第100話 変装令嬢と48時間のカウントダウン③――老いない侍女と、緋色の予感
カチ、カチ。
壁に掛かった古びた柱時計の音が、妙に大きく部屋に響いている。
柱時計というのは、こんなにもしょっちゅう鳴るものだっただろうか。
優に高さが二メートル近くもある立派なもので、赤っぽい木に丁寧にニスが塗ってある。
けれど、エレナはその時、その時計が棺に似ていると思った。
魔力石の分析結果が出るまで、あと丸一日。
だが、闇ギルドが、そしてこの『魔力石』を求める者たちが、そんな悠長に待ってくれるはずもなかった。
「……これ、明日まで待ってられないかもしれない」
エレナは資料を握りしめる手に力を込めた。
分析結果を待つ間にも、どこかで誰かの『血』が抜かれているかもしれないのだ。
小次郎は瞳を鋭く、キラリと光らせた。
『ってことはだぞ。
クロフォードの従妹もヤバいんじゃないのか?
お前の従妹だ、魔法使いとしては中級でもずぶのド素人でも、魔力はそれなりにあるはずだぞ』
小次郎は的を射た自分の発言に得意げになっている。けれど、心配よりもフレデリカを見下している単語の方がエレナには気になった。そんな中、小次郎は続ける。
『もし、一緒に攫われた侍女が敵側だったら、危険極まりないぞ!』
「まあ、そうだな……」
クロフォードは興味なさそうに視線を逸らして、何事もなかったように再び資料を読み始めた。
想定以上の塩対応のクロフォードに小次郎は首を傾げ、クロフォードの肩によじ登った。
『おい、心配じゃないのか?』
顔をそっと覗き込む。
『従妹だろ?』
「ああ、従妹だ。
けど、こればかりは心配しても意味がねぇだろ。
伯父貴の私兵だけじゃなく、第8魔法騎士団がごっそり動いて捜査しているんだ。
俺のやることは何もない」
『まあ、そうかもだけど、冷たい言い草だぞぉ』
不服そうに小次郎は呟いた。
「冷たくて結構。
ハッキリ言えば、リッカは自業自得。
感情で動いた代償だ」
クロフォードの醒めた声に、エレナは違和感を覚えると同時に不審心が芽生える。
「何で?」
「え?」
「何でそんなに冷静なの?
血を抜かれちゃうかもしれないんだよ。
しかも、相手は己の欲望に忠実な闇ギルドの若手だよ。
死なない程度にめちゃくちゃな量を採血される可能性だってあるんだよ?
それどころか、乱暴されている可能性だって……」
エレナの語尾が小さくなる。
もし自分がフレデリカの立場だったら、と思ったら居ても立っても居られなくなった。
フレデリカのことは、正直いい印象を持っていない。
だからって、それを見逃せるほど冷酷にもなれない。
「冷静ねえ……。
うん、そうかもな」
クロフォードは肩をすくめる。
「俺、人の好き嫌いが激しいんだよ。
知ってるだろ?」
「……知ってる」
「俺は努力しない人間が嫌い。
頑張ろうとしないで言い訳ばかりする奴が嫌い。
自分の都合のいいときしか声をかけてこない損得勘定ばかり気にする野郎は、とにかく大嫌いだ」
クロフォードの声が徐々に大きくなり、そこには怒気が含まれる。
手が僅かに震え、クロフォードが纏う空気が張り詰める。
「リッカはどちらかというと、そっち側の人間だ。
俺、ハッキリ言ってリッカには辟易してるんだよ」
クロフォードの声は驚くほど冷たい。
「小次郎の言うとおり、基礎的な魔力量はそれなりにあるだろうね。
なにせ、俺の従妹だからな。ずぶの素人よりは全然。
そりゃあ、小さいときは、アイツ、身体が弱かったから、その魔力量にすがってなんとか生きながらえた部分があるぜ。
けれど、成長するにつれて、アイツはサボり始めた。
しまいには、弱いものを平気で……!」
ハッとしてクロフォードは言葉を飲み込んだ。
そして、口を噤んだ。
クロフォードはさっとエレナから視線を外す。
「悪い、ちょっと感情的になった。
少し、頭冷やしてくる」
そのままクロフォードは立ち上がると、小次郎を頭に乗せたまま部屋の外に出た。
パタン
無機質に扉が閉まる音が部屋に響いた。
エレナは呆然とした。
あんなに感情的になるクロフォード、初めて見た。
(わたし、余計な事、言っちゃったのかな……)
余計な事というよりは、責めるような言い方をしてしまったのが良くなかったのかも。
クロフォードの言う通り、今の自分たちには何も出来ない。
少しでも謎を解明するしかない。
そう思ったら、ますます自己嫌悪に陥ってしまう。
なんであのとき、不信感に駆られて聞いてしまったのか。
――エレナの血液から純度の高い、それもかな~り品質の高い魔力石が生成されるはずだぞ。
小次郎のこの言葉に、フレデリカの誘拐されたこの境遇を重ねたからだ。
クロフォードとフレデリカの間には、エレナの知らない思い出がある。
だからこそ、クロフォードのあの態度にやけに違和感を覚え、冷たい男に見えて、勝手にショックを受けたのだ。
確かにクロフォードは自他共に認めるほど、極端に人好きが激しい。
けど、フレデリカがクロフォードに寄せる思いの熱量と、クロフォードの彼女に対する言動が違いすぎる。正反対だ。
この温度差はなんだろう。
ますます不安に駆られる。
何とも言えぬ胸の痛みが広がる。
音もなく揺れ続ける柱時計の振り子が冷徹に時を刻む。
突如、ボーンと長く尾を引く音が響いて、エレナの体はびくっと反応した。
長椅子に深く座り、自分の台詞を反芻し、反省をする。
(あぁ、どうしよう。
わたし、自分では気づかない間にクロフォードを傷つけたからかもしれない……)
急に黙って離れていく人たち。
ざらっとする胸の奥に複雑な苦い感情が蘇る。
突如、アカデミー退学前の胸をざわつかせる出来事がくるくると映像として頭の中で動き出す。
昨日までふつうに笑い合っていたのに、次の日にはエレナと視線を合わせてくれなくなった友人――そう思っていた同級生。
話しかけても、みんな曖昧な笑みと適当な相槌を打ち、そしてよそよそしく離れていく。
しまいには、いない存在として無視され、陰口を叩かれる。
どこからともなく<不細工令嬢>の噂は広まり、生徒たちの間にじわじわと広まっていく。
何度も感じたあの寂しい瞬間。
ぎゅっと息苦しくなって、エレナは胸を押さえた。
(なんで、いつもうまくいかなくなるんだろう……)
そのとき、分析魔法中の魔力石の欠片の一つが光った。
「え?」
吸い込まれるようにして、エレナはじっと魔力石を見つめた。
静謐な光。
見る方向や光の反射の加減で七色のどれかにキラキラと輝く。
やがて赤白い光が指先に絡みつき、心臓の鼓動と同じリズムで脈打つ。
「……これ、何かが反応してる……」
彼女が呟いた瞬間、石はひときわ強く輝いた。
エレナは嫌な気配を感じ取って、詠唱を始めた。
***
自衛警察団の詰め所をずんずん突き進むクロフォードに小次郎が肩の上から声を掛ける。
『おいおい、クロフォード、どうした?』
小次郎が覗き込むものの、クロフォードは全然答えない。
憮然として、むっとして、とにかく機嫌が悪そうだ。
『何だよぉ。せっかく王都から離れてうまいものが食えるっていうのに……。
ちぇ。機嫌悪すぎだぁ。
あっ、俺様、分かったぞ!
俺様、天才だからな』
ふふん、得意げに鼻を鳴らす小次郎をクロフォードはじろりと見た。
「は?
何が分かったんだよ?」
他の者が聞けば震え上がるほど、低い声音。
地味に魔力も怒りで放出している凄みのある表情だ。
けれど、小次郎はまったく気にしない。
クロフォードのご機嫌なんて、もはやどうでもいい。
だって、エレナに会えたから!
しかも悪い奴を倒したご褒美だと、大好物のクリモナの実をくれた。
クリモナの実は、王城の庭にいるとエレナの友達の瞳のくりっとした女官が時々くれる。
エレナと同じように優しい空気が漂う彼女。
『フフフっ、クロフォードが真剣に腹を立てるときは、食い物のときと、気に入らない奴がいるときだと相場が決まっている』
小次郎は短い前足を組んで、うんうんと一匹納得したように頷いた。
「食い物のことは俺じゃなくて小次郎だろ?
だいたいお前、何で主様から離れたこの地に来れたんだよ?
ちゃんと許可はもらっているのか?」
『問題ない。
主様が特別に許可をくれたんだぞ』
小次郎は堂々と胸を張る。
『主様が直々に、
「小次郎はよく頑張っているから、ヴァービナス女官と一緒にいてもいい」
って言ってくれたんだぞ。
エレナと一緒の方が俺様よく働くんだと俺様もアピールしたしなっ』
「なんだそりゃ?
エレナと一緒じゃなくても働けよ」
『俺様にも選ぶ権利っていうのがある』
「どの口が言うんだか。
どうせ木の実をたくさんくれるからだろ。
要は餌付けされたか」
『失礼な!』
小次郎が二本足で立ち上がって怒って、クロフォードの頬をぽかぽかと叩く。
「ちょっと、やめろって」
*
小次郎がぽかぽかと自分の頬を叩く。
これが地味に痛い。クロフォードは顔をしかめ、しっしっと軽く手で払う。
小次郎は、怒ったと言わんばかりに、クロフォードの頭に乗ってフンと鼻を鳴らす。
『だから、分かったんだぞ。
クロフォードがむきになって怒ること』
「は?
ったく、……なんだよ」
『エレナのことだろ?
エレナがあの娘を擁護したから。
エレナからの共感が得られなくて悔しかったんだろ?』
「え?」
どきっとした。
思わずクロフォードの歩くスピードが落ちる。
『俺様は知ってるぞ。
へへん、クロフォードはエレナが大好きだからなぁ』
小次郎はクロフォードの若草色の瞳を覗き込んだ。
つぶらな黒い瞳がきらりと光る。
『分かるぞ、俺様もエレナが大好きだ。
美味しいものくれるし、頭撫でてくれるし、可愛い言ってくれるし、それから……』
クロフォードはため息をついた。
「俺、リスと同じ次元かよ」
『違うのか?』
「違うに決まってるんだろうがっ。
同じにするな」
クロフォードは馬鹿らしくなって、鼻の頭を掻いた。
(まったく。同等扱いしやがって)
けど、それが近からず遠からず当たっているから言い返せない。
使い魔黒リス小次郎は、使い魔の中でも最も横柄な口の利き方をするし、それこそ人を選んで態度をコロコロ変える。
魔力量の弱い者を平気で馬鹿にするし、できない奴には容赦がない。
それはそれで裏表がない、正直者。
わかりやすい奴ともいえるが。
だからこそ、エレナに対する懐き方は、非常に珍しいのだ。
(まあ、分からなくもないけど……)
エレナの魔力は量もさることながら、ふだんから漂う気配がほんわかして優しいのだ。
皇族の魔力と魔術の集大成である使い魔の小次郎にとって、あの魔力は心地いいはずだ。
包み込むような――それこそ満開の桜。
風に揺れる花びらが、ひらひらと舞い落ちる。
見上げれば、枝という枝が淡い桃色に覆われ、陽光を透かした花びらは、まるで薄絹のように柔らかく輝き、ひとひらと光を抱いている。
温かい、まるで日向で惰眠を貪るような。
クロフォードは、エレナの魔力を見つけて以来、世界が一変した。
荒んでいたクロフォードの世界が一面桜色に染まった。
頬に触れる花びらは、ひんやりとした春の風に乗り、甘やかな香りを運んでくる。
思わず息を呑む。
視界いっぱいに広がる桜の海。
その圧倒的な美しさに心が奪われ、ただ立ち尽くすしかなかった。
彼女の存在を認識したとき、間違いなく柔らかく包み込んでくれるような、それでいて鮮やかなものに世界は変貌した。
――ただエレナが笑ってくれるだけで嬉しくなる。
不思議な感覚だった。
それなのに……。
クロフォードは歯軋りをする。
フレデリカは、いつもクロフォードが大事に思っていたものを傷つける。
クロフォードが大切にしていた命をいたぶり、しまいにはエレナをアカデミーでいじめていた取り巻きの一人だ。
フレデリカもそれが本心でなかったかもしれない。令嬢同士の付き合いがある。それは分かる。
ナディア・グロウディーナ公爵令嬢に目を付けられたくないから、それに従ったのかもしれない。
けれど、クロフォードにはそれがどうしても許せない。
思い出すだけでも、反吐が出る。
俺に媚びるように笑うあの女たち。
擦り寄って来る猫なで声。
心底、気持ち悪いと思う。
反吐が出る。
今回の出張は、エレナの過去のアカデミーの心の傷を考慮し、こっそりサンティエ邸を訪れる予定だった。
エレナとフレデリカを会わせる気はさらさらなかった。
ただ情報収集に寄り、サンティエ夫妻に挨拶だけをする。街の宿を紹介してもらえれば、それで充分だった。
(それなのに、伯父貴め。
娘可愛さにばらしたんだよな)
――領主屋敷内に部屋を手配し、身支度諸々、食事の手配も万全だ。
そう伯父から連絡を貰ったときは正直、嫌な予感がしていた。
案の定、フレデリカはクロフォードを自分の未来の旦那様とか意味不明なことを喚いた。
危うくエレナにも誤解されそうになった。
(まったく……いい加減、ガキじゃないんだからさ。
あのお花畑状態の脳内をなんとかしてくれよ)
切実にそう思いながら、不意に、フレデリカの侍女のミラの存在が脳裏を横切った。
もし、エレナの言うとおり、彼女が密偵だったら……?
どくんと心臓が大きく鳴った。
エレナ・ヴァービナスがここにいることも、伯父貴の元に魔力石があったことも、そしてサンティエ夫人の侍女の動きを観察すれば、クロフォードたちがスラム街に足を運んでいることも、すべて知ることができる立場だ。
あえてフレデリカが無謀な動きをするように誘導していたら?
『おい、クロフォード。
何か言えよ?』
小次郎が頭の上で挑発して煽ってくる。
けれど、クロフォードにはそんな声は聞こえていない。
それよりも、ますます嫌な予感が胸を掠め、冷や汗をかいた。
ミラは幼少期から何かとフレデリカを甘やかしていた。
夫人に注意されても全然治らなかった。
それがフレデリカの心の拠り所になっているのだろうが、少々甘やかしすぎじゃないのかと、子ども心にも違和感を覚えた記憶がなんとなく残っている。
(っていうか、アイツ、その頃から同じ顔だよな……)
クロフォードは彼女の顔を必死で思い出す。意地悪く目尻のシワや肌のたるみ、白髪、そういった現象を探す。
人は必ず老いる。
老いるはずだが……。
――まさか、あいつ自身が『魔力石』を使っているのか!?
その時、クロフォードは感じたことのある魔力を感知し、ぴたっと足が止まった。
『クロフォード……これ……』
小次郎の声が強張った。尻尾がピンッと張って、耳がピクピク動く。
一人と一匹は顔を見合わせ、踵を返した。
まずい、エレナひとり残してきた!
「ヤバい……!」
そのとき。
大きな爆発音が外からして、建屋が揺れた。
揺れる建屋の中で、クロフォードの胸に最悪の予感が広がっていった。




