第一試験
翌朝。
王都の空は重かった。雲が低く、風が強い。
神殿の尖塔に掲げられた旗が、ぱたぱたと音を立てていた。
候補者たちは白い正装に着替えさせられ、神殿へと向かう。
ユリウスは襟元を整えながら、隣のレオンを見た。
目の下にほんの少しの影があり、明らかに眠れていないことが分かる。
「レオン、白似合わないな」
「お前もな」
「俺は似合ってるだろ」
いつも通りの会話。
それでも、お互いの声はどこか固い。
「精神の試練って何があるんだろうな」
「さあな」
「勇者には清廉な心が必要って、本当だったのかも」
「清廉な心?」
「なんかの本に書いてあった」
「…………」
「ま、レオンなら問題ないだろ。勝つしか頭にないし」
「……うるさい」
「褒めてるんだけど?」
ユリウスの様子にレオンはため息を吐いた。
勝ちたい。それは嘘じゃない。
今はそれだけを考えて、試練に臨むしかなかった。
神殿に着くと、候補者たちは聖域のある地下へ案内された。
階段を下りるにつれ、旗を鳴らしていた風の音が遠ざかる。
それからすぐに試験が始まる。
五人目を見送った後、ユリウスの名前が呼ばれた。
先に入った候補者は誰も待機場所へ戻ってきておらず、試練を終えたのか、まだ中にいるのかも分からない。
レオンがこちらを見て、頷く。
どきどきと鳴る胸を押さえ、大きく息を吐いて聖域へと足を踏み入れた。
**
聖域へと入った途端、視界が揺れ、思わず目を瞑った。
恐る恐る目を開けると、神殿の景色は跡形もなく消えていた。
赤黒い空、崩れた城。
そして、目の前に傷だらけのレオンが立っている。
その手には聖盾ヴァルガが握られていた。
「……レオン?」
呼びかけても返事はなく、レオンは泣きそうな顔で剣を構えている。
「……お前を、救えなくてすまない」
「ちょ、ちょっと待て」
レオンを止めるために前に出した手は、黒く染まっている。
溢れ出す禍々しい魔力に、痛いくらい心臓が跳ねた。
「……あ、」
思わず自分の頭に触れた。
こめかみの上に硬い突起があり、指でたどると、それは頭から湾曲して伸びていた。
状況を把握するよりも先に、レオンが叫びながら踏み込んでくる。
剣が、左胸を貫いた。
――これが、ゲームのエンディング。
レオンの目から涙がこぼれ落ちる。
見たことのないその顔に、胸が締め付けられる感じがした。
ユリウスが声をかけようとしたその瞬間、レオンの顔も、胸を貫いた剣も、視界から消えた。
『ユリウス』
後ろから名前を呼ばれる。
振り向くと、頭から大きな角を生やし、真っ黒な衣服をまとう魔王になった自分。
咄嗟に自分の手を見れば、もう黒くは染まっていなかった。
胸を刺された傷も、何もない。
『ユリウス・アルヴェイン』
「……なんだ」
『今見た景色は、お前が一番知っているものだろう』
「…………」
『怖いか?』
「……怖くない」
『友を守り、国を救った結果が、自分の死だとしても?』
「世界が平和になるのなら」
言い切ってから、拳を握った。
死ぬつもりで来たわけじゃない。けれど、ここで退けばレオンが行くかもしれない。
ユリウスは目の前にいる自分を睨みつけた。
魔王ユリウスが、にやりと笑う。
『それが一番、友を傷つけることになっても?』
答えようとして、言葉が止まった。
剣を突き刺し、涙を流していたレオンの顔が思い浮かんだ。
再び現れた魔物も消え、世界は平和を取り戻す。
ゲームは、そこで終わった。
けれど、この世界では、平和を取り戻した後もレオンは生きていく。
自分を討った、その先も。
『友に、お前を殺させるのか?』
魔王ユリウスは笑みを崩さない。
何も知らないレオンを勇者にするわけにはいかない。
自分ならどうにかできるかもしれない。
そう考えてここまで来た。
それなのに、魔王を倒したその先を、自分が一番考えていなかった。
もし、自分が勇者になって帰ってこなかったら、レオンは何を思うだろう。
勝ち逃げだと怒るだろうか。
それとも、自分を討ったことを一生悔やむのだろうか。
『お前は勇者になるべきではない』
ユリウスは拳を握る。
「……諦めない」
『何?』
「俺は、勇者になる。そして、生きる」
魔王ユリウスの眉が訝しげに上がる。
『ゲームを何周やっても、エンディングだけは変わらない』
「ここはゲームじゃない」
レオンの涙が、まだ目に焼き付いている。
「魔王を倒して終わりじゃない。あいつのところに帰るまで」
震えそうになる声を、ユリウスは押し出した。
「俺は、その先まで変えるために行く」
魔王の姿をした自分は、もう何も問い返さなかった。
その輪郭が薄れ、やがてユリウスの前から消えていく。
気が付けば、何もない部屋に立っていた。
「アルヴェイン、よくやった」
しばらく呆然と立っていると、部屋にグレインが入ってくる。
「お、終わったんですか」
「ああ、奥で休め」
促されて一歩踏み出した途端、膝から力が抜けた。
「大丈夫か」
「……はい、力が抜けて」
ユリウスの様子を見て、グレインが肩を貸す。
奥には他の候補者たちも休んでいるところが見えた。皆一様に顔色が悪い。
レオンはまだ、戻ってきていないようだった。
**
レオンが見たのは、何もない丘だった。
青い空、心地の良い風、揺れる草の音。
その中央に見慣れた男が一人。
「ユリウス」
名前を呼んだのに、振り返らない。
ユリウスはレオンに気づかずに、歩き出した。
「おい!」
先へ進むユリウスを、レオンは走って追いかける。
向こうは歩いているはずなのに、その距離はどんどん開いていくばかりだった。
「待て!」
ユリウスは止まらない。
さっきまでは見慣れた訓練服だったのに、いつの間に輝く鎧を身に着け、手には聖剣を持っている。進む先には魔大陸ウァラプラが見えた。
「行くな、俺が行く!」
レオンは必死に走った。
目の前ではユリウスが溢れる魔物と戦っているというのに、レオンはいくら走っても追いつけない。
段々とボロボロになっていく鎧。ユリウスは全身傷だらけで、聖剣ばかりが輝いている。
「ユリウス!」
ユリウスが魔王城へと踏み込む瞬間。
『何故止める』
どこからか、声が聞こえた。
ユリウスの姿はもうどこにも見えない。
『国、民、平和。全てを守るため、勇者は進む』
「ユリウスは行かせない」
『なら、お前が行くのか?』
「行く」
レオンはすぐに答えた。
『お前が守った平和の中で、あの者が別の誰かを選んでも?』
エリシアと笑い合っていたユリウスが浮かぶ。
「……嫌だ」
『……』
「嫌だと思うことまで、嘘はつけない」
清廉な心が、何も欲しがらない心だというのなら、自分にはそんなものはない。
それでも、ユリウスを守りたい気持ちに嘘はなかった。
『なら、二人共に国に残ればいい』
「たとえ、俺が諦めたとしても、ユリウスは諦めない。そういう奴だから、惹かれたんだ」
『だからお前が行くと?』
「ああ。それで、帰ってきて言う」
『何を?』
「隣にいたいって」
そうだ。自分はユリウスに言いたいんだ。
平和が訪れた世界で、いつまでも一緒に。
レオンは顔を上げた。
どこからともなく響いていた声は、もう何も問いかけてこない。
草を揺らす風が止んだ。
青い空も、丘も、ゆっくりと薄れて、気づけば何もない部屋に立っていた。
もう走ってはいないのに、呼吸がうまく整わない。
「グランツ」
振り向くと、扉の前で騎士団長のグレインがこちらを見ていた。
「終わりだ。歩けるか」
「……はい」
一歩踏み出す。膝に力を入れて、どうにか身体を支えた。
奥の部屋へ案内されると、壁際に座っていたユリウスがすぐに立ち上がった。
「レオン!」
レオンは無意識に、目の前で足を止めたユリウスの手を取った。
「レオン?」
白い正装。握った手には、聖剣もない。
少し顔色が悪かったが、ユリウスはちゃんと目の前にいた。
「いや、なんでもない」
手を放し、ユリウスと並んで座る。
「……何見た?」
レオンは隣を見た。追いかけても届かなかった背中が浮かぶ。
「言わない」
「そうだよな……俺も言えない」
「……まあ、少し疲れた」
「うん、本当に」
戻ってきた今なら、あの出来事は聖域が見せた幻なんだと分かる。
自分が一番恐れているものを見せるという試練だったのだろう。
あれが正しい答えだったかは分からないけれど、帰ってきたらユリウスに伝えたいという願いは、幻が消えても残っていた。
「そういえば、明日」
ユリウスが言う。
「第二試験、カイルたち見に来るらしい」
「……嘘だろ」
「格好悪い所、見せられないな」
「そうだな」
「今日はゆっくり休もう」
そう言いながら、ユリウスはまだ立ち上がらない。
青白い顔で、戻ってくる候補者たちを眺めているようで、その目はどこか遠くを見ているようだった。
明日は闘技場で第二試験があり、そのまま第三試験の聖具による選定まで行われる。
つまり、明日ですべてが決まるんだ。




