第75話【番外編】新人令嬢の特訓――発声練習と秘密の晩餐会
「あ、あえいう、えおあお」
――これはまだ新人研修を同期みんなで受けている時の、入省間もないときのお話。
まだエレナが魔法省の空気に慣れていない、春先のこと。
本日の新人研修が終わった研修ホールで、エレナは発声練習をしていた。
エレナの発声練習を同期のみんながじっと見つめる。
「発音は悪くないんだよなぁ」
ネイトがぼそっと言った。
「だよね、むしろ、ちゃんと腹筋使ってて、誰よりもしっかりしてる」
ローゼルは神妙に頷いた。
「いい声してるよな、エレナって」
ランスが恍惚とした表情を浮かべた。
「確かに。
声楽のソプラノに適した声だよね」
モレーノも同意する。
「不思議だよね、これだけ発声練習は出来るのに、いざとなったら、どもっちゃうんだよ」
ホキアンがもったいないと言わんばかりに、首を振る。
「まったくだ。
やはり、人がダメなのか」
レイノルドの瞳は真剣だ。
エレナは一般教養の研修担当男爵から、毎回挨拶と口上を述べる話し方について不合格を突きつけられる。
だからこうして同期みんなが特訓に付き合っているわけだが、どうにもこうにも、どもる話し方が改善されない。
とりあえず、同期一人一人と対面で話すことは場数も相まって慣れたようだ。
だが、やはり、極度の人見知りとあがり症が発動し、初対面の人とは、なかなか会話が成立しない。
根気よく相手が傾聴してくれればなんとかなるものの、それではスピード重視の官僚生活は務まらない。
発声は侯爵令嬢としての教育の賜物で、完璧。
さて、どうしたものかと、みんな頭を抱える。
「とりあえず、腹減ったし、メシ、食いに行く?」
ネイトが痺れを切らし、みんなに声をかけた。
「え、でも、エレナの特訓が……」
ローゼルが言い淀んだ。
エレナはみんなの大切な時間を奪ってしまった自分に辟易し、泣きそうな気分になった。
そこにネイトはみんなに言い聞かせるように言う。
「だから、場数を踏ませるんだ。これからの飯屋の注文係はエレナだ。
そうしたら、嫌でも初対面の店員としゃべらないといけなくなるだろう?」
はっとして、みんなの目が輝いた。
「それ、名案!」
ローゼルの目が輝いた。
「だな、いつも男性陣で注文頼むからあれだったけど、うん、俺も賛成だ」
ランスは大きく頷いた。
「じゃあ、ちょっと趣向を変えて大陸のさらに東の島国の料理店に行ってみる?
タコとかイカを生で食べたりするんだよ」
モレーノが提案した。
それにはみんな、ギョッとして驚いた。
なにせ、この辺りの周辺諸国では、タコやイカは骨のない気味の悪い悪魔の生き物として認識されているからだ。
「うげぇ、あんなの、食べられるのかよ」
最初に声を上げたのはネイトだった。
「僕もそういうゲテモノはお断りだな」
ふだん文句を言わないホキアンが苦言を呈した。
「え、わたし、食べてみたいかも……」
人見知り、あがり症で引っ込み思案。
だけど、好奇心は旺盛。
エレナがぼそっと興味を示す。
「俺も食べてみたい。魔物肉とどう違うのか気になる」
レイノルドは即座に反応した。
「俺も。今後の後学のためにも、経験しておきたいな。
そういう他国の文化に触れるのは外交官として欠かせない」
ランスがここぞとばかりに、エレナに同意し始めた。
もはやそうなっては、ローゼルも引き下がれない。
最近、レイノルドとランスがエレナに話しかけてばかりで、エレナを独占できていない。
「はい! 私、新しい味にチャレンジしたい!」
そう手を挙げて主張した。
「ゲ、マジかよ」
ネイトは慌てた。
隙あらばローゼルにお近づきになりたいと考えていたからこそ、ローゼルが行くなら行くしかない。
「んー、分かったよ。
俺も新しいネタ探しで行くよ」
渋々といった様子で、前言撤回した。
「え、みんな、行くのかい?」
ホキアンは置いてきぼりをくらったような寂しい気持ちに陥る。
個人行動は好きだけど、こういう時は貴族同士の付き合い、断るわけにはいかない。
「僕もやっぱり行くよ。
みんなで食べれば怖くない、ってね」
ホキアンは頭をぽりぽりかいた。
*
それは不思議な三階建ての四角い造りの建造物だった。
壁がなにせ漆黒の壁に覆われ、夜の闇と溶け合っている木造建築なのだ。
そこに、赤いランタン、提灯というらしいんだが、華やぐように店先を照らし、揺れる光が黒壁に艶やかな模様を描き出す。
金箔を散らした看板が煌めいていた。
まるで闇の中に浮かぶ宮殿のようだ。
黒の建造物が提灯で映えて、むしろ華やかに見えるから不思議だ。
「すごーい」
暖簾という布が垂れ下がる出入り口をくぐると、そこはもはや別世界。
店内に足を踏み入れると、小さな橋が架かる池が広がり、赤や白金、中には金色の魚、錦鯉というのが優雅に泳いでいた。
水面に灯籠の光が揺れる。
「なんか夢の中に迷い込んだみたいだね」
ローゼルが無邪気に声を出した。
吹き抜けで三階まである建屋は格子窓から柔らかな光を漏らす。
「いらっしゃいませ!」
見たことない艶やかな柄の衣装に身を包んだ女性たちが出迎える。
着物、という名前の衣装なんだそうだ。
ローゼルとエレナは、興味深くその着物に見入った。
彩豊かな朱色の光沢がある布に、刺繍で色とりどりの花や蝶など刺繍がしてあり、太めの帯というベルトみたいな厚手の布で腰を巻いている。
「きれいだね」
「うん、初めて見る民族衣装だけど、柄の細かさが際立っているよね」
「二人とも、ほら、着物に見惚れてないで靴を脱いで」
モレーノが段差のあるところで声を掛けた。
見ると男性陣は店員に言われるがまま、ブーツや軍靴を脱ぎ、一段上がった床続きのところにすでに立っていた。
エレナとローゼルも慌てて靴を脱いで一段上がる。
案内される部屋までの廊下は、お客さんの陽気な声が聞こえ、活気づいていた。
「変なの、靴を脱ぐなんて」
「本当だね、まさに異世界だよ」
店内の橋を渡り、鯉をまじまじと眺めながら、エレナとローゼルは、はしゃいで店員に案内された個室にみんなと入った。
そして、そこには畳という草で器用に編み込まれた床が広がっていた。
テーブルは低卓で漆塗り、縁には細やかな金細工が施され、祭壇のような荘厳さを漂わせている。
座る場所には椅子ではなく、座布団というものが、一人一個置いてある。
「なんだこりゃ」
ネイトが素っ頓狂な声を上げた。
「ね、面白いよね?」
モレーノが慣れた様子で座布団の上に胡座をかいて座った。
みんなもそれにならって、座布団の上に座る。
座布団は思いのほかふかふかで、座り心地が良かった。
足元から畳の草の香りが立ち上がる。壁際には格子障子が並び、その向こうには池の水面がちらりと覗き、灯籠の光が反射して揺れていた。
天井から吊るされたランタンは赤や橙の絹で覆われ、柔らかな光を放つ。
「じゃあ、まずお酒は米という穀物を発酵させた冷酒を飲んでみようか。
これがエールやワインと全然違って美味しいんだよ」
モレーノは、みんなが目を丸くしている間に、得意げにどんどんメニューを決めていく。
「なんか、変な感じだな」
慣れないとばかりにレイノルドが頬をぽりぽり掻く。
「本当だな」
ランスは興味深そうにメニューの冊子を眺めた。
「じゃあ、エレナ、注文してみよう!」
モレーノが突如エレナに話を振り、店員を呼び込む。
「え、え、ちょっと待って!」
ニコニコと微笑みながら、若い女性店員がエレナに近寄る。
「え、え、え、えっと、レ、レ、『レイシュ』一本と、グラスを人数分ください。
あ、あと、この、『サシミ』?の『もり、あわせ』?と、ん? 『枝豆』。
ア、アア『アゲダシ』と、『とうふ』? ぎ、『ギンナン』?」
聞いたことも見たこともないメニューばかりをモレーノが選び、エレナに頼むよう指示するので、エレナは人見知りとかそういった領域を越えて、読み上げるだけで必死になる。
なんとか注文を言い終えたあとは、どっと疲れが押し寄せた。
「言えたじゃん、初めての人にも」
モレーノは満足そうに笑うが、そういう問題じゃない。
ちゃんと言えているか、正しく注文できたか、それが不安だ。
「モレーノ、これじゃあエレナの練習にならないぞ。
俺もこんな知らない品名ばかりで、読み上げるだけで精一杯だ」
レイノルドが指摘するものの、モレーノはどこ風吹いた様子で、ニコニコ笑う。
「まあまあ。とりあえず腹ごしらえをしようよ。
みんな驚くよ」
意味深に言うモレーノの予言どおり、みんな出てきた品々に目を剥いた。
冷酒は美しい模様の入った色のついたグラスとともに運ばれてきた。
「乾杯!」
ひんやりとした液体が舌に触れた瞬間、思った以上に柔らかな甘みが広がった。
けれど、すぐに柔らかな旨味が広がり、心地よい余韻に変わる。
冷酒は格別な甘みのある味わいに舌鼓を打つ。
「なんだ、これ。すごく美味い!」
ランスの目がカッと見開いた。
「うん、これ、今までにないお酒だよ!」
大の酒好きローゼルの瞳がキラキラ輝いた。
「すごいな、これ。
最初は冷たい水のようにすっと入るけど、独特な甘みが舌に残って、後味にほんのり苦みが追いかけてくる。
その対比が不思議だよ」
ワインの味にうるさいホキアンが絶賛した。
そして、刺身の盛り合わせが運ばれて来た。
「な、なんだ、これ」
初めて見たお造りにみんな騒然とした。
漆塗りの大皿の中央には、堂々と魚の頭が据えられていた。
鋭い眼差しを残したまま、氷の上に鎮座するその頭を中心に、深紅の切り身、乳白色の身、透き通るような薄造りが花のように広がり、まるで舞台衣装のような華やかさを放っていた。
魚の頭の口元には小さな花が飾られ、エラのあたりからは氷の粒が煌めき、光を反射してまるで宝石のようだ。
周囲には大葉や花びらの多い菊という花が彩りを添える。
「すごい、魚の頭を芸術的に装飾品に仕上げてる」
ホキアンが驚愕の声を上げ、それにエレナも無言で同意して何度も頷く。
「これ、全部生の魚? なんかキラキラしててキレイだよ。宝石みたい」
ローゼルはうっとりとする。
「これはこれは、想像以上の斜め上のものが出て来たぞ」
ネイトは顎に手を当て、じっくり観察した。
「モレーノ、このワサビという香辛料をこの小皿に入ってる黒いソースに混ぜるのか?」
不器用に箸という棒切れ二本を持ちながら、レイノルドが尋ねた。
「そうそう、ワサビはほんの少しでいいからね。
調子に乗ってたくさん混ぜると鼻にツーンと来て泣けてきちゃうから」
「またまたあ、大袈裟な」
ネイトがワサビを少し箸に取り、単体で舐めた。
「!」
今まで感じたことない鼻を突き抜ける未知の刺激にネイトは悶絶し、顔を左手で覆い、しばらくの間言葉を失う。
「ほら、言わんこちゃない」
モレーノが苦笑して、ネイトに緑色の緑茶という苦味と渋みのあるお茶を差し出すと、ネイトは一気に飲み干す。
「なんだ、これ! 得体の知れない刺激があったぞ!」
「ああ、美味しい」
ワサビの刺激に苦しむネイトを尻目に、ホキアンがさらりと呟いた。
「うん、これは美味い」
ランスも頷く。
二人はさっそく刺身の切り身にワサビ醤油をつけ、食べていた。
「ね? そうでしょう?」
まるで自分が作ったように自慢げにモレーノが微笑んだ。
エレナとローゼルも互いに目配せし、ホキアンやランスの真似をして食べた。
「うん、これ、美味しいね」
「タコはどれ?」
赤身の刺身に味をしめたエレナが手を伸ばした。
「これだよ」
モレーノがタコの切り身を見せ、口に運ぶ。
「うん、このコリコリの食感、たまらないね」
美味しそうに食べるその姿に、みんな、ごくりと唾を飲み込んだ。
次の瞬間、みんながこぞってタコを食べたのはいうまでもない。
結局のところ、エレナの練習になったのかさておき、新たな和食という未知なる味を知り、同期の結束は今まで以上に固く結ばれた夜になったのだ。
*
「はあ? タコとイカを食べた? あんなゲテモノを?」
マインラート邸へ戻り、エレナが遊びに来ていたクロフォードに話すと、想像通りの反応が返って来た。
「でもね、本当、美味しかったんだよ」
「エビは食べたことあって美味いのは知ってたけど、タコやイカが美味いって、あり得ないだろ」
「じゃあ今度食べに行こうよ。
『レイシュ』も『アゲダシ豆腐』も唐揚げも茶碗蒸しも『ミソスープ』も全部美味しかったんだから!」
「あー、分かった分かった。
どうせなら、マインラート様も誘おうぜ。
あの人、結構なゲテモノ好きで蜂の幼虫とか芋虫も食べたことあるらしいぜ」
「え、虫⁉︎」
「そう、なかなか肉にありつけない厳しい地では、体を維持するために食用とするらしい」
「うわぁ、世の中はわたしの知らないことがまだまだたくさんあるのね」
エレナは真剣に頷いた。
こうしてマインラート邸のその日の夜は更けて行き、翌日エレナは再び口上を述べる試験で不合格を突きつけられるのであった。
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