第103話 変装令嬢と48時間のカウントダウン⑥――亡霊の足跡
[夜鴉盟約]の一味の女から漏れ出た、彼女の奴隷契約者の名前。
「……通称、ザハル爺」
聞いたことのない名前だ。
クロフォードとエレナは首を捻った。
その様子を察知した女は、肩をすくめる。
「ジーンだっけ、あのスラム街に顔出してる吟遊詩人に聞いてごらん?
きっと名前くらいは知っているはずだから」
「それぐらい有名なのか?」
「ここらの裏社会ではね」
白髪で痩せこけた体、ボロ布をまとい、杖をついて路地裏やスラム街で歩いている老人。
常に薄笑いを浮かべ、ぶつぶつと呟き、誰も近づきたがらない。
だが、その存在は街の裏社会では「見てはいけない老人」として恐れられている。
「ふうん。お前同様、五十年前からこの街に棲みついているってことか」
「いいや、私より遥か昔からいる不死身ジジイだよ。
その時と今も、全然姿が変わらないんだ。気持ち悪いだろ?」
女は自嘲気味に笑った。
「まあ、かくいう私もヘマすると実験体ということで、変な試薬品を飲まされたら、中途半端に年を取った状態だ。
身長は伸びず、顔だけは老けちゃってさ……」
女は唇を噛み、視線を床に落とした。
「お前に呪術の従属契約を施せるということは、そのザハル爺は、マリュード皇国の工作員だな?」
クロフォードの問いかけに女は一瞬、躊躇い、そして頷いた。
「たぶんね、そうじゃないかな。
詳しいことは知らない」
女は首を振った。
「分かっていることは、私が次ザハル爺に会ったら、それはもう魔石を作るために血を一滴も残らず搾り取られる。
その材料になるのは確定ってことだけ」
冷笑を浮かべる一方、彼女の顔は強張り、指先が震えていた。
――ヘマをすれば、『調整所』に連れて行かれる。
砂浜で首以外埋められ戦々恐々とする男たちの台詞が横切った。
どうやら、それは本当のことのようだ。
失敗をすれば、人体実験の材料にされる。
想像するだけで背筋が寒くなる。
「なるほど、それで山岳地方の投獄を希望したのか」
「そうだよ。
最期くらいあの爺から離れたいんだよ。
分かってくれるかい?」
女は、わざとらしい猫なで声を出して仇っぽくクロフォードを見た。
けれど、クロフォードは顎に手を当て、冷ややかな眼差ししか向けない。
どこか非難めいた軽蔑が滲む。
「悪いな、お前と司法取引してやりたいところだが、俺はお前を一切信用していない。
だが、ザハル爺の名前以上に信憑性の高い情報を吐いたなら、罪状を軽くしてやれるかもしれない。
どうだ?」
女は一瞬面喰った表情になり、それからニッと口角を上げた。
「いいよ。
どうせ話さないと爪を剥がされる拷問になるんでしょ?」
「当たり前だ。
お前は貴族の娘を誘拐した仲間だ。
つまり共謀罪。
極刑を免れるだけラッキーってもんだろ」
「なかなか容赦のない一言だね。
そうだねぇ……信憑性の高い情報ねぇ……」
女は思いつめたような顔つきで、何か思案し出す。
口を開きかけては閉じ、言葉が喉まで出かかっては、怯えたように飲み込む。
やがて、ゆっくりと話し出した。
「ザハル爺のところには、いろんな奴らが出入りしていたかな。
先日の橋に爆発物を仕掛けた『黒の杖』だっけ?
あれの中心人物みたいな貴族たちも来てたよ」
「貴族たち、ということは他のヤツもいたということか?」
「ああ、いたね。
貿易商だったかな。
随分と若い、貴族気取りの異国から来た男。
しょっちゅう顔を出してたよ。
二年前くらいからかな、一時期ここに長く滞在してたからよく覚えてる」
「商人か。特徴は?」
「大柄でガタイがしっかりしていて、瞳は漆黒で……。
あと、とにかくいい男だったよ。
さすが世界を飛び回る貿易商だよね、
おしゃべりも軽快でなかなか楽しい男でね、愛想もいい。
身なりもいい上に、なかなかの紳士。
私にも時々珍しいお菓子をくれたりしてね、あれは女の扱いがうまかった」
懐かしそうに女の顔が少し綻ぶ。
「具体的にどこの国の商人だ?」
「あの顔は、東北側の……そう、アイルー山脈を越えた地域の顔立ちだ。
やけに肌が白くて、日焼けすると皮膚が赤くなる。
北側の寒い地域に住む人間の特徴さ」
女は得意げに言った。
アイルー山脈を越えた地域――この前遊学にやって来たナイトレルム侯国、そしてその隣、マリュード皇国の領地だ。
「それに、あそこら辺の国は違法薬物を合法的に製造しているっていうから、変なクスリを売っていたのを見た時は、やっぱりどれだけ紳士ぶっても裏社会に通じる男だなと思ったよ」
皮肉めいた女の言葉だったが、その瞬間、エレナとクロフォードは、同時にぴくりとこめかみを動かした。
互いに目配せし合う。
北側からやって来た異国から来た貿易商の男。
薬の売人。
漆黒の瞳。
ガタイのいい体格。
女性の扱いが上手い。
ザハル爺と行動を共にしていた。
マリュード皇国の工作員と想定される男――。
エレナがぱっと思い浮かんだ一人の男。
クロフォードも同一人物を思い描いたのだろう。
列挙された特徴のすべてが、一人の男を指し示していた。
まさか、そんなわけがない。そう思いつつも、横切った顔を打ち消すことができなかった。
エレナは弾けるように資料の山に向かい、一枚の手配書を探し始めた。
考えすぎよ。
ほら、そんな特徴を持った貿易商はこの世に大勢いるのだから。
商人は大抵口が達者だし、女性の扱いだって慣れている者が多い。
商品を買ってもらうために平気でおべっかを使う。
たまたまマリュード皇国付近で出身の男で、きっとザハル爺と故郷の話をきっかけにクスリの裏取引を始めただけなのかもしれない。
でもでも。
万に一つ、あの男だったら?
エレナはゾッとした。
もしそうだったら、わたしの想定以上前から、彼らは年月をかけてこの国に静かな攻撃を仕掛けていたことになる――。
そう思った瞬間、エレナは背中を冷たい汗が流れているのを感じた。
きっと、考えすぎだ。
一つのことに夢中になると、それが覆るまで追い続けるのは、わたしの悪い癖だ。
葛藤する自分の内なる声が、ふっと首の後ろが粟立ち、空恐ろしくなった。
エレナは、必死で資料を探した。
自分の考えを打ち消すために――。
『どうしたんだ? エレナ』
驚いた小次郎は、エレナの肩によじ登って不思議そうに首を傾げた。
忘れることもできない、あの男。
――では、エレナ・ヴァービナス嬢。
また会える日があれば。さようなら。
最期、エレナに向けた屈託のない笑顔を見せた。
漆黒の、吸い込まれそうな深淵ともいえる双眸が、いまだ脳裡に焼き付いている。
「あった!」
取り出したのは一枚の手配書。
エレナは走って女のもとに駆け寄り、詰め寄るように手配書を見せた。
「ひょっとして、この男じゃない?」
「ああ、そう、この男! へえ、隣国で指名手配されてたのか」
女は愉快そうに口元を上げた。
エレナは絶句した。
やっぱり……!
「うそだろ」
瞬く間に、クロフォードの顔が歪んだ。
『コイツって……』
小次郎も覗き見、言葉を失った。
エレナが見せたのは、お隣のインリューラーク王国のお尋ね者、アイタリナ・ペトロヴィッチの手配書だ。
改め、そう名乗っていたワルト・チェッカレッチ――。
(まさか、あの時の悪夢の人物がこんな遠くの港町で繋がるだなんて……)
師匠のマインラートが、「数年前この街に彼が潜伏していた」と証言を得たために、彼の手配書を正式な記録の一部として添付してくれていた。
だけど、これをついさっきここで見つけたときは、「マインラート様、考えすぎだよ」なんて鼻で笑ってしまっていた。けど、そんな浅はかな自分が恥ずかしい。
エレナは、カッと顔が熱くなった。
あの悪夢が蘇る。
おぞましい姿の屍鬼。
同僚の先輩を誑かし、騙し、殺害し、呪術でその魂を骸に入れた敵国マリュード皇国の工作員の男たち――。
マインラートの用心深さに感銘を受ける一方、エレナは彼らとの因縁を強く感じた。
ふと、女が思い出したように声を出す。
「そうそう、今流行りの『魔力石生成をやろう』とザハル爺に言い出したのもそいつだよ」
「え?」
エレナとクロフォードの表情が強張った。
ざわっとする感覚。
「本当は王都近くでやりたいところだけど、魔法騎士団に目を付けられると厄介だからって。
こういう離れた人の出入りの激しい街の方が相応しいって、得意げに提案してたよ」
女は、喜悦に満ちた顔を浮かべた。
エレナとクロフォードの顔が徐々に強張った。
女は、非常に有益な情報を与えてやったと言わんばかりに胸を張った。
「そうそう、この国にない医療器具を手配したのも、いろんな移民を誘致をしてスラム街に住まわせたり、あと、魔力石生成のために魔力持ちの女ばかり連れてきたのもあの男だよ。
この街の行方不明者の女たちは、そいつに誑かされた愚かな者ばかりだよ」
まさか、とエレナは思った。半信半疑だった。
けれど、彼なら可能だろう。
あれだけ用意周到に何年もかけてこの帝国転覆を計画して、警備が厳重な王城に堂々と侵入してきたのだから。
事前に『魔力石』というモノの情報をどこからか入手し、様々な人が出入りするこの街をさらに混沌に陥れることぐらい造作もないことだろう。
「あいつらは人の血をただの『資源』としか見ていないんだよ」
くっくっと肩を揺らして女は、青ざめるエレナの顔を面白がって覗き込んだ。
エレナはぎゅっとズボンを掴んだ。
不意に、悔しさが込み上げてくる。
また、あの男にかき乱されるなんて――。
クロフォードはエレナ以上に怒りに似た感情を持ったのか、額を押さえ、激しく舌打ちをする。
「あの、くそ野郎っ。
やっぱり、アイツが一枚噛んでいやがったのかよ」
「あはは。その様子だとあの男のこと、高貴な貴族様たちも完全にノーマークだったようだね」
女は高らかに笑う。
愉快そうに歪んだ微笑を浮かべる。
その瞳は常軌を逸した光を宿していた。
瞳孔は不自然に開き、まるで仮面の裂け目のように吊り上がる。
不気味に揺らめく眼光に、エレナは背筋に寒気が走った。
「男ってのは底なしの強欲なのさ。
良いことを教えてあげるよ、坊や」
ぐっと女の強い眼差しがエレナを射抜くように見る。
女の唇が裂けるように広がり、歯が不自然に覗いた。
笑っているのに目は瞬きせず、かえって不気味さを際立たせる。
「最近の女の行方不明者、あれは勢いを増した[夜鴉盟約]の若手が積極的に行っているんだよ。
血を抜く前に犯すんだと。
輪姦して女のプライドをズタズタにして、逃げる気力を失わせるんだ。
まさに鬼畜の所業ってやつ」
エレナは戦慄し、ますます言葉を失った。
そんなエレナの表情に女は満足げに見つめ、ニタァと嗤う。
「それでね、そのまま他国に奴隷として売りつけるんだって。
実際、私はあの若造どもが自慢げに寝物語で語っているのを聞いたし、その現場も見てきた。
あはは、本当、いい気味だよね。
帝国民だかなんだか知らないけど、この国で単に生まれたというだけで、私たちを差別し、虐げてきたんだからさ。
あの領主の娘も同じ目に遭わないといいね、あははは!」
女の不愉快な笑い声は部屋中に響き渡った。
エレナの胸の奥で、熱と冷気が同時にせめぎ合うようなざわめきが走った。
それは怒りのように鋭い。
理屈では説明できない感情が、血流を逆巻かせ、心臓を乱暴に叩き始める。
敵は自分たちが気づかぬ間に、帝国の末端から、そして罪もない女性たちの尊厳から、じわじわと腐敗させていたのだ。
言葉にならないまま怒りに似た衝動が喉元にせり上がり、視界を赤く染めた――。




