第10話 特大クエスト
倉敷繊維の岸田社長から初めての見積もり依頼をもらったあの日。
あの瞬間、俺の中でなにかが確実に変わった。脳内BGMは『ロッキーのテーマ』、心の中では観客がスタンディングオベーションだった。
ちょっとした発注が通るたび、経験値ゲージがピコピコと光っていくのが見える気がする。
まるでRPGの序盤、最弱スライムを倒して「おお、青島のレベルが上がった!」と表示される感覚。
「……だからって、調子に乗るなよ、ひよっこ。まだチュートリアルが終わった段階だ」
ニヤリと口角を上げながら木下さんが言った。
ここのところ、口は相変わらず悪いが、微妙に俺を見る目に温度が宿っている。
厳しい父親、というよりは不器用なツンデレ兄貴、というか。
そんなある日――運命のボス戦が唐突に開始された。
ピロン♪ とスマホが鳴り、岸田社長からの電話。
「おう、青島か。ちょっとな、相談っちゅうか、賭けってやつがあるんだ」
聞けば、大手アパレルメーカーからの特大発注を受けたが、要求品質とコストを両立できる羊毛がない、と。
しかも「今の仕入れ価格の半額でなんとかならんか?」と来た。
半額、ってアンタ。
心の中で一瞬、バイオリンの弦がブチッと切れる音が聞こえた。
「やれるだけ、やってみます!」
と気合で返したものの、これ、どう考えても無理ゲーだろ。
事務所に戻って木下さんに報告したら案の定、「無理。終わり。解散」と冷静すぎる三行で一蹴。
でも諦められなかった俺は、その夜、事務所に残って商社用データベースを漁り始めた。
お化けでも出そうな深夜の静けさの中、カチカチとキーボードを叩き続けていると、ふいに後ろから声がした。
「……まだやってんのか」
木下さんだ。アイスコーヒー片手に、ひょっこり現れた。
ふらりとモニターを覗き込むと、彼は指先で画面をトン、と突いた。
「……ルーマニア?」
その文字を見た瞬間、俺の脳内に『未開の地』『隠しダンジョン』『誰も到達していない裏世界』などの中二ワードが一斉に並び始めた。
「ここは昔、羊毛の産地だった。社会主義の頃にめちゃくちゃになったが、最近ちょっとまともになってきてるらしい。まあ、博打だがな」
そのとき俺の中の何かがビビビッと光った。
ここだ。ここしかない。
未踏の地でドロップアイテム(高品質羊毛)を探す、俺の冒険が始まる!
――はずだった。
本社に企画書を提出すると、返ってきたのは氷点下のリアクション。
「ルーマニアぁ? 寝言は寝て言え、青島」
この鼻につく声、長嶋だ。
東京本社のエリート組代表。
電話越しでもドヤ顔が伝わってくる気がする。
ガチャン。通話終了。
計画は、あっけなく頓挫した。
終わった。そう思った、その時だった。
「――面白いじゃないか、その話」
声のした方を見ると、今まで事務所の奥で置物のように座っているだけだった男――岡山事務所の所長が、いつの間にか俺たちの後ろに立っていた。
「しょ、所長……」
普段、何をしているのかもわからない謎の男が、俺たちの企画書を手に取り、興味深そうに眺めている。
「本社のアホどもは、数字しか見えんからな。現場の熱ってやつがわからんのだ」
所長はそう言うと、ニヤリと笑い、おもむろに内線電話の受話器を取った。
「……俺だ。本店の役員、今すぐ出せ。……ああ、岡山の件だ。ルーマニアの羊毛? 馬鹿野郎、面白いじゃねえか。リスクなんざ、取るために商社マンやってんだろうが。……ああ? 誰が責任取るんだ、だと? 俺が取るに決まってんだろ。あの二人を、すぐにルーマニアに飛ばせ。これは決定事項だ」
なんだこれは……。
俺と木下さんは、顔を見合わせたまま、完全に凍りついていた。
電話を切った所長は、俺たちの方を振り返り、いつもの気の抜けた顔に戻って言った。
「――というわけだ。許可は取ってやった。あとは、お前らでなんとかしろ。期待してるぞ」
――数分後、俺と木下さんはルーマニア行き決定。
異世界転移ばりの展開。
ちなみに翌日、社内での俺のあだ名は「羊毛王子」になっていた。
出発前夜、枦谷からLINE。
《命だけは持って帰れよ。お前の分の送別会、日程空けとくから》
いや、俺まだ死んでねえから!
こうして、俺の“世界への道”は、岡山の片隅から、とんでもなく予想外の方向へと突き進んでいったのだった――。




