聖者
王都は明るい雰囲気から一変、勇者を心配する声が多くあげられていた。
花飾りは仕舞われ、昼から店先で楽しそうに酒を飲む者たちもいない。
レオンは神殿に向かう馬車の中で、大神官から聞いた話を思い返す。
『魔王討たれし後、その残穢が新たな災いを成すとき、第三の加護が目覚める』
魔物は、魔大陸ウァラプラに満ちる魔力から生まれる。
魔王がいない間にも魔力は少しずつ蓄積し、やがて新たな魔王を生むという。
魔王が討たれれば、その魔力も大きく失われ、再び魔物が現れるまでには、数十年かかるはずだった。
けれど過去に一度だけ、魔王を討っても魔物が消えなかった記録があるらしい。
何が起きるのか、どう対応したのか、全ては聖者が導くと。
儀式は一週間後。
馬車が止まり、開かれた扉から神殿を見上げた。
聞けることは、全部聞いておこう。
あいつを見つける手がかりを、一つでも持っていけるように。
**
一週間後、レオンは神殿の地下にいた。
聖具の選定で訪れた時とは、違う部屋だった。
床には巨大な魔法陣が刻まれ、その周囲に十二名の神官が並ぶ。
レオンも壁際に立ち、儀式の準備を見守っていた。
「……成功するのですか」
「分かりません」
大神官は静かに答えた。
「千年以上、行われていない儀式です」
「そんなものを……」
「異変を確認するにはこれしかありません」
レオンは口を閉じた。
やがて神官たちが祈りを唱え始める。魔法陣の線をなぞるように、白い光が灯った。
地下にいるはずなのに、風が吹く。
衣服の裾が揺れ、光は目を開けていられないほど強くなった。
レオンも咄嗟に腕で目を覆う。
風が止み、祈りの声も途切れた。
ゆっくりと腕を下ろすと、魔法陣の中央に、人がいた。
十九か、二十歳くらいの若い女性。
長い茶色の髪に、見慣れない服を着ている。床に座り込んだまま、呆然と辺りを見渡していた。
「……え」
神官たちが息を呑む。
女性はその顔を一人ずつ見て、戸惑うように口を開いた。
「……ここ、どこですか」
**
女性は、ミナと名乗った。
別の世界から召喚されたこと。
この国で魔物が再び現れ始めたこと。
そして、聖者の力を借りたいこと。
大神官の説明を、ミナは黙って聞いていた。
話が終わってもしばらく俯いたままだったが、やがて顔を上げる。
「帰れますか」
大神官は、すぐには答えなかった。
「……今のところ、元の世界へお送りする方法は見つかっておりません」
ミナの唇がわずかに開いたけれど、言葉は出てこなかった。
膝の上で、両手が強く握られる。
レオンは、その手から目を離せなかった。
自分はユリウスを迎えに行きたい。
そのために、この人は帰れるかも分からない場所へ呼び出された。
一週間前までは、ユリウスを探すために早く儀式をと思ってたくらいだったのに。
「……すまない」
ミナが顔を上げる。レオンは深く頭を下げた。
「勝手に呼び出して、こんなことを頼むのは、身勝手だと分かっている。それでも、助けたい奴がいるんだ」
「……助けたい人?」
「ユリウス。魔王を倒した後、行方が分からなくなっている」
名前を口にすると、喉が詰まった。
「どうか、力を貸してほしい。俺もあなたを帰す方法を探すから」
返事はなかった。レオンは頭を下げたまま待つ。
やがて、ミナが小さく息を吐いた。
「……まず、その人の話を聞かせてもらえますか」
顔を上げると、ミナはこちらを見ていた。
両手は、まだ固く握られたままだった。
**
「実は、異世界転移って、私の世界だと結構有名なんです」
ミナが召喚されて一日が経った。
昨日、レオンはこれまでのことや、ユリウスについて話した。
今日はこれからのことを話し合うため、グレインと共にミナの部屋を訪れている。
昨日よりは、言葉を交わせるようになっていた。
「異世界転移の経験が他にもあるのか?」
「あ、いや。現実の話ではなくて……だから今も少し夢を見ている気がして……」
どうやら、そういった物語がよく書かれているらしい。
「物語では、こういう時、特別な力をもらえたりするんですけど」
「見えざるものを見通す力、という話は聞いている」
「……でも、何が見えればそうなのか、分からなくて」
ミナは自分の手を見下ろした。
レオンも、すぐには答えられなかった。ヴァルガを持った時には使い方が分かったが、彼女にはそうしたものもない。
「何か、昨日までと違うことは?」
「違うことばっかりですよ」
言われて、レオンは口を閉じた。
ミナが少しだけ笑う。
「すみません。……一つずつ、確かめてもいいですか?」
「ああ。俺たちにできることなら」
ミナは頷き、顔を上げた。
その視線が、レオンの脇に置かれたヴァルガで止まる。
「それも、魔法の道具?」
「聖盾ヴァルガ。俺を守護者に選んだ盾だ」
「……触っても?」
レオンは盾を持ち上げ、ミナへ向けた。
恐る恐る伸ばされた指が、盾の縁に触れる。
ミナは目を細め、中央の月と、その周囲の星を順に見た。
「この光も、魔法?」
「光?」
レオンは手元へ視線を落とす。
魔力は流していない。窓から差し込む日が、銀の表面を照らしているだけだった。
「どんな光だ」
グレインが尋ねる。
「銀色の……薄い膜みたいな。盾の周りに、ふわっと広がってます」
レオンには何も見えなかった。
グレインも盾を確かめてから、静かに首を振る。
ミナの指が止まった。
「ここの星……これだけ少し、まぶしい」
それは、ユリウスに渡していたかけらだった。
レオンの息が止まる。
「何か、見えないか」
「金の光が、どこかへ……見えにくくて……」
ミナは目を細め、星へ指を近づけた。
レオンは盾を動かさないよう、両手で支える。
「……すみません。今は、それしか分からないです」
「いや……」
金色の光。
あいつが剣に纏わせ、何度も自分へ向けてきた光だった。
自分には見えない。それでも、あいつの光がまだここに残っている。
そう思うだけで、泣きそうになった。




