第86話 噂がうわさ
少しばかりむせ返るような空気の中で、紙のすれる音が聞こえる。
埃に包まれたような独特のカビ臭さは、しかしながら時の流れを感じさせるようで不思議と心地良い。
昨今、本という代物もまた、手軽に手にできるのは量産技術の賜物であり、裏を返せばそのような便利な技術の無い時代には、貴重な代物に含まれるものである。
昔の時代には、図書館から本が持ち出されないよう鎖で繋がれていたこともあるくらいだし、この世界の文明レベルを考えれば、今この場にあるあらゆる本があまりにボロボロでも、それは致し方のない事だ。
調べものと言えば、真っ先に浮かぶ方法は本かネットということで、ネットは当然無いにしても、本くらいは読んでおこうと当たりをつけたまでは良かったのだけれど。
そも、この世界における本の役割というのは、己の見聞を広めてくれるようなまだ見ぬ何かを求めるためのものでは無いようで。
平たく言ってしまえば、いわゆる伝記であったり、聖書のような教典ばかりがずらりと並べてあるばかりなのだった。
「別段、期待はしてなかったけれど、ここまで来るといっそ清々しいね。見事に同じジャンルの本しかないわ」
「口頭で済むなら、わざわざ本に残すこともないからな。手間がかかるし」
「ご尤もな話なんですけどねえ」
正直なところ、ある程度魔法が普及しているのなら、地球とはまた別の方法で複製技術くらい発展しないものかと思いはするけれど。
あまり必要性を感じないのか、はたまたそこまで考えが及ばないのか。
或いは、それを実現するだけの力が無いのかは、今の私には知る由もない。
分かるのは、無いものねだりをしてもしょうがないということだけだ。
「まあ、これはこれで面白い内容ではあるんだけど、読んだところで本来の目的は全く果たせないんだよね」
「だから言ったろう、わざわざ王都に来てもしょうがないって」
「ダメ元でどうにかなることだってあるじゃん。今回は当てはまらなかったけどさ」
確かに、ここまで偏りがあると思っていなかったのも事実ではあるが、来たこと自体に後悔はない。
この世界の歴史や宗教の話もまた、私個人としては得るものが大きいからだ。
(今まで感じた疑問も、まだ全然解消されてないことだしね)
───まるで違う世界のはずなのに、この世界には地球の面影を色濃く感じる。
例えば、サイクロプスの由来の話や、あまりに同じ形を描いた世界地図だったり、まだまだ謎は多く残されているのだ。
ただ単に、現状を良くするという意味合いだけでなら、事情を知らずとも世界を救う方法はいくらかあるのかもしれないけれど。
私が女神様に求められていることは、そのように短絡的な考えで解決できる何かではないように思う。
私の旅路そのものが、己の犯した罪への償いとなるのだから。
少なくとも、当事者である私本人が楽な道のりを求めるべきではないだろう。
「もうこれ、打てる手はあらかた打った感じかな?」
「そうだな。聞き込みも、思った通り大した話は無かったし」
ふう、と小さく溜息を吐く姿を、視界の片隅に見つけた。
彼の言う通り、事前に行った聞き取り調査もまた、めぼしい成果は上げられなかったのである。
「あまりに謎が多すぎて、妙な噂ばかり立つぐらいだもんね」
「実はとんでもない財宝が眠ってるんじゃないかとか、あの洞窟は呪われているとか、信憑性の無いものばかりだったけどな」
「噂なんてそんなもんでしょ。結局は個々人の想像力の賜だからね」
ただの憶測だからこそ、根拠の無い話でも許されるのだし、好き勝手が許されるからこそ、突拍子の無い話も無数に生まれる。
つまるところ、一言でいってしまえば、噂なんてものはただの無法地帯だ。
ある意味、知性ある生き物だけに許された娯楽の一つであるとも言える。
「私個人としては、あれだけ魔力が密集するような空間なら、ゴーレムなんて比じゃない魔物がいてもおかしくないとは思ってるけどね」
「やめてくれ、シオンが言うと洒落にならない」
「いやだって、可能性としては十分有り得るでしょ。というか、アルは本当に私を何だと思ってるわけ?」
「……トラブルメーカー?」
否定できなかった。
できないので、私はそれを無言で肯定した。
「このままここに居てもしょうがないし、ひとまず戻るか。そろそろ日も暮れる頃合いだろう」
「うん、そうしよっか。せっかく食事の約束をしてるのに、待たせたら悪いもんね」
そう言って、私は手にしていた本を閉じる。
久々の読書に、会話をしながらでも読む手は止まらなくて、私の傍らには山のような本が積み上がっていた。
その光景は、遥か昔の事のように懐かしく私の目に映る。
(一年ぶりくらいかな、こういうの)
それは、私が魔女になる前の、己を形作る日常の一つであった。
毎日、来る日も来る日も、飽きることなく日がな一日本を読んでいたことを思い出す。
それぐらいしか出来ることが無かった、という意味では、一概に幸せだったとは言い切れないけれど。
少なくとも、本を読んでいる間の時間は、私にとっては至福の一時だったのは間違いない。
「また来たいな、ここ」
「いいんじゃないか?別に、それくらいのことならいつでも付き合うし」
「……丸一日引き籠るよ?」
「好きにしたらいい。俺もそうする」
その言葉にふと私は、そういえば先程も本に夢中なあまり、しばらくの間アルをほったらかしにしていたことにようやく気付いた。
わざわざ確認を取るまでもないことだった。
後の祭り、とも言える。
(こういうところがダメなんだな……)
よっぽど、アルの方が気遣いに長けている。そう確信した瞬間である。
そして、それと同時に、私は心の底から反省した。
♢
待ち合わせの時間が読めなかった私達は、ひとまずギルドに集まる約束をしていた。
行きつけのお店はいつも混んでいるので、必要以上に居座るのも申し訳ないという気持ちから決めたことである。
あともう少し日が落ちれば、辺りは一日の成果を報告する冒険者で溢れかえるだろうが、今はまだ落ち着いた空気が流れている。
そんな中、暇そうに机にもたれ掛かる一人の男がいた。
「退屈そうですね、ラウルさん」
「おお、シオンか。なんか売るもんでもあるのか?今ならお前の言う通り、手が空いてるぜ」
「残念ながら、今日はずっと調べ物してただけなので。いかにも暇そうな雰囲気を醸し出してたので、挨拶しに来ただけですよ」
「暇そうで悪かったな。何をそんな真面目に調べてたんだ?」
「サイラース迷宮のことをちょっと。あれから何か話進みました?」
「いんや、全然。こういうのはスピード命だってのに、どうにもならねえのは歯がゆいもんだよなあ」
頭を掻きむしりながら、ラウルさんはそうぼやいた。
その気持ちは分からないでもない。
圧倒的な人手不足。
加えて、連絡手段の未発達。
当たり前とはいっても、当事者からしてみれば不便であることに変わりはないのである。
「で、今度は何やらかすつもりだ?迷宮のことなんて、調べても大した情報なんて得られなかったろ」
「人聞きの悪いこと言わないで下さい。大した話が聞けなかったのは事実ですけど」
「彼女とも話してましたが、根も葉もない噂ばかりでして。ギルドの方で何か掴んでたりしませんか?」
「それも全然だな。あそこは色々と条件が悪すぎる。今回みたいなことがなけりゃ、余程の物好き以外は近付きもしねえだろ」
「まあ、そうですよね」
情報など、掴めるものならとっくに掴んでいるだろう。分かりきったことだ。
勿論、期待して聞いたわけでもないのだが、より八方塞がりな状況を自覚する羽目になってしまった気がする。
「あまりに色んな噂が立ってたんで、それはそれで面白くはありましたけどね」
「ああ、俺もたまに耳にすることはあるな。どんなのがあったんだ?」
「んー、個人的に興味あるのは、出口までいったら別世界に繋がってる話ですかね?さすがにそれは無いと思いますけど、隣国に出るくらいなら有り得るかなあとは思って。ラウルさんが知ってる噂だと、何があります?」
「そうだな……有名なとこで言ったら、どんな病でも治す泉があるとかか?そんなもんがあったら、誰も苦労しねえよって話なんだけどな」
「……何ですか、それ?」
ラウルさんからしてみれば、特別気にすることもないただの噂話に過ぎなかっただろう。
しかしながら、その話は妙に私の胸をざわつかせた。
「一回も聞かなかったか?こんなご時世だからか知らねえが、少し前までは結構流行ってたんだぜ」
「その話って、他の街でもかなり有名な方ですか?」
「さあな……そこまでは分からねえが、何かの拍子に耳に入るくらいは有り得るんじゃねえか?」
その言葉で、私は一つの可能性に辿り着いた。
それは、できることなら間違っていて欲しい考えに他ならなかった。
「……どうした、シオン?顔が少し強ばってるぞ」
「後で話す」
私の様子がおかしい事に気付いたようで、アルが横からそっと声をかけてきた。
しかしながら、ラウルさんの目の前で話すべきでないと判断した私は、その場で理由を述べることはせずに会話を打ち切る。
そんなやりとりを、ラウルさんが不思議そうに見つめるのが見えたので、一旦この場を収束させることにした。
「話してくれてありがとうございました。そろそろ待ち合わせがあるので、今日はお暇しますね」
「おう、そうか。またいい素材が取れたら売りに来てくれよ」
お互いに軽く手を振りあってから、私達はその場を後にする。
すれ違いざま、素材を抱える冒険者の背を横目に見送ってから、空いてる席を見つけて腰掛けた。
「それで?急に顔色変えてどうしたんだ」
あまり公にしない方が良いと思ったのか、アルはそっと囁きかけるように話しかける。
周りにフレイルさん達の姿は見当たらない。
「───例えばの話だけれど。さっきみたいな噂話を、本気で信じる誰かがいるとするじゃない。信じてなくても、そうあって欲しいと願う誰かが。それがもし───殿下だったなら、怖いなと思って」
全ての病を治すこと。
それは、少なくとも今を生きる人間にとっては、どうしたって夢物語でしかない話だ。
無理だと分かっていて、そのような噂話を鵜呑みにする人などそうはいまい。
例えば、その辺で膝を擦りむいた程度の怪我をしたとして、ありもしないものをわざわざ探そうとは思わないだろう。
探さなくともいつかは治るし、思いの外痛くたって、泉を探すくらいなら自分で適当に処置をして終わるに決まっている。
───だからこそ、もしそれを心から望むとするならば。
それはつまり、そういうことなのだ。
「少なくとも、この間見た限りでは、当の本人に具合の悪そうな様子は見受けられなかったでしょう。なら、泉を求めてるのは一体誰なんだろうね?」
辺りが静まり返ったような気がした。
目の前の男は、しばらく何も答えない。
そして、彼にそう問いかけながら、私には大凡の予想がついていた。
大抵、この手の問題が出た際には、最悪のカードを引いてしまうのが私という女だからである。




