第91話 地獄の海
時は満ちた。
事前の予行演習も、休息もしっかりと確保したのだ。後は満を持して突撃するのみである。
「心の準備は大丈夫そう?できれば早めにここを離れた方がいいと思うけど」
作戦の都合上とは言え、相当派手な爆発を起こしてしまったし、それなりに大きな音も響かせてしまった。
普通に歩いて探索したならば、ここに辿り着くだけでも5時間近くかかる距離だと前に聞いたことがあるので、流石に誰かが気付くようなことはないかもしれないけれど、万が一ということもある。
「さっきの疲れはだいぶ取れたし、問題ない。うだうだしていてもしょうがないしな」
「あんまりのんびりしてると、踏ん切りがつかなくなっちゃいそうだしね。軽く流れだけ決めて、さくっと出掛けよう」
「そうだな。基本的に、ゴーレムの対策が取れれば他もなんとかなると思うから、一番はやっぱりあれをどうするかだな」
彼が言いたいのは、洞窟内であれだけ派手な爆発を起こすのは無理だということだろう。それについては、私も全くの同感である。
避けようのない空間で、勢いよく岩が飛んでくるのは普通に危ないし、内部で崩落を起こす可能性もゼロではない。
こと、洞窟という空間に至っては、最大最強の相手であるようにも思えるが────先程の戦闘で得た知識のおかげで、全く手筈が無いわけでも無かった。
「一応、いくつか方法はあるけど」
「そんなにか?」
「うん。一つは、さっきみたいに足止めした後で、地道に魔石を探り当てる方法。ただ、時間がかかるし、分解してる間は魔力も消費し続けないといけないから、これは最終手段かな」
「そうだな。できることなら、あまりのんびりと時間をかけない方が良い」
「もう一つは、熱で丸ごと溶かす方法。障壁でちゃんと覆えば、作業自体はそんなに危なくならないと思う。ただ、下手すると魔石ごと溶けることになりそうだけど」
魔石は前世になかった代物なので、どのような反応を示すのかは私にも分からない。
どちらかと言えば、何が起こるか分からないことの方が恐ろしいので、本当はこれもあまりやりたくない方法ではある。
────あと単に、魔石が溶けてしまっては勿体ない。
向こう数年、下手したら数十年ほどは、お金に一切困ることのない生活を送れるぐらいに稼いでいる私ではあるけれど、売る以外にもいくらでも使い道はあるのだから。
「……溶けるのか?岩って」
「そりゃ溶けるよ、鉄だって溶けるんだから。まあ、魔石がどうなのかは私も知らないけど、探すにしても溶かすにしても、岩を一つずつどかして探すよりは楽だと思うよ」
「まあ、それはそうか。可能なのは、その二つくらいか?」
彼の言葉に、私は首をゆるゆると横に振った。
まだ、他にも方法はある。
「あと一つは、魔法陣を無効にする方法。あれって、便利だけど、実は結構脆い代物でもあってね。図形を正しく描いて、初めてちゃんと機能する物だから……裏を返すと、少し線が欠けたりするだけでも、効果が無くなっちゃうんだよね」
「つまり、どうにかして魔法陣を消せばいいってことか?それもそれで難しいと思うが」
「簡単でないのは確かだけどね。普通なら、岩に囲まれて武器が届くこともないし、魔法も耐性がついてるせいで全然歯が立たないから。────でも、私なら話は別でしょ?」
マジックの種とも言うべきその絡繰は、気が遠くなるほどの緻密なバランスの上に成り立ちながら、魔法陣そのものに対する保護がほとんど施されていない。
ただ、岩に線が彫り込む形で刻み付けられているだけで、劣化を防ぐための処理がどこにも無いのだ。
本来であれば、幾重にも重なる岩の塊と、膨大な魔力の元に織り成される壁がそれを防いでくれるのだろうが、私はその両方を穿つ術を持っている。
全てを消すならいざ知らず、一部を欠けさせるだけならどうにでもなるだろう。
「仕組みはさっぱり分からないが……ひとまず、出来るのならそれでいこう。なるべく、素材が取れるに越したことはないからな」
「オーケー、任せて。ゴーレムには申し訳ないけど、絶望の海に沈んでもらうことにしよう」
「お前は悪役か何かか?」
悪役ではないが、破滅の魔女などという物騒な二つ名を賜ったことのある女ではある。
────そして、絶望の海に沈めるという言葉も、比喩でも何でもなく言葉通りの意味だったりする。
岩を削ろうという時に、大抵の人間は、例えば鶴嘴など、適した道具を使って作業する方法を真っ先に思い浮かべるだろう。
勿論、このような状況下でなければそれは正解で、人の力を使って成し遂げようとするならば当然の発想でもある。
だが、こと今回に限っては、正攻法はまるで意味を成さない。
見た目通りに立ちはだかる、硬く厚い岩の壁。僅かな隙間一つさえ緻密に埋め尽くす、濃密な魔力。
────そして、それらを巧みに駆使し、あらゆる敵を害さんと牙を剝く相手の攻撃。
それら全てを回避し、目的の場所に正確に傷を付けることは、およそ不可能に近しいだろう。
純粋な人の力だけでは辿り着けない高みがそこにある。
ならば、大人しく尻尾を巻いて逃げるしか無いのかと言えば、それも否。
人の身に為せぬのなら、人ならざるものに成し遂げてもらえばいい。ただそれだけのことなのである。
その条件に見事に当てはまるのが己自身というのは、ある意味笑えない話だが。
その昔、人々は、操れぬはずの奇跡を成し遂げる力を得た。人はそれを、魔法と呼んでいる。
果たしてその奇跡が何かと言えば────要するに、超常現象。つまりは自然の力だ。
人の手の及ばぬ世界にも、岩を削る方法は存在する。
例えば、河川敷などにある小石なんかはいい例で、あれは元々大きく角ばっていた石が、水に流され運ばれる過程で削れることによってできるものだ。
全く同じ方法を用いたのではあまりに時間がかかりすぎるため、実際に使用するには多少の応用が必要になるが、一つの参考になることは間違いない。
「岩と岩がぶつかるぐらいに勢いを強くして……そこら辺に転がってる石も混ぜちゃおう」
「…………何だこれ」
「何だろうね。ミキサー?」
「ミキサーがまずわからないんだが……」
今、目の前にあるのは、全身を水で覆われた数体のゴーレム。
洞窟内に足を踏み入れてすぐに囲まれたことには、驚きを通り越して辟易する勢いだったが、予め思いついていた作戦はそれなりに功を奏した。
まず、相手が動き出す前に、ゴーレムの体全体を障壁で膜のように覆ってから、中を全て水で満たす。
これが人間なら、それだけでじわじわと命を削られていく、地獄の水牢の出来上がりだ。
だが、息継ぎなど必要であるはずもないゴーレムからしてみれば、魔力の流れを遮り動きを封じられただけに過ぎないので、これはあくまで第一段階である。
次に、障壁内の水を勢いよく回転させ、激しい水流を生み出す。
成す術の無くなった岩の塊は、正に川の水によって流されていく石の如く水の中で踊り出し、大きさの違いで流れるスピードの変わる岩達は、お互いがぶつかり合うことで徐々にその表面を擦り減らしていく。
極めつけに、細かい石や砂も中に加えれば、まるで研磨材のようにごりごりと削るスピードを速めていった。
その、かなりの勢いでぐるぐると回る様が、どうにもミキサーのように見えて仕様が無いのである。
流石に、これだけ大きさのある岩がすぐに粉々になる事は無いが、効果としても多少は似ているところがある。
「確かに沈んだな、絶望の海に」
「ゴーレムもまさか、洞窟の中に居ながらこんな事になるとは、夢にも思わなかっただろうねぇ」
「無情だ……」
ものの数分で、ゴーレムは物言わぬ無機物へと成り果てた。
心持ち角の取れた岩の中には、表面に細かい傷の付いた魔石も混じっている。
「そういえば、今まではあんまり気にしたことがなかったけど、魔石って傷が付いてても売れるものなの?」
「買取価格が下がることはあっても、これだけサイズの大きいものが売れない理由は無いな。武器につける魔石も、装飾の一つである以上、大抵は表面や形を整えてから使用することの方が多いそうだし、この程度の傷なら問題ないだろう。状態が良いに越した事はないが、今回ばかりは仕方がないしな」
「それならいっか。まあ、そもそもお金には全然困ってないから、売れないなら売れないで、自分で使えばいいだけなんだけどさ」
「傲りでも何でもなく、それが事実であることがまた、何とも言えないよな……」
そう言って遠い目をする彼を前に、私の脳裏に過ぎったのは、ついこの前こなした依頼のことだ。
本来、Cランクであれば受ける機会などないはずの、魔族の討伐依頼。それを無事にこなした私達の元には、多額の金が舞い込んでいた。
魔物のランクがSランクであるが故に、総勢6名で割っても余りあるほどの達成報酬が渡され、討伐した際に回収した素材の売却金額も合わせれば、数えるのすら億劫になる程の額まで膨れ上がったことは言うまでもない。
まるで、宝くじで一等を引き当てたかのように突如舞い込んだ、巨額のお金。
それだけの金額に見合った働きをしたと思えば誇らしい気持ちにはなるが、いかに危険な仕事をこなしていたのかも、己の身にのしかかっていた責任の重さすら感じ取れて、本来備えて挑むべきだった危機感がようやっと伴ったかのように肝が冷えたことを、今でも鮮明に思い出せる。
冒険者というのはそれだけ、普通に生きるよりもよっぽど、命の危険が常に付き纏う仕事なのだ。それを改めて実感させられた。
今から調べようとしている場所だって、一歩間違えばすぐに命を刈り取られてしまうような危険地帯である。
ここも結局、生きるか死ぬかの世界という意味では、戦場と何ら変わりはない。
「それにしても、溢れ返る時点で相当の数はいるだろうなあと覚悟してたけど、ちょっと予想以上かもしれない」
「入ってすぐに何体も密集しているとは、俺も流石に思わなかったな。これ、いったいどれだけいるんだ?」
「道も全然分からないし、中を把握するだけで7日は優にかかりそう……それでも全然足りないかも」
今回、最大の目的は、異変の原因を見つけて排除することにあるが、これでは道を進むだけでも相当に時間がかかってしまう。
根本的な原因を排除するよりも、純粋にゴーレムの数を減らす方がいっそ有効に思えるくらいだ。
「ここだけだと、そもそもの数が異常に増えてるのか、散らばってたはずのゴーレムが一箇所に寄り集まってるだけなのか、判断がつかないんだよねぇ」
「なら、先に進むしかないだろう」
「やっぱりそうなるか……」
「頑張れ、言い出しっぺ。俺もなるべくフォローするから」
嫌々といったオーラを包み隠そうともしない私の肩に、アルがぽんと手を乗せて微笑んだ。
やけに爽やかな笑顔だ。今更逃すものかという、妙な圧力も垣間見える気がする。
「フォローと言わず、メインで頑張ってくれてもいいんだよ?」
「俺に任せたら、この件だけで一月は拘束されるかもしれないが、それでもいいのか?」
「……とりあえず、私が片っ端から倒していけばいいですかね」
甘い期待も早々に打ち砕かれた。
巻き込んだのは私の方なので、それも仕方のないことだった。




