第85話 胸の内
「ところで一つ、お伺いしたいことがあるのだけれど」
王女殿下は、些か真面目な顔付きでそう言った。
「サイラース迷宮はご存知よね?」
「はい。何かご用事でも?」
「用事という程のことも無いのだけれど……お二人は、迷宮に入ったことはあるのかしら?」
何かを期待するかのような、そんな眼差しが向けられているような気がした。
どうやら殿下は、迷宮の内部に興味があるらしい。
やんわりと濁してはいたけれど、個人的な事情があるのだろうと推測する。
「申し訳ありません、私は一度も」
「彼女と同じく、私にも経験がございません。何分私達は、二人ともまだCランクの冒険者ですので」
「まあ……お二人とも?私、てっきりAランクはあるものかと思っておりましたのに」
王女殿下が驚いた様子でそう言うと、それまで一度たりとも表情を崩すことの無かった騎士達までもが、同意するかのように視線を向けてきた。
そのような目で見つめられても、私にはどうしようもないことである。
「私に関しましては、仕方のないことかと存じます。ギルドに登録して、まだ一月も経っていない身でございますので」
「それでその実力でいらっしゃるの?本当に凄い方なのね」
「先程も申し上げた通り、今回の件に関してましては、彼女一人が解決したと言っても過言ではありませんから。同じランクとはいえ、実力が些か違う部分はありますし、どちらにせよ彼女は近いうちにランクが上がることかと思います」
「それはきっと、そうでしょう。この国の未来を想うなら、そうでなくては困るくらいですもの」
随分と周りに褒めそやされている。
悪いことではないのだけれど、相手が相手だけに手放しで喜べるものでもない。
結局のところ、これがきっかけで私はまた、面倒事に巻き込まれるはめになるのだろう。
その未来が鮮明に想像できてしまって、少しばかり引き攣った私の顔を、殿下に見つかりたくはないと思った。
「突然お伺いしてごめんなさいね。サイラースの件もありますし、もし詳しいのならお話を聞ければと思ったのですけど」
「ご期待に添えず、申し訳ございません」
「いいのよ、全然。私の方こそ、事情も知らずに不躾なことを言って、申し訳ありませんわ。お二人はこの後、どちらへ寄っていかれるのかしら?」
「一度サイラースヘ戻ります。支部長に報告しなければなりませんし、避難された方々も居りますので、事後処理の手伝いに回ろうかと」
「暫く滞在なさるのよね?でしたら、先程の件についての詳しい日程は、改めてギルドの方に連絡いたしますわ。もし他の場所へ移動なさるようでしたら、申し訳ありませんけれどギルドに行き先を伝えておいて下さるかしら」
「承知致しました、殿下」
その日の会話は、ここで終わる。
一瞬、皆を王都まで送り届けようかとも考えたが、それはやめておいた。
私は私で、フレイルさん達を待たせていることだし。
♢
この世界は、決して平和じゃない。
紛争に巻き込まれながら生きる人々のように、誰かの死は常に隣にある。
それでも、死の匂いが漂うかのような空気だったロランと違って、サイラースは活気に満ち溢れていた。
それを受けて私は、ようやく日常に帰ったのだと実感する。
「……何か悩み事か?」
ぼんやりと食事を口に運ぶ私を見て、アルはそう尋ねた。
街に戻って、一度報告を済ませた私達は、フレイルさん達と別れ二人きりで昼食を共にしている。
彼らは森の様子が気になるとのことで、そのままサイラース森林へと向かっていった。
一応、臨時でパーティーメンバー扱いになっていることだし、自分達も手伝うと申し出たのだが、彼らなりの気遣いでその申し出はやんわりと断られてしまった。
慰労会を開きたいとのことで、夕食を共にする約束はしたものの、それまでは自由行動である。
「いや、ちょっとね。迷宮のことを聞かれたのが気になってさ」
「ああ……あれか。確かに、何か含んだような物言いではあったな」
そう言いながら、アルはエールの入ったジョッキを傾ける。
この男、店に着いて間もないというのに、既に三杯目に突入したところである。
いくら濃度が高くないとはいえ、涼しい顔をして飲み干すのだから、恐ろしい男だ。
「あんまり深追いするなよ。シオンの場合、絶対ろくな目に遭わないからな」
「いやうん、言いたいことは分かるけど、そこまで言わなくてもよくない?」
何となく、己の名誉が傷付けられたような気がして、反論した。
しかしながら、残念なことに彼の言い分は何も間違っていない。
ここしばらくの記憶を思い返してみても、厄介な出来事に巻き込まれてばかりである。
「でも、どちらにせよ、迷宮のことはどうにかしないとまずいと思うんだよね。暫く経ったけれど、まだ全然目処がついてないでしょ?」
「内部に詳しくて、尚且つ危険に晒されても問題ない面子を組むとなると、そう簡単に集められるものでもないからな。手こずるのは仕方のないことだろう。まあ、あまり悠長に待ってられないのも事実なんだが」
「うん。だから、万が一に備えて自分でも調べておこうとは思ってるんだけど」
迷宮のことを考えると、どうしても殿下の言葉や表情が脳裏に浮かんでしまう。
その心の内に隠された真意を、暴いてしまいたくなる好奇心と、得体の知れない何かへの僅かな恐怖心で、心が掻き乱されている。
───知らぬが仏、とはよく言うが。
本来なら、私はこの言葉を胸にしっかりと刻み込んでおかなければならないのだろう。
「間違っても、迷宮に乗り込もうとか考えるなよ。それだけは御免こうむるぞ」
「アルってば、段々私のことがよく分かってきてるよね」
「否定しないのかよ。本当にやめてくれよ?」
そう言いながら、半ば諦めたような顔付きにも見えるのだから、本当にこの男は私をよく分かっている。
彼の場合、身に染みていると言った方が正しいか。
「……そもそも、調べたところで大した情報は手に入らないと思うぞ。だからこそ、これだけ調査の手が伸びずにいるわけだしな」
「まあね。ちなみにアルは、何か知ってたりする?」
「知ってたら、殿下にそう伝えてるよ。そういうシオンこそ、本当は何か知ってたりするんじゃないのか?」
「ううん、全然。そもそも、この国に来たのもつい最近のことだし」
正確には、国どころの話ではないが。
身の上話もいつかすると約束したものの、正直どこまで明かしていいものか見当がつかない。
「へえ、そうだったのか。昔からいたわけじゃないんだな」
「うん。ぶっちゃけた話、サイラースに限らずこの国のことはよく知らないんだよね」
「ぶっちゃけるも何も、お前が世間知らずなのは今に始まった話じゃないだろう」
真顔で言われてしまった。
事実とはいえ、笑いにすら変えてもらえないとは、中々に手厳しい。
───というか、うっすら気付いてはいたのだが、早くも私に対する扱いが冷たくなってきてはいないだろうか。
仲が深まった証と受け取ればいいのか。あまり深く突っ込みたくはない。
「アルは、この後どうする?さっきの続きをするんなら、付き合うけど」
「いや、いいよ。シオンに付き合う」
しれっとした態度で、それが当然かのようにアルは答えた。
あまりに自然な付き添いの申し出に、一瞬この男は私の恋人か何かだったろうかと錯覚したほどである。
できる男というのは、どうやらこういう態度のことを言うらしい。
(こいつ、無自覚に女をたらしこんでるんじゃないか?)
当の本人は、おそらく色恋沙汰にはあまり興味が無さそうだが、思わず惚れてしまいそうな女性は少なからずいるはずだ。
何せ、まず見た目がいい。
その上、基本的な礼節もきちんとしていて、気遣いもそれなりにできる。
唯一の欠点は、あのトラウマに関することであったが、それも最近はなりを潜めていて、完璧な男に近付きつつある。
もしこれが恋愛ものの漫画やアニメなら、誰かの妬みを買いそうなくらいだ。
大丈夫だろうか、私。
ある日突然、背後から刺されたりしないだろうか。
(この男と旅を続けるのが、何だか怖くなってきたぞ)
男女のいざこざに巻き込まれるのはごめんだ。
ドロドロの恋愛模様など、テレビの中だけで十分である。
「どうした?渋い顔して黙り込んで」
「別に。自分に自信が持てないうちは、下手にイケメンと関わりを持つべきじゃないなと思っただけ」
「……?よく分からないが、別に卑下するほどの見た目じゃないと思うぞ?」
「やめろ。余計なフラグを立てるんじゃない」
それは褒め言葉じゃない。地獄への道連れだ。
「アルって、誰かと付き合ったりしたことあるの?好きな人とか」
「は?何だ急に」
「いや、身の安全を確保しておかないとと思って。変な女にストーカーされてないかなとか、ちょっと心配になった」
「どういう心配の仕方だよ、それ……」
女の存在があるかないかは、重要な問題だ。
付き合った経験は勿論、一方的に愛をぶつけてくる女も中にはいるのだから。
思い込みというのは、時折恐ろしい結果を招くことになる。
「ないよ、そんな経験」
「だろうね。知ってたわ」
「はあ!?自分から聞いておいて、その態度は無いだろう!」
「いやだって、パンツの話しただけで顔を赤らめるような人に、女がいたとか信じられないじゃないですか」
「その話を持ち出すのはやめろ……!」
思い返して恥ずかしくなったのか、みるみるうちに顔が赤く染まっていった。
初々しい。こういう態度だから、女がいないと言われるのだ。
「ああ、くそ。もういい。恋愛ごとなんて話してないで、さっさと調べに行くぞ」
半分ほど残っていたエールを一気に飲み干して、アルはそう吐き捨てた。
どうやら、少しからかい過ぎたらしい。
お詫びの代わりに、食事代は全て私が払って、私達はその場を後にした。




