第60話 訓練の結果は
暫くの間、アルが奮闘する姿を眺め続けていた。
水に手を突っ込みながら、必死に頭を捻るイケメンの姿など、そうお目にかかることもあるまい。
「シオンは休まなくていいのか?」
「全然平気。自分で言うのもなんだけど、アホみたいに魔力量多いから。魔石にも負けないくらいだし」
「それは───化け物だな」
「でしょ?」
フレイルさんにも言われたものな。
他の誰にも否定されなかったし、こと魔法に関して、私は紛うことなき化け物だ。
「イメージはだいたい掴めた?」
「たぶん……いけると思う」
「じゃあ、とりあえず試してみようか。駄目そうならまた最初からやろう」
保っていた意識を切ると、浮かんでいた水の塊は跡形もなく消えた。
「同じ物が現れれば成功。それっぽい兆しが見えれば、それも成功。OK?」
「基準が雑だな」
「魔法が使えるかどうかの訓練だからね。少なくとも、今の段階で精確さは求めてないかな」
「なるほど。使えることさえ分かれば、形は問わないというわけか」
「そういうこと。それから、やる前に一つだけ大事なことなんだけど、今だけは魔法が使えないなんて一ミリも思っちゃ駄目だよ。本当に使えなくなるからね」
アルの場合、一番の問題はそこだろう。
人の体が、自分の意思と無関係に動き回るわけではないように、魔法も独りでに発動してくれるわけではない。
慣れればいずれ、息をするかの如く自然に扱えるようになるものだが、初めのうちは意識して扱うようにしないと、大抵上手くいかないのだ。
しかしながら、今までずっと自分は使えないものと思って生きてきた人間にとって、出来ると思い込むことはかなり難しい。
自分自身もそうであったが、出来ないことが当たり前になると、魔法を使う自分の姿など微塵も想像できなくなるからだ。
どうせ出来ない。
使えるわけがない。
やったところで意味が無い。
どれだけやる気になった振りをしても、心のどこかでそう感じている自分がいる。
その上、身体は自分に正直だ。
奥底に沈む気持ちをすかさず汲み取って、あっという間に飲み込んでしまう。
ほんの一欠片でも、自分を疑ってはならないのだ。
それが、どれ程難しいことか。
「厳しいことを言ってるのは分かってるけど、でもそれが事実だから。意識して初めて身体が動くのと一緒で、心の底からやろうと思わないと魔法は使えるようにならない。だから、難しいとは思うけど、そこは頑張ってほしいと思う」
「……分かった。やれるだけやってみよう」
「うん。そしたら、まずはさっき掴んだイメージを頭の中に思い浮かべてみて。自分のペースでいいから、なるべく鮮明にね」
アルは、先程の光景を思い浮かべているのか、目を閉じて集中している。
彼の頭の中を覗くことは出来ないけれど、その様子からして掴みは良さそうな雰囲気だ。
そろそろ頃合いかというところで、集中を切らさないよう静かに語りかける。
「イメージできたら、それを頭の中から取り出すように、外側に持ってきて。描いたイメージと同じものを、自分の目の前に作り出すような気持ちで───」
私の言葉で、彼は閉じていた目を開けた。
すっと、目の前の虚空を紫色の瞳が見つめたその時、辺りの空気が僅かに変わる。
───ぽたりと。
そうして一滴、水が滴り落ちた。
ただそれだけのこと。
他に何も無い、たった一粒の水滴。
されども。
そこに水がある。
私は、食い入るようにその雫を見つめた。
「やったじゃん」
「……ああ」
「やったじゃん!」
「ああ……!」
同じ言葉をひたすらに繰り返して、私達は強く手を握りあった。
使えた。
たった今、アルは魔法が使えたのだ!
「やっぱり、出来るんだよ、魔法!ちゃんと使えるんだよ!」
「本当に、嘘じゃないんだよな?俺、自分の力で、魔法が使えたんだよな?」
「嘘じゃない。アルは、ちゃんと魔法が使える。───だから、何もおかしくなんかないんだよ」
いつの日か、父親に言われたという言葉。
きっと、彼の心を苦しめ続けてきたのであろうこの言葉は、私の心にも深く刺さっていた。
魔法が使えないだけで、自分の全てを否定されてたまるかと。
だから私は、証明したかった。
昔の自分を彼に重ねていた。
ようやく、私はそのことに気付く。
「おかしくなんかない。駄目なんかじゃない。魔法が使えようが、使えなかろうが、アルは堂々と生きてていいんだよ」
「───」
私達は、今にも泣きそうだった。
彼の背中は小さくて、私の視界は少しばかり滲んでいて。
その小さな背中を、思わず撫でていると、不思議と温かい気持ちになった。
(なんかこれ、親子みたい)
ふと、思い出す。
今はもう、触れることの出来ない懐かしい手。
その姿に自分が重なるようで、少しばかり胸が苦しい。
それと同時に、愛しさも込み上げてきて、私は暫く言葉を失った。
二人は、何も話さない。
きっと彼も、言葉にできなかったのだろうと思う。
お互いの気持ちは語らぬまま、私達は静かに寄り添いあった。




