて拷問じゃね?」
「は?」
「蜂を身体に植えるんだから」
「は?」
「暴れるし噛みつくし刺すし仲間呼ぶしでえぐいらしいよ」
玄河が腕を動かす。刃物で肉を裂き、そこに生きたまま蜂を入れるような動き。
傷を蜂ごと縛れば、虫の抵抗がそのまま肉体に痛みを与えるのだろう。
一匹で終わるとも思えない。
その上、植えた蜂だけでなく、他所からも蜂が飛んでくるという。
集まる蜂が、肉体を包む。気づけばそいつの身体は蜂に埋め尽くされ、肉体を見ることすらできないだろう。
「えそれコレの犯人にやろうとしたわけ?」
「ちょうどよくね?」
「ちょうどいい」
二人はしみじみ頷いた。
◆◆◆おくずり◆◆◆
綺麗にご飯を食べるのは、時として難しい時がある。
お米が弁当箱にこびりつき、箸で取ろうとしても粘りついて離れない時なんかは特にそうだ。
昼休み、玄河と武城の横の席で、弁当箱の底をガリガリ箸で擦っている少女が居た。
おかっぱ頭の眼鏡の女子。普段は寡黙で目立つことも無い。
彼女の名前は込名メイ。図書委員である。
「あー、ダメじゃねそんなガリガリしちゃ」
「ちょっとエリ」
玄河が机に乳を乗せ、込名の顔を下から覗き込む。
後ろから武城が肩を掴んで、引き剥がそうとするが、吸盤でもあるのかというくらい机に引っ付いて離れない。
「あ、あの、ごめんなさい、迷惑でしたか」
「迷惑とかじゃなくて、お弁当の底そんなにやっちゃダメだって」
「あ、あの、でも、その、お米がこびりついちゃって」
ぷっくり頬を膨らませながら玄河が弁当を指さした。
言ってしまえば余計なお世話。ただのお節介である。
人によっては怒られても仕方ない行為だろうが、玄河は普段からこんななので「ああ、またいつものことか」と周囲からは認識される。
「そういう時は水に浸すと良いよ……食べるのは諦めてね」
助け船代わりに武城がアドバイスをする。彼女は家で、自分の食べた皿は自分で洗うよう教育されている。
込名は手を止め、ジッとお弁当を見る。
引き荒らされた米粒たちの死屍累々。お好み焼きを食べるように、ヘラでも使わなければもう食べられないだろう。
「そうそう、じゃないと『おくずり』になっちゃうからね」
玄河はピッと指を立て、込名に言った。
「は?」
「え?」
当然の反応である。武城だけではなく込名も頭に疑問符を浮かべる。
「おくずり。え、知んない? お椀とかの底をゴリゴリすると、夜中に自分のお腹の中もゴリゴリされちゃうって」
「エリまじやめなって」
いつもの調子で話し始める玄河を武城は止めようとする。
けれど彼女は動かない。裾を引っ張っても微動だにしない。
「そんな、え、じゃあ、わたっ、わたしゴリゴリされちゃうんですか」
「ん。だからもう止めときな。今ならちょっとお腹ぺいぺいで済むから」
「や、やりすぎるとどうなるんですか……」
「えそりゃ破けるんじゃね?」
身体を起こし、玄河はお腹が割けるジェスチャーをする。
同時にシャツのボタンが弾け、彼女の腹が露出された。
振り向くと、武城が申し訳なさそうな顔をしていた。
引き剥がそうと体勢を整え、力いっぱい引っ張ったせいで、玄河のボタンが弾けてしまったのだ。
玄河もすぐにお腹を隠すが、込名は一瞬見えた彼女の腹が網膜に焼き付いてしまった。
お腹まで黒く焼けた彼女の肌。そこに描かれたのは白いタトゥーのような絵。
一瞬しか見えなかったが、それは日焼けを利用して描いたものだと分かった。
込名は俯き顔を抑える。そうでもしなければ鼻血が零れ落ちてしまいそうだった。
◆◆◆前半分◆◆◆
「あっ」
放課後、玄河が道端で指をさす。
「あ、可愛い」
彼女の指先を追って見た先に、犬のぬいぐるみが落ちていた。
まるまるしたキュートな瞳に、舌を出して笑うように開いた口。
子供が落としてしまったのだろうか、少し土で汚れているが、比較的綺麗に保たれている。
「え、マ?」
「なにが?」
「マイタケまじ言ってる?」
「えどゆこと」
玄河が随分と眉をしかめながら武城を見る。ドン引きだ。
理不尽に怪訝な顔を向けられ、さすがに武城もムッとする。
「えなに。なにその顔。なんか文句あんの」
「え別に? マイタケが良いなら良いけど」
「は? なに? 言いたいことあるならハッキリ言ったら?」
「あマジで気づいてない?」
「えなに? だからなに?」
「これ『前半分』だよ」
イライラをぶつけながら武城がキレていると、玄河は納得したようにぬいぐるみのところへ行く。
頭をワシッと掴み、ぬいぐるみの顔が変形したが、そんなことどうでもいい。
持ち上げられた犬のぬいぐるみの身体は、前半分しかなかった。
それだけではなく、断面部分から糸と綿がほつれ落ちている。それらが土と混ざり、まるで本物の内臓が垂れているようにも見えた。
「はっ? うわ、なにこれ、酷っ。誰こんなんすんの。えマジないわ」
「ほんとだよね。いまどき『前半分』するなんてセンスないわ」
「センスとかの問題?」
「マイタケだって昔流行ったファッション好んで着ないでしょ?」
「話が急に変わるじゃん」
内角を抉るようなカーブのごとき話題の展開と思った武城だったが、玄河は表情を変えない。
「これパパが言ってたんだけど」
「パパってエリパパ?」
「エリパパ以外にパパいなくね?」
「念のため」
念のためもクソもないが少しでも話を和らげようと努めた。無駄な努力であると分かっても、武城はどうしてもやってしまう。
「嫌いな人の名前を付けて大切にするんだって」
「ぬいぐるみを? なんで?」
「人形がそれを自分の名前だって思い込むように」
汚いものを見るように、玄河は掴んでいる人形の顔を見た。
「んで、十分大事にしたら、水に沈めたり? 踏みつぶしたり? とにかく意地悪するの」
「意地悪の度を超してね?」
「で最後に二つに裂いちゃう」
「うわ、なんか精神が陰キャじゃんそんなん」
玄河はポイとその場に人形を落とすと、鞄をゴソゴソまさぐった。
「後ろ半分は相手の家に送り付けて、前半分を遠くに捨てんの」
鞄から取り出したのは水だった。ペットボトルに入った天然水。
玄河はキャップを開けると、とぷとぷとぬいぐるみに水をかける。
「前半分は残りの半分を探してその家に行って、自分がされた仕打ちを、自分と同じ名前のやつにするんだって」
「最悪じゃん」
「それな」
「……でそれ、なにしてんの。水? お清め?」
水をかけ終わると、玄河は車や歩行者に踏まれないよう、少し高いところにぬいぐるみを置いた。
「お清めとか無理じゃね」
「えじゃあなに?」
「遠くまで行くみたいじゃん? 水分補給必要でしょ」
「え、応援してんの」
「お邪魔しちゃったからお詫び」
「……止められないの」
「他の人がおっかぶるなら止まんじゃね」
「そっ……かぁ……」
武城はそれ以上言葉が続かなかった。
彼女の言った話が本当かどうかわからない。そもそもそんな呪術めいたことが本当とも思いたくない。
けれど武城が感じた不快感は確かなものであり、そのぬいぐるみと関わり合いになりたいとは思わなかった。
数歩進んで振り返る。武城は息を止めた。
確かにそこに置かれたはずのぬいぐるみの姿は、もうどこにもなかった。
◆◆◆だみいど◆◆◆
夕飯を終え風呂から上がり、ベッドの上で横になりながら、携帯電話で会話する。
だらだらしながら武城は電話口の玄河と取り留めない話を続けていた。
玄河は外にいるのだろうか、先ほどから風の音が止まない。
「なんか風強くね?」
「マ?」
「うっさいもん」
音がどんどん強くなっているため、さすがに無視できなくなった。
「もう部屋入ったら?」
「えずっと部屋じゃん」
「は?」
「え、マイタケが外じゃなくて?」
頭が混乱する。ではこの音はなんだろうか。電波が悪いのだろうか。
シュルルルル、シュルルルルとずっと音が聞こえ続ける。
そのことを玄河に伝えると、彼女は「あ」と声をあげる。
「それ『だみいど』じゃん」
「えなにダミー? ダミー音声? なにそれ新しい機能?」
「えだから『だみいど』だって。へびにへびに井戸?」
「いや知らんし」
へびにへびと言われても何もイメージがわかない。
「蛇の蛇に、干支の巳、んで井戸の井戸」
「分かんないけど分かった」
下手糞な説明だなと思いながらも、それで理解できてしまうものだから不思議な話だ。
ようは『蛇巳井戸』と書くらしい。
「んでそれがなに?」
「え、なんか覗いてるらしいよ?」
「は? ストーカーじゃん」
「マジそれな」
ぞぞぞと背筋に寒気が走り、武城は身震いした。
「次の話を聞いたら覗いてくるんだって」
「何の話?」
「次の話。朝からした話」
「ああ、朝急にした電話? えなに、エリのせいなの?」
急に電話してきて睡眠不足にした上に、何やら変な現象を起こしているとなれば、彼女の怒りも御尤もである。
「だいじょぶ、だいじょぶ、気づかなきゃ何もしないって言うから」
「音に気づいちゃったんだけど?」
「音が聞こえてるのはデフォルトじゃん」
なんなら報告しなければよかったと武城は後悔した。
「次の話って五つセットみたいで? 全部話して、時間までに気づいちゃったら最後の蛇が来るみたいな?」
「来ちゃったじゃん」
「まだ見てるだけじゃん?」
「気づくって、蛇に気づかれたらダメなわけ?」
「え、話聞いた人が気づいたらダメなやつ」
「なにに――」
そこまで言って武城は口を噤む。
それを聞いて、気づいてしまったらダメじゃないかと、武城は自分の愚かさに気づく。
しかし、既に賽は投げられた。武城の問いかけに、玄河が電波の向こう側から返答する。
「いやあたしも知らねし?」
「ダメじゃね?」
「知ってたらあたしがやられてね」
「確かに」
少しだけホッとする武城。何かのヒントを与えられるかと警戒したが、そんなこともなく終わる。
その後の会話も取り留めもなく続き、日付を跨ぐころには蛇の声も聞こえなくなっていた。
通話を終え、部屋の電気も落とす。
布団に入ろうとしたとき、玄河からメッセージが届く。
――今日話したやつ、これね。
連投される話のタイトル。武城はそれを見て『気づいて』しまった。
――次の話
――はちうえ
――おくずり
――前半分
――だみいど




