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婚約破棄された引きこもり魔女ですが、実は天才魔女でした。王宮で無自覚覚醒します!  作者: 兎丸 蓮
第2章 出張捜査編 ―死の予言と、血晶の陰謀―

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第89話 変装令嬢と潜入調査①――少年トマと食えない案内人

 エレナは馬車の車窓の景色に釘付けになった。


 港は活気に満ちている。

 青く澄んだ海面の港には、大きな帆船が停泊し、白い帆が陽光を受けて輝く。


 白い漆喰の壁に赤い屋根、石畳の大通りには露店が並ぶ。

 客の呼び込みに声を張り上げ、商人たちに雇われた日に焼けた男たちの荷揚げ作業の掛け声が響いていた。


「わぁ、朝からみんな元気だね」


「そうだな」


 クロフォードは素っ気なく答え、窓の外を見入るエレナの横顔をまじまじと見つめていた。


「……ちゃんと男の子になったな」


 クロフォードは感心するように、呟いた。


「ふふん、でしょ?」


 エレナは得意顔になる。


 そこにいるのは、いつものアメジストの瞳をしたエレナではない。


 付与魔法のかかった眼鏡がエレナの瞳を灰色に変えた。

 髪もまた魔法で色を抑えられ、亜麻色から、潮風にさらされて少し褪せたようなくすんだ藁色へと変わっている。

 もちろん、色白の肌は化粧で日焼けした装い、頬にはそばかすが散らされている。


 服装も灰色のチュニックに暗い茶色のパンタロン、擦り切れた革靴。

 どこにでもいる港町の貴族の屋敷に仕える小間使いの少年に見える。

 

「肌の色が全然違うな。すげぇ芸が細かい」


 その姿は、クロフォードでさえ一瞬エレナだと気づかないほどだった。


「でしょでしょ? 

 サンティエ夫人お墨付きのメイク上手の侍女が仕上げてくれたんだよ」


「うん、すごい、さすがだな」


 そう言うクロフォードは、濃紺のパンタロンに質素なチュニックを合わせたくだけた格好だ。

 腰には剣帯を締めている。


「なんかね、この姿なら何でもやれそうな気がしてきたの」


「へえ、言ったな」


「うん、言ったよ」


「それじゃあ、初対面の人と話すことはできそうか?」


 意地悪くクロフォードがニヤニヤしながら尋ねた。

 一瞬、エレナは言葉に詰まる。


「た、たぶん。男の子だもん、元気よくいかないと」


「男の子だから元気っていうのは偏見だぜ?」


「そうかもしれないけど……けどけど、なんかいつもの自分とは違う気がするの」


「はいはい、楽しみにしているぜ。

 どれだけ溌剌(はつらつ)な少年エレナに会えるのか」


 クロフォードは、意地悪な笑みを浮かべた。


「むむ、頑張る」


「あはは。お手並み拝見だ。

 んで、どこでガイド役の吟遊詩人と落ち合うんだっけ?」


 クロフォードは正面に座る屈強な体格の案内役兼護衛のコンラートに視線を投げた。

 彼は領主サンティエ邸の騎士である。

 膝丈のブリーチズに黒い長靴を合わせ、領主の腹心らしい重厚な姿で、聡明かつ敏捷そうな男だ。


「橋のところです」


 低い声で端的に言った。


「了解。今日はよろしくな」


 クロフォードは愛想のいい笑顔を向ける。


「こちらこそ。

 お二人の身はこのコンラートが守らせていただきます」


「ああ、期待してるよ。

 コンラートは剣の腕も確かだからな。本当助かったぜ」


 クロフォードの目配せに気づいて、エレナも頷いた。


――魔法は極力使わないこと。

 今朝、クロフォードと取り決めた約束だ。


 今から向かう場所――スラム街。


 あそこは魔力測定器を持っている闇ギルド[夜鴉盟約(よがらすのめいやく)]のアジトだ。

 どこの誰が[夜鴉盟約]なのか分からない。


『魔力石』生成のために、魔力があると分かったら、襲われる可能性がある。

 それは任務の障害になりうるので、なるべく避けたいところ。


 だからこそ、用心棒のコンラートは心強かった。


 さらに、領主のバルトロメ・サンティエ伯爵の伝手つてで、スラム街に詳しいという人物まで紹介してもらえることになった。


 港の中心を抜け、馬車の車輪はまだ滑らかに石畳を転がっていた。

 だが、荒れ果てた郊外に入ると、さらに石畳は砂に覆われ、馬車の車輪が軋む音が耳に響く。


 徐々に、馬車から見える景色が移り変わる。

 例のスラム街近くの橋へと近づくにつれ、さらに様変わりした。


 港の賑わいを背に、石畳はいつしか潮風に削られた無骨な岩肌へ。

 潮風にさらされた壁の漆喰は剥がれ、建屋は崩れかけている。

 屋根の板は打ち直しの跡だらけ。

 やがて舗装も途切れ、乾いた砂埃が舞い上がる。


 街の最果てに横たわる打ち寄せる波が石造りの堤防にぶつかり、低い重低音を響かせる。


「こうやってみると、中心街と郊外じゃあ、全然違うな」


 クロフォードが言った。


「そうですね。

 治安もこの辺はかなり悪いです」


 コンラートの低い声が響いた。

 崩れかけている堤防の石積み。

 誰が捨てたとも知れぬ腐りかけた漁網が打ち捨てられている。


 そして、ようやく見えてきた離島の倉庫群へと続く橋。


 エレナは言葉を失った。


 目に広がったのは、川沿いに果てしなく続くスラムの帯だった。


 橋の下から海へと伸びる濁った流れの堤防に沿って、板切れや布を寄せ集めただけの小屋がびっしりと並んでいる。

 潮が満ちれば川面は膨れ上がり、最も低い場所に建てられた小屋は水に浸かる。

 そこに住む者たちは夜ごと寝床を濡らしながら暮らしているに違いない。


 そこに架かる橋だけは、異様なまでに立派で不釣り合いなほど舗装されていた。

 その手前で、吟遊詩人風情の男がぽつんと立っていた。


「彼です」


 男は、二十代後半か。

 褪せた外套に潮風が絡み、背には擦り切れたリュートを背負っている。


 日に焼けた肌に刻まれた皺。

 まるで笑いと苦労の跡を物語っているようだ。


 彼のすぐそばに馬車が停車した。

 さっそくコンラートが扉を開けて降り立った。


「待たせたな」


「いいえ。今日はよろしくお願いします」


 コンラートが吟遊詩人と何かやり取りし合う。


 ふと、潮風の匂いがエレナの鼻腔を刺激した。


 それは港の中心で感じた香りではない。


 ベタつく潮風に絡むどこか澱んだ磯の異臭。

 魚の腐敗臭。

 糞尿の混じった湿った匂い。

 そして、よくわからない酸っぱい刺激臭。


(森に囲まれた領地の貧困層とは全然違う……)


  嗅いだことのない臭いに顔をしかめ、エレナが馬車から降り立つと、海沿いの太陽は容赦なくぎらつく。


 目を細めた。

 眩しい。


 白い光が砂と水面を照り返す。

 鳥たちが甲高い声で鳴きながら旋回している。


「クロフォード殿。トマ」


 コンラートがクロフォードとエレナを呼んだ。

 トマというのは、今回の少年エレナの偽名である。


「彼が吟遊詩人のジーンです」


「どうぞお見知り置きを」


 ジーンは自分の胸に手を当て、深くお辞儀をした。


「いや、こちらこそよろしく頼む」


 クロフォードとジーンが握手を交わした。


――彼はただの吟遊詩人ではない。

 アイルナバロー連合帝国に仕える国家に認められた吟遊詩人だ。


 いま、この国はジーンのような吟遊詩人が精力的に各地を巡り歩いている。

 というのは、先日の王城テロ犯であるキムバートン率いるマリュード皇国の工作員たちが、街に歪められた歴史を広めていたからだ。


 そこで国が考えた苦肉の策が、吟遊詩人は歌と物語を武器に、その偽りを正し、帝国の人々に真実を伝えるというもの。

 彼らの声は各地に響き渡り、 人々の記憶を少しずつ正しい歴史へと塗り替えていく。


 ジーンがエレナをまっすぐ見た。

 射抜くような視線にエレナは一瞬驚き、思わずクロフォードの後ろに隠れた。


「おいおい、さっそくかよ」


 クロフォードは苦笑した。


「……」


 エレナはジーンから放たれる雰囲気に気圧された。

 言葉が喉に詰まって出てこない。


「悪いね、コイツ、人見知りが激しいんだよ」


「はは、そうですか。

 これでも老若男女に受けが良いはずなんですけどね」


 ジーンは冗談めかして肩をすくめた。


 確かに顔が整っていて、気さくで柔和な物腰だ。優しそうにも見える。

 吟遊詩人によくある澄んだ声は人々の心を虜にするだろう。

 けど、なんだかこの人、単なる吟遊詩人じゃない気がする。


 なぜそう思うのかは分からない。

 ただ、心臓がどきんどきんと鳴って冷や汗が噴き出してくる。


「トマくんでしたっけ? 

 どうぞお見知りおきくださいね」


 にっこりジーンは人懐っこい笑顔を浮かべた。

 少年エレナ、もとい、トマはぎくりとしながらも、恐る恐る小さくお辞儀をした。


「では、さっそく……」


 ジーンが先へ進もうとする。


「ちょっと待ってくれ」


 クロフォードがそれを制した。


「確認したいことがいくつかある。

 あんたは何度もこのスラム街を出入りしているということだが、闇ギルドの話を耳にしたことはあったか?」


「ええ。そりゃあもう、毎日」


「え?」


 さらりと言うジーンに三人はぎょっとした。


「あれですよね? [夜鴉盟約]のことを言ってますよね?」


「ああ、それ」


 ふっとジーンは、奇妙な笑みを浮かべた。


「ここで生きていくには、彼らを避けて通れないですよ。

 彼らにみかじめ料を支払わないと海の中で寝泊まりすることになりますからね。

 ほら、あそこ」


 ジーンが指差すところは、さっきエレナが気になった海面すれすれの小屋。


「いまは引き潮なのでまだいいんですが、満潮になれば完全に沈みます。

 彼らにみかじめ料が支払えなければ、そして逆らえば、『死』あるのみですよ」


「ん? みかじめ料ってなんだ?」


 クロフォードが怪訝そうに顔をしかめた。


「ここに住むための料金です。

 このスラム街は彼らが占拠し支配をしていますから賃貸料を支払うシステムなんだそうですよ」


「いや、だが、そもそも彼らは不法占拠だ」


 思わずコンラートが口を挟む。


「そこで賃借料が発生するのはおかしな話だ」


 ジーンはあっけらかんと言う。


「はい、そうですよ。

 彼らは土地価格ではなく、その上に建っている上物建屋の金額を取っているんです。

 それって違反じゃないですよね?」


「はあ? こんなすぐ壊れそうな小屋にカネを払うのか?」


「ええ。そうです。

 ふふ、世間から見たらおかしな話ですよね? 

 でも、ここの領主は何も言わないし、何もしない。

 だから、彼らがいい気になって徴収してるんですよ」


「え?」


 三人は目を丸くする。

 ジーンは含みのある笑顔を浮かべた。


「領主様は、自衛警察団に彼らを取り締まるよう指示もしていない。

 いや、それどころか、領主直轄のリオナーレ自衛警察団は率先して彼らと手を組み、犯罪者を見逃している」


 口調こそ柔らかだが、その目は領主関係者としてやって来た三人を非難めいていた。

 戸惑う三人を尻目に、ジーンは含みを持った笑みを浮かべる。


「おや? そんなことも知りませんでした? 

 じゃあ、これはご存知でしょうか? 


 彼らに逆らい、『スラム街反対だ』と彼らと闘おうとした地元権力者たち。

 自衛警察団上層部は罪をでっち上げ、投獄されました。

 彼ら、牢獄で生きているといいんですが」


 ジーンは皮肉を込めて言葉を切った。


「まさか……」


 コンラートの声が震えていた。


「もちろん、そのことに領主は全然気づいていませんよ」


 三人は気まずそうに目配せをした。


「やっぱり、そうだったか」


 クロフォードが小さく悔しそうに呟く。


「領主には自分たちの都合のいい事実だけを報告し、自衛警察団上層部が[夜鴉盟約]に属する犯罪者を見逃し、[夜鴉盟約]にとって都合の悪い者を逮捕して投獄。やっぱり冤罪が発生していたのか」


「おや、領主殿の使者が気づいたということは、ようやく領主もこの現状をご認識いただけたのですね?」


「ああ。近々そういう人たちは解放されるはずだ。

 なあ、領主がここを取り締まったら、少しは変わるかな……」


「う~ん、それは、どうでしょう。

 少しはよくなるかもしれません。

 でも、見た目が悪いからといって、ここにいる彼らを追い出すだけでしょ? 

 そうなったら結局彼らを場所を変え、自分たちの街を作り、やがてそこに新たな闇ギルドが発足しますよ」


「じゃあ、どうしろと……」


 食い下がろうとするクロフォードをコンラートが制した。


 コンラートが周囲を警戒するように見回す。

 数人の質素な服を着た男たちが橋の周囲でうろついている。

 こっちの様子を窺っているようだ。


「クロフォード殿。時間は限られています」


「……ああ、そうだったな」


 クロフォードは苦渋を滲ませ、顔を歪ませた。


 ジーンが体を翻そうとした。


「なあ、あとひとつ、教えてくれ。

 あんたは『魔力石』を知っているか?」


 改まった声でクロフォードが質問をした。

 ジーンの足が止まった。


「はい、ここに住む彼らの財源です」


「財源?」


「働けない者は自分の血を差し出すんです。

 一日一本、細い瓶の血液を。それだけでその日のパンが買えます。

 そこに魔力があれば、なお価値は高い。

 パンにハムとチーズが挟めます」


「誰に売るんだ?」


「販売屋。要はなんでも買取屋です」


「そこで、血を抜くのか?」


「はい。そこでしか買ってくれません。

 けど、そこがどこなのか、余所者の僕には彼らはまだ話してくれません」


「ふうん、そいつが[夜鴉盟約]と繋がっているわけか。

 ここに[夜鴉盟約]のボスもいるよな?」


「質問が増えてますよ」


 ひんやりとする声音。

 ジーンの口元は笑っているのに、目は一切笑っていない。

 その眼光の奥の光にエレナは慄く。


「答えくれ」


 ジーンは肩をすくめ、口元に人差し指を立てた。


「知っていても言えません」


「は?」


「言ったら、ここで活動している僕は殺されます。

 ですから、僕はあくまでもヒントを出すだけです」


 ジーンは老若男女問わず蕩けそうな柔らかな笑みを浮かべた。

 だが、エレナは、何故かその笑みにゾッとした。


「さぁ、行きましょう」


 このジーンは、なかなか食えない男のようだ。


 エレナはじっとジーンの後ろ姿を見つめる。

 なんだろう、この人。

 敵意とまでいかないけれど、何か探られているような目。


 三人はジーンの後をのろのろ歩いて進んだ。

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