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婚約破棄された引きこもり魔女ですが、実は天才魔女でした。王宮で無自覚覚醒します!  作者: 兎丸 蓮
第1章 王宮出仕編 ―人見知り令嬢と王宮の狂騒曲―

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第72話 平穏令嬢は魔法研究に戻りたい!――消えた双子の片割れと妄執の影

 モレーノが持って来てくれたミルク粥。


 エレナが匙を口に運ぶと、ふわりと甘い香りが広がった。

 白くとろりとした粥は、ほんのりとした乳の甘みと優しい温度で舌を包み込む。

 米粒は柔らかく煮崩れ、ミルクに溶け込むようにしてなめらかな口当たりを生み出している。


 一口ごとに喉をすべり落ちていく感覚は、疲れ切った身体に染み渡るようで、胸の奥までじんわり温めてくれる。


「……おいしい」


 思わず零れた言葉に、モレーノが満足そうに笑った。

 胃に優しく、心までほぐれるような味わいだった。


 ノックの音がした。


 マインラートとピーテル・リックランス大臣が現れた。


「どうだい? 体調は」


 ゆったりとした声でリックランス大臣が尋ねた。


「順調です。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」


 エレナは慌てて、ミルク粥をサイドテーブルに置き、姿勢を正した。


「ああ、そのままでいいよ」


 リックランス大臣が手をひらひらとさせて、部屋にあった寝椅子に優雅に腰を下ろした。


「そうそう。むしろ、お疲れ様。

 よくやったね」


 屈託のない笑顔でマインラートが言った。


「ああ、まったくだ。ここまでやってくれるなんて。

 本当によく頑張ったよ。

 本来なら表彰もので褒賞金も出すべき案件だ」


 寝椅子の肘掛けに手を置いたリックラス大臣がそれとなくモレーノに視線を投げた。

 部屋を出ていくように暗に仄めかしているのだろう。


「それじゃあ、僕は外に出ているね」


 モレーノはエレナに囁くと、サッと部屋の外に出た。


「こんなお見苦しい格好で申し訳ございません」


 エレナは眉を下げ、申し訳なさそうに言った。

 リックラス大臣は小さく肩をすくめて、微笑む。


「気にするな。

 まずは体調を整えるのが先決だ」


「ありがとうございます」


 マインラートが目配せし、リックランス大臣が淡々とした口調で話し出す。


「早速だけど、ヴァービナス女官が眠っている間の話をしてもいいかな?」


「はい、お願いします」


 クロフォードとおしゃべりをしながらも、ずっと気になっていたことだ。


「まず、ヴァービナス女官が咄嗟に張った防御壁のお陰で、旧離宮にいた我が国の騎士たちはもちろん、意識を失っていたエリザベータ姫を始めとする侯国の者たちも命の危険を免れた。

 一部、侯国の従者で屍鬼しきにさせられた者たちについては、事故死として処理することになったが……まあ、問題ない。

 そこはあの外務大臣がうまくやってくれているだろう」


 あの外務大臣。それはランスの上官のグロウディーナ公爵だ。


 この帝国の反政府組織『秘密結社 黒の杖』のメンバーの一人ではないかと疑惑が持たれている彼だが、さすがに今回は自分の地位保守のためにも、国に有益なことをする必要があるだろう。


「そうなんですね。

 ……とりあえず、みんな無事でよかったです」


 ほっとエレナは胸を撫でおろした。

 つい、気の抜けたへらっとした笑みを浮かべる。


「わたしもクレインバール卿やクロフォード、第3騎士団の皆様の援助がいなければどうなっていたことか……」


「いいや、あの場にいた皆が君に感謝している」


 エレナの言葉を遮って、リックランスが言い切った。


「そうだよ。

 そこは謙虚すぎたら駄目だよ」


 マインラートの隣で笑顔を浮かべる。


「守られた者たちの立場がなくなってしまうだろ。

 だいたい、僕らも軍部もキムバートンの気配をまったく感知できていなかった。

 獄中死もそうだ。

 まさか、彼の双子の弟が代わりに亡くなっていただなんて誰も気付きもしなかった。もちろんアイヒヴァルト家の件もね。

 エレナが彼のことを気にかけてくれたから――我々は対策ができ、それ相応に動けたんだよ」


「クレインバール卿も今回の失態を重く受け止めてね。

 君への感謝と自戒で活気に溢れている。

 軍部がかつてないほど引き締まっているよ」


「あはは……そんな。

 キムバートンのことは――まさか幼い頃の父との古書と遺跡巡りの趣味が、こうやって役立つとは思いませんでした」


 エレナは乾いた笑みを浮かべた。


「偶然、父と巡った遺跡で知ったキムバートンの故郷の双子にまつわる唄だったんです。

 だから、彼らが双子だったんじゃないか、と思ったんですよ」


 古書収集癖や遺跡巡りは、なんだかんだお金がかかる。


 特に希少で貴重な古書があると父は、母が発狂するほどの法外な金額を支払ってでも手に入れようとするし、珍しい遺跡が発見されたとあらば、領主運営をほったらかしにして多額な旅費をかけて遺跡巡りをしに行ってしまう。


 そんな父の趣味に感化されたエレナは、家族の中で唯一の父の趣味の味方。

 父は祖母と母に内緒で、よくエレナを連れ出して、遺跡巡りの『道楽』旅をしていた。


「だから、これは『道楽』と祖母や母たちに嫌味を言われてた父の趣味のお陰なんですよ」


 マインラートやリックランス大臣は、同時に顔を見合わせ、苦笑を浮かべた。


「どこまで謙虚なんだか」


「無自覚で役立つ知識を提供してくれているのが、なんともエレナらしいね」


 ふと、スッとリックランス大臣が真顔になる。

 部屋の空気が、一気に緊張感で張り詰めた。


「――とりあえず、工作員ワルトは自爆で死亡した」


 途端に、エレナは苦い気分になった。


「問題は、キムバートンが行方不明なことだ」


「え? あの中を彼は逃走できたんですか?」


 エレナは驚いた。

 あの爆発はかなり強力で強烈だった。

 ワルト側にいたキムバートンまでエレナは魔法防御を施せなかった。

 あれをまともに食らって、とてもじゃないが生きながらえれるとは思えない。


「遺体がなかった。王城内のどこにも」


 リックランスの声は低い。


「それから、彼の血だと思われるものが王城壁外で見つかっている。

 間違いなく、生きて脱走している。

 だが、奴もかなりの重症を負っているだろうから、あまり遠くまでは行けますまい。

 現在、騎士団が捜索中だ」


 まだ彼は生きているかもしれない。

 そう思ったら、あの差し迫る青い瞳が思い浮かび、ぶるっと身震いをした。


 そして、エレナは胸騒ぎを覚えた。


 教師然した優越感、

 誤った正義感を振りかざす危うい思想、

 横暴さと傲慢、

 人の命を無下に扱う冷徹さ。


 彼は、何か決定的な間違いを()()しでかすのではないか。

 人の気持ちを平気で踏みにじって、傷つけ、何もかも責任を転嫁してこの国のせいにして開き直るのが容易に想像できた。


 決して言葉にしたくはなかったが、繰り返しそんな不安が胸に浮かんでくる。


「黒の杖の大半は捕縛できた。

 黒の杖と不穏な繋がりのあったアイヒヴァルト家を始め、そういった貴族たちの爵位と領地返上が決まって、一通り片付いた。

 証拠が少なく捕縛損ねた貴族たちもいるが、それは追々軍部が追い詰めるだろう」


 リックランス大臣の声は、訥々とした口調だった。


「あの、エリザベータ姫は、結局どうなりましたか?」


 エレナはおずおずしながら尋ねた。


「……ああ、彼女ね」


 リックランス大臣は重いため息をつき、代わりにマインラートが言う。


「王宮医務局長の診察によれば、本来の彼女はすでに中毒死している、とのことらしいよ。

 アメリア・レンフィールド伯爵令嬢の分析結果どおり、毎朝飲んでいたお茶に含まれる成分が原因。エレナの見立ては正しかった。

 ただね、その亡骸に違う魂を呪術で入れたとはいえ、最初のうちはいいかもしれないが、やがて体は腐食していくらしい」


「そういえば、ワルトもそう言ってました。

 あと一カ月くらいしか持たないって……」


 エレナが言うと、リックランス大臣はマインラートと顔を見合わせ、息を呑んだ。


「やはり、そうだったか」


 リックランス大臣は眉をひそめた。

 マインラートは呆れたような声を出した。


「体がね、入って来た魂を相反するものだと認識したら、拒否反応を引き起きてしまうそうだよ。

 最終的には身体は壊死し、魂もそれに伴い弱体化していく。

 我が帝国にこれ以上責任を押し付けられても困るから、姫と残りの従者はすでに帰路についてもらった。無事に辿り着くといいけどね」


「そうですか」


 彼女もまた犠牲者だ。


 エレナが知っている本来の彼女は資料だけ。

 聡明で人格者、過酷な骨肉の争いから生き延びた唯一の王位継承者。


 だけど、実際エレナが目にした彼女は、精神が朦朧もうろうとした美しい姫。


 中庭を、憧れのルシアン・クレインバールと歩く彼女。

 頬を薔薇色に染め上げ、恥じらいを浮かべながらも輝くような笑顔を向ける。

 彼女の満足げな笑みが、まだこの胸に焼き付いている。


「あちらの魔術師がマリュード皇国の工作員で、我が国に損害をもたらした抗議文書はすでに送ってあるんだ。

 返答はまだ来てない。

 だが、すでに侯国の新しい執政評議会が、マリュード皇国の軍事顧問を受け入れているようだしね。

 どう、回答してくるやら」


 ゆるゆるとリックランス大臣は首を振った。


「それは、つまり、マリュード皇国の属国になったも同然なのでは……」


「ああ、侯国はもはや独立国ではない。

 我が帝国としては、返答がない以上、現状はいままでどおり素知らぬ顔で協力国としての立場を保っている。だが、上層部は仮想敵国として位置付けてある。

 かの国との交易含め、入国出国者も監視対象となった」


 無理もない。

 医療もさながら、侯国はマリュード皇国をバックボーンにした呪術も兼ね揃えた国家になるのだ。


 今後も今回のようにナバロー王国復古を望む一派たちと、この国への侵攻を正当化する口実を得ようとするかもしれない。


 国として防衛をさらに強固にする必要がある。


「そうそう。

 それとね、今回の件についてエレナ嬢は古代魔道具の分析中に倒れたことにしてあるからね」


 マインラートが朗らかな笑顔を浮かべた。


「ああ、なるほど! 

 それで同期がそう言っていたんですね」


「うん。他国の魔術師と闘ったなんて知れ渡ったら、それこそ君の望ましくない扱いになっちゃう。

 王宮魔術師ならまだしも、武闘派魔法使いとして騎士団所属や皇族直属護衛に組み込まれて、魔法研究どころじゃなくなるかもしれないからね」


「え? 騎士団所属や皇族直属護衛? 

 わたし、しがない王宮内内務官――女官にすぎませんよ……」


「それだけエレナがすご〜い! って軍部上層部も黙認するぐらい、今回の戦闘はレベルが高かったんだよ。

 いやぁ、やっぱ僕が直接スカウトしただけはあるね! 

 まさに光る原石、僕の先見の明は自分で言うのもなんだけど恐ろしいぐらいだ」


 マインラートは陽気に声を上げ、自画自賛した。


「まあ、それはそれで栄転にはなるが……どうする? 

 これを機に異動もできるが?」


 冷静な声でリックランス大臣が、さらりとエレナに尋ねた。


(とんでもない! 

 わたしなんて武闘派魔法使いの頭数に入らないよぉ! 

 今回たまたま役に立っただけなのよぉ)


 闘い慣れたルシアン・クレインバール率いる魔法騎士団や、魔法を巧みに使いこなして短縮詠唱や無詠唱のオンパレードの王宮魔術師クロフォードの足元にも及ばない。


 それにそんな位置にいたら、場違いだ、烏滸おこがましい、とまた後ろ指を指されてしまうかもしれない。


 エレナは首をブンブン振って、ベッドのシーツをぎゅっと握った。


「いやです……」


 そんな目立つポジション、絶対に避けたい。


「ふふ、そうだよね。

 エレナはそう言うと思ったよ」


 マインラートはそっけなく言いながらも、目は笑っている。何か悪巧みをしている子どものような目つきだ。こうやって、内心はしゃいでいる時の彼は本当に始末が悪い。


「大丈夫。そうならないよう先手を打っているから。

 それじゃあ、今後も魔法省女官として働く傍ら、〈影〉としての活躍も期待しているよ」


 リックランス大臣は席を立って、エレナを見据えた。


「今回は本当によくやってくれた。

 ありがとう。

 あと一週間はお休みしてもいいから。

 ちゃんとゆっくり休んで、回復すること」


「え、そんな……」


 新たな魔法研究が早くしたい。


「たぶん、もう大丈夫です。

 明日から出勤します!」


 エレナは強気で言うが、リックランス大臣がエレナの額に人差し指をぴっと置いてきつく言う。


「いいや、最低三日は休むこと。

 これは大臣命令だ」


 やけに凄みのある笑顔を向けるリックランス大臣は、エレナの目を覗き込んだ。

 エレナはこの目が苦手だった。

 最初に会ったときから、この人には絶対敵わないと思わせる気迫。


「は、はい……」


 エレナは気圧された。

 リックランス大臣は、満足そうに微笑んだ。

 そして、彼は思い出したように言う。


「そうそう。言い忘れていた。

 魔道具分析結果報告、あれ、初めてにしてはなかなかいい報告だったよ。

 昇給額はちゃんと上乗せしておいたから。

 ボーナスは期待していいよ」


 にっこり微笑んでピーテルは席を立ち、「それじゃあ、お大事に」と部屋を出た。


 扉がパタンと閉まる。


「さてさて」


 マインラートは座り直すと、ローブの両サイドのポケットから黒い毛玉を取り出した。

 小太郎と小次郎だ。


『エレナ! 

 心配したぞー!』


 泣きそうな声で小次郎がエレナに飛び付いた。


「心配かけてごめんね」


 エレナは小次郎を両手で受け止めて頭を撫でた。


『エレナ嬢、この度はお役目お疲れ様でした。

 主様も大喜びでございました。

 また今後も〈影〉として活躍して欲しいとのこと』


 マインラートの肩の上で小太郎が深々とお辞儀をした。


「ううん、二匹とも貴重な情報を一杯集めてくれてありがとう」


 黒リス兄弟は、つぶらな瞳を潤わせて、こくりと頷いた。


「エレナには彼らの声がちゃんと聞こえてるんだね」


「はい。

 マインラート様にも聞こえてますよね?」


「ああ、もちろん。

 この前は軍部の面々もいたらから知らんぷりしたけど」


 マインラートはじっと黒リス兄弟をじっと見つめた。


「いやぁ、この子らのモフモフには勝てないねえ、つい構いたくなっちゃうよ。

 主様に『小次郎をうちの子にください』なんて言ってみたけど、叱られてしまったよ」


 あはは、とマインラートは声を上げて笑った。


『しかたないよ、俺たち兄弟は主様のお気に入りだもんな!』


 シーツの上に飛び乗ってくるくる尻尾を回しながら、小次郎が得意気に胸を張った。


「小次郎がマインラート邸にいつでもお泊りしてもいい用に、特製寝床クッションを小次郎用ってことでちゃんと確保したのになぁ」


 エレナがもったいぶって言うと、小次郎の目が見開く。


『え、この前の寝床か⁉』


「うん、あれ、寝心地良かったでしょ?」


『すごく気持ちよかったぞ! けど……』


 小次郎の心が揺れ始め、顔を伏せ、押し黙った。


『これ、弟よ。

 忠誠心が低すぎだ』


 べしっと小太郎に小次郎は頭を叩く。


『ごめんよ、兄ちゃん。

 だってよぉ。最高の寝心地だったんだ。

 はぁ、マジで心が揺らいだぜ』


 小次郎は額を拭うような素振りをし、尻尾を左右に振った。


「そう、それでね、エレナ」


 マインラートがエレナに思い出したように声を掛けた。


「クレインバール卿率いる第1から第4騎士団長が事情聴取という大義名分で、お礼を言いに来たいらしいけど、どうする?」


「いえ、お気持ちだけで充分です」


 エレナは首を振った。

 あんなど迫力がある人たちにお礼を言われるほど大したことはしていない。

 自分はやるべきことを精一杯やった、それだけだ。


「でね、ハウルデュース公爵もお見舞いに来たいらしんだけど」


 エレナは驚いて、肩を震わせた。

 ハウルデュース公爵――それはレイノルドの父親であり、軍部最高責任者 軍部総帥。


「それこそ、もう、お気にかけてくださっただけでお腹いっぱいです」


 病み上がりにそんな上層部との対面、心臓がいくつあっても足りない……、勘弁して欲しい。


「あはは、軍部の面々はなかなか個性的だからね。

 エレナの顔もはっきり覚えられちゃったし」


「あ……」


 エレナはサッと顔を青ざめた。

 何のためにローブを羽織っていたのか。

 諜報任務を円滑に行うために、顔を知られないようにしていたのに。


 今回のことで魔法騎士団の一部に知れ渡ってしまった。


「すみません! 

 まさか、あのままあんな全面戦争みたいな展開になるとは思わなくって……」


 顔を青ざめて頭を下げるエレナに、マインラートは苦笑した。


「頭を上げなさい」


 マインラートの声に怒りは含まれていなかった。

 それどころか、やけに優しい。


「エレナは気づいていない?」


「何がですか?」


 エレナはきょとんとした。


「数少ない新人女官ってことと、フード被っていることで目立っちゃってるってこと」


「え?」


「この際、顔見せて活動してみる?」


「いえいえ、わたしは人目につかないようフードを被って粛々と魔法研究と噂収集をだけで精一杯です」


「そうか」


 マインラートは心底安心したような笑顔を浮かべた。


「何かありました?」


 エレナがふと真顔になって尋ねる。


「いえね……」


 マインラートが言いかけたその時、


「失礼するぞ!」


 豪快な声とともに、スキンヘッドの大柄な男が現れた。

 軍部総帥ハウルデュース公爵だ。


 レイノルドやルシアン以上の巨大な魔力と屈強な体つきで、手には高級フルーツの盛り合わせの立派な籠があったが、それすら小さく見える。

 しかも、威圧感も半端なく、声がやけに大きい。


 エレナは慄き、身を縮こまらせた。

 慌てて小太郎小次郎も部屋の梁に上がって姿を隠す。


「あぁあ、来ちゃったよ……」


 小声でマインラートが呟くのが聞こえた。


「おお、貴女がエレナ・ヴァービナス女官か」


 鷹揚に手を広げ、エレナにハウルデュース公爵は向き合った。


「困りましたねえ、ハウルデュース公爵。

 先触れもなく未婚女性の部屋を訪れるなんて」


 マインラートが苦言を呈するが、ハウルデュース公爵は気にしない。無視して話を強引に進める。


「つい今しがたクロフォードがほっとした様子で王城を歩いていたからね、これは。と思って足を運んだんだ。

 あのガキもまだまだ子どもと思っていたら、生意気にもちゃんと男の顔をしておったぞ」


 上機嫌そうに公爵は、さっきまでピーテルが座っていた寝椅子にどすんと腰を下ろした。


「初めまして、ヴァービナス女官。

 うちの愚息がいつもお世話になっております」


 公爵に深々と頭を下げられ、エレナは飛び起きるように驚いた。


「とととと、とんでもございません! 

 こ、こちらこそお世話になっております」


「公爵、病人に気を遣わせていけません」


「いやぁ、ここまで恐縮されるとは思わなかったな」


 真っ青になるエレナを見、公爵はすまなさそうな顔をした。


「何か御用で?」


 マインラートが牽制するような眼差しを公爵に向けた。


「いやはや、今回はすべてヴァービナス女官のお陰で、事なきを得たと言っても過言ではないだろ? 

 こちら側にも色々抜かりがあり、一介の女官であるヴァービナス女官には、とても手間をかけさせてしまい、騎士らの命まで身を挺して救ってもらった。

 本当にありがとう」


 公爵は丁寧に頭を下げた。

 愛嬌のある笑みを浮かべながらも、公爵の眼光が鋭く光った。


 エレナを値踏みするような視線。

 エレナは途端に落ち着かなくなって視線を伏せた。


「いえ、お、お役に立ててよかったです……」


「いやいや、お役に立てたどころか、大活躍だ。

 いろいろ力添えをしてもらったにも関わらず、君を騎士たちが守り切れず、本当〜に申し訳なかったね。

 これ、せめてもの詫びと礼の品だ」


 公爵は高級フルーツの盛り合わせの籠をエレナに差し出す。


「うちの愚息から、君が新人研修時、フルーツをよく好んで食べていたと聞いてね。

 もし良かったら栄養をつけるためにも食べてくれ」


「ありがとうございます」


 受け取ったはいいが、どしりと体が少し沈んだ。

 想像以上に大きく、重量がある。

 小次郎がそっと梁から顔を出して、籠の中身を確認している。


「またのちほど、カシアに食べれるよう皮を剥いてもらおうか」


 マインラートは気を遣って、エレナから軽々と籠を受け取った。


「いやはや」


 公爵は両膝に手を置き、エレナに真っ直ぐ向き合う。


「まだ黒の杖の残党や、今回の黒幕の一人であるキムバートン・アイヒヴァルトの捕獲という課題は残ってはいるが、今後について、リックランス大臣とも相談して今後は君を戦力としてみなさない考えで一致した。今回が特例だ。

 とはいえ、こうやってそちらの都合の威光も汲んで、今後、協力体制を敷かねばならないときは、申し訳ないが力添えを頼む」


「は、はい。もちろんです」


「なんなら、そのままレイノルドの嫁に来てもらってもいいぞ」


「はへ?」


 突拍子もない発言にエレナは一瞬ぽかんとした。


 わたしを公爵家の嫁?


「公爵、それが狙いですか?」


 マインラートが恨みがましそうにハウルデュース公爵を睨んだ。


「わはは! いいじゃないか。

 候補者の一人にでも入れてくれるといいな、と思う親心だ。

 こんな美人さんだ、レイノルドが心を許すのも分かる」


 公爵は豪快に笑って、一人納得した様子で何度も頷く。


「そ、それは公爵家からの正式なお話でしょうか?」


 エレナはおずおずと尋ねた。


 もしこれが正式のお話なら、一介の侯爵家に過ぎない我が家が格上の公爵家からの申し込みを断れるわけがない。


 レイノルドのことは人として好きだ。


 巨大な体躯で魔力も甚大、それなのに、獣医を目指す優しい心根。小次郎を見つめたその瞳はあどけなく、キラキラしていた。

 きっと彼が旦那様になるのであれば、ニコライのように無下に扱ってきたり、罵倒してきたりすることもないだろう。


 だけど。

 胸がぎゅっと締め付けられる。


 エレナの脳裏には、ついさっきまでここにいたクロフォードの姿がよぎった。


「いやいや、そこまで堅苦しくは考えとらんよ」


 ハウルデュース公爵はひらひらと手を振った。


「まあ、だが、エレナ嬢が前向きに検討してくれるのであれば、無きにしも非ず、かな」


 その声が低くなり、エレナはびくっとする。


「も、申し訳ございません。

 正式でなければ、その……今は、結婚とかいまは考えたくないのです。

 婚約破棄されてまだ間もないため、殿方とそういう間柄になるには、少々心の準備が……」


 エレナが絞り出すようにおどおどしながら言った。


「……ふむ、まあ、うちのバカ息子にはもったいないほど慎ましやかな令嬢だ。

 ますます欲しい」


 公爵は残念そうな顔し、ぼそっと呟いた。


「え?」


 なんだか不穏な言葉を聞いた気がしたけど。


「いや、これは失敬! 

 乙女心が分からんオジサンですまない。ガハハハ!」


 ぺチンと派手な音を立てて、ハウルデュース公爵は自分の頭を叩く。


「まあ、此度こたびの軍部の代表者としてのお礼と、レイノルドの父として今後もよろしく頼み申すということだ。

 あまり深く考えず、ゆっくり養生してくれ」


 豪快にハウルデュース公爵は歯を見せて笑った。



***



 彼は、路地裏に逃げ込んだ。


 爆発の衝撃で右腕を失い、さらに熱波を浴びた背中は火傷で爛れた。

 焼け焦げた皮膚からは焦げた匂いが立ち上り、動くたびに神経が針で刺されるような痛みが走る。


 くそっ、ワルトを失ったのは大きな痛手だ。


 その死は、彼の心臓を抉りとるように苦しく、大きい喪失感が駆け巡った。

 胸の奥に焼け付くような空洞が広がる。

 焦りと苦渋。

 心がじりじりと焼け付けるように痛い。


(なぜあそこでワルトが死を決意したのか。原因は分かっている……)


 ワルトは呪術と魔法を短期間で使い過ぎた。


 妖精姫の亡骸に、代わりの魂を入れる呪術の儀式をしたから。


 そう、あれ以来、彼の死期が急速に早まった。

 抱きしめるたび、彼から日に日に死臭が強くなっていた。


 呪術は魔法と異なり、体にかかる負荷が大きい。


 なにせ、呪術を重ねるたびに血管は黒ずみ、心臓は呪いに締め付けられ、使い過ぎると自分の体に呪いが降りかかってしまうのだ。


 あの儀式から呪術は控えるべきだった。


 いいや、それよりも何よりも、旧離宮での決戦も大きな誤算だった。


 ()()()と第3騎士団くらいだけならなんとかなった。


 それなのに、マインラートの愛弟子で化け物級、我が国の伝説の呪術師ウェンデリア・ヴァンドゥームに一矢を報いたクロフォード・ノーエランドの登場。

 そして、追い打ちをかけるように遠征に行っていたはずの軍部最大の戦力ルシアン・クレインバールまで現れた。


 あの二人が登場したら、さすがに援軍なしではひとたまりもない。


 虚しさが怒りへ、悲しみが憎悪に変わる。

 ワルトの死の痛みが憎悪を研ぎ澄まし、狂気へと変わる。


(ああ、くそっ。すべて()()()のせいだ、番狂わせも甚だしい……!)


 エレナ・ヴァービナス――その名を思い浮かべるだけで、血が沸騰する。あの女の存在が、俺の計画を腐らせ、未来を奪った。


 そもそも、あの女が官吏登用試験を受けてなければ、俺たちの何年もかけて築き上げた計画は成功していた。


 ワルトだって死ぬ必要はなかった。

 必ずあの女を……!


 彼は忌々しげに盛大な舌打ちをすると、途端にずきっと背中が痛む。何かが胃の中で逆流し出し、大きく咳込んだ。


 視界がぐにゃりと歪む。


 彼は路地裏の道の脇に屈み込んだ。


「ごほっ」


 胃の中がひっくり返ったような衝撃があった。

 何かを吐いた。

 地面には吐き出した鮮血が散らばる。 


 湿った石壁には苔が張り付き、血と腐臭が漂う。

 遠くで犬が吠え、人々の笑い声が路地裏まで届く。


「くそっ」


 彼は袖で吐血した口元を拭う。


 震える手でポケットから錠剤を取り出す。

 口に放り投げ、ごくりと喉の音を鳴らして飲み込んだ。


 そして、落ち着くまで、壁に寄りかかり、陽光を浴びた石畳の表路地を行き交う人々をぼんやりと眺め見た。


 色鮮やかな露天、

 活気ある商人や、

 平民たちの笑い声、

 走り回る子どもたち。

 馬車の車輪の音が絶え間なく響く。


 本当なら今頃、マリュード皇国軍侵攻で彼らは泣き叫び、逃げ惑っていたはずなのに。

 その瞳に炎のような光が揺らめいていた。

 握りしめた拳から血が滲んだ。


(あぁ、忌々しい……)


 すべてを見透かしたエレナ・ヴァービナスも、ルシアン・クレインバールも。


――まあいい。計画は潰えたが、次の布石は打ってある。


 痛みに耐えながら、キムバートンは黒の外套を羽織った闇市の仲介人に合流した。



 そして、彼はそのまま夜の闇へと姿を消した。

 その後、彼の姿を見た者は、もう誰もいない。

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