聖者の書
三人はしばらく話し合いを続けた。
ユリウスに聖具を無理に触らせるわけにもいかない。
まずは側において様子を見ることになった。
「じゃあ、拠点帰るぞ」
「は?」
当たり前のように言うレオンに、ユリウスは唖然とする。
レオンの腕はまだ、ユリウスの腰に回っていた。
「いや、俺は一緒に行けるわけないだろ!」
「なんで?」
「俺の見た目分かってる!?」
「分かってる」
話の通じないレオン。いつもこんな阿呆な奴じゃなかった。
ユリウスは大きなため息をついた。
「あのねえ、今の俺は魔物製造機なわけ。いつ生まれるかも分かんないのに、わざわざ皆を危険にさらすわけにはいかないだろ」
レオンが眉を寄せる。意味は分かったようだが認めてくれたわけではなさそうだ。
「でも、今は生まれませんね」
「あー、確かに。いつもならこのくらいだと二、三体出てきてもおかしくないわ」
「やっぱり、聖具が近くにあるといいのでしょうか?」
「わかんないけど……。そしたら俺、一晩この石段にいてみるわ。ヴァルガの星の側でどうなるか見ておく」
「は?」
なんてことないように言うユリウスに、レオンもミナもすぐに反対の意を示した。
「俺が城の中に持ってくから、いつも休んでるとこ教えろ」
「あ、いや、俺、寝なくても食わなくても死なないんだわ。だからいつも夜は城の本がいっぱいあるところで調べてる」
「……何?」
「魔王みたいだろ? 今ならお前にも秒で勝てる気が――いてっ」
二人と話すうちに、ユリウスはいつもの調子を取り戻していた。
軽口を叩いた途端、レオンに額を叩かれる。
「勝負するなら、アステリアとヴァルガでだ」
「……はい」
口をとがらすユリウス。レオンはようやく腕を離した。
「その、本があるところに案内しろ」
「え? 別に俺ここでいいって」
「いいから。俺も一緒に調べる」
「私もお手伝いしますよ。一人より三人の方が分かることもあるかもですし」
ユリウスは二人を見た。どちらも、帰るつもりはなさそうだった。
「……足元、気をつけろよ。崩れてるところもあるから」
レオンが石段の星を拾い上げる。
その手を少し見てから、ユリウスは城の中へと歩き出した。
**
城の中はユリウスの言う通り、あちこちが崩れていた。
「なんでこんな崩れてんだ?」
「あー、途中でも結構壊れたけど、多分ほとんど、最後に魔王と戦った時だな」
レオンは静かに辺りを見回した。
壁には深い亀裂が走り、崩れた天井から空が見えている。
ガルシオンで城門を守る戦いも、決して楽ではなかった。
それでも、隣にはグレインがいた。後ろには、共に戦う兵たちがいた。
「そこ、踏むと崩れるぞ」
先を歩くユリウスが振り返る。
レオンは足元を確かめてから、その背を追った。
こいつは最後、ここで一人になったのだ。
ミナは、古い遺跡を歩いているような気がした。
けれど、壁の焼け跡も、床に落ちた折れた剣も、数カ月前の戦いで残されたものだ。
ここで何人もの人が傷ついた。目の前を歩くユリウスも、その一人だった。
そう思うと、足元の瓦礫を踏む音まで気になった。
「こっち。そこより歩きやすいから」
黒い力に覆われたユリウスが、こちらを振り返る。
ミナは頷き、少し足を速めた。
どうして、こんな場所であんなふうに笑えるのだろう。
「本があるのは、この奥。魔王の間を通るから、足元気をつけて」
案内された最上層には、ひときわ激しく戦いの痕が残っていた。
天井は半分失われ、床には大きな穴が開いている。
所々に血痕も残っていた。
レオンとミナは思わず息を呑む。
「片づけするとか考えてなかったわ。ちょっと汚いけど、奥はきれいだよ」
「お前……ずっと、ここで一人……」
「……まあ、騎士たちがずっとこっち来るから、一人って感じもしなかったけど」
「呼べよ」
「何を」
「俺を」
「……はは、そうだな。今となってはそうすればよかったって思うよ」
奥の部屋にはたくさんの本があった。
何冊かは床に散らばっている。ユリウスが読んでいた本だろう。
「すごい、魔王は意外と勤勉だったのでしょうか?」
「勤勉って……」
「読んだやつはどんな内容だったんだ?」
「ん~、ほとんど魔術の本」
「新しい魔術は?」
「……何個か」
「おい、城に入れなかったの、それも使ってただろ!」
「食いつくところそこなんですか……」
ミナは言い合う二人を見て、小さく笑った。
ここへ来るまでは、何を話せばいいのか分からなかった。
でも、レオンは当たり前のようにユリウスへ文句を言うし、ユリウスも言い返す。
ずっと、こうして過ごしてきたのだろう。
ミナは騒ぐ二人から目を離し、棚に並んだ本へ視線を移した。
その中に一冊だけ、青白い光をまとった本がある。
吸い寄せられるように、その本を手に取れば、色々な情報が脳内に流れ込んできた。
身体がふらりと揺れる。
「ミナ!」
「大丈夫か!?」
二人が咄嗟にその身体を支える。
ミナは少し頭を押さえながら、ゆっくりと息を吐いた。
「……大丈夫です」
「何があった?」
「これ、聖者の聖具かもしれません」
使い方が脳内に流れてくる。今まで自分には魔術なんて使えると思っていなかったのに、自分に流れる魔力らしきものまで見えた。
「なんで、魔王城にあったんだ?」
レオンの言葉に、ユリウスは本を見下ろした。
「……あいつ、俺がこの世界の人間じゃないって、すぐ気づいたんだ」
「魔王が?」
「ああ。それで最後に、器に向いてるって……」
そこまで言って、ミナを見る。
ミナも顔を上げていた。
「前に来た聖者も、狙われたのでしょうか」
「分かんない。でも、それがここにあるなら、何か関係はあるのかも」
ミナは両手で本を支え、表紙を開いた。
古びた紙の上に、細かな文字が並んでいる。
「……読める」
レオンが隣から覗き込む。
「俺には、見たこともない文字だ」
「私も、こんな文字は知らないです。でも、意味が分かる……」
ミナはゆっくりと指で行を追った。
「魔王の力を宿した、人の記録です」
「俺と、同じ?」
「待ってください。もう少し……」
紙をめくる音だけが、部屋に響く。
ユリウスはミナの口元を見つめた。次の言葉を待つ時間が、ひどく長く感じた。
「その人も、聖具に触れられなくなったみたいです。触れると、身体に強い痛みが走ったと」
やっぱり、同じだ。
ユリウスは無意識に指先を握り込んだ。
その手へ、レオンの指が触れる。
「続きは」
「……聖具の光は、器に根づいた魔王の力を剥がす。けれど、剥がれた力は再び器へ戻ろうとする」
ミナは一度言葉を切り、前の頁へ戻った。それから、もう一度同じところを読み直す。
「盾で、剥がした力を抑えて……剣で、つながりを断つ」
レオンがヴァルガを見る。
ユリウスも、その銀の縁へ目を向けた。
「アステリアと、ヴァルガで?」
「多分。でも、どこを切ればいいのか、間違えたらどうなるのか、まだ……」
ミナは本を持ち直した。
「もう一度、ユリウスさんを見てもいいですか」
頷くと、ミナがこちらへ向き直る。
その目が、ユリウスの胸元から腕へ、ゆっくりと動いた。
「……さっきより、分かります」
「何が?」
「黒い力の中に、金色の光があります。混ざってるように見えていたけど、別々に流れてる」
ミナは本へ目を落とし、それからまたユリウスを見た。
「黒い力に覆われても、なくなっていません」
ユリウスは自分の胸に手を当てた。
俺はいる。何度も、自分にそう言い聞かせてきた。
それを今、目の前の人が確かめてくれている。
「……そっか」
声が少しかすれた。
レオンが、触れていた手を握る。
「言っただろ」
「何を」
「お前はユリウスだ」
簡単に言う。
「……お前、ほんと」
その先は言えず、ユリウスは俯いた。
「……戻す方法はある。一つずつ、確かめましょう」
ミナの言葉に、ユリウスは息を吐く。
もしかしたら、本当に、帰れるかもしれない。
聖者と守護者、そして勇者。
三人で力を合わせて、初めて変えられる結末だったのか。




