呼び声
日が沈むと、拠点では夕食の準備が進められた。
外の開けた場所で、火を囲むように小さな椅子が並べられている。
レオンは明日の行程を確かめてから、ようやく席に着く。
目の前には、温かいスープとパン、心ばかりの酒が並べられていた。
向かいでは、ミナが湯気の立つ皿を覗き込んでいる。
「酒飲めるのか?」
「少しなら、飲めますよ」
「そうか、飲んでいいんだな」
「え……? あ、私、二十三歳ですよ。私の世界では、二十歳から飲んでいいことになってます」
「二十三……?」
あまり変わらないと思っていたミナの年齢が、五つも上と聞いて、レオンは少し驚く。
異界人はどうやら若く見えるらしい。
「レオンさんはいくつ?」
「十八。もうすぐ十九」
「え!」
ミナの目が見開かれる。どうやら、こちらも年上に見られていたらしい。
「大人っぽいからてっきり年上かと……そっか、そんなに若くても、戦いに出るんですね……」
「正騎士になれるのは二十を超えてからだ。十八で学院を卒業して、基本二年は見習いとなる。俺とユリウスは、聖具に選ばれて戦場に出ることになった」
「……ユリウスさんが勇者で、レオンさんが守護者?」
「そう」
ミナは自分の皿へと目を落とした。かける言葉を探しているようにも見える。
ユリウスが行方不明となったことに、気を使っているのかもしれない。
「ユリウスと俺は、どっちが勇者になるかで、ずっと競ってた」
「え?」
「結果、ユリウスが勇者で俺が守護者。帰ってきたらまた勝負するって約束してる」
「勝負?」
目を瞬かせるミナに、レオンは頷く。
「忙しい約束ですね……」
「そうか?」
「ええ? それが普通なんです?」
この世界の他の人に聞いても、普通じゃないと言われるだろう。
こんなにも競ってきたのは、ユリウスとレオンだけなのだから。
それでも、レオンはミナがその約束を否定しないことに安心した。
ユリウスの話をするときに寂しそうな表情をされるのは好きじゃない。
もういないと、諦めているようで――。
「……聞いてもいいですか?」
食事を終える頃、ミナが口を開いた。
「何を」
「ユリウスさんのこと」
「初めに話したろ」
「魔術が得意で、聖剣に選ばれて、魔王を倒した人」
ミナが指を折って話す。レオンは酒の入った杯を傾けながらその様子を見ていた。
「優しくて、勇敢。おとぎ話の勇者様だと思いました」
「……」
「でも、レオンさんから聞くユリウスさんは、お肉に文句言ったり、りんごの魔道具送ってきたり」
ミナが少し笑った。
「そっちの話を、もっと聞きたい」
レオンは椅子に背を預けた。
ユリウスのことなら、いくらでも知っている。だからこそ、何から話せばいいか迷った。
考えるように目線が空をなぞる。
「負けず嫌い」
結局最初に出てきたのは、本人にも何度も言った言葉だった。
「一回負けると、もう一回って絶対言う」
「レオンさんは付き合うんですか?」
「煽ってくるからな。口が悪いんだ、あいつ」
「逃げたらいいのに」
「逃げたら負けたことになるだろ」
レオンの言葉に、ミナが口元を押さえた。笑いが漏れて、肩が揺れている。
「何だよ」
「いえ、負けず嫌いはレオンさんもじゃないですか」
「……あいつほどじゃない」
そう返してから、レオンも少し笑った。
確かに、最初に勝負を仕掛けたのはレオンだったかもしれない。
初めてユリウスを見たときを思い出す。
失礼な奴と、初対面で思わず啖呵をきったというのに、気づけばずっと競い合ってきた。
「……変な奴だよ」
「……」
「俺にはずっと、勝負をけしかけてくるのに、ここぞというときは誰にでも優しい」
「……誰にでも優しいユリウスさんの、唯一のライバルなんですね」
「そうだな」
「ふふ、会ってみたくなりました」
会ってみたい。その言葉にレオンは少し黙る。
ユリウスに会えたら、何を話すだろう。
自分の昔話をしていたと知ったら、余計なことばかり話すなと怒るだろうか。
「勝手なこと言うなって、文句言うだろうな」
「じゃあ、ユリウスさんにもレオンさんのこと聞かないと」
「あいつの言うことを信じたらダメだ」
レオンが真剣に言うと、ミナはもう笑いをこらえない。
話がはずみ、いつの間にか酒の入った杯も空になった。
「ユリウスさんは、お酒は強かったんですか?」
「酒?」
「飲み比べとか、してそうだなって」
「……知らない」
「知らない?」
「卒業する前に、出てったから」
王立騎士学院に通う人は、基本卒業するまでは飲酒を禁止されている。
卒業とともに皆で祝い酒を飲むのが慣習だ。
聖具に選ばれた二人は、卒業を待たずに学院を離れたため、一緒に祝い酒を飲む機会はなかった。
「……そういうの、普通に知れると思ってたな」
ミナは何も言わない。ただ黙ってレオンの話を聞いていた。
「好きな食い物とか、休みの日の過ごし方とか、一緒にいたから知った。これからも、そういうものが増えると思ってた」
だから一緒にいたいって、伝えたかった。
「離れてから、お互い知らないことばっかりだ。今までどこで、何をしてたのか。俺はあいつに聞きたい」
「……聞けるといいですね」
「……ああ」
ミナが魔王城の方を見た。
見えざるものを見通せる者。聖者の目には、何が見えているのだろうか。
もう聞けないだろう、とは言わない。
きっと聞けるだろう、とも言わない。
だからこんな、心の内がぽろりとこぼれてしまう。
「会えたら早速、質問攻めになりそうですね」
「どうだろ」
「第一声は?」
「……遅い」
ミナが苦笑する。
「待たされた分、文句もありますよね」
「ああ、ありすぎる」
そう答えてから、レオンは空の杯へ目を落とした。
あれも、これも、って頭の中には言ってやりたい言葉がたくさん出てくる。
「でも、多分……何も言えない」
「え?」
誰かのために前に出るやつだ。
出発前も、皆を安心させるために笑顔を向けていた。
ただ、レオンにだけ、少し不安そうな顔。
「抱きしめると思う」
言いたかったこと、全部飲みこんで。
「そうですか」
ミナは笑わなかった。ただ静かに、優しい顔をレオンに向ける。
それからしばらく、二人の間には会話はなかった。
**
「……」
ユリウスは拠点の外に生えた木の陰に立っていた。
レオンたちが何をするつもりなのか、情報を得るために忍び込んだ。
明かりのある場所までは近づけない。それでも、二人の声はここまで聞こえた。
『抱きしめると思う』
聞こえた瞬間、動けなくなった。
ずっと、待っていてくれたのだと分かって嬉しかった。
まだ会うわけにはいかないのに、顔を見るだけで安心した。
――レオン。
たった一言、声に出せば届く距離にいる。
ユリウスが顔を上げた。
その時、足元に黒い粒が落ちる。
あっという間に影が広がって、魔物が飛び出した。
火の明かりへ向かって駆け出す。
「っ!」
二人のすぐ近くで、細い光が魔物の頭を貫いた。
レオンは弾かれたように、その光が飛んできた方を向く。
木の陰から、人影が走り出した。
暗くて顔は見えない。それでも、その踏み出し方を知っている気がした。
「ユリウス!」
名前を呼ばれ、ユリウスの足が一瞬もつれた。
それでも振り返らず、魔王城へ向かって走り続ける。
「レオンさん、待って!」
追いかけようとしたレオンの腕を、ミナが掴んだ。
「今の……!」
「お願いです、一人で追わないで!」
「ユリウスかもしれないんだ!」
「あの人、黒い魔力に覆われてるんです!」
レオンは足を止めた。
ミナの顔は青白い。腕を掴む手も震えていた。
「……黒い魔力?」
ミナは頷いた。
「でも、魔物を倒した光は金色で……両方、あの人から見えました」
「……」
「何が起きているのか、まだ分かりません。でも、残った光は私に見えます。明るくなったら、一緒に辿らせてください」
レオンは、人影が消えた方へ顔を戻した。もう足音も聞こえない。
あいつなら、呼べば振り返った。何だよと、面倒そうに言い返してきた。
聞こえなかったはずがない。
「……明日、確かめる」
ミナの手が、ゆっくりと緩んだ。
レオンは闇の中にそびえる魔王城を見上げた。
あの光を放ったのがお前なら。
どうして、名前を呼んだのに逃げるんだ。




