約束
「勇者様は、いつお発ちになるんだ?」
店先に並べられた野菜を眺めながら、男が尋ねた。
「十日ほど先だと聞いたよ」
「そうか……街道が通れるようになれば、娘のところにも行けるな」
店主が頷く。
魔物の数が増えてから、街道も騎士の同行がなければ馬車は通れない。
遠くの村へ向かうには莫大な費用がかかり、人の出入りは圧倒的に減っていた。
「守護者様もいるんだ。王都は大丈夫だろう」
「ありがたいことだよ。本当に」
通りの向こうでは、子供たちが木の枝を掲げて騒いでいる。
「俺が勇者やる!」
「じゃあ、俺は守護者だ!」
二人は枝をぶつけ合い、声を上げて笑った。
**
「勇者隊の編成は」
国王の問いに、騎士団長のグレインは一礼した。
「整いつつあります。経験のある騎士を中心に、魔術師と治癒師を。補給と連絡の経路も確認しております」
「守護者の方は?」
「私のもとで防衛の指揮を学ばせています」
国王は頷いた。
机の上には、勇者の出立を命じる書状がある。
署名の欄にはまだ、王の名は書かれていない。書状の端を指で押さえたまま、動かなかった。
「……勇者も守護者も、まだ十七だったか」
「はい」
「民の前では、頼もしい勇者と守護者が誕生したと告げた。あの戦いを見た者は、世界の平和を彼らに見出しただろう」
グレインは黙っている。
「近くで見れば、まだ少年だった」
国王の脳裏には、謁見の際に背筋を伸ばして緊張する二人が浮かんでいた。
礼儀も、受け答えも申し分ない。
けれど、退出する直前に目を合わせた顔には、まだ幼さが残っていた。
「訓練は立派なものです。終われば、食事の菓子まで勝負の種にしておりますが」
国王がわずかに笑い、それから書状へ視線を戻した。
「聖具の力なくして、この戦いには勝てぬ。だが、聖具を得た二人が不死身になったというわけでもない」
「はい」
「騎士も、魔術師も、それぞれの力を尽くせるよう整えよ。勇者と守護者に希望を託して、ただ待つ国であってはならぬ」
「承知しております」
「国をもって、世界を救うのだ」
国王はペンを取った。書状をもう一度読み、そこへ署名する。
グレインは深く頭を下げた。
**
出立の日が決まってから、ユリウスは勇者隊との顔合わせや装備の調整などで、日々慌ただしく過ごしていた。
レオンもグレインに連れられ、騎士団の会議や防衛施設の確認で忙しそうだ。
二人とも王城に留まっているのに、ほとんど顔を合わせない。
夜、部屋を訪ねても、まだ戻っていないなんてことも多い。
ある日の夜、ユリウスは騎士団の訓練所で聖剣を手に素振りをしていた。
「なあ、アステリア……。俺、魔王に乗っ取られたくないよ」
少しだけ、アステリアが光ったように感じる。
でも、それは、訓練場を灯す照明が反射しただけだった。
本当の光が見たくて、光魔術をアステリアに流してみる。
刀身が輝き、剣を振る腕が軽くなった。
「お前のために、光魔術と魔力制御を鍛えてきたんだぞ」
これだけ正確に扱えるようになったんだ。
魔王の力だって、抑え込めるかもしれない。
そう信じたくて刀身を見つめても、アステリアからの返事はなかった。
部屋に戻ると、ドアの隙間に小さな紙切れが挟まっていた。
レオンが来ていたらしい。そこには明日の空き時間が短く書かれている。
「あいつ、来てたのか……」
自分の予定を確認すれば、丁度空いてる時間が同じだった。
久しぶりにゆっくり話ができる。聖剣と聖盾で訓練したっていい。
ユリウスは、明日レオンと何をするかを考えながら眠りについた。
**
「街に行こうぜ」
顔を合わせてすぐ、ユリウスはレオンにそう言った。
「何しに」
「買い物。王都観光、全然できてねえじゃん」
「今かよ」
「今だからだよ。帰ってきたら二人で観光なんて大騒ぎになるかもよ?」
帰ってくれば、魔王を倒した英雄だ。気軽に街を歩けなくなるかもしれない。
嘘は言っていない。ただ、今行っておきたい理由は、それだけじゃなかった。
「……今もそんな変わらないだろ」
「そうかな?」
「なんかあったら、勇者の責任な」
「ずるいぞ、それ!」
レオンは面倒そうに言うが、なんだかんだ先に街の方へと歩き出す。
ユリウスは可笑しくなって、笑いながらその後を追いかけた。
道中は、ここ最近何をしていたかだったり、聖具の話だったり、ちょっとした言い合いだったり。
尽きることなく話題が変わる。
人の流れが多くなってきたところで、肉の焼ける匂いが漂った。
ユリウスの意識がそちらに向く。
「また肉かよ」
「まだ何も言ってないだろ」
言い返したところで、店の女将と目が合った。
「あら……勇者様?」
「えっ」
ユリウスの足が止まる。まさか、もう顔まで知られているとは。
「あ……どうも」
「お前……」
「まあ、守護者様まで!」
「は、はい」
ぎこちないユリウスを咎めたレオンも、女将の反応に急に大人しくなる。
「ちょっと待ってておくれ!」
そう言って女将は店の奥に入り、小さな包みを二つ持ってきた。
それをユリウスとレオンに渡す。
「焼き菓子だよ、持って行って!」
「いや、お金――」
「いいんだよ!これ食べて、力をつけて!」
押し付けられた包みが、温かい。
二人、両手で受け取り、頭を下げる。
「ありがとうございます」
気づけば、二人の周りにはたくさんの人が集まっていた。
「お二人なら、きっと大丈夫だ」
「勇者様、どうか魔王を」
「これも持って行ってください!」
声が重なる。ユリウスは一人ずつ顔を見て、頷くしかできない。
その時、服の裾を引っ張られる感覚がして下を向いた。
「ゆうしゃ様」
そこには小さな女の子。
ユリウスはしゃがんで目線を合わせた。
「なあに?」
「勇者様が、魔王を倒してくれるって」
「うん、そうだよ」
「パパがね、そしたらじいちゃんに会いに行けるって」
「……そっか」
周りの大人たちは、口を挟まずに見守っていた。
「私もじいちゃんに会いたい」
「うん、すぐに会えるよ」
「本当?」
「大丈夫」
「ありがとう、勇者様」
女の子の頭を撫でれば、嬉しそうにどこかへ走っていく。
「どうかご無事で」
最後には、街の人たちからそう声をかけられた。
それからどうにか人混みを抜け、落ち着きのないまま王城まで戻ってきた。
手にはたくさんの手土産がある。
「やっぱ、今もゆっくり見れなかったな……」
「だから言っただろ」
「レオンだって、最初びっくりしてたろ」
レオンの部屋に着くと、抱えていた包みを机に並べた。
「……すぐなんて、言ってよかったのかよ」
少し遠慮気味にレオンが言う。先ほど、女の子に告げた言葉のことだろう。
魔王城に向かうまでの時間も、女の子にとっては長い時間に感じるかもしれない。
でも、約束を増やせば、その分だけ帰ってくる未来を信じられる気がした。
「言わないと、いけない気がしたんだ」
「……」
「すぐ、帰ってくるよ」
胸に残る不安を押し込めて、告げる。
レオンの眉が少し寄った。
「不安なら不安って言えよ」
「え?」
「街の人には言わなくていい。でも、俺にまで同じ顔すんな」
真剣なレオンの表情に、ユリウスは何も返せない。
「怖くないわけ、ないだろ。希望を託されて、何も感じないわけない」
「……でも、俺は勇者で――」
「ユリウスだろ、お前は!」
名前を呼ばれただけなのに、喉の奥が詰まった。
レオンに肩をつかまれる。痛いくらいに力がこもっていた。
「なあ、ユリウス。お前が勇者になるって言った理由はわかんねえよ。でも、今までずっと、どっちが勇者になるかで競ってきたじゃねえか。いきなり、俺まで周りと一緒にするな。俺にまで強がるな!」
「レオン……っ」
どうしてそんなに苦しそうに。
「……俺が、あんなこと言ったからか」
「……え?」
「勇者になるって。俺が言わなきゃ、お前は――」
肩をつかむ手が緩んだ。
レオンは言葉を切り、唇を噛む。
「悪い……」
「いや、お前は悪くない。俺が、勝手に目指して、勝手に不安になっただけだ! レオン、俺、勇者を目指したのは……」
言葉が止まる。勇者を目指したのは、お前を魔王に渡さないためだ。
レオンのためだけど、レオンのせいじゃない。それをどう説明したらいい――。
「……お前とまた、勝負したかったからだよ」
レオンの目が揺れる。
「何だよ、それ」
「勇者になるまで競ってきた。次は平和な世界で、俺、またお前と勝負したい」
「意味わかんねえ……そんなことまで張り合ってくんなって言ったろ」
「お前と競い合ってここまできたから、ここを出たら競う相手がいなくて不安になったんだ」
「……魔王と戦えよ」
「うるせえ」
レオンが小さく笑う。
「要は、一人で外に出るのが不安ってことか?」
「そう言われるとなんか違う」
分かってもらえたのか、余計に勘違いされたのか、分からない。
でも、レオンはそれ以上は何も言わず、聖盾を手に取った。
盾の縁に、小さな銀の星がついている。
レオンが指で触れると、星は音もなく外れた。
「え!? 何やってんのお前!」
思わず声が大きくなる。レオンは平然と、取れた星をユリウスに差し出した。
「持ってけ」
「はあ!? 取っちゃ駄目だろ! 国宝だぞ!」
「俺が外す分には問題ない」
「えぇ……え、本当に?」
「ヴァルガの加護がある。お前の身を守るはずだ」
恐る恐る受け取れば、冷たいと思ったそれはほのかに温かかった。
こんな効果、ゲームでは知らない。ユリウスは手の中の星を見つめる。
「これ、ヴァルガ本来の力を弱めたりは……」
「大丈夫だ」
「へぇ……」
「これで、ちゃんと帰ってこい。そんで次代にばれないようにちゃんと返せ」
顔を上げると、レオンはからかうように笑っていた。
「悪い顔」
「なくすなよ」
「......なくさねえよ」
持って帰ってくる。
それが、また勝負しようという約束より、確かなものに感じてユリウスは星を握り込んだ。
「あと、帰ってきたら、言いたいことがある」
レオンがやけに真剣な顔になった。ユリウスは目を瞬かせる。
「何?」
「帰ってきたら」
「今じゃ駄目なのか?」
「今じゃ駄目」
かたくなに言わないレオンに、ユリウスは首を傾げるも、それ以上は聞かないことにする。これもまた、一つの約束だった。
「分かった。これ返して、それから聞く」
「ああ」
「勝負もな」
「次は負けねえよ」
部屋へ帰った後、ユリウスは銀の星に紐を通した。
首に掛け、服の内側へしまう。
胸元に、小さな重みが残った。




