第121話 変装令嬢たちの安らぎ【中編】――酔いどれの証言
エレナは寝息を立てて眠りについていた。
今日一日たくさんのことがありすぎた。
ううん。今日だけじゃない、ここ数日が目まぐるしかった。
エレナの枕のそばで小次郎も健やかな寝息を立てる。
*
自衛警察団の仮眠室で、窓の外に人影が写る。
鍵はかかっていない。
窓枠がわずかに軋む音がした。
だが、寝息を立てる者には届かないほどの微かな音。
影はまるで夜そのものが形を取ったかのように、音もなく窓を押し開けた。
夜気がわずかに揺れ、闇が形を取ったかのように室内へ滑り込む。
仮眠室の空気は一瞬にして冷える。
寝静まるエレナを影は冷ややかに見下ろした。
囁くように詠唱をする。
捕縛の詠唱。
だが、詠唱を終える前に首筋にひんやりとしたものが当てられる。
背後には一人の男。
「こんばんは。第三騎士団員デレーク・シャードマ。
いや――デレークに扮するマリュード皇国の工作員殿」
「……っ!」
背後に立つのは、ルシアン・クレインバール総騎士団長。
一切の気配も、殺気すらもなかった。
まるで夜気そのものが形を変えたかのように、男はそこに立っていた。
その存在は影より冷たく、光より鋭い。
ぞっと背筋が凍った。
彼の静かな声を合図に、バラバラと部屋に騎士団員がなだれ込むように部屋に入って来た。
やがて、寝ていたはずのエレナと小次郎が全体的に透けるようになって、線が薄くなり、カゲロウのように歪んでゆらゆら揺らめく。
それも霧散霧消し、消え果てる。
くそ、幻影魔術か。
男、デレークは舌打ちをした。
騎士団員に囲まれ、両手首には魔封じの手錠がかけられ、拘束魔術で体を光の鎖で縛り上げられた。
背中からぐっと押され、膝をつく形になる。
「はは、いつから気づいてんですか?」
デレークは半笑いで尋ねた。
「いつ? ――そうだな。
お前の動きが怪しいと、トーマスから前々から報告は受けていたんだ。
最近の剣の捌き方に違和感がある、と。まるで別人のようだ、とも言っていたな」
「それだけで俺を疑い始めたんですか?」
デレークは鋭く睨みつけ、ルシアンを見上げた。
ルシアンはゆったりと首を振り、怜悧な笑みを浮かべた。
「いいや、最初は剣の型を変えたのかもしれない、と思って歯牙にもかけなかった」
「じゃあ、なぜ?」
「決定的だったのは先日の旧離宮の乱闘だ」
デレーク扮する工作員は目を見開いた。
「あのとき、ヴァービナス女官がワルト・チェッカレッチの整形に気づいた。
ひょっとしてお前もまた、デレーク・シャードマになりきるために顔を整えたのではないか、と疑問をもったわけだ」
デレーク・シャードマと目の前の工作員は背格好も髪や瞳の色までもが瓜二つだった。
もともとデレーク・シャードマは特に特徴のない顔立ちだった。
会って別れた次の瞬間には、その顔立ちを忘れてしまいそうになるぐらい印象の残らない。
それを第3騎士団長トーマス・ケリークロノムは有効活用し、王城内外の諜報活動に活用していた。
だが、それを逆手に取られたのだ。
「決定打は、あの日、お前が急遽欠勤したことだ。
欠勤のくせに城内には、お前の魔力が感知された。
いや、王城外でのテロ集団との乱闘で、お前の魔力を帯びた攻撃があったと総帥から報告があった」
美しく怜悧に微笑むルシアンに工作員は、あからさまに舌打ちした。
「ちっ、気づいていたのか」
総帥を狙って遠方から攻撃していたことを。
「侮っては困る」
ルシアンは低く凄味を持って言い放った。
工作員はびくっと肩を震わせる。
「あの方の魔力は甚大だ。つまり、魔力感知も当然鋭い。
お前は隙をついた不意打ちを狙った攻撃だったようだが、全部無駄骨であり、自ら証拠を残した」
本来軍部総責任者の総帥は、軍師とともに出陣せず、会議室で指揮をとるものだ。
だが、あえて最前線に立ったのは、王城を守る意味もあるが、騎士団員の裏切りを炙り出すためでもあった。
スキンヘッドで豪快な風貌に似合わず、彼は繊細な魔法を操る。
しかも、百名近くいる魔法騎士団員や王城の衛兵の顔と名前、魔力をすべて記憶しており、身内からの攻撃魔法を受けた場合、誰の魔力なのか瞬時に判断できる。
「くそぉ」
「残念だったな」
「じゃあ、なぜ俺がここにいると知ってただ?
しかも、ここに忍び込むまで察知するなんて……」
「ここに来てクロフォードからヴァービナス女官の情報が敵に漏れていると聞いてね、すべての点がつながったのだよ。
その上、ヴァービナス女官からもザハル爺と共に現れた男の人の特徴を聞いていたしね」
ルシアンは苦笑する。
詰所に戻って来た彼女はかなり酒に酔っていた。
それを思い出すと、つい笑いが込みあげそうになる。
なぜここまで酔っているのか。
レイノルドから事情は聞いた。
だが、エレナの盛大な酔いっぷりは凄まじく、あのクロフォードが呆れ返りながらも甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
その傍らで書記官として控えるレイノルドがじっと恨みがましくふたりの姿を見つめている姿は、ルシアンとしてはなかなか滑稽な光景だった。
*
「えーっとですね、ザハル爺は若い男を従えてましたよぉ」
酒に酔い、眠気が増したエレナは欠伸を噛み殺しながら聴取を受けた。
「魔力を押し隠すのが上手い方で、わたし、あっという間に後ろをとられて、睡眠効果を含んだ布を嗅がされましたぁ。
あれは痛恨のミスでしてね」
酩酊しながらもエレナは、クロフォードたちが遺体処理場の穴に落とされた直後のことを断片的だが、核心だけは驚くほど正確に話す。
「あの方は……そう、統率された組織に属する人の動きでした。
俊敏で動きに全然無駄がないっていうか……」
「統率された……。
ほう、興味深いことを覚えてるね。
それはマリュード皇国の工作員ということかな?」
ルシアンはクロフォードから差し出された水を飲むエレナをじっと見た。
「いいえ、工作員じゃないです。
違いますよぉ」
「へえ、面白いことを言うね。
工作員と武官。どう違うんだ?
参考まで教えてくれ」
「ふふ、いいですよ」
エレナは得意気になる。
「武官の方々は、規律のある動きが特徴です。背筋を伸ばし、堂々と大地を踏みしめ、動きは重厚で力強く、正面から突破することを恐れません。
で、工作員はというと、足音を消し、呼吸すら抑えて、周囲の死角を探し続ける。
この前の旧離宮の乱闘のとき、ワルトとキムバートンに散々不意打ちを狙ってくる攻撃ばかり仕掛けられましたから!」
そういってエレナは鼻を鳴らした。
「なるほどねえ」
ルシアンは面白い生き物を見るかのように、しげしげとエレナを眺めた。
酔っ払いにしては的確だ。
「人相とか、なんでもいい、特徴を覚えていないか?」
「う~ん、背後に回られてしまったので、なんとなくしか言えませんけど、髪色は焦げ茶、瞳は灰色でした。
レイノルドの灰色よりももっと濃い感じですね」
エレナはあっけらかんと言うが、突如名前を出されたレイノルドは驚いたような顔をした。
「そうか、具体的でいいたとえだ」
ルシアンはニヤニヤしながらレイノルドを見た。
レイノルドは恥ずかしそうに視線を落とす。
それをクロフォードが冷ややかな眼差しを向ける。
これは、明らかな三角関係というものか。
ルシアンは密かに笑いをかみ殺した。
*
デレーク・シャードマの遺体はある領地のある森の土深くで発見された。
しかも、医療器具で大量に血を採取された跡も見つかっている。
ルシアンは捕縛したデレーク・シャードマに扮していた工作員に淡々と話し続けた。
「まあ、そういうことでね、お前が偽物であることは判明しているんだよ。
で、ヴァービナス女官をマリュード皇国の王子様の献上品にしようとする動きがあるのも、捕虜から聞き出している」
捕虜、クロフォードが少々拷問をやり過ぎてしまった異国の女――アマリリアナだ。
不老の薬を実験台として与えられていた彼女は、実年齢にそぐわず肉体は三十代前半に見える若さだったという。
その分、知恵は回り、アマリリアナは虎視眈々とヴァービナス女官の所在の情報をクロフォードから聞き出そうとしていたらしい。
目の前にトマという従者の少年に扮したヴァービナス女官がいるとも知らずに。
そして、領主邸に潜り込んだミラという侍女との連絡係であった。
領主所持の魔力石の在処と中央からクロフォードとヴァービナス女官がやって来る情報をミラから入手した彼女は、ザハル爺という闇ギルドを取りまとめる正体不明の老人に伝えた。
領主の娘フレデリカがクロフォードに惚れ込んでいることをいいことに、彼女にヴァービナス女官の居心地が悪くなるように仕向け、ヴァービナス女官が一人になるタイミングを狙っていた。
だが、思いのほか、彼女には領主夫人の侍女、もしくは、クロフォードがべったりで全然一人になる気配がない。
そこでフレデリカは彼らが潜入しているスラム街に出向いたというわけだ。
仲間に、エレナが少年に扮している、ということを伝えに。
「そりゃあ、王子様の献上品が逃げたら取り返しに来るよな」
拘束された工作員の瞳には、なお消えぬ闇の光が宿っていた。
まるで背後にさらに大きな影が控えているとでも言うように。
ルシアンはその視線を見逃さず、静かに息を吐いた。
(……まだ終わりじゃないな。
背後にいる黒幕を炙り出すのはこれからか)
騎士団員たちが工作員を連れ去った後、仮眠室には静寂が戻った。
その仮眠室の隣で、エレナと小次郎は深い眠りへと落ちていた。




