第119話 変装令嬢たちの反撃開始⑪――悪徳医師の終焉と、潮騒の祝杯
家主は戻って来ない。
ルシアンの指示により、魔法騎士団員たちはラダース医師ならぬ、国際指名手配になっているスティーリン・ド・ラクロワの家から一度引き揚げた。
引き揚げたといってもここからが正念場である。
彼を逮捕するのに充分な犯罪の証拠となる書類はすべて押収した。
応援部隊をいくつかにルシアンは分けた。
自衛警察団の詰所に証拠書類を持って、捜査を続ける者。
第8騎士団と合流し、現状況確認をしに行く者。
そして、ここに残り、家主を捕縛するまで待機する者。
待機する者たちはスラム街や平民の格好に着替え、屋敷から離れ、監視しながら息を潜ませる。
「で、クレインバール卿まで何で平民の格好なんだ?」
クロフォードが呆れるように声を上げた。
「そりゃあ、目立っちまうからな」
ルシアンは、粗末な麻布のシャツに袖を通し、擦り切れたズボンを腰に巻いた。
髪を乱して埃をまぶし、顔には煤を塗る。
生き生きと楽しそうに衣装チェンジをするルシアンに、クロフォードは苦笑した。
「う~ん、どれだけ服を貧相にしても、平民には見えませんね」
微妙な顔つきでジーンが、正直に感想を言った。
クロフォードも同感で、何度も「うんうん」と頷いた。
「そうか?」
ルシアンは不服そうだ。
自分なりに貴族らしくなく変装できていると思っているようだ。
「無理がありすぎるんだよ」
ルシアンは容姿が整いすぎているし、なによりも育ちの良さが滲み出ている。
気品溢れすぎて、明らかにどこかの貴族がお忍びで遊びに来た、という感じだ。
それはクロフォードも同じ。
その辺、クロフォードは身をわきまえている。
どうせ平民に化けたって、逆に怪しまれるだけ。
「まあ、隠れるだけだし、問題ないだろ」
ルシアンはご機嫌に言うと、クロフォード、ジーンを従え、スティーリンの家から離れた漁師の船に身を潜ませた。
そのとき、海の沖から異様な気配がした。
三人ともぴくりと反応する。
「チッ、このタイミングで魔物か」
ルシアンは舌打ちをした。
「だな……何の気配?」
クロフォードは頷いた。
「この気配はクラーケンですね」
ジーンが神妙に呟いた。
「マジかよ。あれだろ? リッカが毎回追っ払っているっていう」
「ええ、それです。
ですが、あれは追っ払っているというよりは、完全に遊ばれていますね。
自分の陣地を見回りにきたクラーケンが、渋々人間の小娘と遊んであげてる、という感じです」
「なんだそりゃ」
クロフォードは呆れた。
「なあ、クロフォード。
あれ、エヴァンとレイノルド。
それからヴァービナス女官じゃないのか?」
ルシアンが不思議そうな顔をして、海の沖合を指差す。
見ると、確かにその三人がいる。
「なんだよ、アイツら。
ちゃんと人質奪還してるじゃないか」
クロフォードはほっとし、思わず笑みが零れた。
「だから言っただろ?
クロフォードが直接出向く必要はないって」
ルシアンが勝ち誇ったように笑った。
「んだよ。
それ、結果論だろ?」
「まあまあ。
レイノルド殿でしたっけ? 文官の彼。
彼がフレデリカ嬢を抱えているので、誘拐騒動もこれで一件落着ですね」
「ああ」
そのとき、気配がした。
クロフォードたちと同様に海を見ていた老人が手に持っていた林檎やパンをバラバラと派手に音を立てて落とす。
あんぐりと口が開き、目を見開いている。
「来ましたね」
ジーンが声を潜めた。
「ああ」
クロフォードは頷く。
***
「なんてことだ……あの娘、逃げ出しおって……っ!」
スティーリンは青筋を立て、地団太を踏んだ。
そのままドシドシと音を立て、勢いよく自分の家に向かう。
「まずいな。
早々にここを引き上げねば」
表情は暗く、低い声で呻くように呟く。
注射器一式を紛失したが、あの娘を確保できたことで、かろうじて首の皮が繋がっている状態だ。
このままでは、ザハル爺からお叱りを受けてしまう。
いや、お叱りだけならいい。
反発する若者たちの台頭を皮切りに、どんどんボロが出てきている。
今まで尻拭いをしてくれていたワルトやキムバートンは、もう頼れない。
くそっ……っ。
ここは最高の研究所だったのに。
後ろ髪引かれる思いだが、命は惜しい。
ザハル爺に殺害される前に去ろう。
「そうそう、あやつら……」
去る前に、遺体処理部屋に閉じ込めたあの二人の様子を確認しておこう。
いくら魔法が使えてもヴォイドクリスタルに囲まれている密室だ。
そろそろ魔力が尽きて水の中に落ちているはずだ。
気づくとスティーリンは、駆け足で家に入っていた。
けれど、なんとなく、違和感があった。
静まり返った部屋。
人のいる気配はない。
けれど、何かがおかしい。
スティーリンは気味悪そうに部屋の中を見て回る。
身を低くして進み、家の中を隈なく確認する。
家の中は整理されているし、ゴミも落ちていない。
家をザハル爺と共に出たときと同じだ。
だが、長年の勘か頭の中で警鐘が鳴り響く。
警戒せよ!
だけど、なにを?
もう一度部屋をぐるりと見回す。
何かが違う。
そう、スッキリし過ぎているんだ。
書類がキレイさっぱりなくなっている。
スティーリンは診察室に入り、カルテを探す。
カルテが置いてある棚が空っぽだ。
「ない、ない」
スティーリンはハッとして、暖炉の前に走った。
敷いてある絨毯を勢いよくめくった。
そこには隠し扉があり、地下に続く階段がある。
小麦粉を薄く広げ、万が一誰かが侵入しても分かるようにしてあった。
だが、小麦粉はない。
キレイになくなっている。
頭の中でますます警鐘が激しく鳴り響く。
まずい、ここから逃げなくては!
体を翻したその時。
「鎖よ、正義の名にて顕現せよ。
――拘束の環!」
詠唱が聞こえた時、何が起きたのか全然分からなかった。
次の瞬間には、空気が重く沈み、光の鎖が自分の身体を縛り付け、足首も拘束されていた。
身動きが取れず、地面に転がる。
天井からバラバラと屈強な男たちが降りてきた。
「なっ……!」
がっちりと鍛え上げられた身体、統率された組織の匂い。
スティーリンは狼狽する。
何が起きたんだ?
家の扉が勢いよく開いた。
三つの影があった。
「 あんたが国際指名手配のスティーリン・ド・ラクロワか」
怜悧で低く、聞いたことのない声が響く。
その男は平民の服装をしていたが、鋭すぎる刃物のような眼光は隠しきれない。
じろりとスティーリンを見下ろす。
やけに整った容貌がさらに凄味を増す。
両サイドにいる男たちは、まさに遺体処理部屋に閉じ込めたはずの男たちだ。
若干疲労はみえるものの、全然憔悴していない。
「残念でしたね、ラダース先生」
「ジーン……」
吐き出すようにその名を言い捨てた。
カッと血が昇った。
「貴様、図ったな!」
吟遊詩人だかなんだか知らないが、前々からつき纏って来て鬱陶しい男だと思っていた。
柔和に微笑むその笑顔の目の奥は全然笑っていない。
常に鋭くこちらを観察し、探ろうとする目つき。
ずっと気に食わなかった。
ちっと舌打ちした。
そして、もう一人。
莫大な魔力を隠しているくせに、やけに端正に整った顔立ちの男。
不気味な気配を押し殺す。
一触即発で爆破しそうな危うさがあり、隙を見せたら瞬く間に殺されてしまいそうだ。
とんでもない化け物の逆鱗に触れた気がして、末恐ろしくなった。
身体が震えた。
――儂はこんな青二才どもに負けたというのか。
***
倒したクラーケンの死体、いや、巨大なイカという食材を港まで引っ張った。
最初は、レオンに紹介された地元漁師のヴェルという日焼けした少年の小舟だけだったが、そのうち、他の漁師たちも船を出し始め、共に港まで引っ張り上げた。
その光景は、街全体がひとつの勝利を分かち合っているようだった。
エレナたちがクラーケンを引き上げて陸地に戻ると、市場に集まった人々は一斉に歓声を上げた。
市場の人々は、こぞって巨大な触腕を切り分け始める。
「これは生きのいいイカだ」
「どう調理しようねぇ」
市場の中央に広げられた巨大なイカの身は、次々と切り分けられていく。
子どもたちは目を輝かせ、漁師の妻たちは大鍋を持ち出し、ぶつ切りにした身を野菜と共に煮込み始める。
「こっちはイカの煮込みにするよ」
湯気の中から立ち上る香りは潮の匂いと混じり、通りを歩く人々の腹を鳴らせた。
「それなら、こっちは吸盤の香草炒めだ」
鉄板の上では薄切りにされた身が焼かれ、香ばしい匂いが市場全体を包み込む。
串に刺された小片は炭火で炙られ、滴る脂が炎に弾けて人々の歓声を誘った。
やがて、広場には大勢の人たちが集まり、即席の饗宴が始まった。
「信じられない……あの化け物を食べるっていうの?」
フレデリカは顔を真っ青にさせた。
「あはは、大丈夫です。
フレデリカ嬢は食べなくていいんです。
あなたはご両親のもとにさっさと帰りましょう。
それはもう心配されてますよ」
エヴァンがにこっと微笑んだ。
「けど……」
「イカスミはパスタやリゾットなどのソースにする手もありますが、魔素量が多いので、こういう場合は魔導インクや解毒剤加工するのがベストですね」
レイノルドが、フレデリカを迎えに来たコンラートに淡々と説明をする。
「ほう、それは凄い。そういう使い道もあるんですね」
コンラートは必死にメモをとる。
「カラス口、つまり軟甲はどうすればいいですか?」
「医療用の止血剤の材料になります。
変わり種で魔導具に使う魔導具師もいますけどね」
「じゃあ、内臓は?」
「クラーケンの肝は巨大な脂質の塊です。
肝臓は精製すれば、高級な魔導油になりますし、良好な栄養補給ペーストの材料にもなります。
胃袋は非常に強靭な膜なので、洗浄して乾燥させれば、魔法液をいれる水筒にも加工できますよ」
「ほ~」
レイノルドとコンラートのやり取りを聞いていた聴衆たちが声を上げた。
「あんた、若いのによく知っているね」
「化け物も解体してしまえば、食べる以外にも人間の役に立つんだ」
周囲があまりにも感心するので、レイノルドの顔がサッと赤くなった。
それをフレデリカはやや冷ややかな目で見た。
(なによ、ちょっとカッコいいと思ったけど、単なるマニアじゃない。
魔物の解体に詳しすぎで気持ち悪いわ)
「ほら、飲んで飲んで」
騒がしい集団に視線を投げれば、若者たちの中心にエレナ扮するトマがいた。
エレナは、漁師のヴェルに気に入られたようで、「クラーケンを倒した英雄だ」とさっきからお酒を振舞われている。
相変わらず人付き合いが下手なのか、エレナはおどおどしている。
それでも必死で街の人たちと「乾杯」を繰り返し、煽るように酒を飲まされている。
そんな姿から、アカデミー時代に見せた人と一線を引く姿はもはやなかった。
フレデリカは冷ややかにエレナを見た。
(あぁあ、あんなに飲まされちゃってぇ)
ほんのりどころか、かなりエレナの顔が赤い。
やけに色気を含み、潤んだ瞳がなんだか妖艶だ。
エレナを少年と思っている男たちだが、なんとなくトマが女性に見えて頬を赤く染め上げる。
「なあなあ、これも飲めよ」
エレナに触れようとする輩も出始める。
もちろん、男性にそこまで免疫のないエレナは驚き、硬直するばかりだ。
(その辺は相変わらずなのね。
婚約破棄したのは知っていたけど……)
この国では令嬢が婚約破棄されることは、醜聞となる。
だからこそ、両家共に婚約する前に慎重になるものだ。
フレデリカの婚約も、フレデリカが拒否していることも相まって、一向に話は進んでいない。
若者の中心の中に、怒り肩でレイノルドがかき分けて突入していく。
どうやら、ようやく彼はコンラートの質問攻めから解放されたらしい。
「飲み過ぎだ」
エレナにつがれたお酒の容器を取り上げて、レイノルドが代わりにごくごく勢いよく飲む。
エレナはどこかぼ~として、えへへとふにゃけた笑顔をレイノルドに向けた。
「レイノルド、おかえり」
レイノルドの耳の後ろがカッと赤くなった。
「ほら、しっかりしろ、トマ」
レイノルドはエレナの細い腕をつかんで、奪い取るように自分の方へ引き寄せた。
「なんだよ、トマを独り占めするな」
ヴェルが気に入らないと口をすぼめた。
「お前、酒を飲ませすぎだ。
トマももうお酒はダメだ。
酒を飲み過ぎるのは良くない」
「いいじゃないか、あんなにカッコよくクラーケンを仕留めたんだぜ。
こういうときこそ祝って飲まないと!」
興奮が収まり切れないヴェルがエレナの肩を組む。
ヴェルからしてみたらエレナは立派な男の子なのだろう。
貴族に仕える同い年の友達が出来たと思っているようだ。
だが、レイノルド的には馴れ馴れしすぎて面白くないのだろう。距離だって近い。
ひっぺ返すようにして二人を引き離す。
「トマ、せめて何か食え。
空きっ腹はだめだ」
レイノルドはエレナに言わず、ヴェルに向かって言った。
「なんだよ、邪魔するなよ!
レイノルドはトマの何なんだ⁉」
むっとしてヴェルはレイノルドを睨みつけた。
「俺は……エレじゃない、トマの同期で仲間だ!」
レイノルドも年甲斐もなく年下相手に本気でムキになっている。
フレデリカは、うっすらとずきっと胸が痛む違和感を覚えた。
その一方で、やっぱりなぁ、と心の中で呟く。
彼がエレナに密かに想いを寄せているのは、さっきから薄々気づいていた。
公爵家子息のレイノルド・ハウルデュース。
この調子だと、近いうちの将来、公爵家から彼女の実家に正式に婚約話が持ち込まれそうだ。
そうなったら、エレナ・ヴァービナスはどうする?
クロフォードは?
(――クロフォードは、きっと彼女が別の男と幸せになることを望むんでしょうね)
クロフォードは、誰とも結婚しない。
そんな予感めいた確信がしていた。
*
「ほらほら、喧嘩しないの。
勇者様、スパイスたっぷりイカ焼きだよ。
いっぱい召し上がっておくれよ」
恰幅のいい女性が、若者たちの輪の中心に串焼きの大皿を持って来た。
エレナに女性が差し出すと、エレナが満面の笑みを浮かべる。
「わぁ、ありがとうございます」
イカ焼きの匂いにつられたのか、エレナのポケットから小次郎が顔を出した。
けれど、それは街の人々には見えていない。
エレナはさりげなく小次郎に一口サイズのイカを与える。
小次郎は器用に両手で持ってもぐもぐ食べ始める。
「リスってイカ、食べるんだね」
『俺様は特別だ!
うまいぞ、これ』
小次郎は美味しそうにイカを平らげる。
*
一方、フレデリカは首を傾げた。
(あら?)
エレナのところで空気中に浮いたイカの破片が見えた。
そればかりでなく、その破片がだんだんと消えていくのだ。
思わず目をこすった。
(……私、疲れているのかしら)
フレデリカが眉をひそめていると、ちょうどお迎えの馬車がやって来た。
「さっ、フレデリカ様、帰りましょう」
意気揚々とコンラートが促した。
そう、これでようやく家に帰れる。
――長かった。
長くてとても怖い時間だった。
ミラの裏切りはとても哀しかった。
けれど、それだけ両親にも自分にも隙があった証拠でもある。
これからは、自分の身は自分で守らないと。
フレデリカは振り返らず、馬車に乗って屋敷に戻った。




