第41話 ヘタレの告白と、俺たちの未来
関西国際空港の到着ロビーに降り立った俺たち一行は、さながら珍獣の群れだった。
猟銃こそ持ってきていないものの、どう見てもカタギには見えないラテン系のいかついおっさん三人衆。
その隣で火花を散らす、絶世の美女二人。
そして、その中心で胃をキリキリさせながら途方に暮れる、しがない日本人サラリーマンが一人。
それが、俺だ。
「ようこそ、皆様。お待ちしておりました」
そんなカオスな集団の前に、深々と頭を下げる男がいた。
安宅興商のロゴが入った高級リムジンのそばで、完璧なスーツを着こなした社員が、俺たちを出迎えてくれたのだ。
「おお、アオシマ! 日本の会社は待遇がいいな! 俺も転職しようかな!」
「ラファ、それは無理だ。君は履歴書の職歴欄に何て書くんだ。『元上院議員兼地元の顔役』か?」
「それじゃあ弱すぎるな! 『コロンビアの影の支配者』くらいは書かないとインパクトがない!」
リムジンに乗り込むなり、後部座席で始まったVIPたちのスペイン語での会話に、運転手とは別に同乗してきた安宅の社員が、助手席で不思議そうな顔をしている。
無理もない。会社が国賓級のVIPとして丁重にお迎えしたお客様が、アテンド役の平社員(俺のことだ)と、まるで悪友のようにじゃれ合っているのだから。
「アオシマ、ラファ様が『この車は防弾仕様か?』と聞いておりますわ」
「俺に聞くな! あと、そんな物騒な質問を通訳するな!」
マリアがくすくすと笑いながら俺に耳打ちする。
イオナはイオナで、「日本の男性は、アオシマのように頼りない方ばかりなのですか?」と助手席の社員に真顔で問いかけ、彼をさらに困惑させていた。
車内は、フォーマルな出迎えとは程遠い、ホームパーティーのような賑やかさだ。
俺の胃痛だけが、これが仕事であることを思い出させてくれた。
車は神戸港に面した豪華ホテルの車寄せに滑り込む。
そこからエスコートされた先のパーティー会場は、日本の経済界を動かす重鎮たちで埋め尽くされていた。
俺たちの到着を待って、いよいよ新会社『グローバルコーヒーリンクス』の設立記念パーティーが幕を開けた。
安宅の国内営業本部長の開会の辞に続き、壇上に立ったのはなんと伍星商事の代表取締役副社長だ。
その格の違いに会場がどよめく中、祝辞は滞りなく終わる。
そして、ついに俺が連れてきた三人に挨拶の順番が回ってきた。
「続きまして、我々の新たなパートナーとなります、コロンビアの皆様よりご挨拶を頂戴いたします」
司会者の声に促され、ラファ、フェルナンド、リカルドが壇上へと上がる。
その後ろには、通訳としてマリアとイオナが寄り添う。
イオナがラファの、マリアがフェルナンドたちの言葉を、流暢かつ優雅な日本語へと変えていく。
二人の美しさと知性に、会場のあちこちから感嘆のため息が漏れていた。
そこからの歓談タイムは、まさに戦場だった。
大手商社の役員たちが、三人のVIPの元へと殺到する。
名刺交換の嵐、商談の打診、お世辞の応酬。
その間を、マリアとイオナが蝶のように舞いながら通訳をこなしていく。
俺はといえば、彼らのそばを金魚のフンのように付き従うだけで、完全に置物と化していた。
「青島、今回も大金星だな。顔つきが少しはマシになったじゃないか」
不意に、背後から懐かしい声がした。
振り返ると、そこには岡山の所長と、その隣で人の良さそうな笑みを浮かべる木下先輩の姿があった。
「所長! 木下先輩! 来てくださったんですね!」
「当たり前だ。うちの部下の大手柄なんだからな。それに、美味い酒が飲めると聞いてな」
ガハハと笑う所長は、俺の肩をバンバンと叩くと、すぐに他社の役員たちに捕まり、あっという間に人波の中へと消えていった。
どうやら酒の海で溺れる運命らしい。
「いやあ、青島がここまでやるとはなあ。本当に大したもんだよ」
「そんなことないです! 俺は周りに助けられてるだけで……」
木下先輩との久々の会話に、俺の心はすっかり和んでいた。
その時、ちょうど役員たちの波が引け、ラファたちが一息ついているのが見えた。
チャンスだ。
「先輩、紹介します。こちら、コロンビアでお世話になっているラファさんたちです」
俺が木下先輩を紹介すると、なぜかフェルナンドが先輩の肩をがっしりと掴み、熱心に何かを語り始めた。
困惑する先輩の横で、マリアが苦笑いを浮かべながら、必死に言葉を選んで通訳する。
「ええと……『貴殿のような誠実そうな男は、コロンビアではモテる。ぜひ我が国へ来ないか。最高のコーヒーと、最高の……えーっと、出会いを紹介しよう』と、おっしゃっております」
絶対に『出会い』なんていう綺麗な言葉じゃなかったはずだ。
先輩の顔が引きつっている。
フォーマルなパーティーの場で、一体どんな国際交流が始まっているんだ。
このままでは木下先輩の貞操が危ない。
俺は、ラファたちが次の獲物を見つける前に、そっとその場を離れ、会場の隅にあるドリンクカウンターへと避難した。
ようやく一息つける……そう思った矢先だった。
「「見ーつけた」」
地獄の底から響くような、二つの声。
振り向くと、そこには般若のような形相をした大沢さんと、絶対零度の微笑みを浮かべた長峰さんが立っていた。
しまった。今回のパーティーには、本社の総務部からも応援が来ているという話をすっかり忘れていた。
二人は入り口で受付係をしていたらしい。
「青島君? 後で、ちょっと、お話がありますから。大事な、お・は・な・し、が」
大沢さんが、一言一句区切りながら、どすの効いた声で俺に宣告する。
その笑顔は、もはや脅迫以外の何物でもなかった。
俺のパーティーは、この瞬間に終わった。
パーティーが無事に閉会し、俺が解放された頃には、魂はすでに半分抜け殻だった。
ラファたちは、岡山の所長や各社の役員たちと意気投合し、「二次会だ!」と息巻いてホテル内のバーへと消えていった。
もちろん、通訳としてマリアとイオナも同行だ。
「さ、青島君。行きましょうか」
俺が、割り当てられた自室に逃げ込もうとしたその瞬間、両脇をがっちりと大沢さんと長峰さんに固められた。
抵抗の余地なく、俺はホテルの最上階にあるスカイラウンジへと連行された。
ラウンジの奥まった、半個室のような空間。
そこに座らされた俺は、二人の尋問官と向かい合うことになった。
「さて、青島君。単刀直入にお伺いします。あの、とてつもなくお美しいお二人とは、一体全体、どういうご関係なのでしょうか?」
大沢さんの目が、笑っていない。
今日のパーティーで、俺はマリアたちとほとんど会話もしていないはずだ。
だが、女の勘というやつだろうか。
彼女たちのセンサーは、俺が何か許されざることをしでかしたと判断しているらしかった。
「いや、だから、二人はコロンビアの事務所で採用したローカルスタッフで……」
「元上院議員のお嬢様と、ルーマニアからコロンビアまで追いかけてきた女性でラファ様の遠縁の方を、『ローカルスタッフ』の一言で片付けられるとでも?」
長峰さんの冷静なツッコミが、俺の心臓を的確に抉る。
「うっ……。まあ、その……仕事上のパートナーというか、同志というか……」
「体の関係は?」
「ないっ! 絶対にない! 断じて!」
俺は、身の潔白を必死に訴えた。マリアは元上院議員の娘で、父親の失脚後、ラファに保護されたこと。
イオナはラファの遠縁で、ルーマニアから移住してきたこと。
二人を事務所で雇っている経緯を、洗いざらい白状した。
体に関すること以外は。
だが、二人の疑いの目は晴れない。
絶体絶命の窮地に立たされた、その時だった。
「おお、こんなところにいたか、青島!」
ラウンジの入り口から、陽気な声が響いた。
見ると、二次会に行ったはずのラファたちと、すっかり出来上がった岡山の所長が、ぞろぞろとこちらへやってくるではないか。
「青島、どうした。キレイどころを二人も囲って。役得だな。……お、そちらの美人は見たことがあるぞ。確か、青島の彼女だろう?」
所長が、長峰さんを指さして言った。
「ち、違います!」
俺が全力で否定する横で、面白がったラファが英語で茶々を入れてくる。
「Hey, Aoshima! Don't be shy!
(おい、青島!照れるなよ!)」
その隣で、イオナは頬を膨らませ、マリアは面白そうにクスクス笑っている。
カオスだ。この空間は、完全なるカオスに支配されていた。
「そうだ、思い出したぞ!」
所長が、ポンと手を打った。
「倉敷繊維の社長から聞いたんだ! お前、後楽園でこの美人さんとデートしてるところを目撃されてたそうじゃないか!」
そういえば、そんなこともあった。
岡山に出張した際、長峰さんと二人で後楽園を散策したのだ。
あの後、取引先から散々冷やかされたことを思い出す。
所長の爆弾発言に、大沢さんと長峰さんの険しい表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
チャンスだ!と思ったのも束の間、事態はさらにややこしい方向へと転がり始めた。
「あら、面白そうなお話ですわね」
「私たちも、混ぜていただけますこと?」
なんだかんだと話がこじれにこじれた結果、大沢さん、長峰さん、マリア、イオナの四人は、「女性同士で、ゆっくりお話があるから」と、連れ立ってマリアたちの部屋へと消えていった。
残されたのは、男たち。
そして、俺の人生が終わったという絶望感。
「どうした、青島。振られたのか?」
所長が、ニヤニヤしながら聞いてくる。
「振られても、お前にはマリアがいるから問題ないだろう」
ラファが、追い打ちをかける。
「青島、複数の嫁を持つなら、イスラム教に改宗が必要だな。まあ、そんな不純な動機で改宗させてもらえるかは知らんがな」
フェルナンドが、完全に他人事で言う。
……もう無理だ。
俺は、完全に彼らのおもちゃにされていた。
俺は、その場から逃げ出した。
翌日。
地獄のような夜が明け、俺の公開処刑の日はやってきた。
ラファたちは、新会社の幹部たちとの接待ゴルフという名の、新たな戦場へと旅立っていった。
スペイン語の通訳は、往紘商事から派遣された社員が担当するらしい。
つまり、マリアとイオナはフリーだ。
そして俺は、大沢さんと長峰さんに、半ば強制的に、神戸のオシャレなカフェへと連行されていた。
しかも、そこにはなぜか、大沢さんに詰められて半泣き状態の枦谷まで同席している。
どうやら彼は、俺とマリアたちの関係を知っていたのに報告しなかった罪で、昨夜からずっと糾弾され続けているらしい。
すまん、枦谷。
どうやら、昨夜の女子会で、女性たちの間では何らかの話がついたようだった。
その上で、今日、俺の最終審判が下されるのだ。
席に着くなり、大沢さんが切り出した。
その目は、昨日とは打って変わって真剣そのものだ。
「青島さん。単刀直入に聞きます。あなたは、幸のこと、どう思っているのですか? うちの優斗でも、あんなに不器用ながら、きちんと告白できたんですよ。あなたに、できないなんてことはないはずです」
突然の、死刑宣告。
しかも、公開告白の強要付きだ。
羞恥心で死ねる。
ちらりと隣を見ると、当の長峰さん、いや、幸さんは、顔を真っ赤にして俯いており、いつもの凛とした面影はどこにもなかった。
もう、腹を括るしかない。俺は、観念して口を開いた。
「……Fラン大学卒の俺が、研修で本当に惨めな状況だった時に、助けてくれたのが長峰さんでした。その時、正直に言って、憧れました。『本当に綺麗な方だな』って。でも、それと同時に、俺とは次元が違いすぎる、とも思ったんです」
「次元?」
幸さんが、か細い声で尋ねる。
「そう、住む世界が違いすぎる、って。周りは優秀な人たちばかりで、俺は完全に場違いだった。だから、人事との面談でも地方勤務を希望して、あの地獄から逃げ出したんです。そんな情けない俺に、なぜかあなたはいつも優しくしてくれた。感謝しかありませんでした。でも、だからこそ、俺なんかが惚れていい相手じゃないって、自分に何度も言い聞かせてきたんです」
「そんな……」
俺の告白に、幸さんの顔が悲しげに曇る。
その瞬間、大沢さんの鋭いツッコミが炸裂した。
「『言い聞かせている』ってことは、今でも……本当は『好き』ってこと、ですよね?」
図星だった。
大沢さんの完璧なアシストに、俺は耳まで真っ赤になりながら、コクンと頷くことしかできなかった。
「幸、本当に、こんなヘタレでいいの?」
大沢さんが、親友に最終確認をする。
幸さんは、顔を赤らめたまま、それでも小さく、しかしはっきりと、もう一度頷いた。
「もう、青島君から言わせるのは無理かもね。幸から気持ちを伝えた方が、話が早いわよ!」
じれったくなった大沢さんが、幸さんの背中を押す。
「少し、焼けますが……」と前置きしつつ、マリアが援護射撃に出る。
「青島。そちらの美しい方は、私たち以上にあなたに惚れているように見えます。きちんと声に出してあげないと、女性としてあまりにかわいそうですわ」
「私も、本当は負けるつもりはありませんが……」と、イオナも続く。
「同じ女性として、今の青島の態度は、男らしくないと思いますわよ!」
四方八方からの煽り。
俺の中の何かが、プツンと切れた。
「ああ、そうだよ! 悪いか! 俺は、長峰さんが好きだ! 研修の時から、ずっと! その気持ちは、今でも全く変わっていない! それどころか、あなたがいたから、俺は会社の理不尽とも戦ってこれたんだ! それが、悪いか!」
勢い余って、俺は叫んでいた。
カフェ中の視線が、俺たちに突き刺さる。
「……だって、幸」
大沢さんが、呆れたように言った。
「あれが、彼の限界みたいね。うちの優斗みたいなロマンチックな告白は、酒でも飲ませてへべれけにしない限り、無理そうよ」
その言葉に、俯いていた幸さんが、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、少し潤んでいたけれど、強い意志の光を宿していた。
「青島君……いいえ、青島さん。私も、あなたのことが好きです。研修の時から、ずっと気になっていました。今まで私の周りにいた、どんな人とも違っていて……知らないうちに、どんどん、あなたのことが好きになっていきました。だから、私と……」
ここまで言われて、男が覚悟を決めないわけにはいかない。
俺は、椅子から立ち上がると、彼女の前に進み出て、深々と頭を下げた。
「長峰さん。今まで、ヘタレで本当に申し訳なかった。俺は、ずっとあなたに惚れていました。こんな俺で、しかも、これからは日本とコロンビアの遠距離になってしまうけど、それでもよければ、俺と、付き合ってください。そして、できれば……け、け……」
結婚。
その二文字が、どうしても喉から出てこなかった。
俺のヘタレは、最後まで健在だった。
少しだけ変な空気にはなったけれど、俺たちの長いようで短かった戦いは、こうして終わりを告げた。
その日は、いつもの四人にマリアとイオナを加えた六人で、神戸の街を散策して回った。
まるで、ダブルデートに二人の外国から来た友人が加わったような、不思議で、でも、とても楽しい時間だった。
翌日、俺とマリアとイオナは、まるで何かから逃げるように、コロンビアへと帰っていった。
これでまた、いつもの日常が戻る……そう思っていた。
だが、一つだけ、決定的に違うことがある。
SNSという現代文明の利器のおかげで、俺と長峰さん、いや、幸との、甘くて、もどかしい遠距離恋愛が始まったのだ。
『青島さん、今日の晩御飯は何を食べましたか? 私は、葵たちと鍋をしましたよ』
『こっちはマリアが作ったアヒアコだ。美味いぞ』
『あら、青島。わたくしが淹れたコーヒーも絶品ですわよ。幸さんにも飲ませてあげたいくらい』
『ちょっと、マリアさん! イオナさん! 人の会話に割り込んでこないでください!』
『あらあら、幸さん、嫉妬かしら? かわいいですわね』
SNSの画面の向こうで、声を荒げて怒る幸さんの姿が目に浮かぶ。
それがなんだか、とてもかわいく思えてしまうのは、きっと俺だけの中に留めておくべき秘密だ。
コロンビアに設立された専門商社の仕事も本格化し、俺たちの生活は以前よりも格段に忙しくなった。
それでも、ドタバタと、時々甘いやり取りが加わっただけで、俺たちの日常は、驚くほど平穏に続いていく。
空は青く、コーヒーは香り高い。
そして、遠い日本の空の下には、俺の帰りを待っていてくれる人がいる。
俺の物語は、ここで一旦、幕を閉じる。
でも、きっと、俺たちのドタバタな毎日は、これからもずっと、続いていくのだろう。
~完~




