第61話 解析令嬢の罠と、透明マントの呪い――旧離宮に響く狂信者の哄笑
夕陽が王宮の尖塔を朱に染め、回廊の大理石は黄金色に輝いていた。
壁には緋色のタペストリーが掛けられ、古代の英雄譚が織り込まれている。
水晶のシャンデリアは天井から吊るされ、炎の光を七色に屈折させていた。
侍女たちが銀の盆を運び、貴族官僚たちは和やかに談笑し、その華やかな笑い声が回廊に反響する。
その中を二人の侍女、エレナとリバーラスが歩く。
二人の瞳の奥には何か思い詰めたような光が潜んでいた。
向かう先は旧離宮だ。
庭園からは香草の甘い香りが漂い、噴水の水音が静かに響いていた。
木漏れ日に、噴水の粒に、エレナの頭の中には、小次郎の熱血指導の声が横切っていた。
『いいか、エレナ。
今回はとっても繊細で見誤ってはいけない重要案件だ!
気を引き締めて任務にあたるべきだぞ!』
小次郎がやけに声を張り上げて言う。
クロフォードと別れ、魔法省の研究室に戻ると、小次郎が作業机の上にちょこんと座って待っていた。
さっそく小太郎が、エレナが気付いた件を“主様”に報告をしたからだろう。
『わかったか?
これは一歩間違えると国際問題になるんだぞ』
とても真剣な声と、キラキラした黒のつぶらな瞳だ。
エレナは頷きつつも思う。
すでに一歩間違えるどころか、すでに国際問題に発展していると思うんだけど……。
なにせ、協力国がいつの間にか敵国と手を組んでいるのだから、これは完全に国際条約違反以外何者でもない。
けれど、熱意を込めて必死でエレナに指導する小次郎に、水を差すことは言いにくい。
『エレナにはこの国の侍女の応援メンバーとして侯国に潜り込み、いろいろ調査してもらうことになったんだ。これはすごいことだぞ!
新人のエレナに主様が直々に特命を下したのだ!
主様がエレナの盗み聞き能力をいたくお気に召してなあ……』
一生懸命、短い腕を組んで、満足そうに頷く小次郎に、ついツッコむ。
「盗み聞きじゃないよ、情報収集ね」
『どっちも変わらないから、気にするな!』
小次郎はあっけらかんと言い放った。
そう言うけれど、結構エレナとしては気にする。
「小次郎、これは帝国公務員の矜持として大事なことだよ。
わたしは情報収集を頑張っているんだよ」
『細かいことは気にすることはないぞ。
今回の制服はこれだぞ』
小次郎は天井の梁にスルスル上がり、奥へ引っ込んだと思ったら、どこからともなく新たな制服を口で引っ張りながらせっせと運んで来た。
制服はくしゃくしゃになっていたが、もはや小次郎の中では準備万端だったようだ。
(結局あのあと、魔法で制服のしわと汚れを取ったんだよね……)
不意に、エレナが外門を抜けると、王宮の光は急速に小さくなり、影が濃くなる。
整えられた庭園はやがて途切れ、荒れた並木道が続いていた。
枝葉は夕闇に沈み、風に揺れる度に影を地面に落とす。
いまから起きることを想像するだけで、エレナは肺が押し潰されるように息が詰まった。
「でね、あたしはエレナのように魔法を使いながら、国家機密級の魔法物の研究をする仕事じゃないの。
ミシェーラ皇女殿下の護衛が第一任務ね。
時々こうやってちょくちょく特命が降りてくるの」
ざっくばらんな口調でリバーラスはぽんぽん話す。
エレナの緊張感なんて全然お構いなしだ。
傍から見たら、新人侍女に先輩侍女が仕事を教えているように見えるだろう。
「形態がわたしと違うんだね」
強張った表情のまま、エレナは真剣に頷いた。
「そうなのよ。こうやって互いの正体を明かすのは、そう滅多にないことだよ。
でも、今回はさすがに下手したら国際問題に発展しちゃっているからね。
主様が協力し合うべき、ってご判断されたみたいなの」
苔むした石壁や、少し欠けた噴水。
古いものから漂う独特の匂い。
旧離宮は、かつての栄華の名残がまだそこかしこに漂う。
だが、見るからに古く、不思議な灰色の塊、王宮の華やかさとは正反対の静けさを醸し出していた。
ここで世代を重ねてきた数々の積もった感情の匂い。
感情に匂いなんかあるのか、と思うけど、なんとなくエレナには感じる。
恐らくそれは歴史ある共同体が存在しているということ。
「そういえば、聞いた?
西南地方の港湾のインフラ破壊工作に爆発物の爆破羅を仕掛けて、テロを起こす計画があったこと」
リバーラスは声を潜めた。
「うん、小太郎くんから教えてもらった」
「あの爆破羅、例のテロリストたちが作ったものらしいわよ」
例のテロリスト、つまりキムバートンやワルトのことか。
「アイツらさ、この国だと火薬がなかなか手に入らないからって、魔法省の女の子を誑かして押収された爆破羅を盗ませたんだって。
しかもその子の想いを利用して、軍部の内部地図を描かせたみたいでね、まったく、恋する乙女心をなんだと思っているのかしらね」
リバーラスはぷんすか怒りを滲み出した。
魔法省の子――。
それはカトリーナ・ガンドルフィだ。彼女はもうこの世にはいない。
(彼女は、彼女なりに命懸けの恋をしたんだね、きっと)
好きだな、と思える人がいる、それだけできっと何事にも頑張れる。
結果は全然良くないけど、きっとキムバートンを追いかけていたときは、とても幸せだったと思う。
ふと、エレナの脳裏にクロフォードのあどけない笑顔が掠める。
ぎゅっと胸が苦しくなった。
彼、キムバートンはカトリーナを利用しているとき、どう思っていたのだろう?
慕ってくれる彼女が可愛いと少しでも思った?
彼女をちょびっとでも愛おしいと感じたかな?
キムバートンの罪歴がエレナの脳裏を駆け巡った。
ううん、そんなわけじゃない。何を甘いことを考えているの?
彼は善人を装った極悪人だ。
数々のテロ行為画策に、工作員だと知られると関係者全員毒殺、もしくは皆殺し。
自分に懐いてた女子供は奴隷として人攫いに売りさばく。
この国の錬金術などの権威者の学者たちの拉致監禁
彼らのいう「活動」のため懐柔しようとしていただけだ。
彼にとってコマのひとつに過ぎなかった。
不意に、息苦しさを覚えた。
きっと馬鹿な女だな、と心の底で嘲笑していたと思う。
なんて可哀想な女とも思っていたかもしれない。
罪悪感なんてこれっぽちも感じていないはずだ。
そう思うと強い憤りを感じた。
「人の気持ちを弄ぶなんてひどいすぎるよ」
エレナがしんみりと言うと、リバーラスも頷いた。
「まったくよ」
カトリーナは間違いなく命懸けだった。
その思いを踏み躙っている。
許せない、と思った。
「ねえ」
エレナはふと思いついてリバーラスに尋ねる。
「地図を描かせたってことは、侵入する気、満々ってことよね?」
「ええ、もちろん。
攻撃を仕掛けて自分たちに優位に進めるためだったんでしょう?」
リバーラスは、フンと大きく鼻を膨らませた。
――彼らはこの王城にも攻撃を仕掛けるつもりだ。
道理で。さっきから騎士たちが回廊を普段よりも倍の人数で巡回しているのを見かけるわけだ。
そういえば、そこに同期のネイトも混じっていた。
ネイトは文官である。
その彼が腰に剣を携えていた。
刑部省の文官は基本魔法騎士団に入隊してもおかしくないほどの実力者ばかりだと聞く。
彼らはいざとなったときの予備騎士だ。
ネイトが剣術に明るいのは、噂で耳にしたことはあった。
つまり、ただの文官で書記官たちも駆り出され、本格的にこの王城は敵を迎え撃つ準備を粛々と進めているということだ。
「そうそう、透明マントの話、聞いた?」
リバーラスは穏やかに訊く。
きっと今から語られる話は不吉で不気味な話なのに、まるで、いまからお昼ご飯、何食べる?みたいな気軽さがあって不思議だった。
「あれって、インリューラーク王国の古代魔道具だったの。
しかもね、使用すると使ったぶんの時間の倍、寿命が減るんだって。
五分使ったら、倍の十分。十分使ったら二十分ってね」
「え、そんな不吉なものだったんだ」
エレナは背筋が凍る思いがした。
あれから漂う、ドロリとする不気味な気配。
それを思い出すと、すんなり納得できる。
(わたしがずっとカトリーナ様から感じていた禍々しい気配だ。
サブリナ様からも感じていたから……)
きっと二人は交互に使って、軍部に侵入していた。
けど、使用累積時間はカトリーナの方が圧倒的に多かった。
「よく持ち出せたよね。
他国の、それも魔法軍事国家のインリューラーク王国の。
宝物庫まではさぞかし厳重に保管されていたはずなのに、侵入してまで手に入れたってことよね。
すごい執念だわ」
エレナは改めて驚いた。
インリューラーク王国は、この帝国以上に魔法を中心とした君主制の歴史が長い。
あちらも武装魔法使いである魔法騎士団を結成しているし、魔法の軍事利用もこの国以上に発展している。
「これがまた陰湿でね」
リバーラスは、まるで同僚の愚痴を言うような気軽さで話し出す。
「そもそもインリューラーク王国での透明マントの盗難事件は、正妃出産の大変な時に起きたのよ。
マリュード皇国の工作員たちは、ホップラブソングの薬中上級魔法使いを王城に十人も解き放って、その騒ぎに乗じて。
本当、卑怯極まりないわよね」
「え、オーバーメディケイション状態の十人も?
それは大変!」
思わずエレナは声を上げた。
エレナの顔が強張る。
月夜のあの日に、無詠唱を唱える獣化した元婚約者のニコライを思い出す。
彼はもホップラブソングを服用していた。
官吏登用試験勉強や家を勘当されたストレスからと聞いたが、結局依存性の高いクスリを毎日のように大量に摂取したため、魔力暴走であるオーバーメディケイションを起こした。
魔力がほぼないニコライを倒すだけでも思った以上苦戦を強いられたのに、上級魔法使いが十人も暴れ回ったら、それはもはやテロ級の人災だ。
「考えただけでもゾッとするよね」
エレナは粟立つ自分の腕をさすった。
「でしょ? あたし、魔力そこまで持ってないから、薬中魔法使いとは関わりたくないのよね。
だって、勝てる気全然しないもん」
あっけらかんとリバーラスは笑った。
「分かる。あれは本当に厄介だよね。
けど、納得。あのインリューラーク王国から古代魔道具を盗めた理由。
そんな状態だったら、薬中魔法使いに気がいってしまって宝物庫警備どころじゃなくなるって」
きっとその日は魔法騎士団だけでなく、エレナたちのような攻撃魔法を使える官吏も駆り出されての、火消し作業だっただろう。
「見事なまでの陽動作戦だったみたいね。
しかも、これがあわよくば正妃反対派貴族の連中が、出産後の正妃や産まれたばかりのお子様を亡き者にするつもりだったみたいで」
「うわぁ、それ、ひどすぎる」
「でしょ? 本当、どこの国もドロドロね。
陰謀渦巻いてて本当嫌になるわ」
「え、陽動……って、ちょっと待って。
ひょっとして、その混乱に便乗してマリュードの奴らが、王城を乗っ取ろうとする計画があったとか言わないよね?」
「よく分かったわね。
そうよ、そんな計画も企てていたみたい」
さらりとリバーラスは言った。
彼女の口調は場違いに明るかった。
「ということは、反対派の貴族の誰かしらが薬中魔法使いを王城の中に手引きしたかもしれないね」
エレナは慎重に言葉を紡ぎ出した。
「すごい、冴えてるわね。
そのとおり、大正解」
「でもそれを阻止したから、インリューラーク王国はまだ健在ってことなのよね」
「もちろん」
リバーラスは微笑んで、すっと耳打ちをした。
「大丈夫よ、ナイトレルム侯国のようにいつの間にか乗っ取られているわけじゃないから」
「よかった」
エレナはほっと胸をなでおろした。
「アイツらってさ、本当に人の弱いところを見ているよね。
突っついて自分たちの懐に入れて、平気で裏切りに走らせる。常套手段だわ」
「うん。逆を言えば、彼らは敵をよく観察しているよね」
エレナは冷静な目で頷いた。
「そうよね。間違いないわ」
リバーラスは歩く。
「どこを突っつけば、どう相手が困るところを攻撃できるのか、本当にいやらしいほどよく見てる。
ある意味、敵ながらあっぱれだと思う」
空を見上げてリバーラスは言った。
彼らはかなり狡猾で並外れた観察眼がある。
その人の求めるもの、望むもの、つぶさに観察して、手に入るように親身を装い手助けする。
耳障りの良い言葉を並べ、下心を隠して味方ぶって、遠回しにじわりじわりと、そして、最終的に裏切って自分たちの目的を達成する。
昨日のサブリナと共にエレナを取り囲んだ女官たち。
彼女たちの魔法騎士団の事情聴取の内容をアランが手紙魔法で教えてくれた。
サブリナは真剣に結婚相手を探していたらしい。それこそ血眼になって。
彼女は自分の美貌をよく理解していたからか理想がとても高く、相手にもそれ以上のものを求めた。
けど、苛烈すぎる性格をしていたため、親の決めた婚約者では納得いかなかったらしい。
その点ワルトは、出生や身分はさておき、サブリナの理想の容姿、資産、仕事の手腕、巧みな話術と紳士的な振る舞い。彼女の方がベタ惚れだったという。
サブリナの両親は一人娘にはとにかく甘かったそうだ。
優秀な若者が相手なら
「あとからいくらでも身分は買える。なんら問題ない」
と身分を気にすることなく、ワルトの商人の手腕と交渉術、情熱的で誠実な人柄に見せかけた風体をかなり買っていたようだ。
「セインレイム准男爵令嬢」
不意にリバーラスが呟いた。
生暖かい風がさわっと頬を撫でた。
あんなにも晴れ渡っていた空がどんよりとしている。
「官吏登用試験のとき、魅了の古代魔道具を使った騒動があったそうね」
「うん、ちょうどわたしもそこにいたよ」
思い出すのは、甘い凶暴な香りとねっとりとしたピンク色の靄。
狂ったように彼女を擁護する男たち。
「彼女に古代魔道具を今回のテロリストたちが与えた理由を知っている?」
「いいえ」
エレナはゆるゆる首を振った。
「彼女のご先祖様が亡国であるナバロー王国の古代魔道具を管理する役職に就いていたのよ。
彼女は父親がセインレイム准男爵だけど、娼婦の娘だったの。
だからこそ、言葉巧みに利用され、あんな危険なものを渡された。
だって、もし何かあっても誰も気にしないし、気に留めない存在だから」
育ちが悪かった。そもそも娼婦の娘が貴族を名乗るとは烏滸がましい、とその一言で終わる。
明らかな身分差別。
「まさに使い捨てだわ」
不穏な空。まるで旧離宮で起きる不穏さを表している。
湿度も高く、なんだかべたついて不快だ。
エレナは、心がかつてないほどざわついていた。
領地にいた時は、戦争とか、敵国スパイとかまさに対岸の火事だった。
けれど、ここには国を守るために命懸けで働き、また国の命令で敵国に侵入している人々がいる。
みんな一生懸命で命懸けだ。
(実際人が亡くなっている。このままではいけない……)
エレナは身の引き締まる思いがして、背筋を伸ばした。
***
――夕刻、予定どおり決行。
ワルト・チェッカレッチは手紙魔法を読み終えた。
手紙がキラキラと夕日に照らされ、風にほどけて消えていく。
ワルトは、アイルナバロー連合国の王宮の最も高い尖塔の頂から王城を見下ろした。
白亜の石で築かれた壁面は陽光を反射する。
王都が全体に見渡せ、さらには遠くの山や農村の黄金色に輝く小麦畑が見渡せる。
皮肉なものだ。
傍から見ると、魔法というのは、実に美しく緻密な芸術とも言える逸品である。
だが、この国は、美しくない。
溢れる魔法の本来の姿は、おぞましい悪魔の力だ。
そんなおぞましい力を携えた者を頂点とするこの魔法軍事国家は誤っている。
みんな騙されているんだ。
その点、呪術は明確だ。
神への祈り、祓いや祝詞。
古来より国家安泰のため災厄の回避、豊穣や勝利祈願など福徳を招き、穢れを払う尊い行為。
その中で、怨霊の鎮魂と結びついた神聖な術式である。
魔法という不確かな奇跡、災厄そのものであり、破滅を招く力。
それに縋るこの国は吐き気が催すほど忌まわしく不吉だ。
とはいえ、この国では魔法は多少使えないと任務にあたれない。
魔法を使うことは不名誉なことであり、後ろめたい。
越えてはいけない一線を越えてしまった――自分も腐り果てた怪物になってしまったようで、嫌悪する。
心地よい風が頬を撫でる。
だが、それが冷たく鋭い刃のようにも感じる。
(幾度も番狂わせはあったが、任務の終わりが近い……)
不敵な笑みを浮かべた。
この王城は、幾重もの結界に覆われた要塞だ。
どこから挑もうとも、門は閉ざされている。
淡い光の幕となった結界は城を覆い、天空からの一撃はすべて結界で弾かれる。
側面からの侵入も防御魔法の壁に阻まれ、近づく者の皮膚を焼くような圧迫を放っている。
その結界を張るのは、マインラート・ソシュール。
“境界の魔術師”と呼ばれる怪物級の魔法使いだ。
防御結界において彼の右に出る者はなく、彼の術がある限り、この城は鉄壁だ。
突破はほぼ不可能。
息苦しいほどの静けさが城を包み、結界そのものが生き物のように脈動している。
バケモノが作った要塞。
ワルトは手を伸ばし、結界の脈動に触れる。
パンッ
鋭く弾ける音。
少し遅れて衝撃がやってきた。
ワルトは咄嗟に防御壁を使って防ぐ。
だが、反動は激しく、地面に叩きつけられそうになった。
それを風魔法で衝撃をやわらげ、悠然と地面に着地した。
ワルトはもう一度空を仰ぎ見、嫌悪に顔を歪めた。
見えぬ壁に触れた瞬間、近づく者は皆、己の存在を拒絶される、ということか。
「ふん、小賢しい」
不愉快そうに鼻を鳴らした。
(この傲慢な光、すべてを絶望で塗りつぶしてやろう)
指先に残る痺れをワルトは忌々しげに振った。
キムバートンが教師もどきの女を手懐けたのが好機だった。
随分と使い勝手のいい駒だった。
駒からもたされた情報。
それは、外部からの攻撃を遮る鉄壁の結界は内側からの一撃には脆いこと。
一度、城内へ足を踏み入れれば、勝利は我らのものだ。
王城は要塞にあらず。
怪物魔法使いも結界に膨大な攻撃が加われば、足止めをくらうはずだ。
そして、化け物魔法使いの弟子も。
夕刻には我ら同志たちが武器を携え、王門を撃破し王城へ雪崩れ込む手筈だ。
遠くの広場では同志たちが鎧を鳴らし、物陰で武器を磨いていた。
奴にはそこで魔力を多く消耗してもらおう。
――ついに今宵、ここは敵の墓標となる。
マリュード皇国にとって、祖国奪還は悲願だ。
我々の聖地を奪い、貴き御身分のナバロー王族を迫害し、王族を追放した罪は決して許されない。
そして、それに手を貸した近隣諸国。
ことにインリューラーク王国は古代より続く忌まわしい魔法軍事国家も同罪である。
魔法使いを再び従属させるのだ。
そのとき、違和感を覚えた。
「おや?」
侯国の妖精姫一行が王宮内を移動しようとしている。
彼らの魔力が動いている。
宿泊している離宮ではない王城の外れの閑静な場所だ。
なぜ?
あそこは古びた旧離宮で、皇族も侍従も滅多に足を踏み入れないはず。
嫌な予感がした。
慌てて旧離宮に移動した。
旧離宮の門扉が開かれ、姫の乗った馬車が入って行く。
そして、気付く。
(あの女の魔力もうっすらと感じる……)
我々の企てをことごとく潰したあの女。
――エレナ・ヴァービナス。
顔は見えずともサブリナから話を聞いた風貌は、怪しげなローブに、少ない魔力量。
そのくせ、魅了の古代魔道具の分析を魔法省リックランス大臣から依頼される期待の新人だという。
あの部屋に影魔法を仕掛けるときに、魔力を探った。
サブリナに残るエレナ・ヴァービナスの防御魔法の僅かな残滓。
すぐに分かった。
息を呑むほど美しく緻密な魔術式が編み込まれていることを。
本能的に脳裏に刻み付けなければならないと直感した。
(キムバートン以来だな、ここまで完璧な魔法を感じたのは……)
あれはもはや魔術式や術式ではなく、芸術の域に達している。
その彼女の魔力がほんの少しだけ察知できる。
彼女も旧離宮にいる。
(ああ、そういうことか)
すとんと腑に落ちた。
バレたのか。
だが、あちらが誘い込んでいるというのなら、その罠ごと食い破ってやろう。
***
「申し訳ございません、姫様。
まさか昨夜離宮の魔道具が誤作動を起こしてお部屋が水浸しになるなんて。
今宵は申し訳ございませんが、こちらにご宿泊お願い致します」
第3騎士団の団長トーマス・ケリークロノムが悪びれる様子もなく、いけしゃあしゃあと謝罪を述べる。
案内されたのは、古びたレンガ造りの建物。
年代を感じさせる造りだ。
蔓植物が幾重にも絡みつき、建屋全体を締め付けるように覆っている。
「馬鹿にしてるの? ここは旧離宮よ」
馬車から降り立った妖精姫ことエリザヴェータ姫は憮然と声を放った。
「おや、姫様はよくご存知ですね、こちらが旧離宮だなんて」
トーマスの鋭い眼光に一瞬怯みながらも、不機嫌そうに扇子で顔を隠す。
「ええ、当然よ。愛しのルシアン様から案内されたもの」
「はて、ルシアン様がこちらをご案内した覚えはございませんが?」
「わたしとルシアン様の秘密よ。いやあね、疑うの?」
強がりと恐怖の混ざった姫の声に、トーマスが鼻で笑った。
「いいえ、滅相もございません」
トーマスは大袈裟に手を振った。
「ただ、あの職務一筋の総団長が公式日程にもない案内を自ら買って出るとは……」
肩をすくめたトーマスは、じっとその双眸を探るような目つきで覗き込んだ。
「いやはや、氷の仮面を被ったルシアン様をも口説いたその手腕、感服いたしました」
トーマスは少し笑って見せた。姫は僅かに不愉快さを滲ませる。
「どうせ室内も古臭いんでしょ」
「いいえ、麗しきお姫様をおもてなしをする最後の夜ですよ。
建屋は古いですが、内装は最新にリニューアルしております。
調度品も選りすぐりの物をご用意しております。
化粧品もすべて王都で最高級かつ人気のものを寄り集めたそうです」
いけしゃあしゃあとしながらも、金の瞳は冗談めかした光を宿す。
(気に入らない)
いかにも中間管理職然とした雰囲気だが、整った顔立ちに清潔感ある撫でつけられた髪、気取らぬ磊落さ。
なんとなく腹に一物を抱えたような飄々とした笑みは油断ならない。姫は訝しげに目を細めた。
「姫様、どうぞたんとお寛ぎください」
トーマスは丁寧にお辞儀した。
けれど、不快さを滲ませた姫は、危険な珍獣でも見るように訝しげに見た。
そのとき、彼女の前に一人の侍女が現れた。
「ああ、ご紹介いたします。
こちらは今晩姫様の身の回りを手伝うリバーラスです」
リバーラスはにっこり微笑んだ。
トーマスは、リバーラスの背後に、影のように隠れる侍女に視線を向け、目を細めた。
「それからもう一人、エレーナです。存分に頼りにされるといいですよ」




