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その平凡な歌声は、平凡なカラオケボックスの中で反響した。
陽子は立ち上がり、ゆらゆらと楽しそうに体を揺らしながら、大ヒットした恋愛映画の主題歌となった曲を歌っていた。
アーティストは最近人気急上昇中の若い女性で、ギターやピアノでの弾き語りを主としているアーティストだ。
作曲者が有名バンドの超大物ボーカリストということもあり、映画と共に話題を呼んでいた。
流行りには疎い凪沙でも口ずさめる程で、ランキングによれば今年最も歌われている曲第一位のようだ。
平凡な曲なのにな、と凪沙は思う。
映画の主演俳優は確かに端正な顔立ちでスタイルも良く、ヒロイン役の女優もくっきりとした二重瞼の瞳と真っ白な肌が美しい。売り出し真っ最中の二人だ。
それだけに話題を呼んだが、実は肝心のストーリーは良くある学園物で、お互いなんだかんだありながらも最終的には結ばれて永遠の愛を誓う、というものだった。
凪沙はそういったものに興味はない。
作り出された人気も、使い古されたストーリーも、どこかで聴いたことのあるようなメロディーも、全て有象無象ばかりだ。
言い過ぎかもしれないが、凪沙は心の内でそんなことを思う。
だがそんな曲を陽子は楽しそうに歌う。
プロ並みとは言えないが、その歌声はメロディーもリズムもきちんと取れている。
アーティストよりも少しだけ甘い声色で、切ない恋の歌を歌う。
凪沙はグラスに注がれたアイスティーを飲みながら、陽子という存在について考察していた。
彼女は凪沙が思う程パッケージ化された女の子ではないというのは今日分かった事実だが、それでも今の流行は満遍なくチェックしている女の子だ。
一曲目から流行りの曲を歌う女の子。
自分とは全く真逆の女の子。
今まではどんな子と一緒に居ても、あまり楽しいと感じたことはなかった。
会話が続かなくなってしまうのもよくあることで、そういうことが続いて行く度に誰も凪沙に話し掛けなくなっていった。
何時間もずっと話し続けていられる人達が理解出来なかった。
それなのに何故、陽子との時間は楽しいと思えるのか。
陽子は何故、無言の時間を過ごしても離れて行かないのか。
「次、凪沙ちゃんだよ。どんどん歌って歌って。」
促されるまま、人気ランキングから陽子も知っているであろう有名曲を入れる。
大して好きな曲ではないが、凪沙は好きな曲よりも歌いやすいであろう曲を選んだ。
イントロが流れ、陽子がこれ知ってる、と呟く。陽子の右手にはいつの間にかタンバリンが握られていた。
凪沙は緊張で少し声が上ずりながら歌い出す。
上手いとも言えず、美声とも言えないが、ハイテンポなその曲を淡々と歌い上げた。
シャンシャン、とタンバリンを鳴らす陽子は常に体を揺らしながら、にこにこと凪沙の歌声を聴いていた。
「これ、最近好きになったアーティストのなんだ。」
凪沙の歌を聴き終えると、陽子はピコピコとタブレットを操作しながら曲を選ぶ。
流れてきた音楽は、凪沙がこの間CDショップで聴き惚れ、思わずアルバムを買ってしまったアーティストのものだった。
凪沙はずっと考えていた。
自分のような存在が陽子の目にはどんな風に映るのかが知りたかった。
聞けやしないから、それを分かっているから、凪沙はずっと考えていた。
凪沙の好きな曲を歌う陽子の声は先程と同じく、鼻にかかるような甘い声。
本来これを歌うアーティストは男性のため、曲の歌詞には"俺"という一人称が使われているが、陽子の声はそれに対してあまりに似つかわしくない。
手入れの行き届いた長い黒髪をさらさらと揺らしながら歌う曲ではないのだ。
歌詞の内容だって暗く、自分は何の為に存在するのだろうと自問自答を繰り返すものだ。
明るくて可愛らしい陽子には全てが似合わない。
そんな歌詞でも陽子はにこにことしながら歌う。
希望に満ち溢れた曲であるかの如く、楽しそうに歌う。
何の為に存在するかなんて、考えたことないくせに。
凪沙は黒い感情が渦巻いていくのを感じた。
好きな歌を歌えばいいのだが、こんな曲を歌う陽子を見たくなかったというのが本音だ。
誰にでも愛される人は、わざわざ暗い世界になんて知ろうとしなくていい。
これ以上、居場所を奪われたくない。
光と影で言うなら、陽子が光で自分は影なのだから。
凪沙は胸が痛く、押し潰されそうになるのを感じた。
それじゃあいけないと心が叫ぶ。陽子は凪沙に色んな楽しみを教えてくれる。
楽しんでいいのだと教えてくれる。
それは確かに凪沙を救っていた。
けれどその苦しみから救ってくれるのも、こんな苦しみを与えるのも、全て陽子なのだ。
凪沙の心を癒すのも、悩ませるのも、全て陽子なのだ。
分からない。
凪沙は迫り来る闇を振り払うように、アイスティーを飲み干した。
「もうこんな時間……。」
あれからお互いに何曲か歌えば、プルルル、と終了時刻を告げる電話が鳴った。陽子は残念そうに呟く。
カラオケ店を出れば辺りは薄暗く、直に夜が訪れる。荷物が多いのと、今日は出費が多かったというのを理由に、二人は夕飯前に解散することに決めた。
行きは大勢居たバス停の前も、今は凪沙と陽子、それに休日出勤をこなしたであろうスーツを着た男性が一人と、紺色のシルバーカーを引いた、腰の曲がった老婦一人が居るだけだ。
時刻表によれば、バスは十分後にやってくる。
無言の時の中で、凪沙は今日の楽しくもあり苦しくもあった時間を名残惜しいような、清々するような気持ちで思い返していた。
「お嬢ちゃんたち、今日は二人でお買い物してきたのかい?」
不意に掛けられた言葉に、凪沙と陽子は同時に振り向く。
よいしょ、とゆっくりとベンチに腰掛けた老婦はシルバーカーに手を置き、微笑ましそうに二人を見つめていた。
「えっ、と……、」
「はい、お洋服を買いに行きました。」
「たくさん買ったねえ。高校生かい?」
「そうです! 二人とも二年生なんです。」
人見知りの凪沙に代わって、陽子がはきはきと応える。
老婦はそうかいそうかい、と頷くと、右手首に掛かった小さな巾着袋からキャラメルを取り出し、凪沙と陽子に一粒ずつ手渡した。
陽子が躊躇いなくそれを受け取って礼を言う。凪沙は突然のことで驚いたが、陽子に続いて小さな声でぽつりと礼を言い、急いで頭を下げた。
初対面のはずだが、陽子と老婦はまるで本当の祖母と孫であるかのように会話をする。
「私もね、別学だったのよ。女子校と男子校に分かれてるところが多くてねえ。私もお嬢ちゃんたちみたいに、お休みの日はお友達とお買い物に行ったりしてねえ。」
老婦の昔話をうんうんと聞く陽子に、凪沙は置いていかれているような気持ちになる。
人との関わり方は、いつだって陽子の方が上だ。
関わり方に上も下もないはずだが、凪沙の劣等感はこんな時でもふつふつと湧き出て、止まらない。
「大人になると、もっと忙しくなるからねえ。なかなかお友達とも会えなくなるのよ。今のうちにたくさん遊びなさいね。」
排気ガスを吹き出しながら、バスがやって来る。
もし今すぐ大人になれるのなら、凪沙は迷わず大人になりたがるだろう。
忙しさを理由に誰とも会わなくて済むのなら、それが普通になるのなら、凪沙にとってなにより好都合だ。
「今のうち、かあ。……大人になりたくないね。」
凪沙は自分の気持ちとは真逆の陽子の言葉を否定も肯定もしないまま、キャラメルを口に放り込んだ。




