第9話 岡山奮闘記:商社マンときどき何でも屋
倉敷繊維の岸田社長から、初めて羊毛の小口注文をもぎ取ったあの日。
俺、青島直人の岡山ライフは、予想だにしなかった方向へと舵を切り始めた。
そう、まるでバグったクエストを受注したみたいに、だ。
「おう、青島! 今日も精が出るな!」
事務所で報告書をまとめていると、ガハハという豪快な笑い声とともに、岸田社長がひょっこり顔を出した。
手には、なぜか日本酒の一升瓶が二本ぶら下がっている。
「しゃ、社長!? どうしてここに……」
「バカ野郎、お前のおかげで助かったんだ。祝杯をあげに来たに決まってんだろ!
おい木下! お前も飲むぞ!」
「……俺は勤務中なんですが」
やれやれ、といった顔でタバコの煙を吐き出す木下さんをよそに、岸田社長は勝手知ったる様子で応接セットにどっかりと腰を下ろした。
なんだこの状況は。商社のオフィスだよな、ここ?
その日の夜、俺は岸田社長に引きずられるようにして、岡山の夜の街へと繰り出すことになった。
「こいつが安宅の青島だ! 俺の愚痴聞き相手だ!」
一軒目の小料理屋で、岸田社長はカウンターにいた客全員に俺を紹介して回った。
やめてくれ、恥ずかしい。
「で、こっちが『ママカリ食品』の山本社長! こっちが自動車部品作ってる『児島精機』の藤田社長だ!」
次々と紹介される、いかにも地元企業の社長といった感じのオッサンたち。
これが、いわゆる人脈ってやつか……。
俺はガチガチに緊張しながら、差し出された名刺の束を受け取った。
「ほう、安宅商事の……いや、安宅興商さんか。若いのに感心じゃのう」
ママカリ食品の山本社長が、赤い顔で俺の肩をバンバン叩く。
「岸田がそこまで言うんなら、あんた、大したもんだ。よし、今度うちの新しい佃煮のパッケージ、相談に乗ってくれや!」
「え、あ、はい! ぜひ!」
おお、仕事の話になった!
やったぞ!
俺が内心でガッツポーズをしていると、隣にいた児島精機の藤田社長が、ぬっと顔を寄せてきた。
「青島くん、あんた、いい男だな。どうだ、うちにこんか?」
「は? いや、俺は安宅の社員なんで……」
「違う違う、そうじゃねえ。うちの息子だよ! もう三十路だってのに、嫁さんもらわんで、工場の機械ばっかりいじっとる! あんたみたいなシュッとした男の友達なら、ええ子がおるじゃろ! 紹介してくれんか!」
……は?
今、なんて言った?
息子の、嫁探し?
俺は、一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
なんだそのクエストは。
俺のジョブは商社マンだぞ?
結婚相談所の職員じゃない。
「いや、あの、そういうのはちょっと……」
俺が困惑していると、今度は山本社長の隣に座っていた、小柄なおばあさんが俺の手をギュッと握ってきた。
この人は、山本社長のお母さんらしい。
「あんた、ええ子じゃのう。うちの孫娘も、もう二十五じゃ。いっぺん、会うてみんか? 写真、あるで」
「ええええええ!?」
ダメだ、話が通じない!
なんで俺が、地元社長たちの身内の縁談を心配しなきゃならんのだ!
これが、岡山のやり方なのか……?
東京のエリートたちが聞いたら、腹を抱えて笑うだろうな。
いや、軽蔑の眼差しを向けるか。
やれやれ、とんでもない世界に足を踏み入れちまったもんだ。
◇
それからというもの、俺の日常は一変した。
午前中は、本来の業務である既存顧客への挨拶回りや新規開拓。
そして午後になると、なぜか商売とはまったく関係のない依頼が舞い込んでくるようになった。
「青島くーん、うちのタマが、またどっか行っちまったんよー!」
山本社長のお母さん、つまりトメおばあちゃんからのSOSだ。
これで今月三回目。
「……またですか」
「頼むわぁ、あんたが探すと、すぐ見つかるんじゃから!」
なんでだよ。
俺に猫を探知する特殊スキルでもあるとでもいうのか?
俺はクソ重いため息をつきながら、トメおばあちゃんと一緒に近所を練り歩く羽目になる。
「タマー! タマー!」
安宅興商の社章をつけたスーツ姿の男が、白昼堂々、猫を探して叫んでいる。
我ながら、シュールすぎる光景だ。
だが、不思議なことに、俺が探し始めると、なぜかすぐに見つかるのだ。
だいたい、近所の神社の縁の下か、日当たりのいい塀の上で昼寝している。
「まあ、青島くんは本当に鼻が利くのう!」
タマを抱きしめて喜ぶトメおばあちゃんの笑顔を見ると、まあ、いっか……という気分になってしまう自分がいる。
正直、勘弁してほしいけどな。
そして、週末になると、さらに面倒なクエストが待っていた。
「おう、青島! 明日、西大寺会陽の準備だ! 若い男手が必要だから、お前も来い!」
岸田社長からの、有無を言わさぬ召集令状だ。
「はだか祭り……ですか?」
「そうだ! お前もまわし一丁で参加しろ!」
「いやいやいや! 無理ですって!」
結局、祭りの本番参加は丁重にお断りしたが、準備の手伝いと称して、一日中、境内の掃除や提灯の飾り付けをさせられた。
なんで俺が、汗だくになって神輿を磨いてるんだ……。
だが、祭りの準備を手伝ううちに、地元の人たちとの距離がグッと縮まったのも事実だった。
「おう、安宅の兄ちゃん、精が出るな!」
「これ、差し入れだ。飲め!」
作業の合間に渡される冷たい麦茶が、やけに美味かった。
東京本社で、パソコンのモニターを眺めながら飲むミネラルウォーターとは、味が全然違う。
そして、こうした「何でも屋」活動が、思わぬ形で本業に繋がっていくのだから、人生はわからない。
「そういや、青島くん。トメさんの猫探し、いつもすまんのう」
祭りの打ち上げの席で、山本社長が申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「いえいえ、おばあちゃんにはいつもお世話になってますから」
「そうか……。うちのオフクロが、あんまりあんたのことを褒めるんでな。うちの佃煮の新しい販路、東京のデパートとかに紹介してくれんかと思ってな。もちろん、正式に安宅さんにお願いする形でだ」
「……え、本当ですか!?」
まさか、猫探しが商売に繋がるなんて!
この一件を切っ掛けに、「祭りの手伝いで真面目だったから」「うちの工場の機械の調子を親身に聞いてくれたから」といった理由で、小さな、だが確実な取引が次々と生まれていった。
木下さんは、そんな俺の報告書を見て、「お前、もう何屋かわかんねえな」と呆れながらも、その口元は少し笑っているように見えた。
◇
そんなドタバタな平日の疲れを癒してくれるのが、同期たちとの週末だった。
「おーい、青島! 今、新神戸! これからそっち行くわ!」
土曜の朝、スマホが鳴ったかと思えば、だいたい枦谷からの突撃連絡だ。
「はあ!? またかよ! 事前に言えっていつも言ってんだろ!」
「悪い悪い! 大沢さんと長峰さんも一緒だから、なんか美味いもん食わせてくれよな!」
そういうことか。
つまり、俺をダシにして大沢さんをデートに誘った、ってわけだな。
やれやれ、こいつのヘタレっぷりには呆れるしかない。
新幹線の改札で三人を待っていると、見慣れた顔が見えた。
「よお、青島! 元気そうじゃん!」
人の良さそうな笑顔の枦谷。
「青島くーん、おっひさー!」
手をぶんぶん振る、明るく社交的な大沢さん。
そして、その隣で、クールな表情を崩さずに、小さく会釈する長峰さん。
「……久しぶり。元気そうで、よかった」
その一言と、ふっと見せる微かな笑みに、俺の心臓はいつも少しだけ跳ねる。
やっぱ、美人だな……。
「で、今日はどこ行くの?」
大沢さんがワクワクした顔で聞いてくる。
「とりあえず、ベタだけど後楽園と岡山城でも行くか」
俺の提案に、三人は頷いた。
日本三名園の一つ、後楽園。
手入れの行き届いた広大な庭園を四人で歩く。
「うわー、綺麗! 写真撮ろ!」
長峰さんがスマホを構える。
枦谷は、ここぞとばかりに大沢さんの隣に並ぼうとするが、どうにも挙動不審だ。
「あ、あの、大沢さん、あそこの鯉、すごいぞ!」
「……そうね」
会話が、続かない。
見てるこっちがハラハラするわ!
結局、しびれを切らした枦谷が、俺の腕をグイッと引っ張った。
「お、おい青島! ちょっと、長峰さんとあっちの茶屋見てきてくれよ! な!」
その目は、必死に「頼む!二人きりにしてくれ!」と訴えていた。
見え透いてんだよ、バーカ。
俺が長峰さんと顔を見合わせていると、大沢さんがクスリと笑った。
「枦谷くんも大変ね。いいわよ、青島くん。少し、二人で歩きましょうか」
そう言って、スッと歩き出す長峰さん。
その横顔は、本当に綺麗で、そして優しかった。
まさに、天使だ。
「……なんか、ごめんな、長峰さん」
「ううん。楽しいわよ、こうやってみんなで集まるの」
その言葉に、救われた気がした。
その後も、桃太郎伝説のモデルとされる吉備津神社に行ったり、俺の運転で瀬戸内海が見える鷲羽山の展望台までドライブしたりした。
「なあ、青島。王子が岳ってとこ、今度連れてってくれよ。なんか、夕日がすごいらしいぜ」
帰りの新幹線のホームで、枦谷がこっそり耳打ちしてくる。
「……それ、完全にデートスポットじゃねえか。なんで俺が、お前のデートコースの下見をしなきゃならんのだ」
「いいじゃねえかよ、頼む!」
「やれやれだぜ、お前は……」
神戸と岡山。
社会人になって、それぞれ違う場所で働いている。
会えるのは、月に一度か二度。
でも、この距離が、俺たちにはちょうどいいのかもしれない。
東京で、エリートたちに囲まれて息苦しい思いをしていた頃には考えられなかった。
こんなふうに、心から笑い合える仲間がいる。
商売とは名ばかりの何でも屋みたいな毎日だけど、悪くない。
いや、むしろ、最高に面白いかもしれない。
俺は、遠ざかっていく新幹線を見送りながら、そんなことを考えていた。
さて、来週はどこの社長から、どんな無茶なクエストが飛んでくるだろうか。
俺は、いつの間にかそれを楽しみにしている自分に気づいて、思わず苦笑した。




