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婚約破棄された引きこもり魔女ですが、実は天才魔女でした。王宮で無自覚覚醒します!  作者: 兎丸 蓮
第2章 出張捜査編 ―死の予言と、血晶の陰謀―

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第101話 変装令嬢と48時間のカウントダウン④――老いないエキゾチック美女と、五十年前の真実

――風も止んだ夜、ただ不穏な魔力だけが部屋を満たしていた。


 エレナは嫌な気配を感じ取って、逃げる間もなく石を握り締め、無意識に身を守るための詠唱を始めた


(……駄目だ! 間に合わない!)


 エレナは窓を開けて、石を思いっきり遠くへ投げた。



    「風よ、奔流となりて――彼方へ吹き飛ばせ!

     ――疾風翔遠ヴェントゥス・カナータ



 エレナの掌から迸る風はただの突風ではない。


 まるで大地そのものが息を吹き返したかのように、部屋の中の紙片やカーテンが一斉に舞い上がる。


 窓から外へと奔り出た風は、渦を巻きながら石を包み込み、矢のように夜空へと射出した。


 石は風の奔流に抱かれ、尾を引く光を残しながら遠くへ飛んでいく。

 その軌跡は流星のように煌めき、闇を裂いた。


 残された部屋には、まだ風の余韻が漂っていた。

 髪を乱す強い気流、頬を撫でる冷たい空気。


 エレナは胸を押さえ、荒い呼吸を整えながら呟いた。


「飛んでいった……」


 夜空に吸い込まれた石が、遥か彼方で花火のように華やかに爆ぜる。

 エレナは間髪入れず、降り注ぐ破片を見据えて次の詠唱を紡いだ。


  

    「潮風よ、舞い散る破片を包み、砂に還せ!

     ――海風浄化アウラ・マリーナ!」




 爆発物の破片が落ちてきて、被害がないように。

 潮風が渦を巻き、破片は狙い通り、白い砂粒のように風化して消えていった。


「あぁ……驚いたぁ」


 エレナはがっくりと床に膝をついた。


(びっくりしたぁ。あの欠片だけ火属性の……ううん、業火系の物凄いパワーを持つ魔力だった……)


 結界を解除したときだろうか、クロフォードの強い魔力に触発され、じわじわと爆発物に変化していったようだ。


 そのとき、外がなにやら騒がしいのに気づいた。

 どうやら、さっきの爆破を花火と何かと勘違いし、外に出て来て見物しようとする野次馬のようだ。


(よかったぁ……大ごとになっていない)


「何もなかった、結果オーライ!」


 とはいえ、この緊急事態時での爆発だ。

 花火に装ったとしても、第8魔法騎士団長のアルバトスやクロフォードたちには、ちゃんと説明しておく必要はあるけど。


 だが、災い転じて福となす。東方の国のことわざにあったとおり、これでわかったことはいくつかある。


 まず、魔力石から作った弾丸は、アルバトスの推測どおり安定供給されていない。


 次に、ひとつひとつが手作りで脆い。

 エネルギー源となる魔力石も、その魔力の持ち主の属性をそのまま含んでいて、均一化されていなくて不安定。


 そして三つ目、その属性をしっかりならしていない分、さっきみたいにクロフォードのような強い魔力に触発されると、たちまち爆破するような危険性を孕む。


 エレナは残ったもう一つの魔力石を手に取って、じっと見入る。


 僅かに感じる魔力は、これは氷属性のようだ。

 この魔力石のそもそもの魔力の持ち主は、きっとそこまで強くない魔法使いだ。

 そんな直感がする。


 そして、完全に感覚的なものになるが、異国の”ニオイ”をうっすら感じる。


 追加すべき分析のタスクが頭の中で次々と浮かぶ。


(うん、たぶん、これはなかなかいい線いっていると思う。

 これを分析魔法で追加発動させよう。それから……)



    「――結晶よ、さらなる真を示せ。

    隠された来歴を開き、大地の記憶を紡ぎ、

    魔力の系譜を映し出せ

    ――追加解析アナリシス・エクステンション!」



 魔力石が淡く光を帯び、表面に紋様が浮かび上がる。

 まるで結晶そのものが記憶を語るように、光の層が幾重にも重なり、次々と解き明かされようとしていく。



 その時だった。

 すぐ近くで異質な魔力を感じた。


「ふふ、面白い坊やだね」


 エレナが爆発した魔力石を投げ捨てた窓とは違う対角線側。

 柱時計の影近くにある窓から、声がした。


 ハッとして振り向くと、窓辺に立つ女が艶然と微笑んでいる。


 褐色の肌、瞳が大きく、黒い睫毛がカールしている。

 形のいい唇は肉感的。

 黒髪は後ろでざっくりと束ねられ、長袖長ズボンの黒の布で身を包み、腰には細身の短剣がいくつも差されていた。


 女の琥珀色の瞳は、月光に照らされて冷たく光っていた。

 その短剣一本を指先で弄びながら、獲物を値踏みするような視線をエレナに向けた。


 わぁ、すごい美女。

 しかも、スタイル抜群だ。


「こ、こんばんは」


 エレナは興奮を滲ませながら、ぺこりと会釈した。

 異国情緒あふれる美女は、王城の夜会でもそうそうお目にかかれない。


「あははは! 

 なんてお上品な坊やなんだ。

 侵入者の私にご丁寧に頭を下げて挨拶だなんて。

 領主の護衛と共に自衛警察団の詰所に入っていくから、どんな食わせ物かと思ったけど……くっくっ」


 女は肩を揺らして笑い続ける。


「気に入ったよ。

 魔力を奪ってから、人買いに売りつけるつもりだったけど……特別に私の下僕にしてあげるわ」


「げぼく?」


 エレナは首を捻った。


 なんだそう、それは?

 その単語は聞いたことがない。

 いやいや、それよりも、もっといろいろ突っ込みたいことがある。


 魔力を奪って人を売りつけるつもりだった、と彼女は言った。

 ということは、やはり魔力石を作るために誘拐しに来たということだろうけど。


 では、どこでわたしが魔力持ちだと知った? 


 今日は外で極力魔法を使わないようにしていた。


 そもそも、この女は[夜鴉盟約(よがらすのめいやく)]ってことで間違いないだろうか?


「昨日領主の屋敷に忍び込んだのは、あの……あなたですか?」


 女は一瞬だけ目を見開き、すぐさま不敵な笑みを浮かべた。


「ああ、そうだよ」


「領主の屋敷の魔力石はどうしたんですか?」


「あんたが私と来るっていうなら、喜んで話してあげるよ」


「ん? それは、どういうことでしょうか? 

 わたしが素直にあなたと一緒に行くと思っているんですか?」


 エレナは言っている意味が把握できず、首を傾げた。


「ああ、行くと思っているよ。

 だって、いま、私らの手元には領主の娘がいるんだよ。

 あんたとその領主の娘を交換するって言っているんだ。

 なかなかいい条件だろ?」


「やはり、あなたは[夜鴉盟約]ですね?」


「正解。で、どうなんだい? 

 あんたが来るならすぐにでもあの娘を解放してやるよ。

 あんたが娘の代わりに人質となったと知ったら、きっと領主は泣いてあんたの家族を大切にするよ。

 よかったじゃないか、これで家族全員くいっぱぐれないよ」


 どうやらエレナを領主の従者か何かと勘違いしているみたいだ。

 まさか、昨日しつこく追って来たクロフォードと同じ中央の役人とはこれっぽっちも思っていないようだ。


「けどね、あんたが一緒に来ないのであれば、あの娘は二度とこの地に戻って来ることはない」

 女の目が鋭く光る。


 エレナは考え込む。


 さて、どうしようか。

 このままついて行って、フレデリカが解放されるなら、それはそれで全然構わない。

 むしろ、探す手間が省ける。


 なにせ、わたしには魔法がある。いざとなれば、魔法を使って逃げればいいだけの話だ。

 その方がすべて円満に解決できそうな気もする。


 それに、敵の本陣に侵入した方が完全な魔力石が入手できたり、敵の構成員とか組織、そういった細々とした敵情報も手っ取り早く入手できる。


「で、どうなんだい?」


 一向に何も言わないエレナにしびれを切らしたのか、女が短剣を指で弄びながら尋ねた。


「じゃあ、行きます……」


「バーカ、行くわけねぇだろう」


 勢いよく扉が開いて、クロフォードが入って来た。


 女はサッと身構えた。


「んだよ。昨日俺が真剣に追いかけた奴って、こんなババアだったのかよ」


 クロフォードが悪態をつく。

 今回こそ捕まえてやると言わんばかりに、首に手を当てパキパキと鳴らし始めた。


「ああ、あんた……、昨日のずっとつきまとってきた男か。

 しつこい男は嫌われるよ」


「年齢に合わない厚化粧も嫌われるぜ」


 クロフォードはせせら笑って、無詠唱で部屋の窓を全部閉め、彼女の逃げ道を防いだ。


「くっ……!」


 女は顔を歪め、勢いよくエレナをめがけて走り寄る。

 短剣を素早くしまったと思いきや、今度は懐から鞭を取り出した。

 これでエレナを縛って連れ去ろうというのか。


 女の鞭が唸りを上げる。



 次の瞬間、エレナへと振り下ろされようとしていた。




「はっくしょん!」


 女が盛大なくしゃみをした。


「え?」


 エレナとクロフォードはきょとんとした。


「はくっしょん」


 立ち止まって女はクシャミを連発し始めた。


「はくしょん、はくしょんはくしょん!!!」


 どんどんクシャミが激しくなっていく。たちまち女の顔が涙目になり、鼻水で崩れていく。


 ぽかんとエレナがしていると、黒リス小次郎が何か閃いたように、とことこと二本足歩行で女の前まで歩く。


かゆい!」


 女はこれはたまらんと顔を掻き始め、そのうち皮膚にちいさな赤い湿疹がポツポツでき始める。


 それを目にした小次郎は嬉々として、女の前で尻尾を振り振り、ダンスをするように、ぴょんぴょん埃を立てて飛び回った。


「はっ、くしょん」


『エレナ、面白いぞ! 俺様が近づくだけでこの女は戦えなくなるんだぞ!』


 勝ち誇ったような小次郎が、尻尾をますます激しくぶんぶん振る。


「な、なにか魔法を……くしょん、かけたのか⁉」


 エレナとクロフォードは互いに顔を見合わせ、同時に肩をすくめた。

 どうやら女には小次郎が全然見えていないようだ。


「ぷっ」


 クロフォードが吹き出した。


「……笑うんじゃないよ。たとえこの体が反応しようとも、私の刃は鈍らないからね」


 鼻水で化粧は崩れ、顔はぐしゃぐしゃだが、その瞳だけは獲物を狙う猛禽もうきんのように冷酷ではあるが、ここまで可哀想なくらいクシャミを連発し続ける様子からして、もはや負け犬の遠吠えに聞こえる。


「あっ、ひょっとして、動物が傍にいるとくしゃみが止まらない体質ですか?」


 エレナは、女に尋ねた。


「え、あ……そう、はくしょん!」


 女は答えるものの、くしゃみがひどすぎて目も真っ赤になっている。


「ざまぁねぇな」


 クロフォードから勝ち誇った笑みが零れた。



    「――光棺結界ルーメン・サルコファグス!」



 瞬間、女の周囲に四角い透明な箱が立ち上がった。

 クロフォードの結界魔法だ。


「はい、捕縛完了」


 女のくしゃみはぴたりと収まり、どんどんと結界を叩いたり、短剣を取り出して、刺してみたりといろいろ試す。


『あぁあ、面白かったのになぁ』


 小次郎が残念そうな声をあげた。


「見えないのに、過敏に動物の毛を感じるんだね」


 稀に動物の毛だけじゃなく、その動物が持っている魔力の残滓だけでも鼻腔を刺激されてクシャミが止まらなくなる現象があるのは知っていた。けれど、ここまで酷いとは……。


 さっきまでの不敵に笑っていた姿は見る影もない。


「やっぱ厚化粧だったな」


 すっかり化粧が自らの涙と鼻水で取れかかった顔。

 クロフォードの彼女に向ける視線は冷たい。

 とはいえ、エレナは同じ女性として少々不憫な気もした。


「おい、お前、誰の指示で動いている?」


 クロフォードから鋭い声で質問をする。だが、女は不貞腐れるような態度で、ぷいっと横に背けた。


「ああ、そう。そういう態度ね」


 クロフォードは結界を解いた。

 小次郎がぱっと顔を輝かせて、今度は女性の回りを楽しそうに駆け巡る。

 途端に彼女はまたクシャミ地獄に陥った。



     「――光棺結界ルーメン・サルコファグス!」



 ふたたび結界の箱に彼女を閉じ込めた。


『なんだよ、クロフォード! 

 もっと泣かせてみたかったのにぃ』


 小次郎が不満を訴え地団太を踏む。


「だめだよ、小次郎。

 人を苦しめるようなことを楽しんだら」


 エレナに窘められるが小次郎は、口を尖らす。


『エレナを(さら)おうとした悪人だぞ! 

 庇う必要ないんだぞ。

 それに、こんな俊敏なヤツを俺様の存在ひとつで、いとも簡単に確保できたことが痛快なんだ』


「まあ、そうだけど……」


「あんたたち、さっきから何としゃべっているのよ」


 女が不気味なものをみるような目つきでエレナとクロフォードを見た。


「この人、魔力はあるのに見えないんだね」


 エレナがクロフォードに言うと、クロフォードは顎を触った。


「みたいだな。

 っていうか、この女の褐色の肌から、魔法使いというよりもシャーマン的な要素が強いんだろうな?」


「シャーマン?」


 エレナの鸚鵡返しのような問いかけに、女がピクリと反応した。


「魔力から成る呪術だよ。

 マリュード皇国の奴らは、あれは怨念とか恨みとか負の感情から成る呪力を源に呪術を操るけど、シャーマンの呪術は自然に宿る精霊や、祖先の霊などの力を借りた力や、魔術の基盤ともいえる、原初的な呪術を使うんだ。

 ここからずっと西の大陸が起源だって聞いたぜ」


 クロフォードの説明に女は驚く。


「お前、役人のくせによく知っているね」


「まあね。

 役人だからそういう情報は積極的に仕入れているっていうのもあるね」


 クロフォードは肩をすくめた。


「じゃあ、あなたも元々奴隷としてこの国に連れて来られたの?」


 エレナが尋ねると、女は気まずそうな顔をした。


「ああ、そうだよ。

 最初は奴隷じゃなかった。

 船に乗って東の大陸に行けば、豊かな暮らしができると言われてきたんだ。

 だけど、それは真っ赤な嘘で本当は奴隷としての労働力として連れて来られた」


 女は右腕を捲った。

 そこには奴隷である証の焼き印があった。


 エレナは息を呑んだ。


「いつ頃連れて来られたの?」


「五十年前だ」


「え⁉」


 二人と一匹はびっくりし、目をぱちくりさせた。


「嘘だろ、五十年前って……化粧取れたけど、年寄りに見積もっても三十後半にしか見えねぇ」


「ますます失礼な男だね、そういうときは若く見積もるもんだろ?」


 女は落ち着いているが、こめかみがぴくぴくと動く。


「でも、それだけお若く見えますよ?」


 エレナはすかさず口を挟んで、フォローする。


「だって、五十年前って……十代で連れて来られたとしても六十過ぎでしょ? 

 すごくおキレイです」


「おやおや、あんたは話の分かる坊やだねぇ」


 女はエレナに猫なで声を出す。


 六十といえば、エレナの祖母もそろそろ還暦を迎える。


 それなのに、目の前の彼女は、実に若々しい。

 昨日、強靭な肉体に、俊敏な身のこなし、クロフォードでも追いつけないほど瞬足。

 それでいて化粧は取れてしまったことで改めて分かるハリのある肌。


「若さの秘訣なんですか?」


 思わずエレナは身を乗り出して聞いた。


「なんだい、変な坊主だね。

 そんなことが気になるのかい?」


 女はすっかり毒気が抜けた様子で、観念したのか寛いだ顔つきになった。

 あぐらをかいて座り込む。


 彼女はやはりエレナが令嬢とは夢にも思っていない様子。

 この少年姿を変装だとは疑っていない。


「そりゃあ……それだけお美しいなあと思いましたもの」


 エレナも女と同じ目線になるようにその場にしゃがみ込む。


 そこで小次郎がエレナの膝の上に乗ってちょっこんと座って、エレナを見上げた。


『なあなあ、エレナもやっぱり永遠の美っていうのに憧れるのか?』


「永遠の美かあ、それは興味ないなぁ……。

 でも、やっぱり不老って純粋に気にならない? 

 衰えを知らないんだよ?」


『そういうものなのか? 

 俺様たちは年をとっても肉体に宿るパワーは常に同じだからそういうの、よく分からないや』


「へえ、そうなんだね」


 エレナが小次郎としゃべっていると、女からくっくっと笑い声が漏れた。

 そのうち声を上げて腹を抱えて豪快に笑い出した。


「あははは! 

 あんたは精霊動物使い様ですかぁ」


 すっかり寛いだ姿で女は結界の壁にもたれかかって、頭をカリカリ掻いた。


「あ~、阿呆らしい……こんなすごい魔法使いを相手に、しかも、シャーマンの私でも見れない精霊動物を飼ってる。

 そりゃあ、勝てる訳がない」


『俺様、精霊動物じゃないぞ。

 なんなら、攻撃でも加えてみるか? 

 そうしたら、攻撃中の俺様は魔力が凄まじいからな、この女にも姿が見えるかもしれないぞ!』


 えへん、と鼻を膨らませて小次郎が言った。

 エレナは小次郎の頭を指先で撫でた。


「むやみに攻撃しなくていいよ。ね?」


『エレナがそういうなら……。

 俺様は隠し玉として姿を現さないでおくぞ』


 小次郎は尻尾をぶんぶん振って、撫でられる頭を気持ちよさそうにして目を細めた。


「うん、秘儀小次郎、だからね。

 ちゃんとそのまま隠れててよ」


「……精霊動物の力は侮れないな」


 クロフォードがぼそりと呟くと、女は悔しそうに歯を食いしばった。


「まったくだよ。

 見えない獣に翻弄されるなんて……屈辱だよ。

 で、あんたは何者なんだい?」


 女がエレナを真っすぐ射抜くように見つめる。


「精霊動物が見えてしかも会話もしているじゃないか。

 その上、精霊動物を手懐けるなんて、なかなかできることじゃない」


 今度はエレナを精霊動物使いとして勘違いし始めた。

 本当は、小次郎は主様――皇族の使い魔なのだが、それをここで口に出す必要はない。


「その上、昼間スラム街で見せた防御魔法壁。

 あれ、無詠唱だったけど、あんただろ? 

 驚いたよ」


「あなたもあの場にいたんですか?」


「ああ、朝からずっとね。

 あんたらの行動を見張っていたのさ」


 ニヤリと女は得意気に笑った。


 全然、彼女の気配を感じなかった。

 クロフォードとエレナは背筋がひんやりとし、一瞬だけ目配せし合う。


 小次郎のお陰で、彼女をあっという間に捕縛できたけれど、まともに対峙していたらかなり手間取る相手だったかもしれない。


 そもそも、領主邸や自衛警察団の詰所など護衛が常駐しているところに、軽々と侵入している時点でかなりの凄腕だ。


――彼女は暗殺者向きの能力を秘めている。


「ふっ、そんな警戒しなくていいよ」


 女は鼻で嘲笑う。


「そもそも、あの吟遊詩人がスラム街に現れた時点から、ずっ~と貴族様の動向を見張っていたんだ。

 この国の建国の歌をずっと唄っているけど、どうも胡散臭くてね」


「ジーンさんがスラム街に現れたって、数か月前ですよ」



「あの吟遊詩人、ジーンっていうのかい。

 ふうん。まあ、侵入者の動向は逐一報告必須だからね。

 胡散臭さも相まって注視していたんだよ。


 そうしたら、あんたらみたいな領主の手先が現れ、しまいには領主の娘も魔力を隠すことなくご登場だ。

 あの娘も馬鹿だよねぇ、あんなところで大立ち回りしたら、私たちに狙ってくださいと言っているようなもんだよ。

 そりゃあ目を付けられて誘拐されるさ」



「だよなぁ。あんたの言うことはごもっともだ」


 クロフォードは呆れ返った声で共感し、首元に手を置く。


「だからって、誘拐は許される行為じゃねぇ」



「いいじゃないか。

 甘ちゃんおバカ領主娘は何も考えずとも、毎日守られ、贅沢を尽くして、美味しいご飯を食べ、キレイなおべべを着てぬくぬく生活をしてたんだろ? 


 その点、私たちは無理矢理祖国を連れ出されて、娼婦まがいのこともさせられる。

 命懸けの任務をこなし、それでも満足な食事も寝床も与えられない。

 少しくらい痛い目にあってもいいと思うんだよ」



 まったく悪びれる様子のない女にエレナは眉をひそめ、小次郎は「むきー!」と怒り出す。


『何言ってんだ、コイツ! 

 自分が大変だからって、悪事を正当化してんじゃないぞ! 

 エレナ、やっぱりコイツを徹底的にやっつけていいか』


「……気持ちは分からなくもないけど」


「そうそう。

 ついでに訊いておこうかね」


 女の眼光がクロフォードを見上げて、不気味に光った。


「あんたと一緒に昨日領主の屋敷に現れたもう一人の女官はどこへ行った?」


 エレナはぎくりとした。


「女、口を慎め」


 不意に冷ややかなクロフォードの声が降り落ちる。

 初めて聞く、その恫喝滲んだ声にエレナは背中が冷たくなった。


「おやおや、随分と上から目線だね。

 これだから嫌だね、お貴族様は。

 年寄りを敬う気持ちが全然ない」


 おどけるようにして女は首をやれやれと言うかのように振った。


「都合のいいときだけ、年寄りぶるんじゃねぇよ。この[夜鴉盟約]の手下が」


「ああ、そうさ。

 ……あぁ、正確には違うな。

 私はこのとおり、奴隷印に縛られている[夜鴉盟約]の従者だからね。

 奴らの下僕というのが正しいね」


 女はもう一度奴隷の焼き印をエレナとクロフォードに見せた。まるで、エレナの恐怖心を煽るかのように。


 小次郎が結界すれすれまで近寄って、女の腕をくんくん嗅ぐ。


『なんか、この印、変な臭いがするぞ』


「変な臭い?」


 エレナとクロフォードが同時に眉をひそめた。


「あはは! 精霊動物様は匂いにも過敏なんだねぇ。

 そうだよ、これは単なる焼き印じゃない。

 従属契約が組み込まれている。

 私みたいなシャーマンは野放しにできないんだと」


「従属契約? 

 それはこの国では禁止されている魔法だ。

 お前の上は誰だ?」


 クロフォードが女に詰め寄った。


「せっかちな男だね。

 まずは女官が今どこにいるのか、居場所を教えてもらおうか。

 もしくは、この坊やが誰なのか正体を教えてもらえないかね? 

 その正体に応じてこっちだって情報をあげてもいいんだよ」


 ニヤッと女は笑った。

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