第83話 束の間の休息
好奇心に身を任せて、余計な作業を行ったことは別に良かったのだが、お陰様でロランに戻るのもすっかり夜遅くなってしまった。
私が強く釘を刺したせいで───邪魔されずに済んだという意味では、甲斐あってと言った方が正しいけれど───本来その家の持ち主であるはずの男が、中に入れずじまいだったことには多少の申し訳なさもあったので、帰る際には軽く挨拶をしていくことにした。
「長らくお邪魔しました。王女殿下も無事に解放されたことですので、私達はここらで一旦失礼いたします。緊急事態ということで、いろいろとお借りしてしまった物もありますから、それはまた後ほどお返しに伺いますね」
「世話になった。疲れているところ、夜分遅くまで使ってしまって申し訳ない」
何事も無かったかのように、あっさりと挨拶を済ませる私たちとは違って、男はバツの悪そうな顔をして押し黙るだけである。
実際問題、男は合わせる顔が無かったのだろうと思う。
どうせ助かるまいと、王女殿下を見捨てるつもりで噛み付いた自分が恥ずかしくてしょうがなかったのかもしれないし、もしもそのことをばらされたらと気が気でなかったのかもしれない。
あれこれ口うるさく言われるよりはましか、と私は考えてしまった。
甘やかしてしまえば、付け上がりそうな男だなとも。
無責任に場を乱したというところでは、言い過ぎたということも無いのではないか、などと考えてしまったのもある。
(余計なことは口にするまい)
一応の義理は通した。
そういうことにしておこう。
後は、黙って去るのみである。
♢
仕事において特に疲れるのは、帰宅するまでの時間ではないかと私は地味に思っている。
帰宅するまで。
もっと細かく言えば、帰宅してベッドに倒れ込み、疲弊した体を癒すまで。
ようやく一仕事を終えて、今すぐ床に伏せて眠りたい気分だというのに、長い時間電車に揺られてようやく家に帰り、或いは塗りたくった化粧を落とす時間だったり、或いは汗で汚れた体を洗い流す時間だったり、それが酷く煩わしく感じる時間というのは誰しもあることだと思っている。
そうした時間が、何より疲れを感じる時間なのではないかと考える時があるのだ。
───例えば、まさに今、この時。
「早急に手配してくださってありがとうございます。こちらも、皆様方を無事に運び終えました」
仕事を終えたのだから、次にするべきことは当然の如く報告作業である。
まだまだ布団に埋もれる夢は程遠い。
「お礼だなんて、とんでもない。当然の仕事をしたまでですよ。私達が本来負うべき責任を、貴方がた二人が全てが請負って解決して下さったのだから、これぐらいのことはしないと私の面目が潰れてしまうわね」
「全てということはありませんよ。避難場所の提供や皆さんのお世話は、私達ではなくギルドの皆さんがして下さったことなんですから」
「それはそうね。でも、他でもない貴方が一番、リスクの高い仕事をこなした事もまた事実なのですよ。貴方はきっと、そういうことに疎い方のような気がしますから、しっかりとその胸に刻み込んでおきなさい」
「それは……はい、その通りです。肝に銘じておきます」
耳が痛い話であった。
図星という言葉の他に、果たして的確な表現が存在し得るのかというほどに、身に覚えのある忠告である。
まるで昔の事のように感じられるが、つい今朝方にも私は、まさにその手の失敗で隣にいる男に叱られたばかりなのだから。
「どこかで聞いたような話だよな」
「全くです。というか、その節は本当にごめんなさい」
冗談半分で言っていることは分かっていたが、思い返すとまた申し訳ない気持ちが湧き上がってきて、反射的に謝罪をしてしまった。
当の本人はといえば、その姿が面白かったのか、ニヤついたような微笑みを浮かべている。
その顔がまた、ちょっとばかり腹立たしいのだけど、自分に非がある分何も言うことができない。
己の評価というものは、下手に自分で下げるものではないと、改めて思い知った瞬間であった。
「それでは、他に御用が無ければ、今日は休ませていただこうかと思います」
「ええ、是非ともそうして頂戴。他の皆さんは、宴だなんだと盛り上がっていましたけど……無理に出る必要もないわね」
「すみません。有難い申し出ではありますけど、今回ばかりは体力が持たないです」
今日に限っては、丸一日通して魔力消費の激しい魔法ばかりを使っていたものだから、さすがの私もへとへとである。
多少の慣れはあっても、いくら他人に比べてこの体が特殊でも、無限に魔法を使い続けられるわけではない。
特に、肉体の疲労に関しては、そこらの一般人と変わらず普通に蓄積されていく。
器として作る際に、敢えて人間らしさを取ったせいなのだろうが、そんなところまで化け物じみていてはいよいよまともに生きていけないし、私としては良かったと思っている。
「食事は大丈夫?きっと今頃、意気揚々と準備してる最中だと思いますよ」
「いえ、よしておきます。何となく、顔を出した時点で捕まりそうな気がするので」
「それもそうね。それなら、宿の方に運んでおくよう手配しておきましょう」
「ありがとうございます。それじゃあ、俺達はこれで」
「失礼します、エルヴァさん」
軽く会釈をして、その場を後にする。
ずっと暗く重苦しかった街の空気も、遠くから僅かに聞こえる喧騒が吹き飛ばしてくれているようだ。
誰もいない通りを歩いていると、ふと小さな男の子が通りかかった。
───見覚えのある顔だ。
「こんばんは。こんなところでどうしたの?」
「あ……」
驚いたようにこちらを振り返ったのは、村人をこの街に避難させた時に、人一倍警戒したように怯えて反論してきたあの子だった。
「夜も遅いし、一人だと危ないよ」
「……お姉ちゃんのこと、探してたの」
「ん?私?」
おずおずと、少しずつ気恥しそうにしながら近寄ってくると、そうぽつりと呟いた。
悪い意味でなさそうなことは、その様子から伝わってきたものの、その子はどうにも言いづらそうにもじとじとしている。
あの時のやりとりで、後ろめたさがあるのだろうか。
「昼間のことなら、全然気にしてないよ」
「でも……ぼく、お姉ちゃんに悪いこと言っちゃった。ぼくのこと助けてくれたのに」
「そんなことないよ?ぼくは偉いんだよ。ちゃんと、自分で自分のこと守れたんだから」
勿論、子供だからこそ、というのはあったのだろう。
あれが果たして正解だったのかと言われれば、決してそうではないことも。
それでも、あのような状況で声を上げるというのは、中々に勇気のいる行動でもある。
「自分の気持ちを真っ直ぐ言えるって、大事なことだよ。言っていい事と悪い事は勿論あるけど、それはこれから学んでいけばいいんだし。ごめんなさいがちゃんと言えるんなら、それで十分だよ」
「うん……ありがとう、お姉ちゃん」
その子は初めて、にっこりと笑ってくれた。
その顔がとても可愛らしく思えたので、私はついつい頭を撫でる。
「ねえ、お姉ちゃん。お姉ちゃんが村の皆も助けてくれたって本当?」
「うん、そうだね。お姉ちゃんだけじゃなくて、こっちのお兄ちゃんもそうだよ」
「いや、俺はほとんど何もしてないぞ?自分で言うのもなんだけど」
そう言って、手を横に振るアルの言葉は、ある意味では正しい。
───でも、私にとっては、全くそのようなことは無かったのだ。
「いいの。とっても助かったんだから、そういうことにしておくの」
「……まあ、シオンがそう言うなら」
何が、とまでは伝わっていないのかもしれないが。
何となくの雰囲気は感じ取ってくれたようで、その言葉に私は満足げに微笑み返す。
「ぼくのお母さん、魔族に操られてて、一緒に逃げられなかったんだ。だから、本当にありがとう。それが一番言いたくて」
「そうだったんだ……。こちらこそ、ありがとうね。わざわざ探してくれて、嬉しいよ」
「へへ、どういたしまして」
くしゃりと、悪戯っぽく笑う男の子。
子供らしい、いい笑顔をしている。
初めて会った時のことを思えば、天と地ほどの差があろう。
その笑顔を守ることができたのなら、仕事としては最高の出来ではなかろうか。
「皆、あっちで集まってるよ。お姉ちゃんは行かないの?」
「うん。お姉ちゃん、いっぱい働いて疲れちゃったから、今日はもうお休み」
「そっか。ゆっくり休んでね!」
ばいばいと、元気よく手を振る姿に笑って、手を振り返しながら歩き出した。
反対方向へと駆けていく男の子の背中は、次第に遠ざかっていく。
「いいもんだね、こういうの」
「ああ。じゃないと、こんな危険な仕事なんてやってらんないよな」
「確かにね」
見返りのいらない、無償の愛を振りまけたなら素晴らしいのかもしれないが、残念ながらそこまで出来た女ではない。
ただ、自分の行動がこうして誰かの幸せになるなら、それは本望だと思う。
(風が気持ちいい)
昼間に比べれば、夜はすっかり体が冷える。
それでも、別段寒いということはなくて、時折吹き付ける風が閉じてしまいそうな瞼をそっと持ち上げてくれる。
宿に着くと、脇目も振らずに布団に飛び込んで、そのまますっかり寝落ちてしまった。
頭の奥の方で、アルの呆れたような呟きが響いた気もしたけれど、沈み込んでいく体を起き上がらせるだけの気力は私にはもう無い。
外は夜通し騒がしかったようだが、その喧騒もまた、私達の耳に届くことは無かった。
考えてた大まかなあらすじとしては、もう少し長めに書く予定でいたのですが、予定していた分の前半だけでボリュームがかなり増えてしまったので、区切りの良いところで切ることにしました。
なので次回は、久々に、珍しく、短めのスパンで出稿できるかなと思います。
のんびりまったりとお待ち下さい。




