【裏】7.窓の外
木々の隙間から覗いて来る影。二つの瞳が縦に並ぶ。
この世のものではない。そう直感する。
光あれば影がある。古来より、光と影には明確な境界線があった。
その線を超えてしまえば、相手に呑まれてしまう。だからこそ、人々は光を求め、闇を嫌ってきた。
その結果が現代である。
影は遠くに追いやられ、あらゆる場所に光が満ちる。
幽霊はいない。怪物はいない。怪奇現象も怪異も神さえもこの世から弾き出された。
では、彼らは消えてしまったのだろうか?
その答えは語るまでもない。目の前にいる存在こそが解答。
暗闇はどこにでもある。影は外側だけの話ではない。内側にだって闇はある。
「――」
髪の毛を抜き、思念を込める。肉体の一部であれば爪でもなんでも良い。強い想いが光となって闇を払う。
人の中に潜む闇。人の中に入ろうとする影。人の中に陰を作れば、光から逃れられる。
だからこそ、見つけたならば滅ぼさねばいけない。
「フゥッ」
蒼い炎が怪異を滅ぼす。魂の蒼炎が焼き尽くす。
「マイちゃんたちが来る前に気づけて良かった」
約束の時間まであと少し。近くまで来たと連絡がある。
彼女たちの『御祓い』のために準備をした結界が功を奏した。いつもよりも調子が良い。
その辺の怪異くらいであれば簡単に処理することが出来るが、御祓いの最中に来たら少々面倒である。
今日の目的は取り憑かれた女の子を助けることだ。本当ならばそれだけに集中したい。
【かあいいねえ】
耳元で声がする。
【かあいいねえ】
振り向くことが出来ない。金縛りにあったように身体が動かない。
怪異によるものではない。自身の発する恐怖心が身体を硬直させている。
【かあいいねえ】
冷たい感触が頬と頭に触れる。
よしよしと撫でるように、すりすりと皮膚を伝う冷気。
蒼い炎は目の前でまだ燃えている。ならば別の怪異なのか。それが結界に入ったのに気づけなかったのか。
視界に入る黒い影。腕の形の様にも見える。
蒼い炎に向けて手を伸ばし、ギュッと握ると炎が消えた。
「ハハッ」
渇いた笑いが思わず漏れる。
【かあああいいいいねええええ】
気が付くと、私は横になっていた。蛍光灯の光が瞼を照らす。
そっと目を開くと、どことも知れぬ部屋の中。少し見渡すと、金色の髪が視界に映った。
「あ、弥勒さん気が付いた?」
声のする方を見れば、色白の美少女が座っていた。
「マイちゃん?」
「エリさ、看護師さん呼んできてもらえる?」
「はいはーい」
マイちゃんは金髪の女の子に声をかけると、その女の子は元気よく返事をして部屋を出る。
「ここ、病院?」
「そうっすね」
「……マイちゃん、大丈夫」
「えそれこっちのセリフじゃん?」
確かに病室で横になっているのは自分であるが、私が心配しているのはそういうことではない。
私は、きっとあの怪異に身体を乗っ取られたのだ。
なにがあったかは分からないが、今はあの怪異の気配も感じない。
遊び飽きたのか、朝が来たから逃げ出したのかは分からない。そもそも朝日で打ち倒せるようなものだったかすらも分からない。
今は安全である。私の中にアレの気配はない。けれども、その前は?
私が乗っ取られただろう時間は、彼女と待ち合わせる直前だ。彼女に被害が及びかけた可能性は十分にある。
「なにもなかったなら良いの……」
「弥勒さんぶっ倒れてることを何もないとは言えなくね?」
「心配してくれるのね。ありがとう」
「私どんだけ人の心無いって思われてんの?」
なんだかこれまでの態度と変わっているような気がするが、考えてみれば今までが畏まりすぎていたかもしれない。
彼女は華の女子高生だ。礼儀正しさは美徳ではあるが、自然体で話してくれる方が嬉しいものだ。
彼女がこういった話し方をするのは、リラックスしている証明のはずだ。
なんとなく、自分に対する尊敬や憧れの視線が失われたような気がするが――それも気のせいだろう。きっと。
そもそも、尊敬されるために彼女を助けようとしたわけではない。うん。その通りだ。彼女たちの無事が一番なんだ。
彼女たち――。そういえば、先ほど部屋を出た金髪の少女、どこかで見たような気がする。
「あっ」
「どうしたんすか?」
「さっきの子が玄河さん?」
「顔見えなかった感じ?」
「起きたばかりだったからね」
「そっか。そうっすね。あれが玄河エリっすね」
写真で見たのに気づけなかったのは、彼女に怪異の気配を感じなかったからだ。
マイちゃんから写真を見せてもらったとき、そこにおぞましいものを感じた。
だというのに、直接彼女を見た時、私はそれを感じなかった。
御祓いが出来たわけではないのに、どういうことだろうか。
私の中に入り込んだ怪異もいない。彼女に憑りついていたものも消えた。
さらに言えば、マイちゃん自身も、もう安全なように見えた。
前にあったときに見えた、彼女に纏わりつく悪いものは、もう見えない。
何か奇跡が起きたのだろうか。誰かがひっそり救ってくれたのだろうか。
何があったか分からない。だけどもう安心だろう。
「マイタケー、看護師さん連れて来たよー」
楽しそうに声を弾ませながら玄河エリが入ってきた。
検査や手続き、医師からのお話があるらしい。
付き合わせても悪いので、彼女たちには一度帰宅してもらうことにした。
「けど大丈夫? こんな時間になっちゃって」
「いや別に問題なくね」
「マイタケはそろそろ寝る時間じゃね?」
「なんでだよ」
エリちゃんの言葉にツンケンと返すマイちゃん。嫌そうに言葉を返すわりに、彼女の表情はどこか優しく見えた。
二人は本当に仲良しなんだなと、二人のやり取りからヒシヒシと感じられた。
「じゃ、お大事にー」
扉が音もたてずにスーッとスライドする。閉じるときに強い音が出ないよう設計されているのだろう。
しばらくすると担当の医者らしき人が来た。
「なんだかすみません。こんな時間に」
時計を見ると十一時。
こんな時間でも丁寧に対応してくれるのかと感謝したというのに、看護師ともども疑問を表情に浮かべる。
医療従事者として当然のことだとでも言うのだろうか。それならば尚更感謝をしなければならない。
「え――?」
視線を落とした先、窓から陽光が射し込んでいた。
「あれ?」
窓の外を見ると、青空が広がる。先ほどまで真っ暗だったはずなのに、まるで昼間のように明るい。
「そんな」
立ち上がり、窓に駆け寄り外を見る。間違いなく昼間。
突然夜が昼になった?
なのに誰もそれに疑問を感じていない?
否。否。否。
最初から昼だったのだ。
「大丈夫ですか、御手洗さん」
外を歩く二人の少女。武城マイと玄河エリ。
なんて馬鹿な勘違いをしてしまったのだろうか。
彼女たちが無事? 彼女たちは安心? 心配することはすべてなくなった?
そんなこと、ない。
遠目に見てようやく分かる。彼女たちを包む巨大で強大な怪異の気配。
私はあの気配に包まれていた。陽光さえ遮るほどの恐ろしいほどの陰。
大きすぎて気づけなかったのだ。
こんなに強いものが存在するなんて有り得てはならない。
私を襲った怪異ですら幼稚に思えるほど、アレは手に負えないものである。
私は笑うしかなかった。
私は笑うしかなかった。
私は笑うしかなかった。
「御手洗さん!? 御手洗さん!! 先生――!」
遠くに聞こえる叫び声。私はそれでも笑うことしかできない。私にはもう何もできない。
私は笑うしかなかった。
私は笑うしかなかった。
私は笑うしかなかった。




