第104話 変装令嬢と48時間のカウントダウン⑦――深淵の残り香
魔力保持者を執拗に狙う女の口から、語られる数年前ワルト・チェッカレッチが潜伏していた実態。
それは、人の皮を被った獣による、正視に耐えない蛮行の記録だった。
耳を塞ぎたくなるようなおぞましい所業の数々に、エレナは手配書を握り潰さんばかりに指に力を込め、震える唇を無理やり押し上げた。
「ねぇ、この男は兄弟とかいる?」
ふいに、女が穏やかな声音で尋ねた。
「え?」
「三年半前にも、その男に似ている男が来たんだよ」
女は思い出したように話し出す。
「似ている男?」
眉をひそめたクロフォードが、さらに訝しげに歪んだ。
クロフォードはエレナと対照的で冷静だった。
ちらっとクロフォードがエレナを見た。
視線が絡み合った。
――煽られるな。
そう窘められている気がして、エレナはまたカッと顔が熱くなった。
そうだ、彼女の瞳は何一つ諦めていない。
本音を少しずつ小出しで話しながらも、こちらの様子を伺い、隙あらば逃げようと虎視眈々と機会を窺っている。
ここで怒りを露わにしたら相手の思う壺だ。
エレナは深呼吸をした。
沸騰していたはずの脳が、徐々に冷静になっていく。
「その似ている男は、ザハル爺のところに来たのか?」
クロフォードが、無表情に冷ややかな眼差しで女に尋ねた。
女は残念そうな顔をした。
「はあ、あんたは一筋縄じゃいかなさそうだね。
あんたの目――人を殺してきた殺人者の目だ」
口元を歪めて女が吐き捨てた。
エレナは息を呑み、弾けるようにクロフォードの横顔を見た。
クロフォードは、瞬きせずにじっと女を貫くように、怜悧に視線を注ぐ。
「だから、なんだ?
質問に答えろ」
相変わらず無表情で、冷たい。
驚くほど低い声音に、恫喝が僅かに滲んでいる。
(こんなクロフォードの表情、初めて見た……)
エレナは密かにぎくっと体を強張らせた。
女は、はあ、とため息をついた。
「そうさ。その男は、なんとなくだけど、手配書の男と似ていたんだ。
けど、目が青かったし、髪色も違っていたから、明らかに血統が違う。
兄弟ではない、他人の空似かなと思った覚えがあるよ。
けど、なんだろうね……。
でも、とにかく雰囲気が妙に似ていて……」
女は考え込むような表情をする。
「そいつもぱっと見、いい男だったんだよ。
変わった男だったよ。
少しの間、好き好んで教会で掃除夫をしたり、孤児の世話を行ったりしていたしね」
不意に、一人の男の冷ややかな青い瞳が、エレナの頭の奥底でじんわりと蘇る。
浮き上がった像は、エレナを離さない。
エレナを威圧的に見下ろす迫りくる青――。
あの瞳と対峙したときの不安とざわめき、同時におぞましい感情が体の底からどっと溢れ出して、その暴力的な衝動が再び襲ってきた。
ぶるっとエレナは身震いした。
「よく見てください」
エレナは、結界内の女に再度手配書を見せて、尋ねる。
「本当にこの手配書の男に似ているけど、なんとなく違う雰囲気の男が来たんですか?」
エレナの思考の水面下で輪郭を現したのは、ワルト・チェッカレッチじゃないもう一人の男――現在、生死不明のキムバートン・アイヒヴァルトだ。
女は顎に手を当て、まじまじと手配書をもう一度舐めるように見る。
「ああ、うん。
すごく似ているよ」
ぎりっとエレナは歯軋りをした。
一見、あの男は紳士的で品行方正な青年に見えた。
教壇に立って教鞭をとるだけあって、教師独特の話し方と礼儀正しさ、静寂がある。
美しいけれど、不穏な予兆を感じさせる気味の悪い男だった。
どこか人を小馬鹿にし、世の中すべてを憎み、嘲笑うような言動。
平然と自分の目的のためなら、人の命を冷淡に扱う非道さ。
――偽善者。
脳裏の男が、薄い唇を吊り上げた気がした。
エレナは、自分の呼吸が浅く乱れ、指先が震えるのを感じた。
怒り、焦燥、恐怖。
それらが混ざり合い、足元から冷たい泥に沈むような感覚が迫る。
まずい。
エレナは、ぐっと唇を噛み締めた。
この感情に引きずられてはいけない。
そう思うのに、胃袋が熱く感じられる。
身体の中に火を呑み込んだみたいに熱い。
衝動は繰り返し、小さな爆発のように体の中で弾ける。
「でもね、この男は、……すごく奇妙だったよ」
訝しげに首を捻る女の声に、エレナはハッとした。
「奇妙?」
クロフォードが呟くように聞き返した。
「そう。こういう世界には、性格に裏表が激しい奴は多い。俗物的で利己的、他力本願。
けど、あいつはそれとはまた違う。
腹に一物を抱えた得体の知れない不気味さがあったね」
女の顔が忌々しいと言わんばかりに歪む。
「……あいつは女を心底憎んでいる。
女を滅ぼしたい。そういう歪んだ願望を持つ冷たい男だよ」
その言葉に、エレナは強く同意した。
(そのとおり。
同感だよ)
エレナはキムバートンと対峙したときのことが脳裏を駆け巡った。
最初、ワルトの方が何とも言えない禍々しさがあると感じていた。
けれど、彼と話して理解した。
キムバートンの方が危うい――
圧倒的な威圧感と彼の放つ魔力に不吉さを覚えた。
どこまでも続く、真の闇――ねっとりした深淵の闇がある。
あの闇に吸い込まれたら、何も浮かんでこない。
真っ暗な虚無。
ざわつく落ち着かない感覚。
心臓が鷲掴みされたように苦しくなる。
「それからすぐだよ」
女が静かに呟いた。
「新たな[夜鴉盟約]のボスが君臨した。どこかの国の貴族らしくて、やけに人体に詳しいって聞いた。今思えば、その男の伝手でボスになったのかもしれない」
「ボスか……。[夜鴉盟約]のトップの交代は三年前くらいか?」
クロフォードの声は、冷ややかだった。
「ああ、その男が来てすぐだったからそうだ」
三年前といえば、キムバートンが庶民の学校の教壇に立つ直前であり、また[夜鴉盟約]の勢力が急激に拡大した時だ。
「世代交代した理由はなんだ?」
クロフォードが尋ねると、女は素直に答える。
「内部抗争で先代が殺されたんだよ。
このギルドには血気盛んな馬鹿が多くてね、頻繁に内部抗争があるんだ。
現時点も若い連中とボス寄りの連中で争っているぐらいだ」
彼女にとって、内部抗争はいつものことだと気に留めていないようだ。
けれど、もし本当に彼女の前に現れたのがキムバートンだったとしたら?
その内部抗争も彼が意図的に引き起こし、その交代劇さえも彼が影で操っていた可能性が高い。
「今のボスはどんな奴だ?」
クロフォードは端的に尋ねた。
「さぁ、見たことはないから知らないよ。
今のボスは用心深い奴でさ、絶対にギルドメンバーの前に姿を現さないんだ。
教会のロッカーでやり取りして指示を出すだけ。
私はザハル爺から聞いた話しか知らない。
たぶん、ギルド内でもザハル爺しかボスの姿を知らないと思う」
教会のロッカー。
サンティエ広場の中央にそびえる聖マルス教会だろう。
エレナは不安に胸がざわつき、耐えきれずに視線を落とした。
キムバートンやワルトたちは、数年前から着実にこの国を侵食しようとしていた。
そして、ザハル爺――。
彼はこの街に長年潜伏し、街角にいる不気味な貧民として生き、ここら周辺の闇社会をひっそりと牛耳っていた。
街の浮浪者や乞食に紛れて情報を集めても、誰も彼を疑わないし、誰も気に留めない――
不意に背筋が寒くなった。
「そのボスがザハル爺という可能性は?」
クロフォードが尋ねた。
「あり得ないね。
先々代、先代と方針が毎回違うからね。
それでもザハル爺は、[夜鴉盟約]の常に実質ナンバー2の男だよ。
[夜鴉盟約]の一番の稼ぎビジネスである奴隷輸入業務の総責任者だしね」
女の声が部屋に響いた。
「奴隷輸入業務?」
クロフォードは眉をひそめた。
「ああ。海外から輸入した奴隷の選別を最初にして、残りを国外へ輸送するのが、ザハル爺の役目」
「選別というのは?」
「どれを闇オークションに出展するのか、もしくは、魔力持ちの奴隷はどれなのか。
それらを選び取るんだ。
で、それ以外の残りカスは、この街の大通りからライニード王国経由でマリュード皇国へすぐさま送り届けられる」
「へぇ。他国へ輸送っていうのは、マリュード皇国のことか」
クロフォードの口角が意地悪く、ニッと吊り上がった。
女は、ハッとして不意に押し黙った。
「やっぱり異国から連れてきた奴隷をこの港で降ろしていたんだな。
けど、実際、どうやってマリュード皇国まで運ぶんだ?
人数が多い。
そう簡単に大勢の奴隷を国越えは難しいはずだぜ」
クロフォードは腕を組んで、冷静を装って声を出す。
だが、そこには淡い期待が滲んでいる。
もともと、奴隷がここアイルナバロー連合帝国のどこかの港街からマリュード皇国に運搬されているのは分かっていた。
けれど、そのルートと運搬方法が明らかになっていない。
そのため検挙が難しく、特殊国境警備隊も手をこまねいているという。
うまくいけば、この女からそのルートが聞き出せるかもしれない――。
「はは、そんなの、決まっているだろ?
それが可能な奴らにカネを出して頼むんだよ」
女は鼻を鳴らして、にやりと笑い、親指と人差し指で輪を作ってひらひらと振った。
もうこれ以上余計なことは言わない、そう仄めかしている。
あえて確定的なことは言わないのだろう。
小賢しい女だ。
こちらの僅かな感情の隙を見逃さない。
自分の口走ったミスですら、自分に有利に働くよう計算している。
きっと、それを明らかにする条件で新しく取引をする気なのだろう。
その笑みにクロフォードは、かすかにむっとした。
大勢を引き連れて国境を越えても怪しまれない、そんなルートが果たしてあるだろうか。
エレナはふと考える。
(しかも、異国民が混じっていても気にならないなんて……)
異国民は何かと目立つ。ここや王都のように大きな街であっても、やはり目を引く。
この国の特殊国境警備隊や魔法騎士団は、優秀だ。
そんな目立つ集団を見逃すわけがない。
それなのに、長年ずっと奴隷たち移送のルートが見つからないなんて、よっぽど狡猾に隠して運送していたに違いないけど。
ふと、エレナは以前故郷の領地での出来事を思い出した。
劇や物珍しい出し物する団体だ。物珍しくて、家族総出で観に行った覚えがある。
やって来た彼らは大所帯で、いろんな人種が入り交じっている不思議な集団だった。
領内や王都の図鑑ですら見受けられない、特異な形態を誇る珍獣たちが並んでいた。
天を仰ぐほどに長い首を持つもの、地を這うように長い鼻を揺らすもの。
それらは人の手で飼い慣らされ、その地の特異な生態系を物語っていた。
視界に飛び込んでくるのは、見慣れぬ極彩色の衣装と、聴き慣れぬ異国の調べ。
肌をなでる空気さえもが、遠き地の残り香を運んでくるような、濃厚な異国情緒に満ちていた。
巨獣を連れて歩くのは、奴隷を隠す隠れ蓑としては逆に目立ちすぎるけど、そう装って通過するぐらいなら、大勢の人間が入れ替わり立ち代わり出入りしても不自然ではない。
「大道芸人や劇団、移動型見世物小屋」
エレナは、無意識のうちに呟いた。
女は片眉を上げて、意外そうな顔でエレナを見る。
クロフォードと小次郎は、「あっ!」という表情になって顔を見合わせた。
『なるほど!
ってことは、大規模な荷馬車隊も考えられるぞ!』
小次郎が目を輝かせた。
「商隊やキャラバンに扮すれば、領地を横断しても全然怪しまれない」
クロフォードが勝ち気に微笑んだ。
そう、堂々と移送しても怪しまれない方法で運べば良いだけ。
そこに異国の民が群れに混じっていようとも、各地の領主が疑いの眼差しを向けることはない。
それどころか、領主は異境の来訪者たちを温かく迎え入れ、食べ物を提供し、家族や領民の前で披露される彼らの秘術や芸、珍しい品物に対し、正当な対価を支払うだろう。
時には惜しみない賞賛を贈ることもあるのだ。
クロフォードは満足そうに頷くも、ふと、何かを考え始め、黙った。
しばらく間があってから、クロフォードが口を開く。
「……エルミナ商会。
お前は聞いたことあるか?」
女に向ける眼差しは冷ややかだ。
「ああ、知っているよ。
この国最大の商会だ。
さすがに私だってその名は知ってる。
この街に何度も来ている連中だ」
女は素直に答えた。
――エルミナ商会。
女の言う通り、エレナでも聞いたことのある大きな商会だ。
少々値を張るが、あそこに頼めば欲しいものがほとんど手に入る。
なぜ、その名をクロフォードは口にしたのだろう。
エレナは首を捻る。
でも、きっと自分が知らない事実がそこにあり、クロフォードの中で、何かが引っ掛かっているのだろう。
「その商会とザハル爺と接触は?」
クロフォードが端的に尋ねた。
「さぁ」
女の目は遠くなった。
「ああいう大きな商会は評判命だからね。
滅多に裏の世界の人間とコンタクトは取らないんだよ」
ゆっくり女が含みを持って、クロフォードとエレナを見た。
「けど、まあ、エルミナ商会の小さな下請けが商会の指示で動いてザハル爺とコンタクトをとっていたら、それは誰も気づかないよね」
ニヤリと女は笑った。
「ふうん、そういうことか」
ハッキリ断言しないけれど、暗にエルミナ商会が下請を仲介にしてザハル爺と接触していると匂わせていた。
「奴隷輸送ルートを維持し、マリュード皇国へ情報と人材を送り続ける長く生きる老人か」
ひどく静かなクロフォードの声が響く。
エレナは、そのとき、何故かぎくりとした。
恐る恐るクロフォードを盗み見る。
まただ。
まったく知らない男の人のような横顔がある。
心をまるでひんやりした指が撫でていく気がした。
その時だった。
ドォンッ!
突如また、花火のような爆音が外で響いた。
エレナと小次郎は、慌てて窓を開ける。
視線は音がした方向だ。
『エレナ、港の方から煙が上がっているぞ』
黒煙が立ち上り、潮風に混じって焦げた火薬の匂いが鼻を突いた。
何が起きている?
エレナと小次郎は顔を強張らせた。
外では人々が外に出てきて、何事かとざわめいている。
最初の爆音に続いて、遠くで小さな破裂音が連鎖する。
建物の窓ガラスが震え、割れる音が混じり、街全体が不穏な喧騒に包まれた。
混乱した人たちから悲鳴が上がる。
立ち上る黒煙が、群衆の不安と恐怖をさらに煽り立てた。
「おやおや、始まったね」
エレナ、クロフォード、小次郎が女を同時に見た。
女は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
「何が?って。あれだよ。
どうせあんたらはあの下っ端の話を全部信じて、領主の娘を探しに行ったんだろ?
『調整所』」
ニタァと不気味な女の笑顔に、エレナは嫌悪感と凄まじい怒りが再発した。
心地よいはずの潮風が、火薬や硝酸の匂いが混じり始め、赤黒い影を港町に落とす。
不吉な色が街を覆った。
黒煙が空を覆い、火薬の匂いが街を飲み込む。
エレナは窓辺からその光景を見下ろし、胸の奥に冷たいものが広がるのを感じた。




