勇者
どれくらい時間が経ったのか。
ユリウスが目を開けた時、魔王の間は静かだった。
「……生きてる」
倒れたまま周囲を見渡してみれば、重かった空気も少し晴れている。
聖剣が側に落ちているのを見て、ユリウスは手を伸ばした。
「……え?」
黒い紋様が皮膚を覆い、指先まで染めている。
身体を起こすと、頬にまで黒い紋様が広がっているのが聖剣の刀身に映った。
「なんだよ、これ」
慌てて聖剣を持ち上げようとすれば、ばちんっと音を立てて衝撃が走る。
激痛を感じ、手を引っ込めた。
「っ!」
ユリウスを拒絶するように、アステリアが点滅する。
じくじくと痛む指先を見れば、真っ黒になった
それが、余計に呼吸を浅くさせた。
苦しくて、胸を押さえる。
ゲームでは、勇者が行方不明となった一年後、世界にはまた魔物が出現するようになる。
そして最後に、再び現れる魔王の正体は――。
「待って」
落ち着かせるように息を吐く。
魂は、多分取られていない。
だって魔王となった勇者は、もう本来の意識を失っていた。
今の自分は、しっかりと意識がある。
「俺はいる」
魔王じゃない。
「俺だ」
何度も確認しても、聖剣に映る自分の目は赤く光っている。
聖域で見た幻と違うのは、頭から角が伸びていないことだけだった。
ユリウスはゆっくりと立ち上がる。
崩れた壁の向こうで赤黒かった空に青が広がっていた。
戦いは終わったんだ。
「帰らないと」
そう思うのに、自分の姿を見れば、足を動かすことができない。
呆然と外を眺めていると、遠くの方で人の声が聞こえた。
拠点に待機していた騎士たちが、周囲の異変に気づいて調査隊を寄越したのだろう。
声が段々と魔王城へと近づいてくる。
ユリウスは思わず後ずさった。
こんな姿を見られたら――。
画面の中で見た、剣で貫かれた勇者の姿が脳裏に浮かぶ。
――ごめん、レオン。
ユリウスは聖剣を置いたまま、暗闇の中に消えていった。
**
魔王が討たれたという報せは、すぐに王国全体へと広がった。
王都では鐘が鳴り響き、花吹雪が舞う。
民は酒を掲げ、見知らぬ者同士で肩を組んで喜び合っていた。
その中で、誰もが同じ名前を口にする。
――勇者、ユリウス・アルヴェイン。
世界を救った英雄。
早くその活躍を労いたいと、勇者の帰りを祝う準備を始めた。
一方、ガルシオンでは戦後の処理に慌ただしい状況が続いていた。
鷹を使っての急報が各拠点から届きはじめ、情報整理を行う必要があった。
レオンも連日会議室に呼ばれ、事務処理を手伝っている。
情報をいち早く知るには、丁度良い仕事だった。
「あとは、ウァラプラからの報せだけだな」
グレインが言う。
海を隔てた魔王城から、すぐに詳しい報せが届くわけがないと分かっている。
それでも、せめて無事かどうかだけは早く知りたかった。
あれからヴァルガは静かなまま動かない。
魔力を流せば光りはするが、あの時のように勝手に震えたりはしなくなった。
「勇者隊の帰還には、どれくらいの時間がかかるのでしょうか」
「各地で魔物の消滅が確認できている。真っ直ぐ進めば、三カ月ほどで帰ってくるだろう」
「……三カ月」
行きより、ずっと短い。
それなのに、そんなに待つのかと思ってしまった。
「勇者隊からの報せが来れば、すぐにお前にも伝える」
「お願いします……」
会議が終わった後も部屋で休む気にはならず、レオンは城壁の上へと登った。
遠くまで見渡せる場所でも、大陸の向こう側は見えない。
レオンはしばらくその場から動かなかった。
空は青く澄んでいて、魔物の一体も見当たらない。
世界は平和になったはずなのに、幻に見せられたぼろぼろのユリウスが頭から消えなかった。
**
それから一週間。
ウァラプラから最初の報せが届いた。
騎士に呼ばれ、レオンは会議室まで走って向かう。
部屋に着いてすぐ目に入ったのは、厳しい表情をしたグレインだった。
「報せがあったと聞きました」
「ああ、少し待て」
グレインの隣に立つ騎士の手には、それらしき紙が握られている。
他にも人が集まるのを待っているようで、すぐにその内容を聞くことはできない。
はやる気持ちを押さえるために、レオンは拳を握った。
「……話せ」
集まった人達を一度見て、グレインが言った。
騎士はゆっくりと話しだす。
「城内の中層で、負傷した騎士数名を保護。いずれも命に別状なし。最上層、魔王の間は崩落がひどく、重傷者多数。拠点にて治療中。騎士の中に死者はいませんでした」
含みある言い方に、心臓が激しく鳴った。
早く、続きを読んでくれ。
そう思うのに、報せを読む騎士は何かを躊躇うように唾を飲み込む。
レオンの背に嫌な汗が流れた。
「……魔王の間では、魔王、勇者ともに姿を確認することができませんでした」
「――は?」
声が零れた。周りからも困惑の声が上がる。
「魔王は討伐されていないのでしょうか」
誰かが聞いた。
「魔大陸内部でも魔物の消失が確認されています。魔王の討伐は間違いないでしょう」
なら、ユリウスはどこに。
怒鳴りそうになるのを我慢して、レオンは震える声で聞いた。
「痕跡は、何もないのですか」
騎士の目は、報せの中から言葉を探す。
「……聖剣だけが、その場に残されていたようです」
息を吸おうとしても、うまく入ってこなかった。
膝から力が抜け、その場に崩れる。
嘘だ。
ユリウスが、聖剣を手放すわけがない。
「グランツ、落ち着け。息をゆっくり吐くんだ」
グレインがすぐにレオンに声をかける。
落ち着けるわけがない。
肩に置かれたグレインの手を力いっぱい握る。
グレインはその力に少し眉を寄せるも、手を払わずにもう一度声をかけた。
「まだ見つかっていないだけだ。帰れなくなったと決まったわけじゃない」
「なら探してください!」
「探している。報告には大陸内部まで捜索を広げるとある」
分かっている。探していることは分かっているのに。
今、ユリウスの無事を聞けなかった苛立ちを、グレインにぶつけているだけだ。
「……俺も、行きます」
「それはならん」
「どうして!」
掴みかかろうとしたレオンを、グレインは冷静に抑え込む。
「まだ、何が起こったか分かっていない。魔物が消えたからといって、すべてが終わったと判断することはできん」
「だからって、ここで待ってろって言うんですか!」
「現地には捜索できる者がいる。だが、国の守りを任せられる者は限られている」
レオンは唇を噛んだ。
「……俺たちは、二人で国を守りました」
声が震える。
「なのに、あいつだけ帰ってこないんです」
また勝負しようと約束した。
帰ってきたら、全部言うって決めてたのに。
街道は通れるようになった。人も物も、もう行き来を始めている。
なのに、これ以上、何を守れって言うんだ。
好きな人ひとり、探しに行けない。
「俺は、国守ったぞ……ユリウス」
――だから、お前が帰ってこい。
グレインは答えず、レオンの肩に手を置いたままでいた。




