第68話 戦闘令嬢の糾明完了(仮)――望まぬプロポーズと蠢く腕
結界の外では、依然として魔法の衝突音が響いている。
だが、このエレナたちを包む小さな結界の中だけは、外の世界が嘘のように静まり返っていた。
――さぁ、エレナ嬢。間もなくここ武装兵がやって来る。
ここは沈みゆく泥舟だ。我々と共に行こう。
エレナは、キムバートンとワルトから差し伸べられた二つの手を驚いて見つめた。
二人ともとてもキレイな手をしてる。
大きな手、長い指、形の良い爪。
あれだけ人命を奪ったとは思えない、シミ一つない美しい手。
ぽかんとして見上げると、そこには同志を新たに迎え入れようとする、まるで旧友を迎える親近感を滲ませた瞳。
「え?
武装兵?
マリュード皇国ですか?
それともナイトレルム侯国側?」
おどおどとエレナが尋ねると、ぷっとワルトが盛大に吹き出した。
「あー、そこ、惜しいなあ」
「この国には、我が祖国と同じ神を信仰する敬虔な同志たちがいるだろ?」
含みのあるワルトの笑顔にエレナはハッとする。
「黒い杖」
その名を呟くと、キムバートンがにっこり笑った。
「ご名答。
だが、君ほどの魔法使いなら祖国の皇族も何も手出しできないよ」
「とんでもない!
お断りします」
エレナは即答した。
「え?」
二人がきょとんとする。
「ぜ、絶対、い、嫌です!」
エレナは身構え、一歩下がって、ぶんぶん首を振った。
「マ、マママ、マリュード皇国ではわたし、悪魔の使いの魔女扱いされるんですよね?
そちらの皇族と強引に従属契約を結ばされて、散々こき使われて捨て駒のように殺される末路なんて嫌です」
「え? こことさほど変わらないんじゃない?
魔法を使えるからと、望んでもいない魔法省特別補佐官の称号も与えられ、危険な任務をさせられる。
いまは新人だから命の危険の少ないお仕事ばかりだろうけど、年数を重ねればそのうち君だって国のためという大義名分で使い潰されて野垂れ死になる運命だよ」
ワルトの説得にエレナはどきっとした。
確かに明確な目標があってここにいるわけじゃない。
たまたま自分に適性があって、無詠唱で防御魔法が使えて、表向きは魔法省特別補佐官、実際は〈影〉諜報員になった。
目標があって成し遂げたわけじゃない。
流されるまま、気づいたらここにいた。
反射的に喉がゴクリと鳴る。
喉がやけに乾く。
目の前にまた屍鬼の肉片が結界まで飛んできた。
音もなく、ぶつかったことすら気づかない。
ただ、静かに結界にぶつかり、消えていく肉片。
その奥で奮闘する魔法騎士団員。
屍鬼は一向に数が減らない。
ずっと平行線のまま――。
そう、ここで魔法に関わるお仕事をしたいと思ったのは、間違いなくわたしだ。
「わ、わたしは望んで魔法省特別補佐官になりました」
エレナは震える声を、冷徹な意志で押さえつけて言い返した。
「本当に?」
懐疑的にワルトがエレナの双眸を覗き込んだ。
「目立ちたくない性格なのに、常に注目される地位に置かれ、周囲からは嫉妬され、疎まれ、攻撃を受ける。それが本当に君の望んだこと?
静かに穏やかに過ごしたい、それが本来の望みだったんじゃないのか?
大丈夫、マリュード皇国だったら女性はそもそも男を支える影の存在。
まったく目立たない形で君に好きなだけ魔法の研究をさせてくれるよ。
まさに君の理想的職場だ」
ワルトの言葉が三半規管に絡みついて、二人の笑顔が網膜に張り付いて視界を塞いで、軽い眩暈を覚える。
違う。
わたしは自分で選んでここにいる。
魔法の研究がしたくて、珍しい魔法を知りたくて、魔法に関わって生きていきたいと思った。
このポジションは、最初打診された王宮魔術師になるよりも全然目立たないし、誰よりもたくさん好きな魔法に携われている。
――私だって、エレナのお陰で考え方が変わったよ。
ふいにローゼルの声が頭の中に響いた。
――女性官吏は、裕福な家庭に生まれて勉学を好んだ奇特な女——いまだにそんな理不尽な目で見られると思っていたの。
けれど、エレナは”適性があった”とか”向いている”とか、そういった、これといった特別な理由がなくても、自分の意志でこの道を選んだ。
だから、私もそれでいいんだって思えた。女性も気負わず官吏を目指す時代になったんだ、って。
ローゼルの花が咲いたような鮮やかな笑顔。
そうだよ、わたしが貴族令嬢のテンプレートのような結婚する道のりでなくて、あえて女官を選んだんだ。
これは善意を装った悪意ある誘いだ。
彼らにとってはこの国の魔法使いを減らす目的達成のために必要だと判断して囁くだけ。
「わたしはこの国の人間で帝国公務員です。
祖国を裏切るような真似も出来ません。
それにこの国にはわたしが大好きな人たちが大勢います。
その人たちを傷つけるような国には行きません!」
凛然とするエレナの声が響いた。
「そうか。残念、交渉決裂か」
キムバートンが額を抑えて苦悩の表情で首を振って、詠唱を唱え始めた。
エレナは咄嗟に身構えた。
案の定、キムバートンから攻撃魔法の巨大な岩サイズの火の球が飛んできた。
エレナは手を挙げて、念じて下ろした。
防御魔法を無詠唱で発動したのだ。
「これはこれは。
素晴らしい」
無詠唱で防御できるとは、と、キムバートンは小さな声で感心した。
そのとき、薄いガラスを割ったような音が響いた。
侯国御一行を縛り上げ終えた騎士団員たちが、キムバートンの結界を破壊したのだ。
彼らはすぐさまエレナの前に走って来て、二人に剣を構える。
「我々がコイツらの相手をします!」
威勢よく声を上げる騎士たちに対して、気に食わないと言わんばかりに、キムバートンの顔が歪んだ。
「まったく」
ワルトがやれやれと首を振った。
「あのね、君たち雑魚ではキムバートンの相手は無理だよ。
仮にも僕たち官吏登用試験前から侯国の魔術師として姫様から仕えた実力者だよ。
と言っても、正確には、そのほとんどは彼の弟ペイドイルが仕えてたんだけどね。
でも、侮られては困るなぁ」
ワルトは含蓄ある笑みを浮かべ、立ちはだかる騎士団員を見渡す。
その瞬間、キムバートンが作り上げた氷の獅子が咆哮し、騎士たちへ襲い掛かる。
爪が石畳を抉り、白い息が戦場を覆う。
「くぅ……っ」
騎士たちは必死に応戦するが、次々と押し込まれて苦戦する。
エレナは後方から防御結界を張って、彼らを援護する。
だが、エレナの顔面目掛けてワルトが飛び蹴りを放った。
武装魔法か。
エレナは防御壁で防ぐ。
防御壁がパリンと大きく二つに割れた。
エレナの防御壁の魔術式が散り、花びらのごとく美しく淡く光って舞う。
ワルト、エレナはその反動で弾かれ、数メートル先に飛ぶ。
エレナが必死で体を支えていると、ワルトは優雅に宙でくるりと回ってうまく翻す。
そして、軽やかに着地すると微笑んだ。
「いやぁ、美しい魔術式だ。
なんと計算し尽くされた美。
俺はさ、君とは闘いたくないんだ。
同志として是非とも来て欲しいんだ」
「え? 言っていることとやっていることが違いますけど……」
勧誘している相手を攻撃するのが、あちらの礼儀なのかしら。
いや、違う。
欲しいと思った相手を力ずくで奪うんだ。
いや、なおさらそれはまずい。
彼らはエレナを何が何でも連れて行く気だ。
次の瞬間、氷と影が絡み合った刃が無数に飛来してきた。
「ヤバい、これ、影魔法のミックス!
――土壁!」
エレナは瞬時に土壁を目の前に作り、それを波打たせた衝撃波で反撃した。
それでも氷は執拗に迫りくる。
「——紅蓮の檻」
紅蓮の光を帯びて炎が舞い上がり、空気を灼き尽くす。
赤と白。
炎と氷。
熱と冷気がせめぎ合い、最後、紅の花びらは燃え盛る炎と変わり、氷を呑み込んだ。
焼け焦げた匂いと、白濁した霧が立ち上る。
「へえ、これはすごい」
ワルトは嬉しそうにエレナから来た攻撃かわし、宙にまた浮き上がった。
「これは本格的にプロポーズをすべきかな」
熱っぽい視線がエレナに注がれ、詠唱と共に雷の刃が放たれた。
「お断りしますってば!
――大地障壁!」
エレナは瞬間的に短縮詠唱を呟いて、さらにエレナに覆いかぶさるような土壁を展開した。
(あぁ、もう面倒だなあ)
この人とわたし、魔力量が互角だ。
勝てるとしたら、彼よりどれだけ繊細で卓越した魔術式を編み出せるかにかかっている。
ただ、注意をしないといけないのは彼が呪術を使うことだ。呪術は全然分からない。
「あはは、じゃあ今度珍しい宝石を贈るよ。
星涙晶なんてどう?」
もう、この人、どこまで小馬鹿にしたら気が済むのかしら。
流星が落ちた夜にだけ採掘できる、星の涙と呼ばれる宝石で、男性が女性に『奇跡のような出会いを大切にしたい』という意味を込めて贈る稀少なものだ。
そんな冗談でこっちがぽっと顔を赤らめると思っているの?
だとしたら、女を舐めすぎ。
(あれ? でも……)
ふと、思い出す。
「お二方は男の人専門とかで女性には興味ないはずじゃあ……」
「あはは。違う違う、俺は両方いけるんだ。
キムバートンは完全に男性専門だったけど、俺は心置きなく君と夫婦になれるよ」
ワルトは軽口を叩きながら物凄い速さで宙を駆け、エレナの唇が触れそうな距離まで迫る。
「ね? どう?
意外と本気だよ」
ワルトの漆黒の瞳。
深い暗闇。
深淵に吸い込まれそうになる。
エレナはぐっと体をのけぞって、一歩大きく飛行魔法で跳び退いた。
「だから、お断りしますって!」
「そんなつれないこと言わないでくれ。
俺は案外本気なんだよ」
ワルトはウィンクすると、また詠唱を唱え始める。
やがてエレナの立つ地面がモゾモゾ揺れ始め、土が湧き起こる。
土は網目状になって、エレナを捕えようとするが、エレナはさっと上空に飛行魔法で飛び退いて逃げた。
「いいね、その反射神経。素敵だ」
エレナとワルトの攻防戦が続いていたとき、建屋のレンガがエレナと魔法騎士団員たちに襲い掛かった。キムバートンの魔法だ。
レンガは鋭く尖った刃となり、防ぎきれなかった騎士たちに容赦なく突き刺さる。
「うわっ!」
しまった!
彼らにかけたはずの防御魔法が無効になってしまっていた。
ただでさえ、騎士たちはキムバートンの結界を打ち破ったことで蠢く屍鬼からの度重なる攻撃魔法に手間取っている。
前方にキムバートンとワルト、後方に屍鬼。
これでは袋の鼠だ。
エレナは急いで彼らに防御魔法を施すが、その隙にワルトが黒い稲妻が轟音と共に走り、エレナへ迫る。
防御壁に影と雷の魔力がまとわりつき、黒い染みがじわじわと広がっていく。
土の匂いに混じって、焦げた肉のような臭気が鼻を刺した。
防御壁の表面は溶け崩れ、稲妻がねっとりと絡み合い、やがて白い肉片のような質感へとぬうっと変わっていく。
稲妻が骨格を編み、そこに薄い皮膚が張り付く。
その過程は、まるで生き物が壁の中から無理やり生まれ出てくるかのようだった。
「なにこれ!」
全身に冷や汗が噴き出してきた。
鼓動が速くなり、背中がちりちりと熱くなった。
目の前の白い肉片は、ぶつぶつと泡立つ音とともに、腕の形を成す。
血管のような黒い稲妻が脈打ち、指先はまだ雷の残光を帯びている。
その指がぎしぎしと軋みながら動き、何本もの腕がうねりながら伸びる。
壁を這う虫の群れのように蠢きながら、エレナへと迫り来る。
ゾッとした。
ぎしぎしと軋む骨の音、ぬらりとした肉の質感。
生々しいその腕は、魔法の産物であるはずなのに、まるで人間の死体から切り離されたもののようにリアルで、吐き気を催すほどの不気味さを放っていた。
その瞬間、閃光が走り、目の前が真っ白になった。
そして、風の刃がそれらの腕をすべて切り裂く。
腕は悲鳴にも似た奇声を上げて、蒼く燃え盛る。
腕を焼き払う蒼い炎。
揺らめくその色はとても鮮やかで一瞬見惚れる。
やがて腕は霧散した。
「マジで趣味悪いなぁ」
気付くとエレナの目の前に、白い王宮魔術師の制服を着たクロフォードが立っていた。
「いくらエレナが魅力的でも、あれはなあ……ちょっとアプローチ的に、キモすぎでしょ」
ニッと不敵に笑うクロフォードに、ワルトの顔がスッと真顔になった。
「お前がここにいるということは……」
「ああ、王城の門扉のお前たちの仲間は全部制圧したぜ。
あれだけの武器と人員を集めたのに残念だったな」
クロフォードがワルトの台詞に被せるようにせせら笑う。
ワルトがキッと睨みつけた。
それでもクロフォードは意に介さず、さらにしたり顔を浮かべた。
「そうそう、刑部省に侵入したマリュード皇国の手先もすべて捕縛したぜ」
「は?」
「偽物の地図に踊らされてまんまと捕縛結界張った部屋に侵入してくれたもんなぁ」
クロフォードは「う~ん」と背伸びしながら続けた。
「もちろん、魔法省の宝物庫、宰相府や執務塔の魔道具部屋も捕縛結界が張ってあったし、軍部上層部、特に総帥が腕を振ってやっつけちゃった。
あとは、今回のラスボスの2人、お前らだけだ」
ワルトは無表情に詠唱し、影をまとった槍を作り出し、振りかざす。
黒い稲妻が槍から奔り、空気を裂く轟音とともにクロフォードの炎を貫こうとする。
「燃え尽きろ
――蒼炎!」
クロフォードが詠唱を切り捨てるように短く呟いた瞬間、蒼炎が指先から奔流となって迸った。
蒼炎と黒雷がぶつかり合い、衝撃波が周囲の瓦礫を吹き飛ばす。
光と闇が渦を巻く。
「――焔裂破!」
クロフォードは炎を幾重にも重ねて放つ。
「面白い!」
ワルトは不敵に笑い、影を分裂させ、無数の黒い腕を生み出して炎を絡め取る。
雷鳴が轟き、影の腕が稲妻を纏ってクロフォードに襲いかかった。
蒼炎が影を焼き払い、雷が炎を裂く。
クロフォードの蒼炎が影雷を押し返し、ワルトは必死に影の腕を繰り出すが、次々と焼き払われ、雷槍も砕け散る。
じりじり焼かれるような感覚と、突き刺すような熱さ。
鼻につく焦げた匂いと入り混じる土の湿気。
「くっ……!」
嘲笑を浮かべていたワルトの顔に、初めて焦りの色が走った。
その時、上空から凄まじい魔力の塊が降り注ぎ、エレナは思わず空を仰いだ。
ドスン!
轟音と共に地面が揺れた。




