旅立ち
「魔王城に、入れない?」
レオンは差し出された報告書から顔を上げた。
魔大陸に現れた魔物は、その後も数を増やしていた。
一度は拠点へ下がった騎士たちが、改めて城へ向かったところ、城門の前にはすでに魔物が集まっていたという。
「討伐できないほどの数なのか」
「いえ。ただ、交戦しようとすると、別のところから魔術が飛んでくるそうです」
「別のところ?」
グレインが続きを促した。
「魔物が襲いかかると、光魔術によって倒される。ですが、そのまま城へ進もうとすれば、今度は騎士たちの足元へ撃ち込まれるとのことです」
レオンは報告書へ目を戻した。
光魔術。その文字から、目が離せなくなる。
「負傷者は」
「その魔術による負傷者はいません。引き返せば、それ以上は撃ってこないそうです」
「……近づくなってことか」
魔物からは守る。けれど、城には入れない。
何のために。
「グランツ」
グレインの声に顔を上げた。
「魔術を使った者の姿は、まだ確認できていない」
「……はい」
ユリウスかもしれない。そう言いかけて、飲み込んだ。
光魔術を使える者は、他にもいる。それでも、何度撃っても騎士には当てない。迫る魔物だけを倒し、人の足を止める。
あいつなら、できる。
「現地で、確かめさせてください」
グレインは頷き、机の上に地図を広げた。
「聖者殿の力について、神殿からも報告を受けた。魔王城で何が起きているのか、現地で調べていただくことになる」
「ミナも、行くのですか」
「本人はそう希望している。ただ、護衛は必要だ」
レオンは背筋を伸ばした。
「俺が守ります」
すぐに出た返事に、グレインはしばらくこちらを見つめる。
「現地でユリウスの手がかりが見つかったとしても、聖者殿の安全を疎かにするな」
「分かっています」
「お前自身もだ」
念を押され、レオンはもう一度頷いた。
グレインの指が、王都から西へ続く道をなぞる。
エルネを経由し、港から海を渡って魔大陸ウァラプラへ。
ユリウスが進んだ道だった。
「出発は三日後だ」
レオンは地図を見下ろしたまま、深く息を吐いた。
**
ミナの部屋を訪ねると、机いっぱいに荷物が広がっていた。
着替えに、地図。
見慣れない小物の隣には、旅で必要になるものを書いた紙がある。
「これ、全部持っていくんですか」
ミナが袋を指した。
「最低限は」
「最低限でこれ……」
レオンが中身を確かめていると、ミナは椅子に座り直した。
「私、本当に馬車でいいんですか」
「馬に乗れるのか?」
「乗ったことないです」
「なら、馬車だろ」
「そうなんですけど。足を引っ張らないかなって」
レオンは袋を閉じ、顔を上げた。
「無理に馬に乗って落ちられる方が困る」
「それは、そうですね」
ミナは少し笑った。
「怖くないのか」
尋ねると、笑みが止まる。レオンは言葉を足した。
「魔物もいる。危険な場所だ」
「怖いですよ。魔物なんて、見たこともないですし」
迷わず返された。
「でも、ここで待っていたら帰れるわけでもないでしょう?」
ミナは机の上の地図へ目を落とした。
「私の力で何が分かるのか、まだ自分でも知らないので。確かめたいです」
「……そうか」
「それに、ユリウスさんも捜すんですよね」
レオンは頷く。
「帰れない人がいるなら……同じじゃないですけど、助けたいって思いますから」
ミナはそう言って、荷物の一覧へ目を戻した。
「だから、分からないことは教えてください。旅なんて、経験なくて」
「ああ」
「いきなり走って置いていかないでくださいね」
「しない」
「本当に?」
顔を見られ、レオンは少し眉を寄せた。
「……気をつける」
「そこは言い切ってほしかったな」
ミナが笑う。
レオンは返す言葉を探し、結局、荷物を持ち上げた。
「重いものは、こっちに寄越せ」
**
出発の日は、よく晴れていた。
王城の門前では、同行する騎士たちが馬を確かめている。
物資を積んだ荷馬車と、ミナの乗る馬車が並んでいた。
レオンはヴァルガを腕に収める。縁に戻した銀の星へ、指が触れた。
「グランツ」
グレインが歩いてくる。
「先方には連絡を入れてある。港でも船を用意させている」
「ありがとうございます」
「報告は欠かすな。判断に迷った時も、一人で抱えるなよ」
「はい」
グレインはミナにも顔を向けた。
「どうか、ご無理はなさらず」
「ありがとうございます。行ってきます」
ミナは頭を下げ、馬車へ乗り込む。レオンも馬に乗った。
門の先には、街道が続いている。
一年前は、ここからユリウスを見送った。姿が見えなくなっても、動けなかった。
「出発します!」
騎士の声が上がる。
レオンは手綱を握り、馬を進めた。
**
街道には、馬車や旅人の姿が戻っていた。
道を塞ぐ魔物はいない。村を通れば、畑で働く人々が顔を上げた。
「守護者様だ」
そんな声が聞こえるたび、レオンは軽く手を上げる。
ユリウスも、こうして声をかけられたのだろうか。
休憩のために馬を下りると、ミナが馬車の窓から顔を出した。
「レオンさん、そっち疲れません?」
「慣れてる」
「こっちは、結構揺れます」
「少し歩くか」
「歩きます」
馬車から下りたミナは、地面に足をつけて大きく息を吐いた。
「旅って、移動してるだけでも疲れるんですね」
「まだ始まったばかりだぞ」
「分かってます。今、実感してるところです」
二人で少し先まで歩く。
ミナは畑や家並みを眺めていたが、やがてレオンを見た。
「ユリウスさんも、この道を?」
「ああ」
「何を見ながら進んだんでしょうね」
レオンは道の先へ目を向けた。
届いた手紙には、馬の上で尻が痛いとか、保存肉が固いとか、そんなことばかり書かれていた。
「……飯のことじゃないか」
「飯のこと……? 魔王討伐前に……?」
「手紙に書いてあった」
思い出すと、少し笑えた。
**
エルネの街には、見たことのない魔道具が並んでいた。
小さな赤い飾りを見つけ、レオンは足を止める。
「何か欲しいものでも?」
ミナに聞かれ、首を振った。
「いや。似たものを、あいつが送ってきた」
「お土産ですか?」
「りんごの匂いがするだけの魔道具」
「気が利いてる」
「りんごは食う方が好きなんだけどな」
言ってから、店先を離れる。
部屋に置いてきたそれは、今も机の上にある。
帰ったら、本人にもう一度文句を言ってやる。
**
海を渡る間にも、魔大陸からの報告は届いた。
魔物は依然として城の周囲にいる。光魔術を放つ者も、見つかっていない。
「……まだ、いるんだな」
書状を閉じると、隣でミナがヴァルガを見ていた。
「その星、少し近くで見てもいいですか」
レオンは盾を向けた。
ミナの指先が、銀の星に触れる。目を細め、しばらく黙っていた。
「どうだ」
「金の光は、まだ見えます。でも……」
ミナは海へ顔を向ける。
「遠いです。盾に残っている光と、その先へ続く光が、重なっていて」
「急がなくていい」
口にしてから、レオンは自分の手を見た。
盾を握る指に、力が入っていた。ミナもそれに気づいたのか、静かに手を離す。
「見えたら、すぐに言います」
「……頼む」
船が大きく揺れた。
ミナが手すりを掴み、レオンも盾を抱え直す。
海の向こうには、まだ何も見えなかった。
**
魔大陸へ上陸してから、道を進む速度は落ちた。
崩れた橋を迂回し、放棄された拠点で休む。
以前、勇者隊が使った場所だと聞けば、レオンは思わず周囲を見回した。
焚き火の跡。
壁際に積まれた薪。
誰かが修繕したらしい扉。
ここにいたのだ。
手紙に書かれていなかった日々が、少しずつ目の前に現れる。
城に近づくにつれ、魔物の姿も見かけるようになった。
騎士たちが剣を抜けば、レオンも馬を下り、ヴァルガを掲げる。
ミナは後方で守られながら、魔物の消えた場所を見つめていた。
「何か見えるか」
「黒い力が、残ってます」
「城の方か?」
ミナはすぐには答えなかった。
「……そちらへ続いているようには見えます」
レオンは、崩れた道の先を見た。
**
魔王城の近くに設けられた拠点へ着いたのは、王都を出てから三カ月あまり経った頃だった。
黒い塔が、岩場の向こうに見える。レオンは馬から下り、その場に立ち尽くした。
あの城へ、ユリウスは入った。
そして、誰も帰る姿を見ていない。
「守護者殿。こちらへ」
現地の騎士に呼ばれ、ようやく目を離した。
拠点の中で、報告を聞く。
「城門付近への立ち入りは、今も阻まれています。魔物を討とうと近づいた時も、先に光魔術が飛んできます」
「こちらから、声をかけたことは」
「あります。ですが、返答はありません」
騎士が広げた地図には、魔術が飛んできた場所に印がつけられている。
一つではない。門の上、塔の窓、崩れた外壁。
「移動しているんですね」
「はい。発射された場所へ向かっても、すでに誰もおらず……」
ミナがレオンを見た。
「明日、近づいてみましょう」
「……ああ」
レオンは顔を上げる。窓の向こうに、黒い塔が見えた。
**
また、騎士が増えた。
ユリウスは崩れた壁の陰から、拠点の方を眺めていた。
荷馬車が止まり、何人かが荷物を下ろしている。新しく来た者たちが、拠点の騎士に迎えられていた。
最近は、城の周囲に魔物が増えている。
見つけるたびに倒していたが、すべてを追えるわけではなかった。
騎士が近づけば、魔物を倒す。そのまま城へ来ようとすれば、足元を撃つ。
もう何度も繰り返した。
「来るなよ……」
小さく呟いた時、馬から下りた男が顔を上げた。
黒い髪。大きな盾。
中央に刻まれた、銀の月と星。
ユリウスは息を止めた。
遠くて、表情までは分からない。けれど、見間違えるはずがなかった。
「……レオン?」
壁に手をつく。
男の横に、茶色の髪の女性が並んだ。何かを話しかけられ、男がそちらを向く。
その横顔を見た瞬間、ユリウスは窓へ近づいていた。
――レオンだ。
本当に、来ている。名前を呼ぼうとして、喉が詰まった。
窓の縁を掴む指が、黒い。手を引けば、その影に角が映った。
ユリウスは慌てて身を引く。
心臓がうるさい。
レオンはまだ、城を見上げている。
前より、少し大人びた気がした。
ちゃんと食べているだろうか。眠れているだろうか。聞きたいことが、次々と浮かぶ。
「……なんで、お前まで」
会いたかった。
その姿を見るだけで、こんなにも嬉しいのに。
ユリウスは口元を押さえ、一人、壁の陰にしゃがみ込んだ。




