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Fラン大卒の逆転人生  作者: へいたれAI
第八章:恋の行方と、後始末

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第40話 訪問者と送金と、ファーストクラスという名の戦場




 コロンビアに戻り、ようやく静かな日常が……なんて甘い幻想は、ボゴタの乾いた風と共に一瞬で吹き飛んだ。


 俺の事務所兼豪邸は、いつの間にか「在コロンビア日本商社マンの駆け込み寺」と化していたのだ。


「青島さん! 大変です! 日本から緊急の指示が!」


 息を切らして事務所に駆け込んできたのは、四丼物産の若手社員、田中君だ。

 彼は真面目を絵に描いたような男で、俺の事務所がボゴタにあると知るや否や、日に三度は顔を出すようになっていた。


 彼の生真面目さと、俺のいい加減さのコントラストが、もはや日常のドタバタ風景の一つだ。


「田中君、落ち着け。まずはコーヒーでも飲んで」


「飲んでる場合じゃありません! 神戸で設立する新会社の資本金について、伍星商事さんと角紫さんが割合で揉めていると!」


「またか……」


 俺は深いため息をついた。

 後楽園の密談で、あれほど綺麗にまとまったはずの話が、いざ実務レベルに落ちると、こうして些細な問題で停滞する。


 日本のサラリーマン社会の面倒くささが、遠いコロンビアまで押し寄せてくるのだ。

 俺の主な仕事は、こうした日本のドタバタをなだめすかしつつ、コロンビア側のキーマンたちとの橋渡しをすることだった。


 月に数度は、日本の各商社から派遣されてきたエリートたちを一同に集め、ボゴタの高級レストランや、時にはカリまで飛んで、話し合いの席を設ける。


 もちろん、その中心にはラファ、そして農園主のまとめ役であるフェルナンドとリカルドの姿があった。


「それで、アオシマ。今日の議題は何だ? 俺はこれから狩りに行くんで忙しいんだが」


 会議室のテーブルで、愛用の猟銃を手入れしながらラファが言う。

 その光景に、初参加の商社マンたちは顔を引きつらせ、田中君に至っては今にも気絶しそうだ。


「ラファ、頼むから銃をしまってくれ。日本のエリートさんたちが怖がってる」


「なんだ、こんなもので怖がるとは。日本の男は腑抜けばかりか」


 ガハハと笑うラファに、フェルナンドとリカルドも同調して笑う。

 この規格外の三人衆と、四角四面な日本の商社マンたちを繋ぎ合わせるのが、俺に課せられた最大のミッションだった。


「皆さん、落ち着いてください。まず、カリに設立する子会社の件ですが、ラファさんたちの協力が不可欠です。つきましては、役員として……」


 俺が冷や汗をかきながら説明を始めると、日本の商社マンたちは一斉にメモを取り始める。

 彼らにとっても、マフィアを追い出し、独自のコーヒー農園ネットワークを作り上げたこの三人は、得体の知れない怪物であり、同時に金の卵を産むガチョウなのだ。


 利害が一致しているからこそ、この奇妙な会議は成り立っていた。

 一方で、水面下では別の戦いも続いていた。

 FNC(コロンビアコーヒー生産者連合会)との関係だ。


 俺たちの新しい農園グループは、FNCに所属していない。

 それは、彼らにとって面白いはずがなかった。


「またFNCから嫌がらせの電話がありましたわ。『貴殿らの活動は、コロンビアコーヒー全体の秩序を乱すものである』とかなんとか」


 事務所で経理を手伝ってくれているマリアが、うんざりした顔で報告する。

 どうやら、先の騒動で排除された中華系マフィアと繋がっていたFNC内部の高官が、未だに我々への妨害工作を続けているらしい。


「表立っては何もできないくせに、陰湿な連中だ」


「ですが、アオシマ。心配はいりません。ラファ様がすでに政府のほうには手を回しております」


 そう言って胸を張るのは、いつの間にか俺の秘書のようなポジションに収まっているイオナだ。

 彼女の言う通り、ラファの根回しは神がかっていた。


 彼は政府の太いパイプを駆使し、これからカリに作る子会社を「日本の小さな食料品貿易会社が、現地調査のために設立するささやかな事務所」という名目でごまかし、設立のための書類を全て整えてしまっていたのだ。


「あとは、日本からの資本金が届けば、即日、会社は登記できる。そうラファは言っていたぞ」


 もはや、コロンビア側の準備は万端。

 問題は、相変わらずドタバタしている日本の方だった。

 SNS越しに伝わってくる同期たちの様子は、相変わらずだ。


『青島、助けてくれ! 伍星商事の法務部から来た書類、専門用語だらけで何一つ理解できない! 俺、担当を外されるかもしれない!』(枦谷)


『枦谷君、毎日半泣きで帰ってくるのよ。青島君、たまには励ましてあげてね』(大沢)


『……こっちは大丈夫だから。それより、青島君こそ、無理してない?』(長峰)


 長峰さんからの短いメッセージに、俺の心臓が少しだけ速く脈打つ。

 大丈夫じゃないのは、どっちだよ。

 業を煮やしたのか、ついに神戸の国内営業本部長が動いた。


「もう待てん! まずは安宅の100%子会社として、コロンビア取引専門の貿易会社を神戸に設立する! そこへ各社から資本金を集め、急ぎコロンビアに送金するんだ!」


 本部長の鶴の一声で、事態は急展開を迎えた。

 話し合いからわずか二週間で、安宅興商の社内に『安宅グローバルコーヒーリンクス』なる、やたらと壮大な名前のペーパーカンパニーが爆誕した。


 社長には、あの特命プロジェクトの室長だった部長が兼務で就任したらしい。


 そして、その数日後。

 俺の事務所の電話が鳴った。神戸の部長からだった。


「青島君か。急で悪いが、君の事務所の口座に、新会社の設立資金を送金させてもらった。金額は……まあ、見て驚くなよ。それを、すぐにラファさんに渡してくれ。頼んだぞ」


 電話が切れた後、俺は恐る恐るネットバンキングにログインした。

 そして、表示された預金残高を見て、椅子から転げ落ちそうになった。

 ゼロが……ゼロの数が、おかしい。


 俺が生涯かかっても稼げないような金額が、俺個人の事務所の口座に振り込まれている。


「ど、どうしよう……俺、こんな大金……」


 手が震え、冷や汗が止まらない。

 俺はこんな大金を取り扱う資格なんてない、ただのしがない情報収集係なのに!


「アオシマ、しっかりなさい! 男でしょう!」


「そうですわ! こんなことで腰を抜かしている場合ではありません!」


 パニックに陥る俺の両肩を、イオナとマリアが力強く叩く。

 二人の剣幕に押され、俺はなんとか震える手で送金手続きを行い、全額をラファが指定した口座へと移した。


 胃がキリキリと痛む。

 寿命が十年は縮んだ気がした。


 それから、事態は怒涛の勢いで進んだ。

 俺が送金した資金を元手に、カリに子会社『カフェ・デル・ソル・ハポン』が設立された。


 太陽と日本のカフェ、なんて安直な名前なんだ。

 神戸に設立された親会社『安宅グローバルコーヒーリンクス』も、本格的に活動を開始。


 さすがに安宅の本店内にライバル商社の出向者をうろつかせるわけにはいかない、という至極もっともな理由で、神戸港のそばにある安宅貿易という子会社の社屋にオフィスを構えることになった。


 話し合いから、わずか二ヶ月。

 あの後楽園の密談が、現実の形となったのだ。

 そして、そんな目まぐるしい日々を送る俺のもとに、一通の豪華な招待状がエアメールで届いた。


『安宅グローバルコーヒーリンクス設立記念パーティーのご案内』


「へぇ、パーティーか。俺も招待されるんだな」


 のんきに呟いた俺に、添付されていた部長からの一筆箋が、冷酷な現実を突きつけた。


『追伸:青島君は招待客ではない。コロンビアのVIP、ラファ氏、フェルナンド氏、リカルド氏の三名を、パーティーにアテンドするのが君の任務である。遅刻厳禁。以上』


 ……ご招待ではなく、業務命令だった。


 俺は、天を仰いだ。また、面倒なことになった。


「まあ! アオシマ、日本へ行くのですか!?」


「素敵ですわ! 私も行きたいです!」


 俺の絶望をよそに、招待状を覗き込んだイオナとマリアの瞳がキラキラと輝き出す。


「お前たちは留守番だ。これは仕事で……」


「通訳が必要でしょう!? 私が行かねば、誰があの三人の言葉を訳すのですか!」


「わたくしとて、ビジネスレベルの日本語は話せますわ! それに、パーティーには華やかさも必要です!」


 ああ、もう、こうなると思った。

 二人の勢いに押し切られ、結局、俺の事務所は総出で日本へ向かうことになった。

 通訳兼アテンド補佐として、イオナとマリアも同行することが、半ば強制的に決定してしまったのだ。


 出発当日。

 空港で渡されたチケットを見て、俺は再び目眩を覚えた。


 ラファ、フェルナンド、リカルド、そしてアテンド役の俺。

 この四名は、なんとファーストクラス。

 そして、イオナとマリアは……エコノミークラスだった。


「なんですって!? なぜ、わたくしたちだけエコノミーですの!? アオシマはファーストクラスですのに!」


「おかしいでしょう! 私はアオシマの公式パートナーですのよ! 隣に座る権利があるはずです!」


 チェックインカウンターで、二人の甲高い声が響き渡る。

 周りの乗客からの視線が痛い。俺は、係員に深々と頭を下げた。


「あの、すみません。俺の席をエコノミーの、できれば一番後ろの真ん中の席あたりに変更できませんでしょうか……」


 俺の必死の懇願に、航空会社のスタッフは困惑の表情を浮かべるだけだった。

 結局、俺の席の変更は叶わず、俺はVIPたちと共にファーストクラスの豪華なキャビンへと足を踏み入れた。


 広々とした個室のような空間、ウェルカムドリンクのシャンパン、至れり尽くせりのサービス。

 だが、俺の心は少しも休まらなかった。


 なぜなら、離陸後、きっとあの二人がエコノミーの席から抜け出して、このファーストクラスのエリアに殴り込みをかけてくるに違いないからだ。

 そして、俺の席の隣で、「私がアオシマの隣に座るべきだ」という、醜い争いを繰り広げるに違いない。


「神様……」


 ふかふかのシートに身を沈めながら、俺は心の中で静かに祈った。


「お願いです。今すぐこの飛行機に、ちょっとした、でも安全な範囲でのトラブルが発生して、緊急着陸かなんかになって、このフライトが中止になりますように……」


 ファーストクラスという名の、天空の戦場。

 神戸に着くまでの十数時間、俺の精神が持つだろうか。

 俺は、ただただ、コロンビアの青い空が恋しかった。



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