第74話 平穏令嬢の愛しき日常への魔法――星降る予言と新たな決意(後編)
弦楽の調べはますます華やぎ、誰もが今宵の主役であるかのように着飾り、夢のような時間に身を委ねている。
淡い水色のドレスを翻すエレナと、彼女を熱心に見つめるランス。
二人が手を取り合い、音楽の渦へと溶け込んでいく。
ローゼルはワインを片手に、華やかに装ったエレナと凛々しく着飾ったランスのダンスを遠目で見守った。
「ふふ、なんだかんだお似合いじゃない」
ローゼルは思わず微笑んだ。
エレナは、美人だ。
普段フードから時折見せるアメジストの瞳と白い肌、亜麻色の髪、そこからかなりの美女だと想像できた。
城下町の買い物のときに見せたその素顔は、ローゼルの想像を凌駕し、思わず息を呑んだほどだ。
本人は自信なさそうにしているけれど、人の美醜にそこまでこだわらないローゼルでも分かる。
とんでもない美貌の持ち主。
特に口元のホクロは色っぽくてセクシー。
「幼児体型だ」と婚約者のレオーネ・ウルームから会うたびに馬鹿にされているローゼルには、すごく羨ましかった。
今宵だって彼女の淡い水色のドレスは、胸元から裾へと白銀の小花が散りばめられ、可憐さと清楚さが溶け合っている。
光を受けるたびに花々がきらめき、亜麻色の髪とアメジストの瞳をいっそう引き立てていた。
「あぁあ、レイノルド、残念。
先を越されたな」
ローゼルの隣にいたネイトが、ニヤニヤしながら声を上げた。
「なあ、どうするんだよ」
ネイトは口の端を意地悪く吊り上げて、踊る二人を唖然と見つめるレイノルドを肘を突っつく。
レイノルドは無言で拗ねるような表情をした。
ふだんポーカーフェイスのレイノルドが、あからさまに不機嫌さを露わにする。
「ふふ」
ローゼルは笑いが込みあげてきた。
(超~モテ期到来じゃないの、エレナ)
エレナ本人は全然気づいていないだろうけど。
朴念仁のレイノルドが淡い恋心をエレナに抱いていることには、入省時からみんな気づいていた。
そして、ランスがエレナに好意を寄せているのも同期の中では周知の事実。
だからこそ、レイノルドは自分の行動力のなさに、いや、ランスの要領の良さやスマートにエスコートする姿に嫉妬している。
「いいじゃない、次、ダンスを申し込めば」
ローゼルはあえて明るい声を出した。
「ね?」
ローゼルは自分よりも一回り以上も大きいレイノルドを覗き込んだ。
彼は、やや不安そうにしながらも、おずおずと頷いた。
朴訥で真面目かつ誠実、
品行方正、
武官の父親の息子らしく多少融通の利かない猪突猛進さ。
軍部上層部の書記官としても優秀だと有名。
けれど、恋愛が絡むとまったく動けない。
巨体なわりに恋愛音痴どころか、まるっきり全然駄目なタイプだ。
そんな彼が、器用でお喋り上手、社交馴れしている気品たっぷりのランスに勝つには、相当な鍛錬が必要だろう。
(でもね、こればかりは真っ向勝負じゃないんだよね)
ローゼルは女の勘というものか、薄々気づいていた。
エレナは、たぶんだけど、その二人以外の――別の男性に恋をしている。
かといって、率直にエレナに訊いたところで、秘密主義のエレナは絶対に教えてくれない。
さらに頑なになって、お買い物とかお茶とかしにくい関係になってしまうだろう。
それは断じて避けたい。
けど、これも女の勘。――その相手は魔法使いのような気がする。
エレナの膨大な魔法知識と能力、それに対等についていけるすごい魔法使いの男性。
レイノルドは魔力もあるし、魔法だってそれなりに使える。
けど、繊細な魔術式を描くような魔法は苦手だろう。
ランスだって、そもそもそこまで強い魔法使いじゃない。
「ねえ、ローゼルはもう踊らないのかい?」
ホキアンがローゼルに尋ねた。
ローゼルはハッとして、一瞬視線を広間の中央に泳がせた。
しばらくしてから、肩をすくめて、適当に相槌を打ってはぐらかす。
「う~ん、やめとく。ホキアンこそ、誰かと踊らないの?」
逆に、質問し返す。
「まあ、俺はそのうちね。
ローゼルこそ、本当にいいの?
せっかくオシャレしてきたのに。
なんだかもったいないよ?」
「うん、私はいいの。
壁の花でいたいお年頃なの」
「なんだよ、それ」
ネイトが吹き出した。
「乙女にはそういう繊細な時があるの」
もっともらしく言うローゼルに、ネイトとホキアンは顔を見合わせて、肩を揺らして笑った。
「好き好んで壁の花になる令嬢は初めて聞いたよ」
「俺もだ。ほら、ローゼルの婚約者は、女をとっかえひっかえでダンスしまくっているぞ。
しかも、頬にキスとか婚約者の前であり得ないことばかりしてるし。
もう少しローゼルも弾けてもいいんじゃないのか?」
ネイトが口元に笑みを浮かべながらも、やや不満そうに声を上げた。
「いいの。
それが私の婚約者レオーネ・ウルームなのよ」
ローゼルの声は冷ややかで、醒めきっていた。
そう、レオーネ・ウルームとの婚約は、すべて家のため。
お互いに恋愛感情はない。
そう、自分で強く思い込もうとすればするほど、最近虚しく思えてならない。
胸の奥では冷たい孤独が広がる。
ネイトとホキアンはなんとなく口を噤んだ。
気まずくなったのを察知したローゼルは慌てて言い繕う。
「ほら、私って悪名高き令嬢で名高いでしょ?
こういうとき、レオーネ以外とダンスするとまた何を言われるか分からないのよ。
レオーネにも迷惑かけたくないし、お互いの家のためこうやって私が壁の花をやっているのが一番よ」
ローゼルは肩をすくめて、微笑む。
その笑顔がなんだか痛切で、哀しかった。
「あのなぁ、んなもん、気にするなよ」
ネイトは面倒臭そうに言って、ローゼルの目の前に立つ。
「この際、女官としてうまくいっていることを見せつけるべきだって」
ネイトが手を差し出した。
「ほら、踊ろう。ローゼル」
ローゼルは手を取るのを躊躇った。
いいんだろうか? 私が踊っても――。
ちらっと婚約者の動きを見る。
曲が終わって、彼はまた違う令嬢のところにダンスを申し込みに行った。
――私は彼に選ばれない。
分かっていたのに、胸が苦しくなる。
「ローゼル」
その時、エレナとランスがこっちに歩み寄ってきた。
「エレナ」
ローゼルは、満面の笑顔で迎え入れた。
「二曲連続のダンス、お疲れ様。すごく二人ともキレイで……」
ローゼルはちらっと不貞腐れているレイノルドを見る。
ここは『お似合いだった』と言わない方がいいかな。そう判断する。
「素敵だったよ!」
「えへへ、ランスのリードがとても上手だったの」
エレナが嬉しそうにランスを見上げた。
ランスはその視線を受け、嬉しそうにはにかんだ。
「いや、エレナのステップが想像以上にうまくてさ、全然疲れないんだよ」
ランスは満更でもない様子でエレナに微笑んだ。
エレナに向けるランスの眼差しはとても熱い。
歓喜と興奮を孕んでいる。
(う~ん、レイノルドには悪いけれど、このまま付き合っちゃえばいいのでは?)
ローゼルは胸の奥で思わずそう願ってしまった。
「エレナ、何か冷たい飲み物でも飲む?
さすがに立て続けに踊ると体が熱くなるよな。
俺、冷えた白ワインを貰ってこようと思うんだけど」
ランスがエレナの顔を覗き込む。
まあ、なんてきめ細やかな気遣い!
ローゼルは心の中でランスの紳士的な優しさに驚く。
「うん、欲しいかも」
ドレスを纏った美しいエレナは、ランスに屈託のない笑顔を向けた。
(あぁ、そこでその笑顔見せちゃう!?
もう確実にランスの心にその笑顔は刺さってるはずよ)
そばで二人のやり取りを見ていたローゼルの胸が高鳴る。
小説は事実より奇なり、というがまさにこれぞ、大衆恋愛小説よりも盛り上がる展開なのでは!?
「じゃあ、取りに行ってくるね。待ってて」
ランスが恥じらいを含む笑みを浮かべて、颯爽とワインを取りに行く。
「ランス、ありがとう」
軽い足取りでランスは、エレナに軽く手を振って、ドリンクを取りに喧騒の中に入って行った。
うぬぬぬ……と唸るレイノルド。
ローゼルは好奇心と興奮を滲ませ、チラチラと目の前で繰り広げられる三角関係をニタニタしながら眺めた。
「おい、ローゼル。
俺たちも踊りに行こうぜ」
ネイトが小さい子どものようにさらにねだって、手を突き出すように伸ばした。
「え~、でも……」
ローゼルが言い淀んだ。チラチラと婚約者の動向を確認する。
けど、彼はローゼルの思いとは裏腹に、ダンスをする令嬢の頬に軽く口づけをする。
ローゼルはまたしても鈍い胸の痛みを感じた。
分かってはいたけど、やはりショックだ。
「いいじゃん、行って来たら?
ファーストダンスは婚約者の彼と踊ったんでしょ?」
エレナが気軽にローゼルに声をかけた。
「まあね、一応は」
ファーストダンスは夫婦かパートナー、もしくは婚約者で踊ると決まっている。
だからレオーネと踊るのは、慣例。
そのあとは誰と踊っても特に問題はない。
(けどなぁ……)
ローゼルはその手を取るか真剣に悩んだ。
「ほら、ローゼル」
ぐいっとネイトが意地になって、手を差し伸べ続ける。
ネイトはいかにも生来の育ちの良さが滲み出ている。
誰かに後ろ指を指されることのない、人好きのする美しさがある。
それに婚約者のレオーネ・ウルームとも仲がいい。
少しくらい踊っても、怒ってこないよね?
「じゃあ、ちょっとだけだよ」
ローゼルはそっとネイトの手を取った。
その瞬間、ネイトがにこっとあどけない笑顔を見せた。
ローゼルは、一瞬目を見開き、「この人懐っこい笑顔には敵わないな」と心の中で苦笑する。
*
ランスの気遣いに、エレナは胸が温かくなるのを感じた。
研究室に籠っているときには決して味わえない、ふわふわする浮遊感。
元婚約者ニコライに冷たくあしらわれた時と全然違う――人に大切にされる感覚。
戸惑いながらも、その優しさに心が揺れていた。
そして、その大切にされるという気持ちをローゼルにも味わってほしいと烏滸がましくも思ってしまった。
ネイトは満足そうな笑みを浮かべて、ローゼルとダンスをする。
ローゼルも自然と頬をほころばせた。
念願だったローゼルとのダンス。
誇らしげにするネイトの笑顔に、エレナは苦笑した。
彼はローゼルが好きだ。
きっと彼女に婚約者がいなかったら、熱烈なアプローチをしていただろう。
ローゼルの婚約者がネイトだったら、彼はきっとローゼルを大切にするのに。
世の中、なかなかうまくいかない。
ローゼルは笑っていたけど、誰もが華やかに踊る中、自分だけが壁の花でいることに慣れてしまっている。その慣れが、逆に痛々しかった。
エレナはローゼルの婚約者に視線を投げた。
ローゼルの婚約者レオーネ・ウルーム。
部外者のエレナが見てすぐ分かるほど、隙間風が吹いていた。
そのくせ、婚約者のレオーネはローゼルを縛っている。
ローゼルを遠目で監視し、こうやって官僚同期と一緒にいるのを快く思っていない。
ほら、いまもネイトと笑顔で踊るローゼルを軽く睨みつけている。
嫉妬深い陰湿な男。
(嫉妬するぐらいならローゼルをもっと大切にしてあげればいいのに)
借金のあるローゼルの家を援助するとか、せめてローゼルの古びたドレスを新調してあげるとか。
ローゼルのドレスは、後妻のお古だ。
少し手を加えて今風にリメイクしたらしいが、美少女ローゼルにはなんだか似合わない。
ローゼルが着ているからまともにまだそう見えるだけで、自分なんかが着たらチープで時代遅れ令嬢にたちまち様変わりだ。
ひょんなことから、エレナはアメリアが用意したドレスを着ることになった。
ウエストを絞ったAラインに広がるオーガンジーの裾。
胸元や裾には銀糸で星や花の刺繍が施されている。髪に小さな水晶や銀の髪飾り。
サイズもぴったりで、自分でもいうのもなんだが、わたしによく似合っていた。
逆にこういうのをローゼルが着たら、さぞかし可愛らしい令嬢に大変身するはずだ。
ふとエレナの視界に黒く素早く動く何かが横切った。
それに吸い寄せられるように視線で追うと、皇女たちが座る席に辿り着いた。
姉妹の皇女はにこやかに仲睦まじく談笑し合っているが、ミシェーラ皇女の足元に黒いものが、サッと隠れる。
誰も気づかないそれに、エレナは目が釘付けになった。
あれは、小太郎小次郎兄弟。
他にも黒い犬や猫、カラス、雀など動物が紗がかかったように見える。
そして、一瞬、ミシェーラ皇女がエレナを見た、そんな気がした。
ふと意味深に微笑み、それからすぐに姉の方へ視線を戻す。
――小太郎小次郎は、主様のお気に入り。
ひょっとして、主様って。
エレナは突拍子のない推測をする。
けど、それを文字化するのを止める。
知ってどうする?
この際、主様の正体なんてどうでもいい。
ユリウス殿下が信頼し、自分が留学中に〈影〉の全権を委ねている方だ。小次郎もすっかりわたしに懐いてくれているし、わたしは粛々とお仕事をこなせばいい。
こういうのは、あまり深く考えない方が得てしてよかったりする。
エレナは皇女たちから視線を逸らして、窓の外を見た。
「わたし、本当、身体が火照っちゃったみたい。
少し涼んでくるね」
エレナはそう言い残すと、ふらっとバルコニーに出た。
夜空には星が無数に瞬いていた。
少しひんやりする風がエレナの頬を撫でる。
庭園を歩くクロフォードがいた。
心が躍るのを抑え、エレナは思わず叫んだ。
「クロフォード!」
庭園を歩いていた制服姿のクロフォードはぎょっとして、声のする方をきょろきょろ探す。
空を見上げ、二階のバルコニーを振り返った。
「エレナ⁉」
エレナが手を振ると、クロフォードは少し困った顔をした。
顎をポリポリ掻いて、飛行魔法でバルコニーにまで上がって来た。
「ずいぶんと可愛い恰好してるじゃん。
しかも、眼鏡なし」
クロフォードは笑みを口元に湛えながら、優雅に手摺に腰かけた。
「えへへ、アメリア様にしてもらったの」
「ふうん、似合うじゃん」
クロフォードは素直にその感想を述べる。
エレナの頬がカッと赤くなった。
「えっ、あっ、……ありがとう」
クロフォードは真正面からエレナをまじまじと見つめる。思わず照れ隠しに笑ってみせる。
けれど、クロフォードは笑わなかった。静かに言葉を紡ぎ出す。
「なあ、今度俺がドレスを贈ったら来てくれるか?」
エレナは心臓が飛び上がるように、どきん、と胸が高鳴った。
「俺は任務でこういう場に顔出すことはないけど、エレナが俺の贈ったドレスを着てくれるのは嬉しい」
余裕のある笑みを浮かべて、興味津々でエレナを見つめている。
その一方で、喜悦と興奮が入り混じるのに、エレナには寂しさが覆った。
「ドレスは嬉しいけど……。
クロフォードは中に入らないの?」
「ああ、参加しない。
俺、ああいう場に行かない主義なんだ」
「わかった! ダンスできないからだ」
「ち、違うって。
一応これでも侯爵子息だぜ、ちゃんと踊れるって」
クロフォードが焦って言い繕った。
「嘘。そうじゃないなら証明してよ」
「は?」
エレナは手を差し伸べた。暗にダンスを一緒に踊ろうと誘っている。
女性から男性を誘うなんてはしたない、そう祖母の怒る声が聞こえそうだったけれど、エレナは無視した。
「だって、せっかくドレス贈ってもらっても、一緒に参加できないんじゃ意味ないし……」
クロフォードは苦笑し、口ごもるエレナの手を取った。
「バーカ。
俺たちの仲は秘密だろ?
公然の場に出たら全部台無しだ」
「そうだけどさぁ。
ちゃんと踊れるのかチェックしたい」
口を尖らせるエレナの胸は昂っていた。
「まったく」
困った表情のくせに、口では呆れ返っているくせに、クロフォードがエレナの手をガラス細工を扱うように優しく握る。
クロフォードの手の温度が伝わってきて、ぐっと距離も近くなった。
王宮のホールからワルツが漏れ聞こえてきた。
「そうだな。
せっかくだ。エレナ、踊ろう」
二人はふわりとバルコニーで踊り始めた。
夢のようだった。
クロフォードの美しい顔がすぐそばにあり、穏やかな若草色の瞳がすぐそこにある。
煌めく光も、ざわめく声も、これは美しい夢。
胸が高鳴り、頬が熱くなる。
目の前の彼の瞳と笑みだけが、世界のすべて。
これ以上ない幸福だと思った。
「実は、俺がこういう場に必ず俺の両親たちが参加するからなんだ。
アイツらとは俺は縁を切った。
だから、顔を合わせないのがお互いのためなんだよ」
エレナは僅かに震えるクロフォードの顔を見上げた。その瞳は哀しげだった。
けれど、エレナの手を握る手に力がこもっていた。
思い詰めた双眸、泣きそうに揺れている。
クロフォードの表情には切なさが滲んでいて、胸を締め付ける。
「嘘じゃなかっただろ」
曲が終わると、さっきの表情と一転、クロフォードは勝気に微笑んだ。
「本当だ、すごく上手」
「あいつとどっちがうまい?」
「クロフォードかな」
「そう来なくっちゃ」
二人は笑みを交わし合った。
「エレナ。
俺、エレナと会えて本当よかったよ」
急にクロフォードは真面目な口調になった。
「え?」
「ほら、あの同期野郎がエレナを探しているぞ」
クロフォードが広間に視線を投げて、エレナの背中を押した。
見ると、ランスがエレナを探していた。
「あ、大変!
ドリンクをお願いしていたんだった」
「ひでぇ奴」
クロフォードは盛大に苦笑した。
「クロフォード、またあとでね」
「おう。楽しめよ」
にかっと歯を見せたクロフォードが、爽やかに笑って手を振った。
***
ランスは広間の喧騒を離れ、もう一杯、冷えたワインを飲み干す。
本当はエレナとも、ゆっくりワインを飲もうと思っていた。
だけど、レイノルドがすかさず「次は俺とも踊ってくれ」とダンス後の余韻に浸れないまま、詰め寄るようにエレナを誘う。
その気迫にエレナも戸惑いつつ、承諾した。
そして、レイノルドは、ランスが持ってきたワインを飲み終わるな否や、そのままエレナを中央へ連れて行ってしまった。
(ロマンもへったくれもないよな、あの朴念仁は)
ネイトは恋焦がれるローゼルとダンスが出来て、ホクホクした顔でローゼルと赤ワインを嗜んでいる。
ホキアンは知り合いの令嬢とダンスし始め、モレーノは婚約者と長椅子に座って愛を語り合っている。
この中で一番早く結婚するのは、きっと順当に愛を育んでいるモレーノだな。
そう冷静に同期を観察するも、ひんやりとした喪失したような痛みが全身を駆け巡った。
見てしまった。
ワインを手渡す前にクロフォードとエレナが、バルコニーで弦楽の調べに合わせ、舞うのを。
エレナが薔薇色に頬を染め上げて目を輝かせ、それを嬉しそうに見つめる優しい眼差しのクロフォード・ノーエランド。
愕然とした。
あんな瞳を俺には決して見せない。
メラメラと怒りが沸き起こった。
子どもじみた嫉妬心と独占欲が交錯する。
妖精姫とミシェーラ皇女の前で見せたエレナの(偽装)婚約者として、立ち振る舞うクロフォードの熱を孕んだ眼差しと笑顔を彷彿させた。
ふと、窓の外に視線を投げた。
バルコニーの手摺にもたれ、空を仰ぎ見る王宮魔術師の制服の男がいた。
クロフォードだ。
エレナとダンスをした余韻に耽っているのか、どこか虚ろでぼんやりしている。
異端児で天才魔法使いのくせに、どこか退廃的なクロフォード。
ランスは思い切って、バルコニーに出た。
ひんやりとした風が流れ、月明かりが石造りのバルコニーを淡く照らしていた。
「こんばんは、ノーエランド王宮魔術師殿」
ランスは王宮魔術師姿のクロフォードに、人懐っこい笑顔を浮かべて声を掛けた。
「これはこれは。
外務省国際情報統括室 ランス・マクィーン外交官殿じゃないか」
クロフォードがわざとらしく慇懃な声で答えた。
大袈裟に手を広げ、口元にはどこか人を小馬鹿にしたような笑みを湛える。
「数か月前の初外交官の任、お疲れ様でした。
最初の仕事にしては大変なもんを仰せつかってさぞかし疲れたことでしょう」
「ええ、まあ。
……ですが、いい経験値になりましたよ」
ランスはゆっくり歩き進め、クロフォードの隣に並んで手摺にもたれかかる。
「ノーエランド殿も突然他国のお姫様から想いを寄せられ、さぞかしお困りだったでしょう?
モテる男は大変ですね」
「いやいや、マクィーン外交官殿じゃないですよ。
俺、愛想ないんで。
好みのタイプ以外のご令嬢に愛想振り撒くほど体力ないっす」
ざっくばらんに悪態つくクロフォードに、ランスは苛立つ。
どうしてエレナは彼に想いを寄せているんだろう。
満面の笑顔で踊るエレナを思い出すと、敗北感が胸を締め付ける。
思わず拳を握りしめた。
「な~んて、皮肉合戦していても疲れるだけだ」
砕けた口調で、クロフォードは肩をすくめた。
ふと、その瞳が暗く陰る。
「俺さぁ、お前を待ってたんだよ。――元同級生殿」
若草色のクロフォードの瞳が真っすぐランスを射抜くように見据えた。
「待つ? なぜ?」
ランスは戸惑い、不信感を露わに尋ねた。
「そんな警戒するなよ」
ふっとクロフォードは不敵に笑う。
クロフォードは手摺に手を置いて、空を仰ぎ見るように視線を遠くへ投げかけた。
「――予言だよ」
「予言?」
「ああ。マクィーン外交官殿も聞いたことがあるだろ?
うちのボス、王宮魔術師筆頭〈ホロスコープの魔女〉のこと」
「まあ、それなりに」
正体が明らかになっていない、この国で最高峰の魔法使いのエリオラ・ステラリス。
二つ名で<ホロスコープの魔女>。
占星術に長け、この国の行く末を占う巫女だ。
先日のテロ未遂も事前になんとなく読み当てていたとか。
その甲斐あって、皇族たちも進んで協力体勢が敷けたという。
彼女の詠みがなければ、保守派貴族は頑なにあんな緊急演習軍事訓練を許すことはなかったはずだ。
「俺、その人に予言されてるんだ」
「君個人に?」
ランスは目を見開いた。
「ああ、珍しいよな。
エリオラ・ステラリス様は皇族でも滅多に個人の占いはしないことで有名だ。
それだけ俺に関しての予言は国家を揺るがすヤバい案件なんだとよ」
クロフォードは自嘲するようにせせら笑った。
「ところで、マクィーン外交官殿はエレナ・ヴァービナス女官のこと、好きなんだろ?」
ランスはクロフォードの唐突な質問にぎょっとした。
「急に何を言い出すんだよ」
笑みを浮かべてあえて余裕を見せるも、そこには、ぴたりとランスに照準を合わせたクロフォードの無表情な瞳があって、ぎくりとする。
正直に答えないと許さない、という目つき。
「急じゃねぇよ。
あんたの視線見ていれば、嫌でも分かるよ」
クロフォードは乾いた声で言った。
馬鹿みたいだ、俺。
ランスはカッと顔が熱くなった。
この大魔法使いに誤魔化しがきくわけがない。
思えば、彼は官吏登用試験当日の特別試験からずっとエレナの傍にいた。
そして、兄弟弟子として今も一緒にいる。
不意に、クロフォードが皮肉ともとれる笑みを浮かべた。
「俺さ、エレナに殺される運命なんだって」
クロフォードの言葉はランスに絶句する。
鋭い棘のように胸に突き刺さる。
風の冷たさがその痛みをさらに深く染み込ませていく。
「は? 何言ってるんだよ」
ぽろりと、ようやく出た台詞がそれだった。
なんとも情けない台詞だ。
けれど、それだけ頭が真っ白になって、全身が強張った。
たちの悪い冗談のように聞こえるが、クロフォードの瞳は真剣で深刻だ。
「エリオラ・ステラリス様が言うには、エレナは新生の星とかなんとからしいんだ。
けど、まあそういうこと。俺は新生の星に殺されるらしい」
話している内容は穏やかなものじゃない。
目の前の景色は月光で照らされているのに、ランスの視界は暗く沈んでいく。
それなのに、クロフォードは静謐を秘めた眼差しをランスに向けた。
「でも、いいんだ」
とても静かな声だった。
すべてを悟ったような、諦観の念が込められている。
「初めてエレナを見た時、雷に打たれたようなとんでもない衝撃が走ったんだよ。
『ああ、この子が俺を殺してくれるんだ』って」
言葉を一瞬詰まらせ、そして堰を切ってしまったのか、まるで苦しみを紛らわすかのように、クロフォードは想いを次々と吐き出す。
「エレナの魔法って、ピンク色の花の木みたいに綺麗なんだよ。
あの花が目に入った途端、浮き足立つっていうか、つい吸い寄せられるっていうか――。
俺さ、その辺、マゾなのか変態の性癖なのか知らないけど、すげぇゾクゾクしたんだ。
こんなに美しい魔力で殺されるなら本望だって。
それからずっと、エレナのこと気になって気になって、どうしもなくて、いつの間にかすごく……」
どこか投げやりな口調だったのに、語尾が徐々弱くなっていき、押し黙って俯く。
「悪い、つまんない与太話をした。
で、俺は殺されても全然構わないんだ。
むしろ、ようやく解放されるって感じで。
けど、エレナは違う。
アイツ、すごく優しいから絶対に傷つく――」
激しく揺さぶりたい衝動を抑え、ランスは正面からクロフォードを覗き込んだ。
そこにあるのは、既に喪失の予感を抱いた深い虚無と哀しみ。
「今日ここに現れる男、そいつがエレナを唯一生涯支えられる男、そういうご神託もあったんだよ」
クロフォードから全身の力が抜け、その表情も泣き笑いのようになった。
「頼む。エレナを、俺の代わりに支えてやってくれ」
その表情は絶望と孤独が滲んでいて、ランスは言葉を失った。
クロフォードの瞳には、もはや抗えぬ運命を受け入れるしかないという静かな絶望と、重苦しい宿命が宿っていた。
*
眩しい広間のシャンデリアに照らされ、一瞬目を細めた。
音楽が華やかに響き、人々は踊り、笑みを交わし合う。
「あっ、ランス」
エレナがバルコニーから戻って来たランスを笑顔で出迎えた。
どきっとした。
その笑顔が眩しいほど、クロフォードの悲痛な面持ちが胸を締め付ける。
ランスは慌てて笑顔を見繕う。
「どう? レイノルドは?
ちゃんと踊れた?
足、踏まれてない?」
ランスは、つい意地悪くエレナの隣に立つレイノルドを見て、憎まれ口を叩いた。
バルコニーでの衝撃が大きく、なかなか気の利いた台詞が出ない。
(大丈夫。冷静に、落ち着いて、いつもどおり、何もなかったように微笑めばいいんだ)
エレナは、くすっと笑った。
ムとしたレイノルドが答える。
「失礼な。
公爵家はその辺はしっかり幼少期から叩き込まれているんだ」
「そっか。悪い悪い。
揶揄いすぎた」
ランスは軽口を叩いた。
「なあ、エレナ。
もう一曲どう?」
エレナを見据え、ランスは手を差し伸べて誘う。
アメジストの瞳が無邪気に、こっちを向く。
「いいね。踊りましょう」
エレナは笑顔でその手を取る。
――頼む。エレナを……俺の代わりに支えてやってくれ。
胸の奥に重い衝撃が走った。
だが、同時に心の奥で静かな炎が灯って、エレナに優しく微笑む。
分かった。
お前が守れない分、俺が彼女を守るよ。
第1章 完結。
番外編 → 第2章へと続きます。




