第五十二話 焦り
ー前回のあらすじ
犬飼 魔虎と梶 才牙のガスマスクが砕かれ、瘴霧を吸ってしまう。
そしてついに、辛島 迅が到着したが、その表情は意味深で……
遅れて現れた辛島 迅は、低く息を吐きながら告げた。
「……全員、亡くなってた」
その一言で、空気が凍りつく。
魔虎は一瞬だけ歯を食いしばり、視線を伏せる。
――間に合わなかった……
拳が震えた。
次の瞬間、怒りを叩きつけるように踏み込む。
「輪廻解錠――烈掌!!」
渾身の一撃。
病罹はそれを正面から受ける。足を深く踏ん張った瞬間、床が大きく凹み、船体が軋む。片手で拳を受け止めたまま、ノア全体が大きく揺れた。
屋上。
「おお、揺れる揺れる」
禍輪は手すりにもたれ、楽しげに笑う。
その横で、アナザーは狂犬病の進行により、次第に表情が険しくなっていく。咳を噛み殺すように、喉を押さえた。
船内。
魔虎は間髪入れず、もう片方の手で技を放つ。
「輪廻解錠――灼槍・束!!」
凝縮された炎の槍が病罹の胸を貫こうとしたその瞬間――
視界が揺らぐ。
ペスト病の進行。全身を覆う倦怠感。焦点が合わない。
「……っ」
灼槍・束は狙いを外し、ボワッと霧散した。
その直後。
「――っ、がは……!」
梶 才牙が吐血する。エボラ出血熱の症状が一気に表面化し、床に赤黒い血が散った。
辛島 迅が一歩前に出る。
「輪廻解錠――鋼域再編」
床の鉄がうねり、棘となって隆起する。病罹の足を切り裂き、血が飛ぶ。
だが、切断された部分はすぐに再生した。
病罹は口角を吊り上げる。
「諦めろ。君らは死ぬ」
そのまま、容赦なく才牙を蹴り飛ばした。
吐血しながら、才牙の身体が廊下を転がる。
「……が、は……」
それでも才牙は、口元を血で汚しながら笑った。
「舐めるなよ……」
「は?」
病罹が眉をひそめる。
「エボラ出血熱……ねぇ……助かるよ……俺の血は、出血しようとも操れる……!」
病罹の目が見開かれる。
見渡せば、吐血や裂傷で流れた才牙の血が、床一面に広がっていた。
――コイツ……!
病罹に焦りが走る。
「輪廻解錠……」
才牙が、苦しみを押し殺すように言った。
「紅蓮牙陣……!」
床に散った血液が蠢き、血の刃となって病罹を囲む。円形に形成された血の刃が高速で回転しながら、じわじわと内側へ収縮していく。
病罹は咄嗟に拳を振るう。
「輪廻解錠――忌触!!」
連発。
血の刃を叩き潰し、相殺する。次の瞬間、相殺された才牙の血が雨のように降り注いだ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
さすがの病罹も、息が乱れる。
これで終わりか。
そう思われた、その瞬間――
「よくやった……梶」
辛島 迅の声が低く響く。
「輪廻解錠――磁鋼収縮」
相殺され、宙に舞った血飛沫が、迅の手元へと引き寄せられていく。
魔虎、才牙、そして病罹が息を呑む。
「俺は、露出された鉄であれば例外なく操れる」
迅は静かに言い放つ。
「磁鋼発散!!」
集束した才牙の血が、鋭利な弾丸となって一斉に放たれる。
赤黒い弾丸が病罹の身体を切り刻み、無数の裂傷が走った。
船内に、血飛沫が舞った。
鋭利な弾丸と化した血が、雨のように病罹の全身を切り裂いた。
肩、脇腹、太腿。肉が抉れ、血が弾ける。それでも致命には至らない。
再生は、いつもと同じ速さで、淡々と進む。
だが――動きが、止まった。
「……なるほど」
口元から血が垂れる。
再生途中の筋肉が露出したまま、病罹は一歩、半歩と後退した。
その視線が、迅へと向く。
「鉄を介して、血を操ったのか」
指先が、わずかに震える。
焦りを押し殺そうとする仕草が、逆にそれを露わにしていた。
床に落ちた血液が、まだ微かに蠢いている。
完全に制御を断ち切れたわけではない――そう悟った瞬間、病罹は舌打ちした。
「……面倒な」
その背後で、魔虎と才牙が息を整える。
魔虎は拳を強く握りしめ、歯を食いしばった。
――まだだ……まだ終わってねぇ……!
才牙は血に濡れたまま、薄く笑う。
「効いてるだろ」
病罹は答えない。
ただ、再生を終えた腕をゆっくりと振り、体勢を立て直した。
殺気が、再び場を満たす。
「次は……確実に殺す」
その言葉に、迅は静かに構え直す。
「それは……こっちの台詞だ」
続けて魔虎も少しニヤリと笑いながら病罹に言う。
「なにピキってんだよ」
夜のフェリーが、軋むように揺れた。
戦いは、まだ終わらない。




