6.かげおくび
西に沈む太陽が空に浮かぶ雲を染める。空気の層は青い光を遮り、太陽の赤を残す。
街は太陽に焼かれたように赤々と輝き、光と影の境界がハッキリと区切られる。
女子高生が帰り道に影で遊ぶ。
両手を頭に乗せ、作られた影はまるで瞳だ。
金色の髪は夕陽に反射し宵の明星のように輝いている。
彼女はおろしていた髪を一つに結び直し、影の線がぼやけないようにする。
隣で暇そうにクルクルと日傘を回している黒髪の女子高生は、ヤンキー座りをしながら影で遊ぶ少女を見る。
太陽に煌めきながら影で遊ぶ少女は、さながら風に揺られるダンデライオン。タンポポのような無邪気さに自然と笑みがこぼれる。
金髪の少女がこちらに向いて「おいで」と手を振ってくる。
彼女の呼びかけに応じて、武城マイは重い腰を上げた。
「マツゲェ。ほらマイタケも」
両手を頭の上に乗せ、二人並んで目を作る。手を広げて指を立てれば睫毛が出来た。
「いやナニコレ」
玄河の無邪気な遊びに武城は笑い、彼女と一緒に影で遊ぶ。
今日はバイトも何もない。だから二人はこの時間まで学校の図書室で勉強会をしていた。
自宅で勉強することも多い。
けれど、せっかく学校に居るのだ、分からないことが出たら職員室に突撃できる学校の方が効率が良い。
結局職員室に行くことはなかったが、随分勉強は進んだ。
ふと、武城が気づく。
玄河の影が傾いていた。
玄河を見ると、彼女は身体を斜めに倒し、瞳の影を武城側に傾けていた。
「激おこ」
目じりが吊り上がり、怒ったような目つきの影が出来上がる。
武城も彼女の意図を読み取り、同じように瞳の影を傾ける。
身体を上下に揺らすと、まるで「ぷんぷん」と怒っているように見えた。
今度は玄河が身体を反対側に傾ける。真似して武城も反対側に傾ける。垂れ目の出来上がりだ。
「ぴえん」
「ぴえんぴえん」
「まぢ病み」
頭と腕で作った瞳の影。身体がまるで涙の線に見えてくる。
夕焼けの下、誰かが地面で泣いている。
「マイタケさ、この影瞬きしないで十秒見てみ」
「は?」
「んで、瞬きの瞬間空見んの」
「あーね。小学生のときやったわ」
教科書に乗っていた昔の遊び。影をジッと見つめ、パッと空を見ると、残像がそのまま空に浮かび上がる。
影の残像は色を反転させ、白い姿が空に飛んでいく。
東の空はもう薄暗い。夕陽の橙色と夜の紺色が混ざり、紫色の天上を作る。
泣いた顔が空に浮かぶ。大きな二つの目が彼女たちを見下ろしていた。
「マイタケ、上がった?」
「空から睨まれてる感やばたん」
「マジ愉快じゃね。かげおくび」
「なんて?」
何か聞き間違えたような気がして、武城は問いかける。
「かげおくび」
「影送りじゃなくて?」
「や、だから、影御首、影の首」
「よし、帰ろうか」
◆◆◆影御首◆◆◆
嫌な予感がした武城は道路脇に置いていた鞄を取りに行く。
今日は真っ直ぐ帰る予定なのだから、ここで彼女の話を聞いている場合ではない。
いや、話しながら帰ることもできるが、聞きたくないのが本心だ。
けれど、玄河はその場から動かない。武城を見て微笑んでいるだけだ。
一つに結んでいた髪を解き、ウェーブがかった髪が風になびく。
振り向いた横顔が夕焼けに照らされ、眩い笑顔が煌めいていた。
だが、彼女の後ろに、先ほど空に送った白い影が映っている。
二つの大きな目が、玄河の後ろで涙を流している。
「地面にさ、首が転がってんの」
「なにその世紀末」
風が吹く。綿毛のように揺れる髪に、彼女の顔が隠される。
玄河は金色の髪を纏めながら武城の元へ歩いていく。
二つ結びのツインテール。けれど結んだ位置は耳より低いローツインテール。
「っつっても? 首の影的なサムシングじゃん」
「初耳なんですけど」
地面に首が落ちているというのだから、生首が転がっているのかと、武城は思っていた。
けれど玄河が言ったものは『その影』だけのようだ。
「首の影が地面にくっついてんの」
「それ汚れとかじゃね? シミュラクラ現象じゃね?」
シミュラクラ現象――簡単に言えば三つ点があれば人の顔に見える現象のこと。
関係のないようなものでも類似するものを脳が当て嵌めてしまうパレイドリア効果の一つである。
樹の模様が人の顔に見える、雑音の中に「タスケテ」という声が聞こえるなど、人間は自分の知っている物を当て嵌める傾向がある。
その現象や効果が恐怖と繋がり、心霊写真を始めとする心霊現象と認識されるようになる。
結局のところ、ほとんどの現象は人間の勘違いなのだ。
地面に人の顔の影があったとしても、それは脳が勝手に人の顔だと思っているだけで、偶然その形を取っただけだと、武城は言っているのだ。
武城は、玄河の言う影はシミュラクラ現象であると断言しようとしていた。
「趣味ラクダ現象?」
もちろん玄河はそんな単語を知らない。
「アラブ人かよ」
「鳥取県民かもしんないじゃん」
「鳥取にラクダいてたまるか」
「マイタケ浅学ぅー。鳥取砂丘でラクダ乗り体験できんの知んないの」
「知らんて」
「趣味ラクダなのに?」
趣味がラクダとはいったいどういうことだろうか。
趣味が『馬』だと言えば『競馬』や『乗馬』を指すだろうが、趣味が『ラクダ』ならば『乗ラクダ』を嗜んでいると言うのか。
「シミュラクラ。なんか壁の染みが人の顔に見えたりするやつ」
「あ~、マイタケの部屋にもあるよね、顔の染み」
「初耳なんですけど!?」
毎日帰っている部屋にそんなものがあるとは知らない。
玄河も頻繁に武城の家に来ているが、玄河がそれを指摘したことは一度もない。
突然出てきた情報に武城は混乱した。
「あれ気づかなかった? ちょうどベッドの――」
「影御首ってなんだっけ、首の影がどうしたの」
武城は話を逸らす。どこにあるか知りたくないのだ。
「ベッドの――」まで聞こえてしまったがあとは知らない。
上なのか横なのか下なのか知らなければ見ることも無いはずだ。
今まで気づいていないのだからこれからも気づかないはずだ。武城は自分に言い聞かせる。
「あーね、首の影だけが転がってんの」
「怖いねー、で、終わり? 終わりねオッケー」
「んまあ、だいたい終わりっけど……」
「マ? うっしゃ」
武城は小さくガッツポーズをする。
確かに多少の恐怖を覚えていたが、それでも『影御首』の話自体はそこまで怖くなかった。
話が終われば帰るだけ。武城の足取りが軽くなる。
「マイタケェ~。まだ浮いてる?」
「なにが?」
「影御首」
「は?」
「目の中に映ってない? 首だけの影」
「いやいや、あんな目の残像じゃん、それに――」
残像はとっくに消えている。
それに浮かび上がった影にはちゃんと身体が付いていた。
ティアーズラインのように瞳から降ろされる首から下の影。
確かに武城の上げた影には身体があった。武城の上げた影には……。
「ねえ、最初に影を空に送った時、影送りじゃなくて影御首って言ったよね」
「うん、影御首したからね」
「私たちがしたのは影送りじゃん」
「え、影御首じゃね? 首だけ上がったし?」
「上がってないよ」
「上がったよ。私たちの首だけ空に」
「上がってないって!」
足を止め、武城は力強く叫んだ。
ここのところ、玄河の様子はおかしい。否、玄河自身は変わっていない。変わったのは世界だ。
彼女の話す怪談は、飽くまでただの怪談だった。
中学までは、玄河が所構わず怪談を話してくるが、それ以上のことはない。
精々夜中にトイレに行けなくなったり、夜の道が怖くなって電灯の下まで走らなければ耐えられなくなったくらいだ。
けれど最近は違う。彼女の話した怪談が現実を侵食している。
現実が彼女に怪談を喋らせているのか、喋った怪談が現実に現れていくのかは分からない。
だが、いずれにせよ、武城はもう彼女の話をただの空想だと断じられなくなっていた。
玄河は影御首を見たのだ。
「ねえ、影御首の話って、どうなるの?」
「どーもならないって」
「嘘。その先もあるでしょ」
「ちょっとだけじゃね?」
「ちょっとでも! 言って。ねえ」
玄河の肩を掴み、彼女の目を見て叫ぶ。
少しだけ背の高い玄河。武城は彼女を見上げている。
玄河が静かに微笑んだとき、夕陽はもう地平線の向こうに消えている。
残されたのは隠れた太陽が照らした空の反射だけ。
誰そ彼。誰そ彼。暗がりの向こうに見える貴方はいったい誰なの。
誰そ彼の時間は黄昏時。
昼と夜が交わる刻。生ける者の時間は終わり、闇夜に潜む怪異たちが歩き出す。
逢魔ヶ刻が始まる。
「いいの?」
「いいから」
引き返せないが、引き返すわけにいかないと武城は腹をくくる。
「首だけじゃ困ること多めじゃん?」
「困らないことあり得ないと思うけど」
「だから、影御首は身体を探すの」
自身の手を首に見立て、フワフワと上下させる。
通学路を歩きながら、バレエのステップを踏むようにクルリと回転しながら、玄河は喋る。
「影御首を見たら、建物とか自分の身体全部隠れるようなおっきなの影に隠れるか、陽が沈むとか待たなきゃダメでさ」
沈んだ太陽は影を作らない。ならばもう助かったと言えるのだろうか。
「影御首に捕まると、自分の身体が取られちゃう感じ」
首に見立てた手を自分の頭に当てる玄河。
入れ替わりに反対側の手を頭から離す。
「首が挿げ替わって? 影御首が入れ替わるの」
フワフワと浮かぶように手を揺らし、玄河はそこに幻視する首と見つめ合う。
「だから、入れ替わった人を確認するときって、影を見るのが基本? 的な?」
影はもう見えない。影を見ろと言うが、その影はどこにもない。
不安だけが武城の胸に積もる。
「その人の頭と影が違う形だったら、それ影御首じゃね? って」
「エリ……私たちの首は……?」
「ちょっとー、マイタケさーちゃんと見ろしぃー。首飛んだけど戻ったじゃん」
「あはは。そうだよね。そっか」
笑う玄河。
入れ替わっていないよ。入れ替わっていないよ。そう訴えかけるように武城は自分に暗示する。
そもそも影御首を見ていないのだから、全て彼女の冗談かもしれない。
武城はゆっくり深呼吸をする。
まだ空は明るいが、帰り道は薄暗い。街灯がポツリポツリと明かりを灯す。
影が浮かぶ。
見知らぬ影がそこにある。
玄河の横に並ぶ、小さな人の形の影。
武城の視線に気づいたのか、次の瞬間には小さな影は消えていた。
「どったのマイタケ」
「ううん、大丈夫。大丈夫」
「そっ?」
「このあとウチで良いんだよね」
「いえーい、久々のお泊り会じゃね」
「うん……緊張する」
「マイタケいやらしいこと考えてんの」
「なわけ」
いやらし事は考えていないが、玄河に秘密にしていることはある。
武城は静かに携帯を打つ。
――もうすぐ着きます。よろしくお願いします。




