第7話 研修終了後に
三ヶ月の研修が終わった。
誰もが痩せ、誰もが疲れ果て、けれど誰もが成長した――そんなことを言うのは、だいたい勝ち組だけだ。
俺は今、安宅興商の東京本社、十二階の面談室の前で、そわそわと膝を揺らしている。
人事課長との一対一面談。
ここで、俺の人生の“次のステージ”が決まる。
先に終えたエリート・長嶋が出てきた。
目が合った瞬間、満面の笑みで親指を立ててくる。
「やっぱ俺、海外部門だったわ。いずれNY支社で修業してこいってさ」
へえ、よかったね。いや、ほんと、すごいな。おめでとうございます。
そんな心の声を隠しながら、俺は無言で会釈をした。
「次の方、青島直人さん、どうぞ」
部屋に入ると、課長が資料に目を通しながら言った。
「さて、青島君。希望の配属先は?」
喉が渇く。汗がにじむ。
「君の研修評価は……まあ、これから頑張っていく必要がある、という感じだが」
柔らかい言い方に包んだ“あまり期待されてない”宣告。わかってたよ、ええ。
ここで普通なら「営業部で頑張りたいです」とか言うんだろうな。でも俺の口から出たのは、まったく違う言葉だった。
「……地方の拠点で、経験を積みたいです」
課長がぴくりと眉を動かす。
「地方?」
「はい。できれば、一番厳しいところで。一から、鍛え直したいと思っています」
嘘だ。
俺は逃げたいだけだ。長嶋みたいな超エリートたちと、毎日比較される環境から。
「……そこまで言うなら、一つ、あるにはあるが」
課長が書類をめくりながら、苦笑いを浮かべる。
「岡山事務所、というところだ。ただ、あそこは……社内では“島流し先”なんて呼ばれていてね」
島流し先――それが、今の俺には、パラダイスに聞こえた。
「はい。ぜひ、そこでお願いします」
課長は静かに頷いた。
それで、俺の運命は決まった。
面談室を出たところで、思いがけずあの人と会った。
「岡山に行くんだって?」
振り返ると、長峰幸が立っていた。
白いブラウスに、涼しげな表情。
その顔に浮かぶのは、少し驚いたような……でも、どこか面白がっているような、あの、いつもの読めない笑みだった。
「ああ。まあ、俺にはその方が合っているだろ」
「……ふーん。そうかもね」
彼女は窓の外を見つめながら言った。
「私、人事との面談、これからなの」
「そうか。希望通りになるといいな」
「……もし、私も岡山事務所に行きたいって言ったら、驚く?」
「えっ?」
思わず聞き返してしまった。
長峰は、わずかに唇を上げて笑った。
「冗談よ。でも、東京って少し、息が詰まる時があるから」
そう言って、彼女はふっと踵を返し、面談室へと歩いて行った。
その背中を見つめながら、俺の心臓は、またしてもバカみたいに高鳴っていた。
(……いや、ないない。俺と同じ場所なんて。そんな都合よくいくわけ……)
* * *
一週間後。
配属先一覧が発表されたその朝。
掲示板の前には、研修同期たちが群がっていた。
俺も人混みをかき分け、表を確認する。
No.28 青島直人……岡山事務所。
うん、予定通り。
そしてその数行下。
No.34 長峰幸……神戸本店 総務部。
…………
(ああ……やっぱり、冗談だったか)
少しだけ肩の力が抜けた。
ほんの少しだけ、残念なような、でもホッとしたような、そんな気持ちだった。
その日の昼休み、長峰とすれ違った。
「岡山、頑張ってね」
彼女は、ふわりと優しい声でそう言った。
「そっちこそ。神戸って、いろいろ大変そうだけど」
「ふふ、まあね。でも、頑張るよ。あなたもね」
それだけ言って去っていく彼女の背中を、俺はしばらく見送っていた。
彼女は、俺の心にさざ波のような変化を残していった。
岡山――予想だにしなかった“再スタート地点”で、俺の物語が、いよいよ幕を開ける。




