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日はすっかり落ちて、時刻は午後七時を十二分程過ぎた頃、大きな荷物を抱え、疲れた顔をして帰ってきた凪沙の姿に彼女の両親は驚きを隠せずにいた。
「……おかえり。」
「凪沙、おかえり。どうしたの、それ。」
凪沙の父親は読んでいた夕刊を畳みながら、初めて見る娘の姿を凝視していた。
母親は荷物の中身が衣服であることを瞬時に見抜いたが、その量の多さにさすがに心配なようだ。
「ちょっと、買いすぎた。」
どさり、と床にそれを置き、父親が腰掛けているソファーの隣に座りながら、凪沙は一言そう呟く。
「夕飯は?」
「食べてない、お腹空いた。」
「じゃあ、準備するわね。」
相変わらず淡々と、けれど少し子どもっぽい言い方をする凪沙を見て、母親は今日の出来事や使った金額などそれ以上深くは追及しないまま台所へと向かう。
父親も同様で、いつもとは雰囲気の違う娘の様子を感じながらも無言で煙草に火を付けた。
凪沙はライターから細く小さい炎が立つ音を聞くと、静かに深呼吸をする。
煙に混じる、微かに甘い香り。
今日の凪沙は、その匂いに包まれながら音楽を聴くことはなかった。
この煙の中で聴きたい曲は、つい数時間前、この甘い香りよりも甘い声をした少女が歌っていたからだ。
「……お父さん。」
テレビからはがやがやとバラエティー番組の音声が聞こえる。
旬の芸能人が頓珍漢な回答をするのが売りのクイズ番組だ。
大袈裟すぎるくらいの笑い声が響く。
「ん?」
ふう、と口から煙を吐き出しながら小さく反応する。
彼女の父親は一人娘である凪沙が、妻よりも断然自分に似ていると思っていた。
娘に遺伝した切れ長で奥二重の瞳だけを動かし、ちらりと横目で凪沙を見遣る。
「大人になったら、友達と遊べないって、本当?」
凪沙は"辣韮、この漢字の読み方を答えよ"と表示されたテレビ画面を見つめながら問う。
若いグラビアアイドルがわかんなーい、と可愛こぶっている。
あの老婦の言葉が事実であればこんな苦しい時代は今だけで、大人になれば、あと数年過ごせば解放されるのだ。
「まあ、そうだなあ。学生の時の友達とは滅多に遊ばないなあ。」
やっぱりそうなんだ、と凪沙は安堵した。
確かに父親は忙しそうだ。現にこの土地へやって来たのも父親の仕事の為だ。
もしかしたら一年後にはまた違う土地へ移っているかもしれない。
転勤族ではないがこういうことがあった以上、可能性はゼロではない。
実は凪沙が生まれる前にも一度転勤があり、越しているのだ。凪沙もそれを知っている。
けれど彼女の父親はそんな凪沙をよそに、でもな、と続ける。
「大人になると、遊べない、じゃなくて、遊ばない、なんだ。……なんでだと思う?」
日本語は難しい。一文字違うだけで意味が変わる。
けれど凪沙は、あのテレビに出ている芸能人とは違う、と何処か見下していた。その違いくらいは理解できるのだ。
けれど、問題はそこではない。
何故遊べないのかではなく、何故遊ばないのか。そんなもの、と心の中で悪態をつく。
「遊びたくない、から。」
「あっはっは!」
その簡潔な言葉に、父親は思わず笑い出した。
凪沙は一瞬きょとんとするも、その笑い方がクイズ番組から流れる大袈裟な笑い声と重なって感じ、馬鹿にされたような気がしてむくれる。
父親はそれをまあまあ、と宥めながら灰皿に煙草をとんとん、と押し当てる。
「そういう人ももちろん居るだろうけどな。学生の時はとりあえずつるんでいたけど、って。けどそうじゃないんだよ。」
短くなった煙草をもう一度口に咥え、煙を吹き出す。ゆらりと紫煙がくゆる中で、未だにむすくれる凪沙ににこりと笑う。
「友達よりももっと大切な存在のために、尽くしたくなるからだよ。」
出来たわよ、と母親が二人を呼ぶ。
ダイニングテーブルの上には真っ赤なトマトが鮮やかな野菜サラダが中央にどんと置かれており、白いスープカップに注がれたコーンスープが三つ、そして根菜と鶏肉がごろんと入ったカレーライスが三皿運ばれてきた。
テレビからは、"正解は辣韮でした"と聞こえる。
母親はあら、偶然ね、と言いながら、辣韮の酢漬けが入った小鉢をことん、と置いた。
「お、美味そうだ。」
「お父さんのと凪沙のは大盛りよ。」
凪沙はそそくさと煙草の火を消して立ち上がる父親の背中を見る。
カレーライスの食欲をそそる香りが甘い煙の匂いを掻き消していく。
友達よりも、もっと大切な存在。
凪沙は大人になった自分に、そう思える存在が出来るのかなんて分からなかった。
けれど、父親のその言葉はきっと本心なのだろう。
嬉しそうにいただきます、と言う父親の姿を見て、そして愛おしそうに声を掛ける母親を見て、凪沙はその空間に吸い寄せられるように食卓についた。




