第86話 内気令嬢と夜の淵の痛み――嵐の前触れの咆哮
サンティエ伯爵邸にエレナとクロフォードが戻ると、広間は昼間のように明るく照らされていた。
「おかえり、クロフォード!」
その光の中で待っていたのは、淡いピンクのシルクのネグリジェに身を包んだフレデリカだった。
「お嬢様!」
付き添いの侍女に咎められる。
未婚の令嬢が殿方にその姿を見せることは、はしたないことだ。
それなのに、彼女は気にする素振りを見せない。
裾には繊細なレースが揺れる。
彼女はためらいもなくネグリジェ姿をさらけ出す。
薔薇色に頬を染める彼女は、まるで舞踏会のドレスのような華やかさを放っていた。
そして、駆け寄ってクロフォードに飛びつくように抱きついた。
惜しげもなく豊満な胸をクロフォードの胸板に押し付けた。
「クロフォード、おかえりなさいってばぁ」
「はいはい。ただいま。
……っていうか離れろよ」
クロフォードは適当に相槌を打ちつつ、抱きついてきたフレデリカをぐっと引き離した。
「嫌よ。せっかくディナーを用意したのに。
全然帰って来ないんだもの」
フレデリカは頬を膨らませ、可愛く拗ねてみせた。
「伯父貴に夕食はいらないって手紙魔法を出しておいただろ?」
「だからよ。
どっかで食べてきたんでしょ?」
クロフォードの外套をつかんで、その匂いをフレデリカはくんくんと嗅いだ。
「リッカに関係ないだろ?」
クロフォードは外套を引っ張り戻した。
「ズルい!」
「は? ズルい?
俺に夕飯を食うなっていうのかよ」
「違うわよ!
何で二人でご飯食べてるの?
あたしを誘ってくれても良かったんじゃないの?」
「あのさ、何、勘違いしてんだよ。
遊びに来てねぇんだよ、俺たち。
そもそも、エレナと俺は一つの任務に対して、協力体制にある同僚同士。
当然、打ち合わせを兼ねて食事だって共にする」
「だったら、あたしが協力するわ」
「はい? 何を?」
「あたしはここの領主の娘よ。
この街に詳しいの。
余所者の同僚よりもあたしがいた方が情報がすぐ集まるわ」
クロフォードはこめかみを抑え込んだ。
「いい加減にしてくれよ、リッカ。
何か勘違いしてないか?」
「え?」
「俺たちが相手にしてるのは、この厳重な護衛の目をかいくぐって屋敷に忍び込むような悪党だぞ。
単なる令嬢が首を突っ込んでくんな」
「単なる令嬢じゃないわ。
あたしだって魔法が使えるし、港に時々現れるクラーケンを追い払っているわ」
すごいでしょ、と言わんばかりにフレデリカは勝気に微笑んだ。
「は? 追い払うだけだろう?」
「そうよ。
それで十分でしょ?」
はぁ、とクロフォードから盛大なため息が漏れる。
「……お前さ、俺たちの仕事、馬鹿にしてる?」
すっとその声が普段よりも低くなる。
まるで地の底から響くほど。
その眼には怒りが滲み出ている。
「してないわよ。
だからこうして助け舟を出そうとしているのよ」
フレデリカは、クロフォードの怒りの魔力放出に気づかないのか、あっけらかんと言い放つ。
(この子、度胸があるのか、それとも単なる怖い者知らずなのか……)
傍にいるエレナの方が、肝を冷やした。
なにせ制御されているはずの魔力が、クロフォードから放出されているからだ。
「助け舟?
笑わせるな」
案の定、クロフォードがますます嫌悪感を滲ませ、フレデリカを冷ややかに一瞥した。
冷淡なクロフォードの眼差しは、周囲の従者たちを怯えさせた。
「クラーケンを討伐できるほどの魔法しか使えないくせに」
怒りを押し殺すように、声は低く沈み、周囲の空気まで重くした。
「失礼ね。
あたし、これでもれっきとした中級魔法使いよ」
フレデリカはまったく怯む様子はなく、むしろムキになって身を乗り出した。
「あ? 中級?
そんな中途半端、邪魔者以外何者でもない」
クロフォードはぴしゃりと言い捨てた。
フレデリカは、ますます負けまいと顔を真っ赤にする。
「邪魔って、未来の妻に対してそれはないんじゃないの?」
「はぁぁぁ?」
「そこの魔女っ子さんと一緒に仲良くご飯食べるくらいなら、今度はちゃんとあたしも誘ってよ。
有益な情報を提供するわ」
フレデリカはクロフォードに詰め寄って、得意気に胸を張った。
クロフォードは呆れ果てた様子で、こめかみを指で揉んだ。
「マジでいい加減にしてくれよ。
エレナはリッカと立場が違うんだよ」
「立場が違う?
そうよね、あたしはクロフォードのお嫁さん候補。
彼女は単なる同僚だもの」
フレデリカは、意地悪い顔でエレナをチラッと見た。
意思の強い黄金色の瞳だと思った。
そして、その目にはエレナへの優越感が滲み出ていた。
エレナは身体のどこかが冷たくなっていくのを感じた。
「あのさぁ、お前、自分が言っている意味、ちゃんと分かってんのか?」
「もちろん。だって、あたしね、クロフォードともう一度婚約する気、満々よ」
そのとき、奇妙な緊張感が走った。
エレナはクロフォードが激高するのが分かった。
そして、フレデリカは、エレナを真っ直ぐ射抜く。
「だから、邪魔しないでね。
魔女っ子女官さん」
エレナは絶句し、クロフォードが眉をひそめた。
指先がひんやりとして震えた。
「あっ……」
唇が震える。
でも、何か言わないと、言い返さないと。
そう思うのに、喉が焼け付くように乾き、言葉の破片さえも張り付いて剥がれない。
彼女の台詞には、一片の曇りもない。
どれほど他人の心を切り裂くかなど想像もしていない――悪気のない無垢な瞳。
「だ、大丈夫です」
ようやく出た声はそれだった。
「わ、わたしは、その、お仕事のためにここにいるだけですから」
エレナは、何か言いたげなクロフォードから、否、距離感の近い二人からさっと視線を逸らした。
そう、わたしはただの魔法省の女官だ。
任務のために呼ばれただけ。
「ほら、クロフォード。
彼女だってそう言っているんだし、ね?」
上機嫌でフレデリカはクロフォードの腕に手を絡め、あの鮮やかな瞳で顔を覗き見た。
「なにが、『ね?』だよ。
ふざけんなっ」
クロフォードはフレデリカから離れようとするが、フレデリカが離さない。
フレデリカはチラチラと勝ち誇った笑みをエレナに向ける。
そのとき、エレナは腑に落ちた。
どうして初めて彼女と会ったときから、彼女の瞳を見ると心がざわつくのか。
ようやくその理由が分かった。
彼女が向けてくる視線に込められたもの、それは、明確な敵意だからだ。
そして、フレデリカは容赦なくエレナに見せつけ、問答無用で劣等感を植え付けてくる。
それはエレナにない彼女の自尊心の高さといえばいいのか、鮮やかな令嬢としての可憐な輝きであり、エレナに言いようのない不安と焦りを駆り立てる。
「だーかーらー、俺は誰とも結婚しないんだよ。
何度言ったら分かるんだ?」
「もう、恥ずかしがり屋さんね。そんなこと言って。
気を持たせるのが上手なんだから」
「は? どういう解釈でそうなる?
マジで意味不明。ウザすぎ」
じゃれ合う二人の、クロフォードはそんなんじゃないんだろうが、エレナには仲睦まじく映る。
転がした鈴のようなフレデリカの笑い声は、エレナには苦痛だった。
思わず耳を覆いたくなって、ローブのフードの両端を引っ張って二人に背を向けた。
胸のどこかで自分でも驚くほどの焦燥感が込み上げ、そして、ガタガタと怯える。
コミュ症で人見知り、店の女将との会話にもビビっている臆病者の自分とは対照的だ。
愛らしく、ぽんぽんと言葉がでてくる、あどけなさの残る、頬を薔薇色に染めた可憐な少女。
痛いよ、いたい。
胸が壊れそうなほど苦しくて、すごく痛いよ。
積極的に好きな人に「好き」と言えるフレデリカの全身から漲る自信。
溌剌とする彼女に――わたしは、妬んでいる。
――羨ましい。
あれだけ胸を張って、クロフォードのことを「好き」と言えたら……。
(何でだろう。
すごく苦しくて泣きそう……)
クロフォードは、誰とも結婚しないとフレデリカにも宣言している。
安堵する反面、それは、もちろん、彼女ともしないし、エレナともしない、ということ。
当たり前だ。
クロフォードは兄弟子だけど、本当にすごい魔法使いなんだから。
この国に二十四人しかいない王宮魔術師で、なおかつ、天才と呼ばれるほどのすごい人。
その人の生涯を共にする女性に、わたしなんかが選ばれるはずがない。
けど、選ばれたかった――。
勝手に期待して、勝手に失望している。
しょせんは、わたしもクロフォードに憧れ、フレデリカのように好いているというわけだ。
――俺の婚約者になってくれないか?
ランスの真剣な深緑の静謐を秘めた双眸と真剣な声が聞こえてきた。
好きだよ、エレナ。
その声に答えられなかった自分。
それなのに、その声にすがりたくて仕方がない。
あの優しい人のところで、安心してうずくまっていたい。
ランスに握られた温もりを思い出す。
「あー、胸糞悪い。
せっかくうまいメシを食ったのに」
不機嫌な声を出したクロフォードは、乱暴にフレデリカの腕を振り払い、広間の中央階段でコツコツと靴音を立てて二階に上がる。
「ハンスさん、俺の部屋は、いつもの客間?」
途中、クロフォードは初老の執事であるハンスに尋ねた。
クロフォードとフレデリカのやり取りをあたふたと見ていたハンスは慌てる。
「ええ、その通りです」
「ちょっとクロフォード!」
フレデリカが呼び止めるものの、クロフォードは振り返らない。
一瞬だけ、クロフォードがエレナを見た気がした。
気のせい、かしら。
追いかけて階段を昇ろうとするフレデリカを流石に侍女が止めた。
「お嬢様、もうお休みしましょう。そもそもそのような格好で殿方の前に出るものじゃありません」
「殿方って……別にクロフォードはあたしの婚約者になる人よ。
いいじゃない」
侍女の苦言をフレデリカは適当にあしらい、エレナに彼女はキッと睨みつけ、真っ直ぐ向き合う。
「あたし、負けないから」
宣言するフレデリカに、不意を突かれてエレナは咄嗟に言葉に詰まってしまった。
胸の奥で言葉が凍りつき、喉から声が出ない。
その迫力に押し潰されるように、ただ立ち尽くすしかなかった。
「いい加減にしなさい!」
その時、女性の凛然とした声が広間に響いた。
声のした方を見れば、一階の奥から一人の女性が歩み寄ってくるところだった。
彼女の面差しが、フレデリカとなんとなく似ている。恐らく、彼女がサンティエ伯爵夫人なのだろう。
「フレデリカ、あなたはサンティエ家の令嬢ですよ」
姿勢のいい彼女はフレデリカの前まで歩き進む。
「 あなたが他人様にお見せするその姿が家の名誉を映し出すのです。
なんですか、その恰好は。
ヴァービナス侯爵のエレナ嬢の前ですよ?
それに、クロフォードは従兄とは言え客人です」
声は穏やかだったが、その瞳には冷たい光が宿っていた。
フレデリカは、視線を逸らして不貞腐れたような表情を浮かべた。
夫人は優雅に扇を広げ、淡々とフレデリカに言い続けた。
「クロフォードとあなたが婚約することはありません。
大概にしなさい。
あなたは、隣領地のマティアス・アルヴェール伯爵子息と婚約することはほぼ確定しています。
身の程を知りなさい」
「いやです!」
フレデリカは毅然と言い返す。
「あたしはクロフォード以外の殿方に触れられたくありません」
夫人は、眉をひそめ、大きくため息をついた。
「だったら、いますぐこの家を去りなさい」
「え?」
フレデリカは唖然とした。
「あなたのそれは子どもの癇癪にすぎません。
貴族令嬢として家のために嫁ぐのは当然のこと」
夫人の眼光は鋭い。
「領民たちの血税で生活をしている限り、令嬢の役目は、彼らの生活がよりよくなるよう他家に嫁ぎ、安寧と繁栄を築くことです」
「そうですけど……」
フレデリカは口を尖らした。
「好き嫌いの問題ではありません。
マティアスはあなたをとても大切にしてくれるでしょ?」
「ですが……」
「まったく……あなたはマティアスの何が不足なんです?」
「顔! クロフォードの方がカッコいいもの。
それに体格!
だって魔物みたいに大きい体してるんだもの。怖いわ」
「あなたはねぇ……」
夫人が額を押さえ、眉をひそめた。
そう、貴族令嬢たるもの、家のために家が繁栄する貴族の家に嫁ぐのが役目だ。
夫人の台詞は、言われているフレデリカよりも、エレナの胸に深く突き刺さっていた。
破壊された何かの破片が、エレナの中でがちゃがちゃ音を立てる。
再び、真剣な眼差しでプロポーズをするランスの顔が脳裏を横切った。
「こらこら、客人の前だぞ」
遠巻きで母子喧嘩を見守っていたバルトロメが、さすがにこれは、と思ったのかよく通る声で咎めた。
ちらっとバルトロメがエレナに視線を投げて、すまなさそうな顔をした。
自分たちより格上の侯爵家の令嬢エレナがいることで、ばつが悪いと思ったのだろう。
夫人は、ハッとし、口を噤んで恥ずかしそうにもじもじした。
つい加熱してしまったことを恥じているようだ。
だが、それも一瞬のことで、すぐさま立て直して、エレナに挨拶をする。
「申し訳ございません。ご挨拶もせず。
初めまして、エレナ・ヴァービナス嬢。
わたくし、ジュリエット・サンティエと申します」
「初めまして。エレナ・ヴァービナスでございます。
ジュリエット・サンティエ夫人。
わたしもご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした」
エレナは慌てて、夫人の前にカーテシーを披露する。
やはりローブでカーテシーをするのは慣れない。
「まあ、なんて美しい所作」
夫人は歓声を上げた。
「さすが、マンスル夫人のお孫さん」
マンスルとはエレナの祖母の名である。
「なんて姿勢の良いカーテシーかしら。
フレデリカ、ヴァービナス嬢を見習いなさい」
サンティエ夫人は、皮肉まじりにフレデリカを一瞥した。
フレデリカは露骨にむっとした。
さらに険悪になりそうな親子の空気を察し、エレナはすかさずお礼を口にする。
「サンティエ夫人、この度は宿泊できるお部屋をご用意いただき、ありがとうございます」
「いいえ、とんでもない」
「せっかく食事を用意してくださったのにも関わらず、急遽仕事が入り、食べることができず誠に申し訳ございませんでした」
「そんなこと気になさらないで。
事情は主人から聞いておりますわ。
遅くまでお勤め、お疲れ様でした」
夫人の隣にやって来たバルトロメに視線を投げ、夫人は微笑む。
「クロフォードからの手紙魔法で知りました。犯人は逃亡したとか」
バルトロメが言った。
「はい。そのことに関して、本当に力不足で……わたしがもっと早く駆けつけていれば、状況は変わっていたかもしれませんのに」
エレナはしゅんと肩を落とした。
「悪いのは俺だ」
クロフォードが二階の手摺に手をかけて声を出した。
その声が玄関広間に響く。
「俺の力不足だ」
クロフォードは手摺を乗り越え、飛行魔法でエレナの隣に降り立った。
「勢いよく飛び出したものの、面目ない。
あそこまで素早いとは思わなかったよ」
「いやいや、二人ともそんなことはないよ。
むしろ、あんな突発な出来事に早急に対応してくれて本当にありがとう」
バルトロメはにっこり微笑んだ。
エレナはクロフォードをちらっと見、クロフォードもエレナを見、互いに犯人を確保できなかったことに罪悪感を抱く。
そのふたりの交わす視線にフレデリカは憤慨した。
彼女のエレナに向ける視線が鋭くなる。
それを察知したエレナは、一瞬だけ肩を震わす。すごい睨まれている、そんな気がする。あえて、エレナはそっちを振り向かず、それとなく背を向ける。
「それで、その、伯爵様。折り入ってお耳に入れておきたいことがあります。
少しお時間を頂けないでしょうか?」
エレナはおどおどしながらも尋ねた。
「ええ、それはもちろん。こちらもお聞きしたいと思っておりました」
「できれば、その、夫人にも。領地運用に関わることですので。
お人払いをしていただきたいのですが。
よろしいでしょうか?」
エレナは含蓄ある眼差しを夫人に向けた。
「わかりましたわ」
「あたしは?」
間髪入れず、フレデリカが満面の笑顔で間に入って来た。
「ねえ、いいでしょ?
いずれ、あたしだって領地経営に関わるんだもの」
ぐいぐいフレデリカは強引に進み出る。
エレナは、躊躇い、そして不快感が苛立ちに変わった。
クロフォードに詰め寄る熱心さや強引な態度。
どうしても彼女を否定的に見てしまう。
けど、この苛立ちは、どこか別のところにある、そんな気がする。
何故、わたしが彼女を苦手だと思うのかしら。
敵意を向けられたから?
クロフォードともう一度婚約したいと彼女が望んだから?
違う。令嬢として後先を考えない行動と、自分の能力を過信しているところ。
それに嫌悪している。
天真爛漫といえば聞こえはいいけど、なんとなく彼女は危うい。
それがとても苦手だと思ったんだ。
いまからエレナが領主夫妻に話したいことは、ここの自衛警察団の上層部が、闇ギルドの[夜鴉盟約]と繋がっていたことだ。
これは、領地運営にとって由々しき問題である。
闇ギルドと公的組織が繋がるということは、街の秩序そのものが腐敗するということになるからだ。
法の名を掲げながら不正を正当化し、罪なき者を裁き、闇の者を庇う。
それは領民の生活を根底から脅かし、誰も安心して暮らせなくなる。
領主の娘のフレデリカの耳にも入れておくのが一番いいんだろうけど。
(不安しかない……)
エレナの友達は、同期のローゼルしかいない。
ローゼルは賢いから、その辺りの背景をあえて言葉にしなくてもなんとなく察してくれる。
それはきっとローゼル自身も兄と領地運用を少し経験しているからだろう。
きっとローゼルなら事の重大さにいち早く気づけるはずだ。
けれど、フレデリカはこの事態の深刻さは理解しようとしない気がする。
本人は真剣なのかもしれないけれど、どこか物見遊山的な他人事として捉えている。
(それどころか、自分は領主の娘だから協力する、なんて豪語して足を引っ張られそうな感じがする……)
クロフォードが口癖のように、彼女に「面倒臭い」と言うのはこういうことか。
現にクロフォードを盗み見ると、あからさまに「面倒だぁ、もうお前は部屋にこもって寝てろよぉ……」と辟易した表情を露わにし、目でそれを強く訴えている気がする。
エレナも、すがりつくようなフレデリカの視線を少々うっとおしく思い始めてしまっている。
これはどうしたものか。
エレナは意地悪ではないけど、彼女を外してほしいという意思を込めて夫妻に目配せした。
「フレデリカ、お前に必要だと判断したら、私から改めて話そう」
バルトロメがエレナの視線に気づき、フレデリカに向き合って言った。
「えー、なんでよ?
あたしだってれっきとした領主の娘よ。
知る権利はあるはずよ。
ひょっとしたら、お手伝いできるかもしれないでしょう?」
案の定、得意気に彼女は微笑む。
あぁ、やっぱり。これは、絶対彼女には関わらせてはいけない。
トラブルしか呼ばない気がする。
「そうね。フレデリカ、あなたは知る権利を主張する前に、まず義務を果たしなさい。
そもそも、そんな格好で客人の前に出ていることが問題なんですよ」
言い返すフレデリカを夫人がぴしゃりと言った。
「さっ、フレデリカは部屋に戻りなさい」
バルトロメはフレデリカ付きの侍女に顎をしゃくって指示を出す。
侍女はフレデリカにそっと寄り添う。
「お嬢様。お部屋に戻りましょう」
フレデリカは納得してないような顔つきだったが、渋々部屋に向かう。
名残惜しそうに何度もこちらを振り向く。
「では、ヴァービナス女官。
こちらへ」
執事のハンスが声を掛けてきた。
「はい、恐れ入ります」
夫人が先に部屋に向かう。
広間にはまだ夫人の声の余韻が漂い、誰も軽々しく口を開けなかった。
その後ろを歩こうとするエレナは、ふと背中が凍りつくのを感じた。
刺すような視線。
鋭いのに、ねっとりとした憎悪を帯びていて、身の毛がよだつようだった。
思わず、体をかがめ、反射的に振り向いた。
けれど、殺気は消えた。
「どうされましたか?」
ハンスが怪訝そうにする。
「いえ、なんでもありません」
エレナは曖昧に微笑んだ。




