第77話 困惑令嬢と思いもよらぬ告白②――プロポーズは突然に
「ごめんね、まさかディナーまで手配してもらっちゃって」
素敵なディナーを目の前にして、エレナは思わず声を上げた。
時間が遅くなってきたので、ランスに誘われるがまま、ディナーにお呼ばれすることになったのはいいが、想定外すぎる高級ディナー。
気軽な気持ちだったのに、馬車が到着した先は王都でも名高い最高級レストランだった。
外観は白亜の石造りに金細工が施され、夜になると魔道具の光が壁面を淡く照らし、建物全体が星々のように瞬いていた。
扉をくぐると、天井は高く吹き抜けになっており、魔法で浮かぶ光の花弁がゆっくりと舞い降りてくる。
床には水晶のタイルが敷き詰められ、歩くたびに淡い光が足元から広がり、まるで空を歩いているかのような錯覚を覚える。
そして食事の合間には、魔道具を駆使して花火の幻影を見せるというイベントを毎日開催することが有名なお店。
ローゼルと「いつか二人で何かのお祝いの時に行きたいよね」なんて、将来の女子会を検討していたところだ。
確か、中流階級以上の若者がお目当ての女性をデートに誘い、一世一代のプロポーズをする場所としても有名な店で、婚約中だったエレナは烏滸がましくもニコライに、いつかここでちゃんとプロポーズをしてもらえるものだと密かに期待をしていた。
今思い返すと、なんと浅はかで世間知らず、頭の中は完全にお花畑だったのか。
恥ずかしさと屈辱、自己嫌悪が込み上げる。
エレナは、ランスの完璧すぎるエスコートで、豪華な個室に案内された。
紳士的でエレガント。
まるで大切な恋人をエスコートするような、甘やかな熱をランスから感じた。
ランスはエレナと目が合うたび、かすかに頬を赤く染め、柔らかく微笑む。
(まさかね……)
エレナはふと、横切る思いがあったけれども、それをすぐに打ち消した。
目の前の食事と花火を心ゆくまで楽しむことにした。
食事は美味しくて、楽しかった。
ランスのおしゃべりは軽快で、内容もとてもエレナの興味を惹くものばかりで、何度も心の底から笑った。
気兼ねなくおしゃべりし合える友人に、美味しい食事。
そして、極め付けは、幻影とは思えないほど臨場感溢れる色とりどりの名物の花火。
エレナはますます大興奮で、感動した。
まさに有頂天というもので、すっかりランスに寛いでいた。
なんという贅沢な空間なのかしら。
「どう? 素敵じゃない?」
ランスがすっと肩を寄せてエレナの顔を覗き込んだ。
相変わらず嫌な感じや圧迫感はない、自然な仕草だ。
「うん、とても素敵ね」
はにかむようにランスが微笑む。
そんな、ふとした瞬間に笑い合えるランスのバランス感覚の良さが好ましい。
こんなにキレイな顔をしているのに気取った感じも神経質なところがまるでなく、押し付けがましくない。
なにより、ふたりで一緒に過ごしても不思議と緊張しない。
男性でここまで気を許せるのは、クロフォード入れて二人目だ。
ランスが当然のように、引っ込み思案の自分を気にかけてくれて、なんだかんだ同期男性陣とうまくやれるように世話を焼いてくれているのは知っていた。
それはたぶん、女姉妹の多い彼が、臆病な自分を見捨てておけなくて面倒みてくれているだけなのだろう。
けれど、そう分かっていても、嬉しくもあり――そして、ここまで気にかけてくれるのが少々心苦しかった。
「ランス、連れてきてくれてありがとう」
エレナはふわふわとした夢見心地で、屈託のない満面の笑顔を浮かべた。
ランスは一瞬だけ、目を大きく見開いて、視線を花火に戻した。
「喜んでくれて嬉しいよ」
ほんのりランスの顔が赤く染まった気がした。
また一瞬だけ、さっき打ち消した思いが横切る。
そんなわけはない、深く考えすぎ。……気にすることはない。
エレナは目の前の花火とワインを堪能することに集中した。
「エレナ、このあと少し、付き合って貰えるかな?」
ディナー終盤のデザートを迎える頃、柔らかな笑みを浮かべたランスがそう声を掛けた。
「いいけど……」
(なんだろう?)
エレナは首を捻る。
ランスは不思議そうにするエレナに、ふと笑みを零した。
「とても綺麗な場所なんだ。期待してて」
「そんなこと言うと、本当に期待しちゃうよ?」
「うん。とびっきりの場所を見つけたんだ」
***
エレナとランスが乗った馬車は、王都の中心から少し離れた小高い丘に広がるその公園に到着した。
そこはまさに憩いの場でありながら、夜になるとその姿は変わる。
馬車から降りて、丘の頂に立てば、眼下には王都の明かりが宝石のように瞬き、遠くまで広がる夜景が一望できた。
空を仰げば、星々が澄んだ輝きを放ち、街の光と天の光が溶け合うように重なり合っている。
「キレイだね!」
エレナははしゃぐような声を出した。
「喜んでくれて良かったよ」
ランスは口角を上げてそう言ってみせるが、内心はとても微妙そうだった。
なにせ、ランスの言う『とびっきりの場所』は、たくさんの平民の男女のカップルだらけだったからだ。
池のほとりには透明な水面が広がり、恋人たちは寄り添い、囁き合い、抱きしめ合う。
時には人目を気にせず濃厚な口づけを交わしている。
エレナは知らなかったが、この公園は「王都で最もロマンチックな場所」として知られ、祝祭や記念日には必ず人々が集うらしい。
若者たちにとっては憧れのデートスポットであり、婚約の誓いを立てる舞台としても選ばれる特別な空間だった。
「誤算だったな。
静かな穴場だと思っていたんだが……予想を超える大人気だったな」
ランスから苦笑が漏れた。
「みんなのとびっきりの場所だったね」
「ははは、まあね」
乾いた笑いをして、ランスは困惑したように頭を掻く。
こんな予定ではなかったと言わんばかりの表情である。
無理もない、昨今の若者は積極的だ。
カップルでも恋人でも婚約者でもないエレナとランスには、少々目に毒な行為が多々見受けられる。
はっきり言えば、居心地がとても悪い。目のやり場に困る。
とはいえ、この目の前に広がる風景はとても美しくて、周囲の熱々行為度外視で目を奪われるほどだ。
一見の価値はある。
「やっぱり馬車に戻ろうか」
エレナよりもランスの方が先に気まずくなって、提案した。
「うん、いいよ。
でも、……本当に、すごくキレイ」
エレナはもう一度だけ夜景に視線を投げた。
「ランス、本当に本当に連れてきてくれて、ありがとう。
素敵な夜の思い出になったよ!」
そのとき、ランスの目がまた見開いて、ぐっと苦しそうな顔つきになった。
「ランス?」
エレナはランスの顔を覗き込んだ。
なんだろう、急に気分が悪くなったかな?
「エレナ」
ふとランスが真剣な眼差しになる。
「なに?」
ランスの深緑色の眼光の奥が光った。
「俺の婚約者になってくれないか?」
「え?」
聞き間違いではないかと、エレナは一瞬我が耳を疑った。
夜風が二人の間をすり抜け、星々が瞬く中でランスの声だけが鮮明に響いた。
ランスはポケットから銀色の掌サイズの薄い箱を取り出し、箱を開けた。
宝石を散りばめた銀の櫛だ。
ローゼルと王都のセレクトショップで見たデザインとブランドで、王都でも名高い職人が丹精込めて仕立てている高級品だ。
蔦や花を模した繊細な彫刻が流れるように刻まれ、散りばめられた宝石は、光を受けて煌めき、王都の夜景をそのまま閉じ込めたかのような輝きを放つ。
「これ……」
エレナの声は震えていた。
流行に疎いエレナでも知っている、巷で加熱している恋愛歌劇に登場する『未来を梳く誓い』の銀の櫛だ。
――男性が愛する女性の髪を梳くたびに、二人の絆が整えられる。
そんな伝承が物語上に込められ、そこから、婚約の贈り物として特別な意味を持つようになっていた。
その影響で、銀の櫛は現在、大人気で入手困難、高級品がさらに希少価値で跳ね上がり、注文してもいまや三年半待ちと聞く。
「ずっと何かをエレナに贈りたくて。エレナなら、これ、絶対似合うと思ったんだ。
アクセサリーとかでもいいかな、と最初は思ってたけど、それはちゃんとエレナとふたりで選びたいから。
ほら、これならエレナの亜麻色の髪に似合うだろ?」
ランスが照れくさそうにエレナの髪を一房手に取って、優しく梳く。
その手付きは優しくて、胸の内が甘酸っぱく弾け、鼓動がむやみに速まる。
銀の光と宝石の煌めきが重なり合う、美しい櫛だ。
夜空の下でも美しく見えるのだから、明るいところで見たらさぞかしキレイだろう。
「これを贈る意味、ランスは知ってるの?」
もし知らなかったら大惨事だ。
ランスの正式な婚約者が怒ってしまうではないか。
決して気安く貰っていいものではない。
エレナの頭の中では、櫛の衝撃が大きすぎて、ランスからのプロポーズの言葉がすっかり抜け落ちていた。
「ああ、もちろん知っているよ」
ランスは、そっとエレナの瞳を覗き込んだ。
「だから、これを贈ることに決めたんだ」
エレナはランスの瞳に吸い込まれそうな錯覚に陥った。
ふと、僅かにランスの指先が震えていることに気づいた。
ランス、ひょっとして緊張してる?
そう思ったら、いつもなんでもスマートにこなすランスが愛らしく思えた。
けれど。
脳裏には、クロフォードの顔が横切る。
エレナは眉をひそめ、俯く。
ランスの気持ちは嬉しい。
けど、違う。
(ごめんなさい……)
ランスに応えられない。
「あ、あのね……」
エレナは言葉を紡ごうとする。
でも、胸がつかえて息が詰まってしまう。
エレナが言葉を探す間もなく、ランスが遮るように言う。
「返事はいつでもいいから」
「ただ、今は俺の気持ちを知っていて欲しかったし、何があっても俺はエレナを見ているってことを知って欲しかったんだ」
ランスは梳くのを止めて、そっとエレナの手に取って櫛を握らす。
「好きだよ、エレナ」
ランスの声が響く。
「たぶん……初めての同期会から、ずっと気になってた。
エレナが婚約破棄になって間もなかったから落ち着くまで待ってたんだ。それに……」
ランスが言葉を濁して、押し黙った。
「それに?」
気づいたら、エレナは先を促していた。
「うちの両親が、ヴァービナス侯爵家に俺とエレナの婚約の打診をしたんだ」
「え? うそ……」
なにも聞いてない。
家族からそんな連絡はもらっていない。いつも何気ない挨拶と元気だよ、と取り留めのないことを知らせるだけだったし、両親もこっちは変わりないよ、と兄の結婚準備に追われる日々の連絡しか来ない。
「うん。それが、そのう……」
ランスは言いにくそうに視線を泳がせた。
「実は、ハウルデュース家からも婚約の打診がいっているらしくて……」
「えっ、え……ちょっと待って。
ハウルデュースってレイノルドの?」
エレナの頭の中にスキンヘッドの公爵のニッと白い歯を見せて笑う笑顔が思い浮かんだ。
確かに、以前、冗談めかして「レイノルドの嫁にどうだ」なんて言っていたけど。
ガハハ! 儂を甘く見るなよ!
そんな高らかな笑い声が聞こえてきそうだ。
(あの公爵、前は正式じゃないとか言っていたくせに……!)
ランスは苦笑を浮かべる。
「エレナの祖母である元侯爵夫人は、公爵家との婚約に乗り気だったみたいだよ」
「でしょうね……」
エレナはうんざりするような面持ちになる。
格上の、しかも軍部最高指揮官、総帥の息子であれば、祖母は舞い上がるだろう。
「けど、侯爵自身が、『エレナからこの人がいい』と紹介されるまで結婚話は保留するとおっしゃられたんだ」
「えっ、お父様が……?」
ふと、王都に発つ前の、エレナの背中を優しく押してくれた父の笑顔が浮かんだ。
「侯爵は、エレナの気持ちを尊重したいっておっしゃられてね。
俺もそれは賛成だし、無理強いする気はない。
公爵家は『返事を半年以内には欲しい』という要望を出したらしいけど、俺は、いつでもいいから――」
ランスがエレナを真っ直ぐ射抜くように見つめた。
「そんな、いつでもって……ひょっとしたら、ランスのど真ん中タイプの女性が現れて、心奪われるかもしれないんだよ? それなのに……」
エレナは視線を泳がせた。
不意に不安が押し寄せた。
ニコライみたいに突然他の女性と懇ろになるかもしれない。
わたしをまた罵るかもしれない、
お前が悪いんだ、
お前が不細工で何も努力しなかったから、こうなったんだ、って。
不安が恐怖と重なって混ざり合い、少しずつ心の隅に滲み出る。
ガタガタと体が震える。
そっとランスがエレナの手を包み込むように握った。
「あのね、エレナ。
俺はエレナの元婚約者じゃないよ」
ランスの声にハッとした。
相変わらず涼やかでキレイな顔がそこにある。
なぜだろう、なんだか泣きそうな気分になった。
温かな手の温もり。
変なの、同じ男の子でもニコライと全然違う。
威圧感がない。差し迫る恐怖心も湧いてこない。
ふとした瞬間に意識させられる体格差。
大きな体や腕に浮かぶ静脈、首や肩の線は男の人そのものだ。
クロフォードも中性的な美を持っているのに、よく見るとやっぱり男性なのだ。
どうして男の子はこんなに体の作りが違うのか。
「それに、ちゃんとした貴族なら、そんな気軽に婚約したい相手のことを裏切らないよ。
俺はエレナを裏切ることはないから」
ランスは夜風に靡くエレナの前髪をそっと撫でる。
「ただ俺がエレナのことが好きで――本当は、今日もエレナを独り占めしたくて仕方なかった」
ランスの眼差しはびっくりするほど熱を孕んでいて、エレナは全身がカッと熱くなった。
「返事を急かすつもりはないよ」
たじろぐエレナを見つめたランスが、ふんわり優しく微笑んだ。
途端にエレナは、ざわざわと急に落ち着かない気分になる。
心地よいはずのランスの柔らかな視線がたちまちくすぐったいような、なんとも言い難い気恥ずかしさを増長する。
「でも、俺、大人しく待つことはできなさそうだ。
どうにかして、こっちに向いてもらいたい。
だから――何もしないって意味じゃないから。
エレナがその気になってくれるまで、俺はエレナを口説き続ける」
まったく何の躊躇なく、ランスは言い切った。
それからエレナを臆面もなく熱っぽく見つめている。
「その気って……そんな……」
エレナは顔が熱を帯びて、真っ赤になるのを感じた。
ランスが不意に顔を下に向けたと思ったら、包み込んだエレナの手の甲にキスをした。
飛び上がるほどエレナは驚き、ますます体中が火を炙られたように火照った。
「エレナはすごい魔法使いだ。
俺はエレナの隣に立っても恥ずかしくないよう、爵位ももらえるくらいのすごい官僚になるから。
絶対にエレナに相応しい男になるよ」
その揺るぎない口調と眼光に、強い決意を感じた。
「そ、そんなことない。
ラ、ランスはもうすごい人だよ。
ちゃんとお仕事してて……わたしには」
もったいない。
そう言おうとしたら、ランスの指がエレナの唇に触れた。
「まだ決めつけないでくれ。
同期としてでなく、男として俺を見て欲しい。
俺にエレナを口説ける時間をくれないか」
真っ直ぐすぎるその双眸に、エレナは思わず頷いてしまった。




