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ラスト・ラウンド

半壊した舞台の上に、強風が煙と塵を巻き上げて吹き荒れていた。正午の陽光が容赦なく降り注ぎ、コロシアム全体を刺すように照らし出す。観客席を支配するのは息をのむような絶望的な静寂。あまりの緊張感に、アリーナに響くのは高鳴る鼓動の音だけだった。


重苦しい空気の中、に向かい合う二人の決勝進出者の衣服と髪が風に激しく揺れる。


「ふぅ……」ライデンは息を吐いた。(こいつ、マジでヤバい……)


彼の視線が鋭さを増す。右脚を引いて深く腰を落とし、構えを取った。右腕は拳を握って溝みぞおちの高さに備え、左腕は手のひらを開いて顔の前に掲げる。


数メートル離れた場所で、ホシノ・タカミツは至極冷静に立っていた。両手をズボンのポケットに突っこんだまま、退屈そうに脱力している。彼にとって、目の前の少年など何の脅威でもなかった。


(間合いを詰めるしかない。リスクは高いが……)ライデンの頬を冷や汗が伝い落ちる。(それしか方法がない!)ごくりと唾を呑み込んだ。


「うおおおおおっ!!」


ライデンは執念の咆哮とともに、弾丸のように前方へ突進した。


ホシノは動じることなく右手をポケットから抜き、手のひらを相手に向けた。一瞬にして、その手前に眩い黄色の魔法陣が浮かび上がる。


ライデンは、あの魔術師が前の対戦相手を一撃で倒した瞬間を思い出して本能的に反応した。


――バチィッ!


魔法陣から目にも留まらぬ速度で雷撃が放たれた。ライデンは身を翻し、至近距離からの撃ち込みを紙一重でかわした。地面を転がり、屈んだ姿勢で着地して激しく息を吐く。(危ねぇ……!)横目で確認すると、雷撃は頑丈な石畳を穿ち、縁が黒く溶けた小さな穴を残していた。


間髪入れず、ホシノが再び狙いを定める。別の黄色い魔法陣。更なる雷撃。


ライデンは前方に飛び込み、地面を転がった。雷撃が肩を掠め、上着と白いシャツの生地を焦がしながら綺麗な切れ目を入れる。


ホシノの紫の瞳が驚きに見開かれた。(またかわした……!?)


ライデンはバネのように立ち上がり、相手との間合いを極限まで詰めた。右脚を強力に踏み込み、限界まで引き絞った右拳を解き放つ。


紫の瞳の少年は瞬時に反応した。右腕を掲げ、手のひらを前にかざす。今度は三角形が描かれた茶色の魔法陣が具現化した。何もない空間から分厚い岩の壁が立ち昇り、彼を庇う。


ライデンは攻撃を緩めない。その拳が土の障壁へと激突した。


――ドカンッ!


拳は分厚い岩を易々と穿ち、粉々に打ち砕いて瓦礫を撒き散らした。その勢いのままホシノの頬を掠め、顔を大きく歪ませる。


(くそっ、岩でパンチの威力が殺された……!)体制を崩し、ライデンは前方へ倒れ込みそうになった。


だが地面に激突する直前、両手を石畳について曲芸的な動きで跳躍。空中で身体をひねりながら、魔術師の脇腹に向けて左脚で苛烈な蹴りを放った。


ホシノは焦って再び岩の壁を作ろうとしたが、間に合わない。完成しきる前にライデンのブーツが壁を破砕。岩が衝撃を僅かに和らげたものの、攻撃は防壁を完膚なきまでに打ち破った。


――カッ!

挿絵(By みてみん)


重厚な打撃音がコロシアム全体に響き渡る。ホシノは激痛に歯を食いしばり、右目を固く閉じた。肋骨への凄まじい衝撃により、黒髪の少年は靴のソールをすり減らしながら数メートル横へと吹き飛ばされた。


ホシノは肩で激しく息をつき始めた。口元から血と唾液が糸を引いて垂れ落ちる。立ち上がろうとする脚が震え、痛めつけられた自身の体を支えきれずに膝をついた。信じられないといった様子で脇腹を押さえる。


(くっ……なんて怪物みたいな腕力だ……)猫のような身軽さで体勢を整えたライデンを見上げる。(距離を取らなければ……あいつは近接格闘タイプだ。遠距離攻撃で攻め立てれば確実に勝てる)彼の冷徹だった瞳が、突如として激しい憎悪に染まった。


観客席から大歓声と驚愕の悲鳴が巻き起こった。これほどの苛烈な攻防が、ほんの数秒の間に繰り広げられたのだ。


その時、観客席の人込みを押し分けて進む赤髪の少年の姿があった。カサイ・ヒノカミは右腕に包帯を巻き、頬に医療用絆創膏を貼っていた。(くそっ、遅くなった! 試合が終わっちまう!)


「おい、ヒノカミ。ここに座れ」威厳のある声が響いた。


カサイが顔を上げると、タケコ隊長が手を挙げ、自身の左側にある空席を指差していた。


「あ、ありがとうございます!」カサイは慌てて着席し、焦りを含んだ眼差しでアリーナを見つめた。「間に合ってよかった……」


「いや、まだ始まったばかりだぞ」タケコの部下が舞台から目を逸らさずに囁いた。「かなりの好勝負だ。どっちが勝つかさっぱり分からん」


「ライデンが勝ちますよ」カサイは一秒の迷いもなく断言した。


舞台の下では、ライデンが再び突進していた。しかし今度は、鋭く尖った巨大な岩の槍が地面から猛然と突き出し、彼に向かって襲いかかる。ライデンは横へと跳躍を余儀なくされた。


(くそっ、近づかせる気はないってことか)栗色の髪の少年は拳を握りしめた。


ホシノは屈んだ姿勢のまま両手を地面につけていた。その掌の周囲には、三角形が描かれた茶色の魔法陣(土魔法)が妖しく輝いている。


ライデンは左右にかわし続けた。(岩の槍を避けながらあいつの注意を惹きつけて、反応できない一撃を叩き込むしかない……それが唯一の勝機だ。時間が経つほど不利になるが、諦めるわけにはいかない。じいちゃんと交わした約束を破るわけにはいかないんだ!)


強い決意を瞳に宿し、ライデンは岩の群れを縫うようにジグザグに走った。前方へ踏み込もうとするが、ホシノが岩の軌道を変化させ、何度も後退を余儀なくされる。


稼いだ距離を利用し、ホシノは勢いよく立ち上がった。両腕を突き出す。今度は彼前に一際巨大な魔法陣が形成され、濃密な赤色に発光した。その真紅の陣から巨大な火炎球が放たれ、大砲のような速度で飛来する。


ライデンの顔から血の気が引いた。その炎の攻撃は、カサイが放っていたどの攻撃よりも圧倒的に強力で濃厚だった。


かわす時間はない。ライデンの生存本能が身体を動かした。両腕を交差させ、己の肉体で受け止めようとする。巨大な火の玉が真っ向から彼に激突した。


絶大な熱量がライデンを襲う。視界の全てが赤く染まり、皮膚の汗が一瞬で蒸発していく。攻撃の凄まじい威力が彼を押し流し始め、足が石畳を削りながら溝を作り出していく。


「ふざけ……んなぁぁぁっ!!」ライデンが叫んだ。腕と額の血管が破裂せんばかりに浮き上がる。


全身の力を踏み込みに込め、ライデンは両腕を空に向かって振りぬいた! 巨大な火炎球の軌道を強引に逸らし、上空へと弾き飛ばす。火の玉は高空で爆発し、赤、黄、オレンジの絢爛たる閃光でコロシアム全体を照らし出した。


ライデンは両腕を上に掲げたまま、肩を上下させて激しく息をついた。確実な死を、寸前のところで受け流したのだ。


ホシノはその姿を見つめ、邪悪な笑みを浮かべた。


「……なるほどな」魔術師は呟いた。「ヒノカミに勝てた理由が分かったぞ」


「え……?」疲労困憊のライデンが首を傾げる。


「お前の包帯と服には『加護』がかけられている。だから素手で俺の攻撃を受け流せたんだ」


「加護……? どういう意味だ?」ライデンは呆然と尋ねた。


「知らないのか?」ホシノは心底驚いた様子だった。「お前の衣装と包帯には、常時発動型の防御術式が施されている。それも異常なまでに高度なものだ。王族お抱えの特級魔術師クラスでなければ、ここまでの防護魔法はかけられない」


ライデンは自分の両手に巻かれた白い包帯を見つめた。(加護……)


数日前の記憶が脳裏をよぎる。小さな小屋の中、過酷な修行で全身包帯まみれになり、青いショートパンツ一丁の自分。目の前の木製テーブルでは、いつもの僧衣を着たじいちゃんが飯を食っていた。


「おいライデン、大会にはどんな服を着ていくんだ?」


ライデンは口の中のものを飲み込んで答えていた。

「んー、誕生日にカサイから貰ったやつを着てくつもり」部屋の隅にある紙袋を指差した。


「そうか、ちょっと借りるぞ」老人は立ち上がり、服を手に取ると、説明もなく部屋に閉じこもった。


(なんだよ急にあのクソじじい……)と当時のライデンは首をかしげていたのだった。


現在に戻り、ライデンは拳を強く握りしめた。(あの時……加護をかけたのか!? それにこの包帯……じいちゃんが使ってたやつじゃねえか!)悔しさと傷つけられた自尊心で、彼の目が鋭さを増す。(くそっ……俺はいつも誰かに助けられてばかりかよ……!)


観客席で魔術師の暴露を聞いたカサイは呆然としていた。(そうか……だから俺の炎でも丸焦げにならなかったのか)火の矢を受けた時や、至近距離での爆炎に耐えた瞬間を思い出していた。全ての辻褄が合ったのだ。


「妙だな……」タケコ隊長が顎に手を当てて呟いた。


「え? 何がですか?」カサイが興味深そうに聞き返す。


「あのホシノという魔術師だ。詠唱も杖も使わずに高レベルの属性魔法を行使している。俺もこれまで多くの強力な術者を見てきたが、誰一人として詠唱を省けた者はいなかった。魔導書や触媒なしで魔法を扱うなど……おとぎ話でしか聞いたことがない。千年の一才と言われるレベルだ」


カサイはゴクリと唾を呑み込み、首筋に冷や汗を流した。(なっ……ライデン、お前は一体どんな化物と戦ってんだ!?)


舞台の上で、ライデンは情報を整理しようと必死だった。(じいちゃんがなんで王族レベルの術を使えるんだよ……? いや、今は考えるな。勝つことだけを考えろ。この服のおかげで少し有利になったのは事実だ)


「おい!」ライデンがホシノに向かって叫んだ。「なんで分かったんだよ?」


「俺のこの目のおかげだ」ホシノは紫の瞳を指差した。「どういうわけか、俺には物体のオーラや加護が視える」


ホシノは冷徹に状況を分析した。(通常の属性魔法では効かないか。魔法帝レベルの術者の加護相手では分が悪い。貫くには上位魔法を使うしかないが……それを使えば俺の魔力の大半を消費することになる)


「もう時間を無駄にはしねえ!」ライデンが叫ぶ。


激しく一歩を踏み出し、打ち砕かれた床の巨大な石畳の端を力まかせに蹴り上げた。重厚な石が頭の高さまで舞い上がり、ライデンはそれを片手で掴み取った。


ホシノはその無駄のない一連の動作に目を見張った。


(今すぐ間合いを詰める! 全力で行く!)栗色の髪の少年はピッチャーの構えを取った。


――ビュンッ!


石畳が砲弾の如き速度で放たれた。


ホシノは必死に両手を掲げた。幾重もの六角形が連結した鮮やかな青い魔法障壁が眼前に展開される。


――ドカンッ!


重厚な石が障壁に激突し、それを粉々に砕き散らした。濃密な煙と塵が立ち込め、黒髪の少年の視界を完全に奪う。青い盾が衝撃を和らげたとはいえ、衝撃波の凄まじさにホシノの鼻から一筋の血が流れ出た。


相手の視界が奪われた隙を見逃さず、ライデンは前方へ躍り出た。人間離れした神速で煙を突き抜け、魔術師の真ん前に出現する。右拳を固く握り締め、相手のみぞおちへと破壊的な一撃を深々と突き刺した。


ホシノは血を吐き、糸の切れた人形のように舞台の端へ、そして落下の奈落へと吹き飛ばされた。


ライデンは安堵の息をついた。(終わった……!)


だが、場外へ転落して失格になる目前で、ホシノの身体が空中で静止した。足はもはや石畳に触れていない。彼は浮遊し始めたのだ。


「なっ……!? 飛んでるのか!?」ライデンが驚愕の声を上げる。


ホシノは舞台のはるか上空へと上昇していった。手の甲で口元の血を拭う。(クソが……なんという一撃だ。もう少しで脱落させられるところだった……)激怒に身体を震わせる。


彼は黒いローブの内側へと手を伸ばし、何かを探した。


(あんな高いところまでどうやって届くんだよ!?)ライデンは天を見上げ、途方に暮れた。


ホシノが取り出したのは、極厚の書物だった。表紙は深みのある漆黒で、歳月と使用によって使い込まれた風合いを帯びている。(これを使うしかない……普通の攻撃では効かない)


古びた魔導書(グリモワール)から手を離すが、落ちることはなかった。彼の胸の前でそのまま浮遊し、ページが自動で高速でめくられ始める。


ページの隙間から、空間を息苦しいほどのプレッシャーで満たしながら、何かが姿を現し始めた。それは一本の魔導杖だった。


一見すると、柄の部分は素朴だった。彫刻もルーンの刻印もない無垢の木材。しかしその質素な装飾は、真の禍々しい核を際立たせるためのものに過ぎなかった。漆黒の骨ばった手首が木材から生え伸び、骨の指先で深海のようなダークアクアマリンの巨大な宝珠を掴んでいる。宝石の内部では荒れ狂う暴風雨が渦巻いているかのようだった。そして宝珠の頂点には、小さな王冠が重力を無視して浮遊していた。


その力を誇示する刻印など不要だった。杖から解き放たれる濃密で邪悪な魔力の圧迫感だけで、ライデンは生存本能から後ずさりした。


ホシノは両手で杖を握り締めた。


「これで終わりだ。俺の勝ちだ」


魔術師の惨忍な笑みに、その場にいた全員の血が凍りついた。


周囲の天候が一変し、一気に冷え込む。ホシノの周囲の空中に、鋭利なひし形をした漆黒の結晶が数十個浮遊した。


「俺の真の魔力を少し見せてやる」ホシノの宣言は、異様な残響を伴って響き渡った。「炎、雷、岩、水……俺の属性魔法は見たな。だが次は違う。これは『闇魔法』だ。そしてこの魔法の特性は唯一つ――あらゆる『加護』の無効化だ。つまり、その服の加護など、これの前では何の意味もなさない」


ライデンは目を見開いた。大会を通して初めて、彼の顔に真の絶望と恐怖が浮かび上がった。


ホシノは杖を振り下ろし、漆黒の結晶の嵐をライデンへと照準を合わせた。


「――喰らいやがれぇぇぇっ!!!」

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