回復
目を覚まして最初に思ったのは、腹が減った、だった。
次に身体が重い。
指先を少し動かしただけで、腕から肩まで鈍く痛んだ。
思わず顔をしかめ、それから、自分の手へ目を向ける。
所々ガーゼや包帯が巻かれているが、覗いた皮膚には黒い紋様がない。
「…………」
ゆっくりと頭へ手を伸ばした。
髪に触れ、その奥を探る。
――角がない。
「……戻った」
声が掠れて、喉が詰まった。
少しむせる。
顔に触れようとして、もう片方の手が動かないことに気づいた。
横を向くと、レオンがいた。
寝台のすぐそばに椅子を置き、こちらの手を握ったまま眠っている。
少しうつむいた顔には、疲れが残っていた。
「れお、ん」
小さく呼ぶと、指が動いた。
そのままレオンの顔を見ていると、はっとしたように起きる。
「ユリウス!」
「……おはよ」
それだけ言うと、レオンの顔が歪んだ。
「お前……」
握られていた手に、力が入る。
何か言おうとした口が閉じて、また開く。
ユリウスは喉がからからで、レオンに水を頼みたかった。
「レオ――」
言い終える前に、腕が伸びてくる。
「わっ」
背中を抱かれ、肩にレオンの額が触れる。
「っ、いたい゛、まだ、身体痛いっ!」
「……悪い」
慌てて腕の力が緩む。でも、離れない。
ユリウスは戸惑いながら、その背中へ手を添える。
レオンの髪が頬に触れ、温かさを感じる。
それがまた、胸をいっぱいにした。
「……レオン」
「何だ」
「腹減った。水も、のみたい」
少しの沈黙の後、肩口で息が漏れた。
回っていた手を離し、寝台の横にあった水をユリウスに差し出す。
ユリウスの手が震えているのを見て、レオンは杯を支えたまま飲ませた。
「はあ、生き返る~」
「そうか」
水を飲み終えたユリウスの手を、もう一度つなぐ。
ユリウスはそれを見て、困ったように笑った。
「レオン、腹減った」
「……食えるものあるか、聞いてくる」
「うん」
立ち上がる直前まで、レオンは手を離さなかった。
**
レオンがスープをもって戻ってきたとき、ミナも一緒に部屋に入ってきた。
ミナは、ユリウスの顔を見て涙を滲ませる。
「ユリウスさん、瞳は青いんですねっ」
「目も戻ってる!? ミナのおかげ。ありがと!」
「俺は」
「もちろんレオンも」
「ついでみたいに言うなよ」
「レオン守護者様、ありがとう」
変わらない二人の様子に、ミナが笑う。
ユリウスは、魔王城から拠点へと運ばれていた。
儀式から三日、眠り続けていたらしい。
「三日!」
「途中で少し目を開けたんですけど、覚えてません?」
寝台のそばで、ミナが首を傾げる。
「全然」
「水を飲ませたら、レオンさんの服を掴んで、そのまま寝ちゃったんです」
「俺が?」
「はい」
ユリウスは隣を見た。
レオンは何も言わず、匙でスープをかき混ぜて冷ましていた。
「……覚えてねえ」
「別にいいだろ」
レオンのスープを混ぜる手が止まる。
器を受け取ろうとすると、匙の方が口元へ近づいてきた。
「いや、自分で食うよ!」
「手、震えてる」
真顔で食べさせようとするレオン。
「食えるって!」
器を奪うように受け取ったら、確かに少しこぼれた。
レオンの眉が上がる。
ユリウスは何も言わず、慎重に匙を持ち直した。
レオンは今度、こぼしたスープを布で拭きはじめる。
ユリウスはその様子を見て、この世話焼き具合を説明してもらおうとミナの方へ顔を向ける。
「……これでも、だいぶ落ち着いた方ですよ」
「え」
匙を止めてレオンを見る。
レオンは視線を逸らし、ミナの隣の椅子へと座った。
顔が熱くなる。
どこまで世話を焼かれたのか、今は聞かないでおこう。
「俺、もう黒いところなくなった?」
話を変えて、ミナに聞く。
ミナは頷いて、ユリウスの身体にも、城の中にも、もう黒い力は見えなくなったと説明した。
周辺を調べた騎士たちからも、魔物を見つけたという報告はないという。
ただ、遠くまで確かめるには時間がかかる。
本当に魔王が生まれないのかは分からない。
それでも、ミナもレオンもユリウスを見て頷くから。
やっと、終わったんだって、長く吐いた息が震えた。
しばらくして、グレインがアステリアを持って部屋に訪ねてくる。
「目が覚めたか」
「はい、ご心配おかけしました」
「いい。まだゆっくり休め」
そう言って、寝台の側へアステリアを置く。
「これはもう置いていくなよ」
「……アステリア」
ゆっくりと手を伸ばす。
指先で触れると、痛みは感じなかった。
少しだけ魔力を流すと、刀身に金の光が灯る。
その光が、応えるように明滅した。
レオンの方を見ると、隣で静かに笑っていた。
**
歩けるようになるまで、さらに数日かかった。
眠くなる。
腹が減る。
少し動けば疲れて、夜になれば、何も考えられないまま眠った。
何か月も必要のなかったものが、一度に戻ってきたみたいだった。
「一日って、こんなに早かったっけ……」
「何だ急に」
歩き疲れた脚を、レオンがほぐしている。
最初は拒否したが、押し切られて以降、素直に受け入れるようになった。
「人間って、不便だ」
「戻りたかったんだろ」
「戻りたかったけど」
レオンが脚から手を離す。
ユリウスが立ち上がろうとすると、すぐに横から手が伸びてきた。
「一人で歩けるぞ」
「分かってる」
「じゃあ離せ」
「ふらついてからじゃ遅いだろ」
腰に添えられた手。それだけは妙に気になって仕方なかった。
「お前、なんか、ずっと近い」
「支えてんだから、近いだろ」
「そうじゃなくて……」
レオンがこちらを見る。顔まで近い。
今までは肩を組むのも、疲れて動けなくなった時に負ぶってもらうのも、平気だった。
なのに、もう駄目だ。
ユリウスはすぐに前を向いた。
「何でもない」
何でもなくない。
全然、何でもなくなかった。
**
拠点に戻って一カ月。
レオンの十九の誕生日を迎えた。
物資も少ないここでは、盛大に祝うこともできない。
「誕生日、おめでと」
「おめでとうございます、レオンさん」
三人で、少しの酒と肉で小さなお祝いをした。
「ああ、ありがとう」
杯を合わせ、乾杯をする。
「ユリウス、あんま飲みすぎるな」
「もう元気だって~」
ユリウスの言う通り、もう身体に痛むところはない。
歩くのも走るのも、不自由なくできるようになった。
それでもレオンの心配性は治っていない。
「お前、酒強い?」
「別に普通」
「ミナは?」
「強い方ではありますね」
「……」
ユリウスは杯の中の酒をみる。
前世では普通に飲めていた。身体は違うけど、まあ、大丈夫だろう。
向かいで、ミナが小さく笑った。
「どうした?」
「いえ、ようやくなんだなって」
「?」
「こっちの話だ」
レオンがミナの言葉を遮り、先に酒を飲み始めた。
首を傾げるユリウスに、ミナがまた笑った。
ユリウスは杯を傾け、一気に酒をあおった。
「あ、そんな一気にいったら……!」
「馬鹿野郎……」
「い~!」
この世界の酒は度数が高いみたいだ。
喉が焼けるようだった。
一瞬で顔が赤くなるユリウスを見て、レオンとミナが顔を見合わせる。
「だ、大丈夫です?」
「おかわり!」
「あ、馬鹿、一回水飲め!」
差し出される水を避け、レオンの杯に残っている酒も飲み干す。
頭がぐわんぐわん揺れて、ユリウスはそのまま食卓に突っ伏した。
「めちゃくちゃ弱かったですね……」
「はあ、本当に」
頭を抱えるレオン。でも表情は少し、嬉しそうだった。
**
ユリウスが眠ってしまったため、レオンの誕生日祝いはすぐに終了となった。
ミナと別れ、レオンはユリウスを負ぶって部屋へと運ぶ。
背に乗せたユリウスは、前より軽くなった気がした。
それでも、儀式からずっと明るい表情を見せている。
それが本当に嬉しかった。
「……レオン」
耳元で声が聞こえた。
首にまわる腕に力が入る。
「起きたか?」
「……」
返事はない。寝ているのか、寝ぼけているのか。
「レオン、好き」
「……は?」
思わず足が止まった。
首に回った腕が、また少し強くなる。
「おい、ユリウス」
今すぐ起こして、どういう意味か聞きたい。
「……肉」
「肉?」
「俺の肉、食うな……」
「食ってねえよ!」
返事の代わりに、耳元で穏やかな寝息がした。
揺すってみても、それ以上何も言わない。
部屋に着くと、ユリウスを寝台へ下ろした。
そのまま縁に座り、顔を覗き込む。
幸せそうに眠っていた。
「くそっ」
レオンは自分の髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。
「帰ったら、覚えておけよ」
布団をかけ直しても、ユリウスは起きなかった。
レオンはもう一度その顔を見てから、部屋を後にした。




